推しガイル   作:TrueLight

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双星

「せんせ、お疲れ様。でも呼んだらすぐ来てよ?」

「おう。家はすぐ近くだしな」

 

 業務を終えて職場を後にしようとする吾郎。彼を労いつつも、いざと言う時には参じるよう求めたのは、吾郎が担当する妊婦であるアイである。

 

 この日、アイは妊娠40週を迎え、出産予定日となっていた。

 

「まぁ来れなくても代わりの先生来てくれるし」

「やだ、せんせが良い」

 

 吾郎が、自身が不在でも案ずることは無いようにと続ければ、アイは不満げに頬を膨らませた。

 

 20週。アイが吾郎の勤める病院を訪れてから、それだけの月日が流れていた。その間に吾郎は産婦人科医として十全にアイを支え、2人のあいだには間違いなく信頼関係が築かれている。

 

 アイは自身の子を取り上げる場に吾郎が立ち会うことを願っていたし、それは吾郎本人にしても同じことである。他の人員が居ると言うのは嘘ではないが、それはアイを安心させるためであったし、何よりただの冗談にすぎない。

 

 出産予定日に必ずしも子供が生まれる訳ではないが、アイが出産を果たすまで、時間の許す限り病院で過ごすつもりだ。この時自宅に戻るのも、入浴や食事、仮眠と言った体調管理の一環でしかなかった。

 

「冗談だよ。じゃあ後でな」

「うんっ」

 

 そうして吾郎は、病院の外に出た。

 

 街灯が足元を照らしてくれる夜道を、吾郎はアイとの時間を思い出しながらゆっくりと歩き始めた。

 

 推していた元アイドル。妊婦として担当することになってからは、ただのファンだった頃には予想もしなかった顔をちらほらと見ることになった。しかし、思いのほか明るく、物事に頓着しない性格も。時折、相手のことを思い出してか顔に差す影も。

 

 応援していた偶像の素晴らしさを疑う理由にはならず、むしろ好ましく感じていた。

 

 今回のアイの出産が終われば、吾郎とアイが再び顔を合わせることはなくなるだろう。それを理解しつつも、吾郎は口元を緩ませる。彼女の幸せを、心の底から応援しよう、と──。

 

「あー……すみません」

「?」

 

 そこでふと、誰かに声をかけられた。背後からのそれに振り返れば、1人の青年が立っている。薄手のパーカーにジーンズと、装いに不信感は無い。けれど、どこか探るように、あまり良いとは言い難い目つきで吾郎に向けられる視線は、思わず半歩、彼を下がらせた。

 

 それに軽く目を瞬かせたのはパーカーの彼だった。直後、しまった、とでも言うように右手を首の後ろに持っていき、申し訳なさそうに口を開く。

 

「や、本当に、急にすみません。病院から出ていくのが見えたもんで……その。雨宮吾郎先生、ですよね。産婦人科の先生の……」

 

「あ、あぁ……そうだけど。君は?」

 

 不用意に声をかけたことを恥じているような青年に、吾郎は逆に罪悪感を募らせた。互いに抱いているだろうそれを払拭するべく、吾郎は努めて表情を和らげて、落ち着いた口調で聞き返した。

 

「比企谷です。比企谷八幡」

「比企谷君ね。それで? 何か用かな」

 

 吾郎が問いを重ねれば、八幡と名乗った青年は数秒逡巡する様子を見せたが、決心したように顔を上げて、少し固い声で本題に入る。

 

「先生が担当している──星野、アイについて」

 

 思わず、吾郎は眉を寄せた。星野アイ、まさに先ほど別れたばかりの少女に他ならない。アイの正体と状況を知る者は、自然と限られてくる。吾郎は目の前の青年がアイとどういう関係にあるのかをすぐに察していた。

 

「…………彼女が受診する際は偽名を使っている。病院で見かけたにしても、なんで公表されていない彼女の名字を知ってる? 彼女とはどういう関係なんだ?」

 

 けれど、吾郎は彼の正体について、自らの予想を安易に口にはしなかった。万が一、青年とアイの関係が吾郎の考えるものでない場合、眼前の彼はアイにとって危険人物でしかないからだ。

 

 こちらから情報を与えて関係を偽装される訳にはいかない。アイの安全のために、青年の身の上についてはすべて本人から聞かせてもらう必要があった。

 

「俺は……その。──アイのお腹に居る子の、父親です」

 

 言い渋る様を見せたのは一瞬で、八幡はすぐに答えた。吾郎は得心したものの、それを表情に出すことなく、念のためにと確認を続ける。

 

