推しガイル   作:TrueLight

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こうして俺と彼女は別れた

「ホントに辞めちゃうんだね、八幡」

「入りたくて入った訳じゃないからな」

 

 俺が苺プロダクションでバイトすることになった元凶は、当たり前のように隣に居た。

 

 オッサンと別れてから、しばらく屋上で時間を潰していた俺だったが、腰を上げて屋内に戻ろうと扉を開けば、階段の踊り場に星野は立っていた。彼女が上がってきたところに鉢合わせたのか、ずっとそこで待っていたのかは定かじゃないけれど、星野が俺を探していたことは明らかで。そして俺も、彼女には用があったのだ。

 

 必然と言おうか惰性と言おうか、とにかく俺はこれまでと同様に、我が物顔で応接室のソファに深く体を預けたし、星野もこれまた同じく隣に腰を下ろしたのである。

 

「八幡のおかげで、すごいことになっちゃったよ」

 

 壁を眺めている俺には星野の表情は窺えない。声色からも感情は読めない。その言葉は俺を咎めているのか、あるいは謝意なのか。判然としなかったが、俺にとってはどちらでも良い。すでに目的は達したのである。もはや俺はB小町に、苺プロダクションにとって無関係な一般人なのだから。

 

「それを良しとするなら、維持するのはお前らの努力次第だし。()しとするなら改善方法を模索するのもまたお前ら次第だ。まぁ、頑張れよ」

 

他人事(ひとごと)だと思って気楽に言ってくれるよね」

「なんせ他人事(ひとごと)だからな」

 

 言われて気づく。今ほど気楽に星野と……この一つ下の少女と話すことなど無かったのだな、と。これまでは状況が状況だったので、隙を晒すことなど出来よう筈もなく、常に気を張って対話に臨んでいたが。事ここに至っては気を抜いてしまっても許されるだろう。問題は解消されたのだから。

 

 誰かを愛したい、なんて言っていたアイドル様は、蓋を開けてみれば寂しがり屋な女の子でしかなく。彼女を取り巻く環境を崩壊に追いやれば、継ぎ接ぎだらけと言えども渦中の誰しもが再起を願ったのだ。

 

 もはや孤独を紛らわせるために、偶々目についただけの一般人に。俺という人間に固執する理由などある筈もないのだ。

 

「とはいえ、多少なりとも内情に首を突っ込んだのは間違いない。今後の成り行きは画面の向こうから見物させてもらうよ」

 

「……そっか」

 

 やはり星野の言葉に色は無い。しかし、そのことに不安も不満も、疑念すらも存在しない。俺が彼女に対して関心を抱く必要は無いのだ。

 

 実に清々しい気分だ。──清々した、と。間違いなく、そう表現できる心情だ。

 

 ……その筈だ。

 

「……まぁ、一応聞いておくが。メンバー内ではB小町として活動を続けるって方針で固まってんだよな?」

 

「うん。佐藤……斎藤さんが夢を見せてくれる間は、嫌い合っていよう、って」

「夢、ねぇ……」

 

『あなたが夢を共有出来る仲間になること、わたしは期待してるわよ』

 

 いつだったか、マネージャーがそんな言葉を言っていたことを思い出した。オッサンとマネージャーがその夢とやらを共有しているのは当然だろうが、星野の口ぶりとこれまでのB小町のことを思えば、おそらく今日初めて、オッサンとB小町はそれを共有したのだろう。

 

 あのオッサンはようやく彼女たちと向かい合い、曲がりなりにも仲間とやらになったと。きっと、そういうことなのだろう。

 

「その夢とやらは兎に角。少なくとも、面と向かって『嫌い合おう』なんて言えたんなら良かったんじゃねーの? 俺は提案こそしたが……本当に実現したのなら、それはお前らのプロ意識から来てる筈だ。アイドルって職業に対する共通の姿勢なんだろ。だったら、嫌い合っていようが距離は縮まってんだろうよ。知らんけど」

 

