分不相応な仕事をなんとか片付けて、事務所にマネージャーと社長が戻った後に小休憩を貰うことにした。外に出て少し歩いたところにある自販機で、マッ缶ことマックスコーヒーを購入し、その足で事務所が入ってる建物の屋上へと向かった。来客の愛煙家を
小気味良い音と共にタブを開き、かつては"100円で買えるオアシス"と呼ばれていた甘いコーヒーを口に含む。千葉のソウルドリンクことマッ缶だが、販売地域は千葉に限定されている訳ではない。よく目にするとまでは言わないが、有難いことに県を跨いだこの事務所にほど近い販売機で手に入れることが出来る。これが無きゃやってらんねぇよ……。
「……はぁ」
慣れ親しんだ命の水を胃に落とし、無意識に息を吐いて空を仰いだ。青い空、白い雲。そこそこに風が感じられるこの場所で、遠くに見える鳥を目で追ってみる。
「…………」
それなりに心が落ち着いたことを自覚して、先ほど片付けた仕事を思い返す。……おそらく、問題は無かっただろう。もしあったなら屋上にたどり着くまでにマネージャーから連絡が入った筈だし、スケジュールの共有そのものは上手くいったのだと思う。
何も問題は無い……その筈だ。
「…………」
俯いて、手に持ったマッ缶の成分表示なんぞに目を通してみる。……そこに真新しいことなど書いていない。そんなことは実際に見ずとも分かり切っている。けれど、どこかに答えを求めたかった。そのヒントを探したかった。
『はいはーい! 事務員さんてドルオタですかぁ?』
『違う。話の腰を折るなカエル』
『な──ッ』
あの瞬間から……いや、
解決したいとは、思う。だが……その要因を、自分の中に見出すことはしたくなかった。
「おっ、いたな」
「……斎藤さんすか」
黄色い缶に視線を落としていると、いつの間にか足元に影が下りていた。顔を上げれば、そこには苺プロの社長こと斎藤さん。姿を認めて口を開く俺に、彼は──。
「しけた
どこかで聞いたような、失礼なことを言ってきた。
「で、どうだったよ」
彼が俺の隣に座って、1、2分も経っただろうか。ペットボトルの水を飲む斎藤さんを横目に「何しに来たんだこのオッサン」と思っていたが、「何が言いたいんだこのオッサン」にシフトした。
「散々でしたけど。変な仕事押し付けないでくださいよ」
マネージャーが俺にメールを寄越した時、斎藤さんも一緒に居たらしいしな。俺に仕事を振るというのはこの二人の合意だろう。つまり、このオッサンも俺が面倒を背負いこむことになった原因の一つである。
「そう言うな、思わぬ拾いモンだったからな。お前のおかげで順調に仕事は片付いてる……8月が終わる前に捌き切れるくらいだ」
「だから、リソースが余る前に別の仕事も押し付けてみようって?」
「よく分かってるじゃん」
「ふざけんな……」
悪びれる様子無くケラケラ笑うオッサンに悪態をつくと、それすら面白そうに斎藤さんは笑みを深める。
「最初はどうなることかと思ったが、お前はたった数回の出勤で十分ウチの助けになってくれた。特に……アイのことに関してな」
「あのアイドルの暴走については何も解決してないでしょ。少なくとも俺が辞めるまでは」
「そっちも重要なんだが……何も抱えてる問題ってのはアイとお前の件だけじゃない。B小町はグループだからな、問題点はメンバーごとにいくつもあるのさ。……お前が自覚してるかは知らないが、アイはこの頃良い意味で安定してる。理由は考えるまでもないだろ?」
……風向きが怪しい。この男は、仕方なく俺を引き入れただけであって、実際のところは排除したいはずなのだ。アイという売り出し中のアイドルのスキャンダルに成り得る高校生。あの女が我儘を言わなければ、絶対に近づけようとはしなかっただろう男の影。
斎藤さんがそう思っていると確信していたから、俺は事務のバイトなんて言う体裁を取り繕った仕事にしっかり取り組んだ。目標を同じくして、金を払ってくれると言う社長への義理を立ててきたのだ。
しかし、その前提が──。
「だから、ちょっと欲が出てきた。アイの精神面を安定させたお前が、B小町全体に良い影響を与えてくれるんじゃないかってな」
──覆された。
「そんなことある訳ねぇだろ……あの連中から俺のことは聞いたんでしょう。アイと距離を取るには心証を損ねる必要がある。そのために他のメンバーにも嫌われる必要があった」
「──ほう?」
睨みつける俺の言葉をどう受け取っているのか、興味深そうに斎藤さんは相槌を打った。続けろ、と。
「アイドルだろうが本質はガキの集まりだ。俺が通ってる高校の、クラスの連中と大差ない。──同調圧力は、絶対に働く。俺がB小町のメンバーに嫌われてしまえば、アイは間違いなくその影響を受ける。だから──」
「だから、わざわざメンバーをイメージアニマルで呼びつけて、エラソーな口調でスケジュール押し付けたって?」
その辺の話はしっかり行っているらしい。なら話は簡単だ、「アンタは俺たちに共通する目標達成の足を引っ張っている」と、そう明言してやれば良い。
「だーっハッハッハッハッ!!」
そう……思っていたのに。当の斎藤さんが腹を抱えて笑い出し、勢いを削がれてしまった。
「何が可笑しいんだよ……!」
「くっくっくっく……!」
こちらの憤りなど意に介した様子もなくしばらく笑ったオッサンは、それが落ち着いてからやっと口を開いた。
「お前、向いてないよ。
「ハッキリ言えっつの……ッ」
もはや自然に敬語が外れてきてしまったが、俺はそれを無礼だとは思わなかったし、当の社長も気にした様子はない。
「だからさぁ……比企谷。優しすぎるんだよ、お前はさ」
「……?」
「無理して口調悪くしてみたってさ、そういうの滲み出んのよ。アイドルがガキだってのは同意してやらんでもない。が、さすがに畑が違い過ぎる。お前みたいな素人が悪ぶってみたって思い通りに行くもんか」
「……あの連中が、そう言ってたってのか?」
「ハッキリと"事務の人が悪ぶってました~"なんて言われちゃいない。けどまぁ、どういう風にスケジュール共有しましたーっつぅ報告受ける中で、あいつらがお前の言動をどう捉えたかなんて大体わかる」
「はっ、エスパー気取りかよ。そんなこと出来るんならメンバーごとの問題点とやらも簡単に解決出来んだろ」
俺の反論に、ようやく斎藤さんは渋面を浮かべてくれた。
「まぁなぁ……そこを突かれると弱い。でもな、この業界でしぶとく生き残ってる身だ。ちょっと図星を突かれたくらいじゃあ矛は収めてやれんな……結局のところ、あいつらはお前のことをそこまで嫌っちゃいないしな」
「んな確証がどこに──」
「付き合いの長さ。簡単だろ?」
……それは、今日あったばかりの俺にはぐうの音も出ない程の正論だった。口を滑らかにするためにか、斎藤さんはペットボトルを再び傾けて……どこか労わるように、言葉を続ける。
「なぁ比企谷。お前、イジメ受けたことあるだろ」
「──ねぇよ」
その的外れな指摘を、俺は鼻で笑った。