身体にのしかかる重さより。首に回された腕よりも。ほんの少しだけ触れ合ったそこから、覚えのない熱を感じた。事務所のバイトを辞める直前に、応接室のソファで突然、わずかな瞬間重なったあの時よりも。
星野の抱く感情が、確かな熱となって俺に伝わっていた。
「「────」」
数秒の
「……なんだその顔は」
自分からしたくせに。それも二度目にも関わらず。星野は──顔を真っ赤にして、右腕で口元を隠していた。その瞳さえも恥ずかし気に潤んでおり、俺と視線を合わすまいと逸らされている。
「……てっきり、振り払われると思ってたのに。前シたときは、すっごい拒否反応だったしさ? ……ずるいよ、ちゃんと受け入れてくれるなんて」
「拒否っても受け入れても文句言われんのかよ、理不尽にもほどがある」
本当に──本当に、理不尽だと思う。理に適っていないのだ、この女の言動は……あるいは、星野の存在そのものが。
「なんで……俺なんだろうな」
「ん? それは……八幡だから、だよ」
答えを求めた訳でもない呟きは、当然とばかりに返された。……未だに赤ら顔のまま、その女は俺から目を背けているけれど。
「……星野」
「ん……」
呼びかける。口元を隠したままだったが、彼女は──再び、俺を見た。
「星野──好きだ」
「────へっ?」
羞恥心だとか、焦燥感だとか、それらに類される興奮を抱かず。俺は淡々と……それを口にした。忌避し続けてきた感情を言葉にした。
「え、へっ? あっ……う、うんっ。そうだよね! 知ってた!!」
受け取る人間によっては到底信じられないだろう俺の告白を、その女はそれこそ当たり前だと胸を張る。……顔はさらに赤くなり、声は裏返っているが。俺の言葉を疑う様子は、欠片も感じられない。
「へ……えへ。う、嬉しいね? 思ってたより。知ってたけど……うん。やっぱり、嬉しいね……」
右腕どころか両手で口元を覆って。小声で「わー、わー」などと言いながらその女は喜んでいる。……本当に、どうして俺なのだろうか。
「──馬鹿じゃねぇのか。諦めろよ、あんなに拒否られたら。感情ごと否定されたら」
中学生の時。俺は同級生の女子に告白し、断られた。それを喧伝され、笑いものにされ。自らの抱いた感情は、押し付けた理想は幻だったのだと思い知らされた。
どうして──よりにもよって、この少女だったのだろうか。
「──だって、バカなんだもん。あれこれ理屈っぽく言われたって分かんないよ。わたしの好きって気持ちは、勝手に溢れてくる感情だよ? 勘違いだ思い込みだーなんて、ピンとこないんだよ」
星野は笑う。爛漫に、まるで世界で一番幸福だとでも言わんばかりの表情で。……それに魅入られないように、今度は俺が彼女から視線を逸らした。
「なんで……分かったんだ。俺だって気づかなかったんだ、お前に……こんな感情抱いてるなんざ。切って捨ててたどころか、可能性を考えすらしなかったんだ。なんでお前に……」
告白し、それは受け入れられたのだろう。どちらがどちらに、と明確にはせずとも。俺と彼女の間でそんなやりとりは行われた。
しかし俺は、それを素直に喜ぶことは出来なかった。
「分かるよ。好きなヒトのことだもん」
理屈で動く俺と、感情で動く星野と。俺と彼女の間には、埋めがたい溝が広がっていると感じていた。
「……最初は憐れんだだけだ。複雑な育ちの、年下の女子。お前は俺の中でアイドルですらなかった。けど……付き纏われて、バイトさせられて。距離を取るために話を聞いて。俺は星野アイって女に……興味を抱いたんだろう」
「……うん」
ようやく、星野は落ち着いた様子を見せた。馬乗りのまま俺の腹に手を置いて、前のめりに話を聞こうとする。居心地の悪さを覚えながらも、俺は先を続けた。
「お前は俺にとって、ただの可哀そうな女の子で。事務作業に触れてからは同時に、世間の注目を集めるアイドルだった。……劣悪な環境に居ると知って、見過ごすと寝覚めが悪いから手を出そうとした。だがどこまで行ってもお前は芸能人で、俺みたいな一般人はどの道関わるべきじゃなかったんだ」