『みんな仲良くしましょう』なんてお(ため)ごかしは腐るほど耳にするが、それが実現したところを見たことが無いし、したとしてもいずれは破綻する。最初に"仲良くしよう"なんて方向性を示された時点で努力義務が生まれ、そこから逸脱する言動をとる者は是正を強要されるか、あるいは排除されるからだ。排除される者が現れれば当然破綻しており。行いを正すよう強いられた人間は不満を抱える筈で、我慢させられている人間が居る時点でこれもまた破綻している。

 

 反して、B小町(彼女ら)は『嫌い合いましょう』という方向性に従ったのだ。最初から、全員が平等に不満を抱えましょう。お互いのそれを容認し、あるいは咎め合いながら進みましょうと意思を共有したのである。仮に、これに反するということは『真に仲良くなる』ということに他ならず、それは組織にとってマイナスの要因足りえないだろう。

 

 どちらの理念を掲げるかは、おそらく前者が。『みんな仲良くしましょう』の勢力が多数を占めるだろうが、後者と比べたとき果たして、どちらが共同体として優れているのか。ある種の危機に瀕した時、綻ぶことなく結束することが出来るのはどちらなのか。これについて、俺は疑問なく後者を支持することだろう。

 

「オッサンもB小町の環境自体は好転したと捉えてるようだったし、お前らがまとまってるうちはどうとでもなる。クビを恐れて泣き寝入りする必要は無くなったんだ、仮にオッサンが強権使って一人をクビに追い込んでも、他のメンバーと意見を合わせれば覆せる。そう思わせることが出来ている。泣き寝入りしないことが前提で、牙を剥くかはそれこそお前ら次第だけどな」

 

 星野につらつらと語って聞かせる。俺のやったことは、総合的に見ればお前にとって都合よく働いただろうと。──何も、惜しむことなど無いのだと。

 

 俺の言葉を受けて、星野はソファに預けていた背中を。俺の肩に傾けていた頭を離して居住まいを正したようだった。極力反応は見せずに、俺は壁を向いたままだったが……じっと。彼女が俺の横顔に目を向けていることを肌で感じた。

 

「……なんだかお喋りだね、八幡」

「もともとこんなもんだけどな。今までは、ここに来れば多少の緊張感があったが、あとはもう出ていくだけだ。それなりに口も軽くなる」

 

「ふぅん……」

 

 きし、と。小さくソファが軋んだ。俺の隣で両手をついたらしい星野は、その流れで──俺の顔に、自身のそれを寄せた。

 

「──」

 

 頬に星野の吐息がかかる、それほどに近い距離。……さすがに動揺したが、それを隠して視線を固定し続ける。俺と彼女の間には、ただ上っ面の言葉のやり取りがあれば良いのだと。そう確信している。

 

「ねぇ、八幡。聞かせて?」

「……なんだ」

 

「どうして──B小町(わたしたち)の前で、嘘ついたの?」

「何の話だ」

 

 とぼけるつもりは……まぁ、あった。しかし、口を衝いた疑問も嘘ではない。俺はB小町のアイドル連中にいくつも虚言を吐いたし、だからこそどれを指しているのか分からなかったのだ。

 

 勿論、星野は逃がそうとしなかった。

 

「運営の方針とか、斎藤さんの計画とか、マネージャーが辞めることとか、いろいろあるけど。いちばんは──自分に、嘘ついてるってことかな」

 

「……意味が分からん」

 

「そうかな? わたしたちを動物で呼ぶとき。B小町を崩壊させるって言ったとき。問題行動をバラすとき……ずっと八幡、こんなこと言いたくないのにって顔してた」

 

「ハッ」

 

 その的外れな指摘を、間髪入れずに鼻で嗤ってやった。

 

「またいつもの願望か。一方的に相手の弱み握って、有利なポジションから石投げるのが嫌な訳ねぇだろ。ちょっとSNS触ってたら分かる筈だ、人間ってのは自分に客観的正義があって、その行いが糾弾されないと分かり切ってんなら、相手を叩きのめすことに何の躊躇もしない生き物だ」

