「──あぁ、
「……何か、言いたいことでも?」
こちらの内心を見透かしたような目に不快感を覚え、俺は斎藤氏に視線を返した。すぐに言葉も。一体なにが「だから」だと言うのか。
気になることがあるのなら口にしてくれと促したが、彼は処置なしと言わんばかりに瞑目し、首を横に振った。
「何でもない……まっ、アイが君に
話はようやくスタート地点にたどり着いた。ここまでで十分神経は擦り減ったが、斎藤氏の言う通り、話題沸騰中のアイドルであるあの女が俺に粘着している以上、身の振り方を考えなければ家族に累が及ぶことになる。
彼の態度に思うところはあったが、本題に取り掛からなければ問題の解決には至らないため、渋々引き下がることにした。
「で、アルバイトって話ですけど……どうするつもりなんですか? ロクに社会経験もない高校生風情に宛てがえる仕事なんざ、アイドル事務所にあるとは思えませんが」
「知ったような口を利くな、と言いたいところだが……ま、そうだな。外に顔を晒す仕事は
「それもリスキーだと思いますけど……部外者に見せちゃいけない資料なんて腐るほど保存されてるでしょうに」
「その通り。けどな、今ちょっと話しただけでも君に仕事をさせることに不安はない。リスクは相応にあるが……君は小心者だ。使う側にとっては良い意味で。つまり、しっかり扱えばバカな真似はしない。どっかのバカアイドルとは違ってな」
「……俺が社外秘のブツを持ち出して、苺プロダクションに打撃を与えることは無いと?」
「無いね。それが自分の身を守ることに繋がるならともかく、ただそれをするだけなら君の方がリスクを負うことになる。アイドルと交友関係を結ぶことで発生するリスクを軽減する。そのために始めたバイトで、わざわざ敵を増やすマネをするとは考えにくい」
「知ったような口を、と言いたいですけどね……まぁ、仰る通りで」
俺が苦笑すれば、斎藤氏も疲れたように笑みを零した。なんでむさ苦しい男二人、こんなに悩みながらダメージコントロールに勤しまなければならないのか。絶対許さない、あの女。
「心配するな。こちらが求めるのは、あくまで君という存在を関係者として取り込むことだ。うちの商品に傷がつく要因を見張ることが最優先。給料は出してやるが、本音としては一日中事務所で寝ててもらっても構わん」
なんだその夢のようなバイトは。出勤して待機して帰るだけで金が貰えんの? 都合が良すぎて怖ぇよ、それが
「……給料貰えるならしっかり働きますよ。バイトそのものは本意じゃないんで、迷惑かけることになっても多少お
「ははっ、そう言うと思ったよ。本音を言えば、君みたいな素人でも入ってくれるのは助かるんだ。お互いにある程度腹の内を知っているからそこそこ信頼も出来る。仕事を覚えてくれるなら願ったり叶ったりだ」
「……一応確認なんですけど。俺みたいなのに振る作業があるほど忙しいんですか?」
「これから忙しくなる、が正しいな。
いやらしく口角を上げる斎藤社長に、俺も同じく唇の端を持ち上げた。こちらはピクピクと痙攣せざるを得なかったが。暗にお前の責任だと言われているのだ、どう考えても御社製品であるところの爆弾が原因なのに。これが現代社会の理不尽、その一端である。社会人の皆様お疲れ様です。
「……はぁ。あまり期待しないでくださいよ、読んだり書いたりは多少自信がありますけど……数字が絡む作業は迷惑かけると思うんで。それでも良ければ──よろしくお願いします。斎藤社長」
誰がどう見ても普通の雇用関係には無かったが、それでも金銭の上で責任が発生する間柄になる。一応の礼儀として頭を下げておいた。
「そう硬くなるなっ、斎藤さんか壱護さんとでも呼べ。電話対応するなら事務所内での呼び方にも気を遣う必要はあるが、お前にそんなことさせるつもりは無いから気にしなくて良い。お互いあのバカアイドルに振り回されてる身だ、気安い方がいざというとき
が、その頭をガシガシ撫でられながらそんなことを言われた。ビジネスライクに振り切った関係を築くべきだと思っていたが、言われてみればあの爆弾型アイドルに対応すべきときに頭数となり得るのだ。
気安い関係を築こうと歩み寄る発言を嘘とは思わないが、どこか必死さを感じる声色に顔を上げると。
「これからよろしくなぁ、八幡ッ」
──簡単に逃げられると思うな──。
そんな意志を斎藤社長の淀んだ瞳から感じ取り、やはり俺は口元を引き攣らせて頷いた。
「あ、あぁ……よろしく、斎藤さん」
「仕事については大体こんなもんだな……細かいところはマネージャーに教えさせるから、困ったらそっちに聞いてくれ」
苺プロダクションを訪れてから数時間。正式にバイトとして雇ってもらうことが決まり、契約関係やら業務内容の確認をしていると、あっという間に日が暮れてしまった。
西日差す窓に目をやって思わず別れを告げる。さようなら、俺の夏休み……。出勤は週に3日程度で良いと言われたが、俺は1か月に1日たりとも働きたくなど無いのだ。週5じゃないの嬉しいだろ? みたいな顔されても全く喜べない。いや自分から仕事をすると言ったんだが。自業自得と罵られる謂れはないはずだ。
「たっだいまー! 八幡どうなったー……って、居るじゃん!」
我が身の不幸と愚かさを嘆いていると、諸悪の根源が事務所の扉を勢いよく開いて入ってきた。愛用しているのか、見るたび被っている帽子をとって花のような笑顔を見せた。
ハイテンションな行動も、俺に向けた満面の笑みも。そのすべてが薄っぺらく映った。
「……とりあえず、夏休みの間は世話になることになった。だから俺の家に来るのはやめろ。そういう条件だ」
「うんっ、八幡に会えるならなんでも良いよ。これからは直帰しないで一旦戻ってくるから、わたしが来るまで待っててね? そんな感じだから、佐藤さんもよろしくー」
パタパタとこちらへ駆け寄り、俺の手を取って上下に振るアイドル。……仕事内容には考えが及ばないが、柔らかい香りが漂ってきて──俺は顔を
「いい加減覚えろ、俺の名前は斎藤だクソアイドル……はぁ。まぁいい、今日は疲れた。解散だ解散、とっとと帰れ二人とも」
言葉通り疲労を隠せない様子の斎藤さんに頷き、帰宅すべく手を解こうとしたら──。
「え~っ? 帰ってきたばっかなんだよ? 全然たりないよー。それに二人も会ったばかりでしょ? バイトが決まったんだったら歓迎会しよっ。どこでも良いから食べに行こうよー」
力を緩めるどころかがっしり掴んで、それどころか胸に引き寄せやがるアイドル。思わずギョッとした俺は、反射的に斎藤さんの顔色を窺った。
「………………はぁ……。マジで今日だけだからな……」
怒り、嘲り、呆れ。数秒の沈黙から様々なネガティブ感情が漏れ出し、ついに吐かれた深いため息からは、如何ともしがたいと膝を折るような諦念が滲んでいた。
……まさかとは思うがこの事務所、パワーバランスがこの女に傾いてるなんてことは無いよな? 疲れてるから要求を受け入れる方が楽だと判断したんだよな? そうであってくれよ斎藤さん……!
「じゃあ行こっか! 佐藤さん、先に車向かってるよー? こっちだよ八幡っ」
「斎藤だ、クソアイドル……」
先陣を切って駐車場へ向かう
やはり早まったかと意味のない悔恨を抱きながら、またも時限爆弾の針が進んだように錯覚した。