「……星野さんは産後の経過が良くない。予定日と母体の状態にはいくらか開きがある。答えづらいだろうけど、彼女と最後に性交した日付を教えてくれるかい?」

 

 その問いかけは想定の範囲外だったか、比企谷は分かりやすく渋面を浮かべて見せた。それでも、アイに不審人物を近づけないために必要なことなのだろうとため息を吐き、諦めた様子で小さく返事をする。

 

「……去年の、8月上旬です」

「ありがとう、こちらの認識と相違ない。信じるよ、君が星野さんの相手だって」

「どうも……」

 

 疲れたように、さらに息を吐いて。八幡は改めて、吾郎に向き直った。

 

「今度はこっちから、良いですか」

「あぁ、構わない」

 

「アイ……星野の様子は、どうですか?」

「…………」

 

 八幡からの問いに、吾郎は刹那疑問を浮かべ、そしてそれはすぐに氷解した。本人に直接会いに行けば良いと思ったが、初めて病院を訪れた時に盗み聞いてしまったアイの言葉を思い出したからだ。アイは彼に、自分が妊娠したことすら伝えていなかったのだ、と。

 

 2人の間で何かしらの齟齬があるのは間違いなく。だからこそ、彼は担当医として最もアイと接しているだろう吾郎の方を訪ねたという訳だ。

 

「経過と言う意味なら順調だよ、今のはカマをかけただけだ」

「そうすか……」

 

 多少安心した様子を見せたものの、八幡はすぐにそれを表情から消した。

 

「星野がマタニティブルーとか……そうでなくても、妊娠中に不安なところを見せたことはありました?」

 

「……多少はね。まぁ、ほとんどの妊婦がそうだ。初産で不安にならない女性なんてほとんど居ないだろう」

 

 そう答えてから、僅かに考え、吾郎は続けた。これを伝えることで、彼の、それ以上にアイのためになると考えて。2人の間にあるらしい不可視の壁に、良い影響を与えることを願って。

 

「──正直に言えば。彼女は君が傍に居ないことを、寂しく思っているようだったよ」

 

 その瞬間、八幡は目を見開いて──すぐに、()()()()()()()()()

 

「……そうですか。聞きたいことは聞けました、ありがとうございます。時間取らせてすみませんでした、じゃあ、俺はこれで……」

 

 踵を返す八幡に、吾郎も胸を撫で下ろした。これからアイの元へ向かうのだろう、そう思っていたからだ。受付には自分も居た方が良いだろうと、吾郎は自身の予定を先送りにして八幡の後を追った。

 

 そして──彼は駆けだすことになる。理由は簡単だ、八幡が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

「ちょっ、ちょっと待って!」

「…………?」

 

 どうしてまだここに。そんな考えが読める顔で、八幡は足を止めて振り返った。吾郎は動揺を隠せず口調を荒げる。

 

「アイ──星野さんに会っていくんじゃないのか!?」

 

 面と向かって言われた八幡は、どこかばつが悪そうに。それでもきっぱりと宣う。

 

「あいつは……俺に、妊娠していることを伝えなかった。俺は関係者から聞いて、この場に連れてきてもらっただけです。星野は──俺の立ち合いなんか、必要としていない」

 

「話を聞いてなかったのか!? 彼女は、隣に君が居ないことを不安に思ってるんだぞ!!」

 

 詰め寄る吾郎の剣幕に、八幡は視線を逸らした。その時、彼は気がつく。普通であれば自身の名前を提示するだろうネームプレート。吾郎の胸のそれには、キーホルダーが入れられていた。

 

 アイ無限恒久永遠推し!!!

 

 キーホルダーには、デフォルメされたアイのイラストと共にそんな言葉が刻まれていた。

 

「先生……あんた、アイのファンだったのか」

「……それがどうした」

 

「だったら分かるでしょ。あいつが不安そうにしてるところを見て、どう思った?」

 

「……少なくとも、普通の妊婦に見えたよ。アイドルじゃない、初めてのお産で不安定になる、どこにでも居る女の子でしかなかった」

 

()()()()()()。あいつは不安とか不満とか、そういうのを独りで抱え込むタイプでした。アイドルとして。周囲の理想を壊さないよう、ネガティブな感情は強ければ強いほど、誰にも見せないようにしていた」

 

 けど、と。有難がるように。そのくせ寂しそうに、八幡は吾郎と視線を交わした。

 

「もうあいつは、独りじゃない。誰にも弱い所を見せないよう気を張ってた、ぼっちのアイドルじゃないんだ。先生が見てくれるなら、俺はきっと要らない。少なくとも、あいつは俺に、それを求めてないんだから」

 