 

 しかし。

 

「でも八幡はそうじゃないよね?」

「──」

 

 疑問形にも関わらず。まるで疑いのないハッキリとした物言いに、思わず俺は口を(つぐ)んだ。(つぐ)んでしまった。

 

「どんなに相手が悪くても、自分が気持ち良くなるためだけに叩いたりなんてしない。……ひどい顔だったよ。みんな、八幡のこと気味が悪いって言ってた。でも……わたしには、無理してるように見えたんだ。吐きそうなの、我慢してるみたいだった」

 

 横を、向いてしまった。いつかのように、鼻先が触れそうなほどの距離。目の前に広がる星野の顔に──その瞳に、視線を重ねる。羞恥など無く、鳩尾の不快感を眉間に集中させてその女を睨んだ。

 

「お前に──俺の何が分かる?」

 

 奇しくも、それは俺がB小町の面々にしたような詰問に似ており。俺の返した言葉もまた、メンバーの少女から発せられたそれと同様で。

 

「分かるよ」

 

 星野の、微塵も揺らがない確固たる意志もまた、あの時の俺と重なっていた。

 

「だってわたし、あんな顔したことないもん」

「何を……言っている?」

 

 己の導き出した解が、非の打ち所がないほどに正しいのだと。大きな双眸が、小さな唇が、真っ直ぐに紡いでいたのだ。

 

「どんな角度で、どういう表情を浮かべるのがイイのか。どうすれば愛を表現出来るのか……ずっと、悩んでる。自分のキモチに正直に、感じたことのないキモチを表現す(嘘を吐く)る。毎日鏡の中で探してる。だからかな? それとも、()()()()()、なのかな」

 

 額が、ぶつかる。視線を動かすことも──呼吸すらも、ままならない。

 

「八幡が自分のキモチに嘘をついてる。わたしは、そう思ったんだ」

 

 ねぇ、八幡?

 

 音として発せられたかすら定かではない。頭にするりと入り込んだ、鈴のような呼びかけが。俺に偽りを許すまいと鳴り響いている。

 

「八幡は──嫌い?」

 

 何が、とは言わなかった。それでも、答えを求めていた。

 

 何が、とは言わなかった。それでも、答えを返したのだ。

 

「──嫌いだ」

「──そっか」

 

 切なげに、星野は微笑んだ。どこかで見たような表情で、穏やかに頬を緩めた。

 

「でもね、わたしは──大好きなんだよ?」

 

「────?」

 

 星野の言葉は理解できた。けれど、何が起こっているのか理解できなかった。

 

「ん…………」

 

 目に、鼻にこそばゆい感覚。紫がかった黒が視界を埋めていた。

 

 ──口元の柔らかい感触に思考が追いついた時。

 

「──ッ!?」

 

 俺はようやく、ソファの隅に飛び退いた。

 

「なッ! 何を……!?」

 

 思わず口を袖で覆った。視線の先では。

 

「────」

 

 頬を桃色に染めた星野が、涙せずとも瞳を濡らしながらこちらを見つめていた。

 

「勘違いだって、思い込みだって。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これはわたしにとって、絶対に嘘じゃないキモチ」

 

「……っ、それが恋愛感情だと、そう確信したってのか? ファン相手に当てずっぽうの愛情バラ撒いてるお前が……!」

 

「恋愛でもそうじゃなくても良いの。わたしはただ、これがどんなカタチでも伝えたかっただけ。わたしは──星野アイは、比企谷八幡のことが好きなんだって、証明したかっただけ。……ごめんね。ちゅーくらいしないと、君には伝わりそうも無かったからさ?」

 

「お前みたいな貞操観念ゼロの女にキッ……口づけされたくらいでッ、そう易々と信じてたまるか!」

 

「あははっ、口づけだって! テンパってヘンになっちゃってるよ? ──わたしの意思は、変わってない。八幡となら、今すぐに、ここで……セックス、出来るんだよ?」

 

