「本当にここで良かったの?」
「安くて美味い。学生の味方ですよ」
「比企谷君が良いなら良いんだけど……」
俺が日中手を付けた仕事は問題無かったらしく、触れなかったものに関しても早々に片付けたマネージャーは、言葉を取り下げることなく晩飯を奢ってくれることに。
マネージャーが運転する車に揺られ、どこを訪れたかと言えば千葉発祥のファミレスであるサイゼリヤだ。
彼女はもう少し高級な店を要求されると思っていたのだろう。俺がこの店を提案してから入店するまでの様子を見ていて、外食に対する金銭感覚に乖離を覚えた。マネージャーも立派な業界人ということだろうか。
グラスに水を注いで腰を下ろし、メニューを流し読んで思い思いの料理を注文。それが届くまでの間に、改めて今日の礼を言われた。こちらとしてはこの場を設けることが叶った時点で十分報われているため、すぐに話を移させてもらうことにする。
「……マネージャーは事務所に勤めて、長いんですか」
「え? んー……まぁ、それなりね。えーと……」
勤務年数を聞けば、俺の想像よりは長く所属しているらしかった。
「改めて聞いときたいんですけど……俺と星野の件について、社長からどういう風に言われてます?」
「そうねぇ……アイが貴方に一目惚れして、家に押し掛けようとしているから、バイトとして雇い入れて事務所内で問題を処理する……って感じかしら」
「かなり大雑把な説明ですけど。それで納得したんすか」
「まさか。でも真っ先に"アイドルを辞めるかも"なんてジョーカー切られたらどうしようもないもの。苦肉の策だけど、引き入れてしまえば二人が会う時間と場所を管理できる。
なるほどと頷き、水を一口。唇を湿らせてから、俺は間合いを計るようにして話を続ける。
「マネージャーには出来るだけ正確に事情を把握しといて欲しいんで、言葉を選ばずに説明させてもらいますけど」
とあるライブイベントで星野に目をつけられて。彼女は俺に過剰な期待をかけており、半ばストーカー化している。彼女が俺に抱くそれは恋愛感情などであるはずはなく、俺も勿論そんな想いは無い。俺は星野からの心証を悪くすべく立ち回っているが成果は出ておらず、共通の目標を持っていると思っていた社長は掌を返してしまった。
「俺は一刻も早く星野から解放されたい。バイトだってそうだ。給料貰ってる立場なんで仕事はしてますけど、そもそも金を貰うような関係を望んじゃいない。社長は俺を星野の制御装置かなんかに成り得ると、こっちはこっちでトチ狂った役割を期待してる」
テーブルの上で両手を組んで、こちらがいかに必死か伝わるよう。真っ直ぐにマネージャーを見据えた。
「マネージャーだけだ。管理職として、上からも下からも面倒押し付けられてるマネージャーだけが、いかに俺がアイドルにとって醜聞に成り得るかを理解してる。だからまずは──」
「お待たせしましたーっ」
そんな意図は無いだろうが。俺の説明を遮るように注文した料理が運ばれてきた。自分でチョイスした品目にも関わらず、間が悪いと思わずにはいられなかった。
「──まずは料理をいただきましょうか。冷めないうちに、ね?」
「……うす」
「先に誤解を解いておきたいんだけど」
料理に手を付けてから。本当に美味しい、この味でこの値段は凄い、などと店を褒めていたマネージャーは、食事を続けながらも話題を振り返ってくれた。マナーにうるさいタイプじゃないようで安心だ。
「比企谷君を全く知らない状態ならともかく、あなたの仕事ぶりや人柄を見て。アイを含めてB小町の醜聞になるなんて考えて──ほんの少ししか考えていないわ」
その所感にはまるで安心できなかったが。醜聞になるなんてまるで考えていない、と断言してくれたなら、リップサービスだと決めつけることも出来たが。口ぶりからするに、真実俺という人間が事務所に悪影響を及ぼすとはそこまで考えていないらしい。
──相反する二つの感情が、俺の中で渦を巻いていた。
「客観的に見て。アイドルと年が近い学生の、異性の人間をバイトとして雇ってるってだけでもリスキーでしょ。そしてマネージャーは、そのリスクを排除すべき立場だ」
俺が言ってフォークを口に運べば、一口嚥下したマネージャーが口を開く。交互に、淀みなく。
「生じたリスクに対してリターンを見出して、後者を取るべきだと考えたなら、リスクごとマネジメントするのが私の仕事よ。それに──あなたの仕事で一番助けられている私が、
微笑み、また一口食べ進めるマネージャー。……緩めた頬に隔意は無く、しかし同時に救いも無かった。
「つまり……事務所をとっとと抜けたい俺に協力する気はない、と」
俺は険しい視線を──向けることが出来て、いるのだろうか。マネージャーの顔を睨みつけているつもりだが。同時にひどく情けない顔を浮かべているのかも知れないと、漠然とした不安を抱いた。
現状をどうこう出来る力など、俺には──。
「比企谷君は頭の回転が速い方なんだと思うけど、結論を急いでしまうタイプみたいね」
「……?」
手が止まった俺に対し、同じくフォークを置いて、マネージャーは神妙に続けた。
「率先してあなたを事務所から追い出す気は無い。これは確かよ。でも……今の状態が良くないって思ってるのも確かなの。アイにとって、苺プロにとって……そして比企谷君、あなたにとって」
