「さ、教えてよ──君のこと、知りたいんだ」
現実逃避するように過去を振り返ったが、もちろん現状が変わることなんてあるハズも無く。楽しそうに笑う彼女──アイドルグループB小町のセンターことアイの言葉に、警戒を隠さず返した。
「俺のことを教えろと言われてもな……内容がアバウト過ぎるだろ。名前と年齢でも答えれば満足か? それとも生まれて今日までの武勇伝でも語れってのか。生憎とアイドル様を楽しませられるような波乱万丈なストーリーに縁は無いぞ」
つまり、どういう意図で俺を誘い、こんな質問をするのかと。そういう疑念を以て口を開けば、彼女は──きょとんとした表情を浮かべた後……どういう内心か吹き出して笑い始めた。
「──ぷっ。あはっ、あははははは! そうだよね、意味分からないもんね。だって……わたしもよく分かんないんだからっ! アハハハハハ!!」
容姿が整ったアイの笑う様子は一見して微笑ましく、周囲の人間からも笑みを引き出すような力があるように思えた。が、俺はどうしても、そこから狂気のようなものを感じずにはいられなかった。
何がそんなに面白い? いや──本当にこの女は、楽しいと思って笑みを浮かべているのか?
「ふー、あーおかしい。そうだね、じゃあまずは自己紹介しようよ。わたしは苺プロダクション所属のアイドルグループ、B小町のメンバーでアイっていいます。お兄さんは?」
彼女はそう言って場を仕切り直す。自分はこういう者です。あなたは? と。正直ふざけているとしか思えなかった。大層なごっこ遊びだ、自らの所属と名を名乗り、相手にもそれを求める。表面上のそれを見れば筋は通っているように思えるが、その実彼女は自分の情報など何一つ出していないのだから。
苺プロダクション所属だとか、B小町のメンバーであるとか。そんなもんはライブに行くような人間なら誰だって知っていることだろう。俺は知らんが。しかし俺が知っているか否かに関わらず、結局のところは調べればわかる程度の情報でしかない。彼女は俺に、何一つ自分のことを打ち明けてなどいない。
「比企谷八幡だ。どこの誰でもない。ただの高校生だよ」
まぁ、雰囲気に流されて名乗っちゃうんですけどね。この場で断固自分の情報を秘匿しようなんて考えや決意がある人間なら、そもそも最初に誘いを断れたはずである。
悲しいかな、同い年程度に見えようとも業界人特有の謎の圧を持っているらしいアイに対し、俺は警戒心は解かずとも、黙秘を貫いたり上っ面の言葉で煙に巻くということが出来ずにいた。
「へぇー、何年生」
「ぴっかぴかの1年生だ」
どうにか主導権を握る、とはいかずとも、最低限対等に話を進めるべくちょっとした小ネタを挟んだりしたが。当のアイは「フーン」と特に感慨もなさそうに相槌を打つ。言わなきゃ良かった。
「それで市ヶ谷さんは、どうしてライブに来てくれたの? ステージから見つけてすぐに分かったよ。あぁ、この人付き添いで来たんだろうなぁって。全然わたしたちに興味無さそうなんだもん」
「比企谷な。察しの通りだ、妹の付き添いだよ。友達と来る予定だったらしいが、その友達が体調不良なんだと。チケット勿体ないからって誘われたんだよ」
「あぁ、隣に居た女の子が妹さんなんだ?」
「世界一可愛かったろ?」
そりゃあアイドル様の目にも留まっただろうと目を向ければ……彼女は意外そうに目を丸くしていた。
「そこまで歳離れてないよね? 妹さんと仲いいんだね」
「千葉の兄妹は仲が良いと有名なんだぞ。ケンミンSHOWでも取り上げられたほどだ」
「千葉から来てくれたんだ? ありがと」
ぐっ、とそこで言葉が詰まる。小町の可愛さに我を忘れ、どうやら無駄に情報を漏らしてしまったらしい。なんてこった……。
「妹さんに誘われて、わざわざ千葉から……ふぅん……」
己の迂闊さを呪っていると、アイはどこか今までとは毛色の違う声音で呟いていた。顔を上げると、その大きな瞳と視線が交わる。
「──妹さんのこと、愛してる?」
『──アイシテル──』
瞬間、どくんと心臓が跳ねた。妹との禁断の愛を見抜かれた──とかいう図星からではもちろんない。
B小町の。彼女のライブを想起した。綺麗な笑みで。輝くような瞳で。楽しそうに、嬉しそうに──空虚な愛を言葉にする、アイの目映い光を。
目の前を埋め尽くすほどの、眩しすぎる
「……まぁ、な。少なくともインドア派の俺が、休日返上で用事に付き合ってやるくらいには愛してるさ」
「──そっか。君は知ってるんだね……てっきり似たようなヒトなのかと思ったんだけどなぁ」
微笑んでいる。しかし、彼女の表情は……感情は読めない。視線を落としたグラスをくるくる弄んで、円を描く氷を見るアイは、どこか悲しそうで。嬉しそうで。落胆したようでいて、希望を見出したようにも映った。
ライブの時と似たような予感を覚える。視線を外してはいけないと。
貼り付けたような表情の下にどろどろとした何かを幻視して、俺はカラカラの喉を潤すべくグラスを手に取った。
こくり、と。冷たい水が喉を滑り、多少は爽快な気分になったが──正面で俺と同じタイミングでグラスを傾けたらしい彼女が、同じく嚥下する瞬間を見て……重なった視線に何を思ったか、目尻を和らげるアイの姿に、形容しがたい不安を、吐き気を覚えた。
「ふぅ……ねぇ、これは知ってる? 仲良くなりたい人と食事をするとき、相手と同じタイミングで同じことをすると、親密な関係を築きやすくなるんだって」
「……? ミラーリング、だったか」
今まさに彼女がそうしたのだという告白だろうか? 何にせよ目を合わせたまま質問に返す。どうにかして、彼女の意図を理解したかった。仲良くなりたいだなんてポジティブな考えじゃなく、そうすることが俺を安心させるのだと直感したからだ。
「あ、そういう名前なんだ? これって割とチョーホーするんだよね。打ち上げの席とかでね、偉いおじさんたちに効くんだよ? 同時に口に入れたものだとすぐに感想を共有できるし、話のテンポも合うし。店員さんにおかわりお願いする時とかに便乗して、ニコって笑ってお礼するの。こういうちょっとしたことでもね、頼られてると思って機嫌よくしてくれるんだ」
「何が言いたい?」
「君は、なんでそんなに不機嫌そうなのかなぁ? って」
「……この顔は生まれつきだよ。機嫌がいい時もこんなもんだ」
「あはは、騙す気もない嘘ってちょっと面白いかも。まぁそれがホントだとしても……あんな顔でライブ鑑賞されるとね、ステージに立つ側としては気になるワケだよ」
おどけた調子でビシッと俺に指を向けた彼女は──それでも瞳だけは今までにないほど真面目な色を映している。
「今も、ライブの時も。なんで君は、そんな咎めるような……嘘つきを見るみたいな目で、わたしのことを見るんだろう? ってね」