 その言葉に、吾郎は怒りで歯を食いしばった。八幡を殴り飛ばしてやりたくなって、それでも理性的に。されど力強く、彼の両肩を掴んで叫ぶ。

 

「俺は──知らなかった! アイがぼっちだとかっ。いつも気を張ってたとかっ! でも、君はそれを知ってる! それが変わったと言うなら、そうしたのは君なんだろ!!」

 

 吾郎の必死な様相に、八幡は目を見開いて、それを聞くことしか出来なかった。

 

「ストレスを抱え込まなくなった!? それは良いことだ! けど、それを表に出せるようになったからってなんだって言うんだ!! それを癒す誰かが必要じゃないか!!」

 

 上から掴むようにしていた八幡の肩を、横から挟むように手を滑らせて。懇願するように、悲痛な面持ちで続けるのだ。

 

「アイはきっと、君が来るのを願ってる……!!」

 

 数秒、沈黙が2人を包んだ。風が吹き、夜闇の木々が騒めくなかで、十数秒が経ち、それが一分としばらくを超えて、ようやく。

 

 唇を引き結びつつも、こくりと。浅くとも確かに、八幡は頷いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来てくれたんだ……」

「…………よう」

 

 八幡が意を決して病院に足を踏み入れたとほぼ同時に、アイの身体も出産を目前にしていた。まず吾郎が分娩室に向かい、そこで八幡の来訪を明かして、彼女の同意を以て立ち合いへと至ったのだ。

 

「もぅ、佐藤さんでしょ? 教えないでねって、言ったのに……」

 

 分娩台に身体を預けたアイは、八幡から視線を外して、廊下に続く扉に目を向ける。その向こうに居る保護者に不満を漏らしているようだったが、目尻は嬉しそうに下がり、そして雫が伝っていた。

 

「ごめんね、八幡……わたしが勝手に」

「──それ以上は、言わなくていい」

 

 八幡はアイに近づいて、腫れ物に触るように彼女の手を握った。

 

 彼をここに連れてきたのは、アイの保護者である佐藤、もとい斎藤である。そして道すがら、経緯についても聞かされていた。その中で、アイ本人も子供が欲しくて行為に及んだのでは無いことは理解していたのだ。

 

 斎藤から連絡があるまで、八幡はアイが音信不通になったことをそこまで重大視して居なかった。好いた女の子と連絡が取れなくなったことで、心配しなかった訳ではない。

 

 だが、八幡にとって、アイと自分はどこまで行っても不釣り合いでしかなかった。突然連絡が取れなくなることも、いつ起こってもおかしくないと思っていた──自分なんかよりも、好きな男がいつか出来るだろうと、そう考えていたから。

 

 しかし、状況は彼が卑下していることを許してはくれなかった。アイは妊娠していた。それも、アイから話を聞いた斎藤の言によれば、間違いなく八幡の子だと言うのだ。八幡に、病院を訪れないという選択肢は無かった。

 

 無かったが、それでも八幡は、すぐにアイと顔を合わせることを拒んだ。まずは担当医からアイの様子を聞きたいと。斎藤も同席すれば担当医である吾郎が言葉を選ぶかも知れないと、わざわざ2人になれるタイミングを狙って吾郎のもとに向かったのだ。

 

 あとは先述の通りである。アイのファンであり、担当医でもある吾郎の説得を受けて。八幡は、独りで自身との子を育ててくれた女の子に、ようやく会う踏ん切りがついたのである。

 

「誰のせいで、って話なら、俺たち2人の責任だろ。……確かに、最初は拒んだ。万が一があるといけないってな。でも結局は受け入れたんだ、お前だけが悪いなんてことは無い」

 

 ここに至って、アイは滂沱した。泣きじゃくる彼女の背を労わるように撫でて、続けた。

 

「……お前は長い間、大変な思いをしたはずだ。それに比べて俺は、今更ここに来て、傍に居ることくらいしか出来ない。それでも……一緒に、居ても良いか」

 

「ぐすっ。うん…………うん…………っ」

 

 半年ぶりに顔を合わせて、短く言葉を交わして。ようやく2人は、遅くとも共通の認識を持つことが出来た。自分は──この人と共に、親になるのだと。

 

「話はまとまったか? あぁ安心してくれ比企谷君、傍にいることしか~なんて謙遜することは無い。手伝えることなんていくらでもあるから」

 

 いつの間にか、傍らに立っていた吾郎の姿に。八幡は小さく肩を震わせて、おそるおそる自分に発破をかけた先生を見上げた。

 

「お、お手柔らかに……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後半日近くの時間を経て。

 

 アイは愛する人と、その両腕に抱かれた双子を目にして、また一筋の涙を流したのだ。

 

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