「…………」
マネージャーの思惑を探るには材料が足りない。無言で先を促せば、彼女はあまり減っていないグラスに目をやりつつ話してくれる。
「ダブスタなんて見飽きてるでしょ? 教室でA子ちゃんとB子ちゃんが、C子ちゃんの悪口で盛り上がってて。十分後にはA子ちゃんとC子ちゃんがB子ちゃんの陰口叩いてる。そんなのはありふれてるじゃない。わたしは壱護──社長の決定に従うし。立場上、事務所やアイの助けになっているあなたを手放したくはない」
「俺の出した結論通りに聞こえますけどね」
「急がないの。……苺プロの人間として、そういう考えがあると説明したうえで──わたしは、あなたに協力しても良いと思ってるわ」
「……意味が、分からない」
「とっても単純よ? わたしは社長にムカついてて、あなたのことを気に入ってる。あっ、誤解しちゃダメよ? あくまで上司と部下として、ね?」
「そんなところで勘違いしませんよ……」
俺を気に入っているという点については、疑問を抱かずにはいられないが。上司と部下という間柄だろうと。それは俺の仕事ぶりに対する評価からであり、されどそんなものは俺以外の事務スタッフでも成し得るのだから。
「そう? まぁとにかく──円満に事が済むのなら、わたしは比企谷君がアイと距離を置けるように力を貸しても良い。高校生男子をアイドルに近づけるのは体裁が悪い、これは間違いないから。そこだけ誤解が無ければ構わないわ」
そこが区切りと見たか、マネージャーは再度料理に手を付ける。俺も倣って食事を続けた。しばし無言が続くが……俺は彼女の立ち位置と考え方に思考を割いていたし、マネージャーもその時間をくれているように感じていた。そこには間違いなく、互いの認識の擦り合わせがあったのだ。
──当初の見立て通り、マネージャーは俺の協力者となってくれる人間だと見て良い……筈だ。根拠となるのは
マネージャーは俺が、オッサンやアイも納得の上でバイトを辞めることが出来るのなら、そこに向けて協力すると言ってくれている。これは信じても良いだろう。しかし、如何にしてそれを可能にするか。難題だが唯一の解決策である以上、この問いに取り組まない訳にはいかない。
星野が俺に求めるもの──。
『君の前で笑顔を振りまいて、カラダを押し付けて、誘惑して──セックスしたい。そんなことよりもね……ただ君と。八幡と一緒に居て、お話ししたいって……そう思ったんだ』
『は~……落ち着くなぁ』
オッサンが俺に求めるもの──。
『アイはこの頃良い意味で安定してる。理由は考えるまでもないだろ?』
『アイの精神面を安定させたお前が、B小町全体に良い影響を与えてくれるんじゃないかってな』
『今後、事務処理以外の仕事も担ってもらう』
…………そして。
チラリと、正面に座るマネージャーを盗み見る。ちょうど料理を食べ終えて、満足そうに水を飲んでいる彼女を。
『生じたリスクに対してリターンを見出して、後者を取るべきだと考えたなら、リスクごとマネジメントするのが私の仕事よ。それに──あなたの仕事で一番助けられている私が、
『円満に事が済むのなら、わたしは比企谷君がアイと距離を置けるように力を貸しても良い。高校生男子をアイドルに近づけるのは体裁が悪い、これは間違いないから』
──俺が平穏な日常を取り戻すためには、3人の利益を追求する必要がある。最も優先度が低いように思えるのはマネージャーだが、その実最初に協力を取り付けなければならない以上、第一の関門となるのは彼女だ。
「ご馳走様……比企谷君もちょうど食べ終えたわね。もういい時間だし、帰りましょうか」
マネージャーが席を立ち、レジカウンターに向かう。俺はその後を追った。
──足りない。
彼女は、この話はここで終わり、続きはまた今度、などと思っているかもしれないが、俺には悠長にしていられる時間など無いのだ。期限は長く見積もっても夏休みいっぱい。その後もなあなあでバイトを続けさせられるのは御免だ。
「それじゃ、あなたの家まで、ナビお願いね?」
車に乗り込み、道中と同じく助手席に座らせてもらう。
──家に着くまで、30分あるかないか。この間に有効な情報を引き出す必要がある。有難いことに、今日まで苺プロで過ごした中で、事務所が抱えている最大の問題は明らかだ。
……そして最悪なことに、その問題をどうにかすることが、俺の目的を達成するための最短ルートだ。これを解決、あるいは改善できれば──星野が求めるものを。限りなく近いものを彼女は手にすることが叶い、かつオッサンの悩みや俺に求められる役割も解消される。
マネージャーにとっても、頭を抱える特級の懸念であることに疑いは無い。
「それにしても美味しかったわねー……今度ひとりで行ってもいいわね」
「──マネージャー」
「なにかしら?」
俺が考え込む間、いくつも他愛ない言葉を投げかけてくれていたマネージャー。その一つに対する反応ですらなく、ぶった切るような呼びかけに、彼女はすぐさま応えてくれた。
俺がマネージャーに聞くべきこと。理解を深め、問題そのものへの対処法を探るために口にすべき事項。
関わりたくない。踏み込みたくないと思っていたそれの名を、俺はようやく言葉に出したのだ。
「聞かせてください──B小町について」