俺の目の前に、アイドルが居た。
「君のこと、教えてほしいな」
最近話題沸騰中の人気アイドル様だ。
「わたしのことは知ってるよね。ライブ、来てくれてたもんね?」
そのアイドル様は──B小町のセンターことアイは、その瞳をキラキラ輝かせて俺の手を握る。
高校生の俺には縁遠い高級な店の、誰の目にもつかないような座敷で。
テーブルを挟んで彼女は──俺をここに連れ込んだ張本人は、爛漫な笑みで続けるのだ。
「さ、教えてよ──君のこと、知りたいんだ」
その吸い込まれるような眼光に思わず喉を鳴らし、どうしてこうなったと今日を振り返った。
「お兄ちゃん、B小町のライブ行こうよ」
「パス。めんどい」
とある休日の昼下がり。愛しい妹の誘いを、俺はソファに寝転がったまま目を向けることもなく一蹴した。
「というか小町。自分の名前が入ったアイドルグループ応援するのって恥ずかしくないか? もしかしてメンバー加入とか考えちゃってたりする? その下見か? そうならお兄ちゃん、応援するのもやぶさかじゃないんだが」
「キモ……友達が好きなんだけど、その友達が体調悪くて行けなくなっちゃったの! チケット勿体ないじゃん」
キモって……まぁ、事情は分かったが。道理で外出してさっさと帰ってきた訳だ。
それにしたってアイドルのライブなんて考えたくもない。俺は人混みが嫌いなんだ。それを高みから見下ろして人がゴミのようだごっこするのは嫌いじゃないけどな。
「ねぇ行こうよ~。送迎だって友達のお父さんがしてくれる予定だったから、一人で行かなきゃなんないし」
「なんだ、車出してくれなくなったのか」
「こっちから遠慮したの! 自分の子供が行けないライブに、その友達だけ送り迎えさせるなんて申し訳ないじゃん」
「なるほどね……」
うぅむ、我が妹ながら清らかな心を持っているもんだ。昨今の小娘どもは、同じようなシチュエーションでも図々しくアシに使いそうなもんだが……いや俺もピッチピチのティーンエイジャーだけどね?
「まっ、そういうことなら付き合ってやる。中学生一人でライブに行かせるってのも怖いしな……」
「ホント!? やたっ。あーだこーだ言って結局心配してくれるんだから~。今のお兄ちゃん、小町的にポイント高いよっ♪」
「そりゃどーも……」
そんなこんなで、俺は特に興味もないアイドルグループ、B小町のライブ鑑賞に行くことになった。
『──アイシテル──』
目が離せなかった。
彼女がその言葉を、歌詞のフレーズとして口にしたのか。マイクパフォーマンスとしてファンに投げかけたのかは既に定かじゃない。
ただただ──客席で俺は、背筋を凍らせていた。
「きゃー! アイちゃーん!!」
少し前までは、隣で能天気に叫んでいる妹のようにライブを楽しめていたはずなのに。
とびぬけて整った外見。軽快なステップで繰り広げられるダンス。アップテンポで高揚するような歌声。初めて見た俺みたいな人間でもドルオタにしてしまいそうな魅力を感じていたのに。
『──アイシテル──』
彼女の──B小町のセンター……アイというらしい彼女の言葉に。俺は心臓を掴まれたような恐怖を感じていたのだ。そして、それ以上に──。
『────☆』
その眼光に。瞳の輝きに射抜かれた俺は、ライブが終わるその瞬間まで。アイから目を離すことが出来ず、さりとてライブを楽しめる訳もなく。どうかこの時間が早く終わってくれと、冷や汗を流しながら神に祈っていた。
目を離した次の瞬間、自分が死んでいるようなトチ狂った予感があった。
「──ちゃん体調良くなったんだって! 病院でも問題ないって言われたらしいし、遊びに行ってくるねっ。ライブどんな感じだったか聞きたいみたいだから! じゃあねお兄ちゃん!」
「お、おぉ……」
長かったような短かったようなライブが終わってしばらく。スマホを開いた妹は口早に言うと、ライブに付き合ってくれた兄を置いて駅に駆けて行った。友達が心配なのはわかるけどな、ちょっと薄情じゃない? お兄ちゃんは悲しい。
「…………」
実のところ、小町に対して不満を感じる余裕もなく、無意識に足は書店に向かっていた。チラリと見えた雑誌の束、その一画にどこぞのアイドルを見かけて目を逸らし、文庫本を物色することにする。
とにかく普段通りの自分を取り戻して、どうにか心を落ち着けたかったのだ。
……きっと、それは間違いの連続だったんだろう。俺はB小町のライブに来るべきではなかったし。一人で電車に乗る妹を見過ごすべきではなかったし。書店に寄るべきでもなければ、そこで時間を浪費するべきでもなかったのだ。
「ふぅー…………ん?」
「────あっ」
気になる書籍の新刊情報をあらかた確認し終えて書店を出た直後。そいつはまさに目の前を通り過ぎようとして──こちらを見た。
目深に被った帽子。素肌を隠すようにパーカーを羽織り、ジーンズにスニーカーと目を引くわけでもない装いの女がいた。
──それは人によっては、運命と錯覚するような出来事だったのかもしれない。どこぞのお兄様の言葉を借りれば、FateではなくDoomだったのは間違いないだろうが。
「……B小町のセンター……」
「むっ、失礼だなぁ。アイだよ、目つきの悪いお兄さん」
咄嗟に口をついた彼女のポジションですら、言葉のチョイスをミスったと言えるだろう。およそファンからは出ないだろう絞り出したようなソレに、彼女は意趣返しとばかりに俺の目を揶揄ってきた。
「……そうだ。ちょっとご飯に付き合ってくれない? 悪いようにはしないから……ねっ?」
付き合わなければ悪いように事を運ぶことも出来るぞ、という脅しに聞こえたのは、きっと俺の被害妄想のようなものだろう。悪戯っぽく、ステージで見たようなウインクを飛ばすB小町の……アイの誘いを。
「…………はい……」
俺は断るという選択肢を選べなかったのだ。