推しガイル   作:TrueLight

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千葉村④

「名前」

「? 名前がどした」

 

「名前聞いてんの。普通伝わるでしょ」

 

 初対面の人間に対する丁寧さだとか、年上に対する敬意だとか。その小学生女子からはどちらも感じ取れなかったが、しかしそれは意外というほどでもなく、したがって俺はそこまで気分を害することは無かった。

 

 他人のことをどうこう言えた口では無いが、目の前で眉を寄せている少女の現状を思えば、コミュニケーション能力に少しばかり難があるのは明白だ。もとはそうでなく、コミュニティから弾かれたが故に人との距離感を計りかねているのかも知れないが、どちらにせよ同じことだ。

 

 俺は女の子の言葉を非難せず、不快な態度も見せず、淡々と答えてやった。

 

「俺は比企谷だ。こっちは星野な」

 

 目線で示せば──いつの間にかアイは、帽子を被って俺の傍らに立っていた。俺と女の子とのやり取りに加わる気は無いのか、愛想笑いを浮かべてひらひらと手を振っている。

 

 ちなみに苗字しか名乗らなかったのは、アイの顔と名前を知ることで、もしかしたら女の子がアイの素性に気づくかもしれないからだ。アイは自分の素性が知れても気にはしないだろうが、小町の反応を思えば可能な限り喧伝したくはなかった。

 

「で、お前は?」

 

 ファーストネームに言及される前に水を向ければ、少女はどこか躊躇う様子を見せつつも、こちらの問いに返してくれる。

 

「……鶴見、留美」

 

「留美な。それで? 俺とこいつがサボらされてるのは分かってくれたと思うが、お前もハブられたのか?」

 

 留美の置かれている状況についてはなんとなく察しがついているが、初対面の男が最初からそれを知っていれば不信感を持つだろう。俺は留美のことをこの場で初めて知ったかのような態度で接する。

 

 こちらの言葉に、留美は不満そうに口を開きかけたが……すぐに悔しそうに。あるいは悲しそうに眉を下げて、ぼそぼそと呟いた。

 

「……別に、私の番になっただけ。今までに他の子がされてたことが、こっちに回ってきただけだもん」

 

「なんだそりゃ、誰かをハブるって遊びでも流行ってたのかよ」

 

 留美の言いぐさは、まるで自分に非が無いのに、予定調和がごとく自分が輪から弾かれたかのようだった。まさかと思い、冗談半分で聞いてみれば……。

 

 留美は、唇を引き結んで頷いた。

 

「そういうのがマイブームって言うか……なんとなく、そういう雰囲気があったの。それで、仲良くしてた子がハブられて……その。私もちょっと距離を置いたりしたけど、それでも色々話したりしたから……」

 

 ……それですべてを把握した訳じゃないが。それでも、なんとなく。留美がどういう経緯でこうなってしまったのかは分かった気がする。

 

 恐ろしいことに、本当にそういうことが……誰かを理由もなく輪から弾くような雰囲気が、留美の周囲では広がっていたのだ。そして、友達がターゲットになった。

 

 他の人間の目につくところでは、その流れに逆らわず、留美もその友達を無視した。けれど、二人で話すときは変わらず友達として接していたのだろう。

 

 そこから先は……まぁ、そういうことだ。その友達をハブってた連中が、なぜ今度は留美をターゲットにしたのか。偶然な訳が無い。留美が、他の同級生に隠れて友達と仲良くしていたことを知ったのだろう。

 

 たまたま誰かが見かけて共有したか。それも十分あり得るだろうが……。

 

 目の前で──涙を流さずに、それでも泣いているように見える女の子の悔しそうな様子を見れば、察するに余りある。

 

 その友達は……自分が矛先から逃れるために、次の生贄を差し出したのだろう。

 

「……ま、そうな。自分は友達だと思ってても、そいつがそう思ってくれてるとは限らない。俺も友達の家に遊びに行ったら用事があるって嘘つかれたことあるし、仲良いと思ってた同級生にメールしたら返ってこなかったことの方が多い。だから、まぁ……別に、よくあることだ」

 

 それは慰めと言うにはあまりに不格好だっただろう。それでも、人間と言うのは下を見て安心できる生き物だ。年上の男子高校生が自分と同等かそれ以上の経験があり、それでも開き直っているところを見れば、自分に言い訳をするには十分だと。そう考えるのだ。

 

「……なにそれ」

 

 留美は、その表情を明るくすることは無かったが……それでも、少しだけ眉の皺は減ったように見えた。

 

「でも、そうだよね。こんなのよくあることだもん。もう、こんなくだらないことに付き合ってられないから。中学生になったら、他の小学校の子と仲良くするんだ」

 

 地面を見つめて、留美は言い聞かせるようにそう言った。

 

 ──果たして、彼女の願うとおりになるだろうか。そうなりますようにと無責任に祈るのは簡単だったが、俺はそんな未来が訪れるとは思えなかった。

 

「それは、どうだろうね?」

 

 意外なことに。その疑問を口にしたのは、俺の隣で黙り込んでいたアイだった。

 

「……どう、って?」

 

 少したじろぎながらも、留美はアイに視線を移した。帽子の鍔に、その影に表情を隠しながら、それでも声音は無邪気そうに、弾むような声でアイは言う。

 

「中学生になっても変わらないよ。半分……はいかないかな。でも、結構おんなじ小学校の子が居るでしょ? 今のキミのことを知ってる子が言い触らして、おんなじようなことするんじゃないかな?」

 

 中身はまったく無邪気とは程遠い。すっとぼけた言い方で、邪気たっぷりにアイは現実を突きつけた。……俺もその意見自体には同感で、下手に希望を持たせるよりはずっと留美のことを案じた態度に思えたが。

 

 そして、それ以上に気になったのは……きっと。その意見自体は、留美に対してまさに今考え付いたようなものではなく。むしろ──過去の、アイが実際に抱いた、ただの感想なのだろう。

 

「……やっぱり、そうなのかなぁ……」

 

 すっと、留美は俺とアイから視線を外して。同級生が集まる広場の活気に目を向けて……震えた声を、漏らしたのだ。

 

 俺が、留美に言ってやれることは……残念ながら、無い。現状を打破する手段も無ければ、仮にあっても実行する覚悟が、責任が──大義名分が、無い。結局俺はただの部外者で、哀れな女の子に何をしてやることも出来はしないのだ。

 

 ため息を吐きそうになって、それをしたいのは誰だろうかと考えて、止めて。代わりにまた、下を聞かせてやろうかと口を開きかけて……やっぱり、止めた。

 

 自分の未来を憂うような面持ちの少女に、少なくとも今、とうに開き直ることが出来た過去のトラウマを聞かせてやったとして、それは彼女にとってなんら救いにはならないのだ。

 

 俺が過去の自身と相対し、それでも何もできずにいる中。

 

「……ねぇねぇ、うみちゃん」

 

 アイは留美の物憂げな横顔に遠慮することなく、名前を間違いながらも、確かに呼びかけたのだ。

 

「──わたしと、友達にならない?」

 

 アイは──目深に被っていた帽子を脱いで、見惚れるような微笑みを留美に向けた。

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