「お前だけスタジオ利用の申請書が
「それはね、えーっと──」
ある種開き直って、業務関連の疑問をアイに投げかけてどれくらい経っただろうか。仕事に関係する質問ばかりの俺に対し、予想に反して退屈そうな素振りを見せないアイに内心嘆息しつつ、話を続ける。
「なるほど、スケジュール外で自主練してるからお前名義の書類が増えてんのか……労基法的にどうなんだ? ソレ。一日何時間働いてんだよ」
「無理矢理やらされてるんじゃないなら関係ないらしいよ? そこ突っ込まれないように書類書かせるみたいだし」
「あの書類の束は厚労省に対する免罪符かよ……」
闇深い芸能プロダクションが
けれど、星野の話と俺が処理した事務作業の内容から推測すると、少々気になる点があったので言及してみることにする。
「スケジュール外のレッスンについては、請求書と併せてお前名義の書類が多かったから納得した。他のメンバーの分はどうなってんだ? 見当たらなかったんだが。マネージャーがお前の分だけ残したってことも無いだろうし、コマを増やすときは代表者だけ提出すれば良いってことか?」
星野曰く、彼女名義のスタジオ利用申請書が多かったことは自主練が理由だ。しかしそうだとすると、他メンバーの分があまりに無さ過ぎた。星野が代表して提出していただけなら構わないんだが、俺が懸念するのは単純で、俺自身が彼女以外のメンバーの書類を見落としている可能性である。
せっかく終わらせた仕事が実は残っていました、なんてことは耐え難い。その可能性を考慮しつつ、見なかったフリをすることも。金を貰う訳だしな……今日中に探し出して終わらせようとまでは考えていないが。
そんな俺の懸念は、呆気なく星野の言葉によって取り除かれた。
「あー、多分だけど、居残りレッスンってわたししかやってないんじゃないかな? いつもみんなが帰ってからお願いしてるし」
「なに?」
残念ながら、朗報とは言えなかったが。
「この事務所が契約してるスタジオもトレーナーも費用は固定だぞ。毎回お前だけで自主練してるってのか?」
事務処理をしていて知った程度の内容だが、苺プロダクションがB小町のレッスンのために契約している施設も講師も、受講する人数に関係なく金額は一律だ。つまり、コマを増やすなら星野一人でレッスンするより、メンバー全員で取り組んだ方がコスパが良いのだ。
これを、星野一人で金を無駄に浪費していると捉えるか、彼女以外のメンバーが機会をドブに捨てていると捉えるかは判断が分かれるところだろう。どちらにせよ、事務所にとって良い金の使い方じゃないのは明らかだが。
事務作業を経験して、そんな「金が勿体ない」という事務所側の意見が漏れてしまったか、俺の発言に星野はどこか恥じ入ったように肩を小さくさせた。……正直、その姿は意外だった。
「最初はみんな付き合ってくれてたんだけど、最近は忙しいからって……。仕方ないよ、みんなアイドル以外にもやりたいこと沢山あるんだって。わたしは、レッスンくらいしか無いから……」
……まぁ。アイドルグループと一口に言ってみても、現実はそんなもんだよな、という納得があった。──同時に、微かな
俺は、アイドルの苦労など何一つ知らないにも関わらず、心のどこかでは理想を押し付けていたらしい。マネージャーが言っていたモノと同じ夢を掲げた女の子たちが、努力を……心を重ねて輝かしいステージを目指しているのだと。
「B小町のセンターなんて言われてもさ、メンバーには避けられてるんだよ。笑っちゃうよね」
「良いんじゃねぇの」
その言葉は一瞬で口を
独りでも星野は、努力を重ねていたのだ。比べるのも
グループの中心に居る癖に協調性が無い。他のメンバーと足並み揃えず、事務所の金食って自主練するお前が悪い。俺が口にすべきは、そんな正論だったのだろう。
くそったれだ。
他人に迎合せず、己の理想へ孤独に
星野を否定することは──過去の俺自身を、否定することなのだ。
あぁ……くそったれ。
「イベントだのライブだの、
……………………。
……………………。
…………いやなんか言えよ。
隣で申し訳なさそうに「一人で自主練してる」と口にした星野に対し、矢継ぎ早に意見を押し付けたが。数秒、十数秒。あまりにも反応が無いので……思わずチラリと。視線を隣に向けた。
「──っ」
きょとんとした。呆気にとられた。そんな言葉の代表例に挙げても良いほど、星野は大きな
「……んだよ」
俺がフォローしたのがそこまで意外だったか? そう思ってぞんざいに口を開けば……どうやら本当にそうだったらしい。
「~~っ!」
星野は両手で自分の顔を包んで……心底嬉しそうに、口元を緩ませた。
赤く染まった頬に、潤んだ瞳。まるで──小さな子供が初めて、欲しかったプレゼントを貰ったような……在りし日の、クリスマスにはしゃぐ妹の姿とダブって映った。
自身の人物評価を下げたいのに、やってしまった──そんなことよりも。ただ数回会っただけの俺みたいな部外者に、一言フォローされただけで目に見えて嬉しそうにする女の子に、憐憫を抱かざるを得ない。……それが彼女に対する侮辱以外の何物でもないと知っているにも関わらず。
本当に、くそったれだ。
「でっ、でもね。現場ではわたしばっかりスタッフに話しかけられちゃって……やっぱり、みんなの視線が苦しかったりするんだ」
自分でもどんな顔をしているのか分かるのだろう。そして、それを見せたくはないらしい。このアイドルの価値基準は知らんが、両手で頬を隠したままに、俺から顔を背けつつ続けた。表情から注意を逸らすためなのは明白だったが、やはり内容は軽いものではない。……俺からすれば、だが。星野にとっては、日常茶飯事なんだろう。
「お前が陰で努力した時間に比例してるだけだろ。他のメンバーが嫉妬してることを間違ってるとは思わないけどな、俺だってコミュ強のイケメン様をやっかむことはある。でも、それに遠慮するのは間違ってる。お前は悪いことなんかしてないんだから。仮にイケメン様が、俺に遠慮して交友関係を制限しますなんて抜かしてみろ。そん時は出来るだけ凄惨に殺してやる──あ?」
ぎゅうっと、右腕が強く捕まれ。反射的に視線をやると──顔が見えないようにと俯いた星野が、震えた両腕で抱き抱えていた。前髪の隙間から覗く額は真っ赤で、どう見ても……いや、よしておこう。
「はちまん……ありがとう」
「勘違いするな。俺は独りで頑張ってる奴が否定されるとムカつくだけだ。高校の現代文の教科書に『孤独を友とせよ』って作品があるけどな、ひとが立派な仕事をする時は一人なんだとよ。逆説的に、一人で自主練してスタッフの相手までしてるお前は立派ってことだろ。知らんけど」
「うん……うん……っ」
……まぁ良い、今日は失敗したと割り切ろう。人間関係を築くうえで、いかに相手の好感度を上げることが難しいかなど痛いほど知っている。比して、下げることのなんと容易いことか。まだ手探りではあるが、いずれこのアイドルからの評価を地に落とす機会は巡ってくるはずだ。
──だから。
「俺より年下なのに、すげぇよお前は。だから……頑張ってる自分を否定するのは、やめとけ」
今日くらい、そんな言葉をかけてやっても良いだろう。そんな言葉をかけられる日があって、許されるべきだろう。