「…………」
相槌は無かったが、口を挟まれることも無かった。俺の言に納得はせずとも、とりあえずは話の腰を折らず居てくれるらしい。
「それでもお前の方から距離を詰めてきた。こっちの都合なんざお構いなしに……一般常識だの貞操観念だの、そんなもの知らんって顔で近づいて来やがった。……男なんて単純だ、見た目の良い女が好意的な言葉をかけてくる。接触してくる。そんなことで──簡単に勘違いする」
ソースは俺。だからこそ中学のあの時、クラスの連中に晒されたことで勘違いは正されたのだ。もし俺が当時、自身の気持ちを、誰に憚ることもない真実の愛だなどと確信していたのなら、好きだった女子に幻滅などしなかっただろう。告白の現場を見た誰かが面白半分にやったのだと断じただろう──けれど、そんなことは無かったのだ。
「……勘違いだと思いたかったんだ。お前から俺に対する気持ち以上に──
「え、八幡好きな女の子居たの?」
「昔の話だっつの……それに、それこそ勘違いだった」
俺の恋愛話に野次馬根性なのか……それとも別の理由か。ついに口を挟んできた星野に対し、俺は断言する。過去に俺が口走った「好き」などと言う言葉こそ、勘違いの感情に起因する唾棄すべき理想だったのだと。
「その女子は俺に優しかった。当時、ぼっちに片足突っ込んでた俺は思い上がったんだ、俺のことが好きだから彼女は優しくしてくれるんだと。……その女子から俺に対する言動に、好意があるって色眼鏡で見て、勝手に理想を押し付けて──結果、俺は無様に吊し上げられた……!」
「八幡……」
慮るような声音でハッとする。胸糞悪い記憶を想起して、顔を顰めていたらしい。気を取り直すべく、気持ち大きく息を吐いた。
「……B小町が解散ライブをすると知った時……俺は、お前の想いを勘違いだと断定することを躊躇うようになった。1年も会わなくて、とっくに関係を絶ったと思っていたのに──解散理由を想像すれば、俺にはひとつしか思い当たらなかった」
あの女は──未だに俺に執着していて。俺がそれを拒否する材料を。装備している理論武装の1つ1つを取り払っているのだと。
これこそ中学の時と同様に思い上がりだったのなら、それで良かったのだ。しかし現実は、過去に俺と星野の間に語られた嘘の弾丸パフォーマンスに始まり。その末に、再び家にやってきた。
──ひとりのアイドルが。ひとつ年下の女の子が。家族に、友人に、職場に恵まれず、それでも希望に向かって努力していた星野が……積み上げたモノを手放す覚悟で俺の元を訪れたのだ。
1年前の自暴自棄ではなく、事務所の人間と関係を再構築して、しっかりと話を通して。極めて常識的に……星野にしては比較的に、という前提だが。筋を通して気持ちを伝えに来てくれたのだ。
この期に及んで、星野の想いが勘違いだなどと思ってはいなかった。ライブから帰ってきてすぐに、俺は彼女が家を訪ねてくると確信していたし。とっくに彼女の気持ちが偽りではないと察していたのだ。
それでも俺は……彼女の感情を思い込みだと。勘違いだと……理想の押し付けだと断定していた。俺はそう考えているのだと星野に──
わざわざ言及して、言葉にさせて、引き出して。彼女の気持ちを確かめたかったから? 違う……
「お前の好意を確信して……俺の中にも、そんなものがあると知って。それでも──俺はお前に、自分の感情が勘違いだと思ってほしかった。俺への好意が幻想だと考え直してほしかった」
「──うん、
俺の懺悔染みた言葉にも、星野は柔らかく微笑んで見せる。
──それどころか、その続きを先取りしてしまうのだ。
「八幡は……
「……あぁ、そうだ」
星野に見透かされていることに、諦念が深くなる。彼女の言った通り、すべてはそこに帰結するのだろう。
星野の想いを否定してきたのは──俺の歪な劣等感こそが理由だった。