『ごめんなさい比企谷君。今日も出てもらえない?』
そんなマネージャーからの電話により、平日にも関わらず俺は事務所を訪れていた。どうやら出勤予定だったスタッフが体調を崩したらしく、その上別の人員は俺がいるうちにと有給の消化にあてていた為に、便利な補充要員としてお呼びがかかったようだ。
『連勤が嫌だとか、別に予定があるとかなら無理しなくても良いんだけど……』
そこに嘘は無いだろうと思えた。しかし、俺が処理するまで積まれていたような仕事なら多少放置しても問題は無い筈であり、連絡が入ったということは逆説的に人手は必要なのだろう。文字通り、今日中に仕事に手を付ける人間が"必ず要る"ということ。俺に無理を押して出勤しなくても良いというのは、他に無理を押して仕事をする人間が居なくもないと捉えられた。
『比企谷君……芸能プロダクションの管理職にね、定時なんて概念は通用しないのよ……』
過去のそんな言葉が思い出される。考えるまでもなく、マネージャーが本来の仕事を終えた後に、夜な夜な事務所に戻って仕事を片付けることは可能、ということなのだろう。苺プロダクションで仕事をする上で、最も世話になっているのは間違いなくマネージャーであり、社長が信用ならない以上、事務所内で唯一俺の助けとなってくれる可能性が高いのも彼女だ。
マネージャーに恩を売るのは必要経費。今後働く期間を短縮するために、今日と言う一日を犠牲にするのはそう悪い手じゃない。アイがシフトにない俺の出勤を知らない以上、業務を終えて顔を合わせることも無いだろう。
あれこれと休日を労働に捧げる必要性を捻り出しながら、憂鬱な気持ちを引きずって今、PCの前で仕事に励んでいた。どうやら本日中に目を通すべき書類が今日これから、それも複数届くということで、俺はそれが来るたびに処理して次を待つ、というような半ば待機状態となっていた。
『もうみんな諦めちゃったんだ。
「…………」
手を付ける作業が無く、脳のリソースに空きが出来ると考えてしまう。昨日星野から聞かされた、B小町というアイドルグループの内情について。
俺が彼女らの前でとった言動について、特別オッサンに報告が無かったという言葉を受けてから、自然と会話の内容はB小町を中心とするものにシフトした。時系列などお構いなしに、思いつくまま語られた彼女の言葉を総合すると。
B小町は発足当初、中学生モデルの寄せ集めだったこと。もともと所属していた二人に加え、スカウトによってメンバー入りしたアイ、さらにもう一人が加入して四人グループの活動を開始した。
活動から半年も経つ頃には、すでにアイをセンターに据えることが殆どで、事務所側……というかオッサンが、何をするにもメインはアイ、というような売り出し方をしていたようだ。そして、それは概ね成功した。商品の売り出し方としては、本人の立場からしても手応えがあったらしい。仕事が上手くいってからは新メンバーが加入したりと、一見順調に見えていた。
が、反面グループ内には不和が生じた。当然だ、思春期真っ盛りの中学生女子集めて、一人だけ贔屓してれば不満が生まれない訳が無い。メンバーの中から、アイの付属品かのように扱われることに耐えられない人間が出ることも、その矛先が立場上は同じ
アイはあまり気にしなかったようだが、事務所は重大な案件と捉えた。アイの持ち物を盗む、隠す。本人の居ないところで、他のメンバーに陰口を叩く。オッサンは金の卵を傷つける行為を許さず、直接説教したりもしたようだ。
それで表面上だろうが反省するメンバーは許していたようだが、改善が見られないメンバーは卒業ライブすら許されずクビになったらしい。それがB小町に通達されたのは事が終わった後で、アイ以外のメンバーは相当顔を青くしていたようだ。
メンバーの特別扱い。現状に対して誤った対処を行った者の末路。暗黙の了解は、B小町から初めてクビを切られたメンバーが生まれた頃から始まり。仲間が加入しては消えを繰り返した今でも続いている。
アイを中心とした、アイのためのグループ。その正体は──事務所内で絶対的権力を持つ斎藤社長が。寵愛を与えている不動のセンターに対する"配慮"を他のメンバーに強いている、歪なカーストを土台に成り立ったモノだということだ。
アイ自身は社長をはじめとした運営に働きかけて、他のメンバーにもスポットライトが当たるよう努力しているようだが。それもあまり効果は出ていないようだ。
「…………」
メールやFAXで届く書類に目を通し、それぞれに必要な作業に着手する。手に負えないものは分けて置き、おそらく必要であろう別の資料なんかはメモに取って一緒に残しておく。マネージャーに押し付ける形だが義理は果たせているだろう。
「…………」
細々とした事務処理をして。幾許の隙間時間が生まれて。──そんな中で、何度も何度も脳裏を過ぎる。
傍目には"仲が良くて当たり前"と見られ、仕事として、そこに他者から見えるような亀裂を生みだしてはならない、アイドルグループ。
いや──あるいは、凡庸であることすら。
「…………」
カタカタと、嫌にタイピング音が響くオフィス。また一つ作業を終わらせて、デスクチェアの上で天井を仰ぐ。
「…………」
何度思い返しても──胸糞悪い。
ただの、何の関わりもないアイドルグループの醜聞として知れたならと、考えずにはいられない。
『は~……落ち着くなぁ』
俺の隣で、安心しきった顔で脱力する星野の顔を想起する。ひどく──気分が悪い。
家族に恵まれず。友人が居ないことは目に見えていて。仕事仲間からも疎まれている──小町と一つしか変わらない、
『がははっ! 有能な自分を誇れよ比企谷……』
あのニヤついたオッサンが、その原因の一端を占めているのは間違いなかった。
『今後、事務処理以外の仕事も担ってもらう』
『アイとの関係は、お前がどうにかしろ。俺は協力してやれん』
俺の悩みの種を取り除く協力者どころか、助長するような態度を示した悪辣なオッサン。──向こうがその気なら、こちらもスタンスを定めさせてもらう……中学の頃から密かに記している"絶対に許さないリスト"、星野の次項には斎藤と記載済みだ。
「害虫扱いなんざ慣れたもんだしな……」
いつの間にか夕日が差し込み始めた窓を見て、俺はこの事務所における自らを定義した。──獅子身中の虫。
何をどうするかなんざ全く決まっていないが……斎藤社長への敵意を育て、星野の魔の手から逃れることを目指すのだ。苺プロダクションの
「今戻ったわっ。比企谷君ごめんなさい、急に呼び出した上に仕事放りっぱなしで……!」
慌ただしく事務所の扉を開けて、マネージャーが戻ってきた。
「──うっす、お疲れ様です」
心底申し訳なさそうな顔で俺の元へ駆け寄るマネージャーに、仕事の進捗と、手が付けられなかった分の報告をする。
「ありがとう、本当に助かったわ……! あとは私が確認しておくから……他に報告が無ければ、もう上がって貰っても構わないけど──」
「……もしかしたらミスがあるかも知れませんし、残した分も、集めた資料のメモとか間違ってる可能性あるんで。すぐ終わるだろうから、しばらく待機してますよ」
「すっごく有難いわ……! 終わったら何かご馳走させてちょうだい、問題無ければご家族に連絡しておいてっ」
救われたように胸をなでおろし、俺が片付けた書類と残した作業に目を通し始めるマネージャー。
「──了解っす」
彼女の言葉に、有難いのはこちらの方だと内心ほくそ笑む。食事の席で、料理の他にも遠慮なく恩を取り立てさせてもらおう──あのオッサンへ、一矢報いる手段を見つけるために。