 さらに頬を上気させてにじり寄ろうとする星野を、俺は手で制して早口に言う。

 

「っ、あぁ分かった。お前の気持ちは理解した……ッ。だが受け取るかどうかは別問題だ! 世の中告白イベントが全部成功してたらリア充爆発しろなんて名言は生まれてない。ごめんなさいお断りします……!」

 

「それはどうして? ──()()()()()()()()()()()()?」

「────」

 

 赤らんだ頬、潤んだ瞳。それらはそのままに、しかし星野の表情は──どこか、真に迫っていて。

 

 つい数分前とは明らかに異なる、意図が明確なその問いに対し……俺は、即答できなかった。

 

「…………あぁ、そうだよ」

 

 それでも、返答した。目を合わせて……嫌悪感を露わに、答え合わせをしたのだ。これが正しい回答なのだと、そう信じていた。

 

「──()()()()()()()()()

 

 やはり、そうだった。星野は切なそうに微笑を浮かべて……名残惜しむように、ゆっくりとソファから立ち上がった。それが、契機となったのだ。

 

「わかったよ、()()()()()()()()()()()()()。……これで、お別れだね。八幡はバイトを辞めて、わたしはB小町のみんなと、アイドルを続けていく。今回のお話は、それでおしまい……さみしいなぁ」

 

「何から何までお前に振り回された。俺にとっちゃ歓迎こそすれ惜しむことなんざない」

 

 ……ようやくだ。この事務所におけるたった一つのやり残し。星野の俺に対する願望の押し付け、それに起因する執着心。その落としどころが、ようやく見つかった。

 

 俺に対する好意を確固たるモノにしたらしい彼女は、世間一般で言うところの告白とやらを行って。対して俺は否を口にした。そんな分かりやすい形で、決着を見せたのだ。

 

 応接室の扉に向かう星野に、俺からかける言葉があるとすればこれだけだ。

 

「──テレビの前で、心の中で応援くらいはしといてやるよ。じゃあな、()()

 

 俺は星野なんて名前の女は知らない。それで、この話は終わりだ。

 

「……うん。でもお別れの前にひとつ。八幡の勘違いを教えてあげる」

 

 今更なんだ? そう思い、彼女の言葉を待つ。

 

「わたしを見て、そう思ったのかな。斎藤さんに辞めるかもって言ったから、そう思い込んだのかな。八幡は何回も止めてくれたし、心配してくれたけど──わたしはね? 最初からアイドル辞める気なんて、これっぽっちも無かったんだよ?」

 

 ──その言葉の真意を、俺は測ることが出来なかった。星野の言動は、初めて会った時から破滅的だった。自らの、アイドルという立場を捨てることになろうとも、俺に執着していた。

 

 だが、オッサンに辞めるかも、などと脅しをかけて。俺の目にも、実際そうしておかしくないと感じさせていた彼女の行動は、アイドルとして活動することから逸脱しないのだと、そう抜かしやがったのだ。

 

「……オッサンも珍しくないっつってたが。男つくって、それでもアイドル続けるつもりなのかよ」

 

「うん。わたし、欲張りなんだ」

 

 扉を開きながら、星野は肩越しに俺を見る。

 

「愛されたことないから、アイドルなんて出来っこないって思ってた。でも、それはスカウトされた頃のハナシ。わたしは……愛されてる。ファンに、応援してくれる人たちに。それを知ってるんだ──推すことは、愛なんだって」

 

 ──おそらく、彼女は笑ったのだと思う。それは紛れもなく笑顔だったはずだ。しかし俺の目には、およそ人間とは思えないナニカの……威嚇のように、見えたのだ。

 

「推されてる……愛されてるって知った時からね、決めてるんだ。わたしも、その人たちのことを推すって。それが出来たとき、わたしは誰かを愛せる人になれたってことだから」

 

 だから、と区切って。星野は俺の顔を指さして、別れの言葉を口にした。

 

「だから……わたしが、八幡を推せるようになる、その日まで。──またね?」

 


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