事実は小説よりも奇なり、と言う言葉に聞き覚えがある人間はそこそこ多いのではないかと思う。
例を挙げるなら、自分の体に比べてあまりにも小さな羽根で飛翔するクマバチの存在だとか、小難しい話をするならモンティ・ホール問題だとか。……適当に思いついたそれらしいのをピックアップしたものの、これらが例として相応しいかは判然としない。だが、ニュアンスは伝わるのではないだろうか?
まぁ、これらをわざわざ例に出すとすれば、それは特に親しくもない他人と話すうえで、になるはずだ。それなりに見知った間柄の人間に対してであれば、俺はもっと具体的かつ直感的な例え話が出来る。
冴えない高校生の俺こと比企谷八幡が、人気アイドルに一目惚れされナンパされストーキングされ、
妄想乙~ww
仮に俺が何も知らない他人であれば、いかに事細かに件の話をされても鼻で嗤ったはずだ。そのアイドルはアニメキャラに似てたりするのかしらん? なんて思春期男子が架空のアイドル彼女を自慢する様子を微笑ましく眺め、いずれ海外に引っ越しちゃって自然消滅するんだろうなぁ、などと予想したことだろう。
が、しかし。これは現実の話である。
俺は、息子こと俺が友達どころか彼女をさらに飛び越えて、女の子との間に子供を作るなんて微粒子レベルにも考えていなかっただろう両親に事の次第を報告しなきゃならなかったし。子供たちをどこでどう育てるか、その費用をどこから持ってくるかも考えなければならなかったし。高校だってやめるべきか否かと悩むことになったのだ。
進路希望調査には現実逃避気味に「専業主夫」なんて書いちゃうような愚かな男子高校生だった俺は、アイの、そして子供たちのために、現実と向き合わなければならなかった。
──有難いことに。本当に有難いことに、子を
両親の許しを得て、と言うより両親の意向に沿う形で、概ね希望通りに大学進学へ向けて高校に通い続けることになり。子供たちは壱護さん……アイの身元引受人だった苺プロダクションの社長が面倒を見てくれることになったのだ。
厳密にいえば、芸能関係者御用達の事業所からベビーシッターを雇うという話に落ち着いたのだが。壱護さんがアイと子供たちに新しく部屋を用意し、母子3人は保育のプロに頼りつつそこで暮らすことになった。
ベビーシッターの費用はアイが本人の稼ぎから出すと言ったり、壱護さんが事務所側で都合すると言ってくれたのだが、それに甘える訳にもいくまいと、結局俺は苺プロでバイトさせてもらっている。壱護さんに養育費を貸してもらい、これを返すために働いている形だ。
高校3年生。大学受験に備えて勉強しながらも苺プロの事務バイトとして働き、暇があればアイと子供が住む部屋に顔を出す。比企谷八幡の現状としてはこんなところだ。どこぞのラノベ並みに数奇な人生と言えるだろう。高校生の俺が双子の父になる訳がない。あった。
さてアイはと言えば、出産からしばらくも病院の世話になったものの、退院してからは当初の予定通り、ソロアイドルとして活動を再開する運びとなった。
──そう、彼氏持ちであることを公言しての、再デビューである。
芸能界に復帰してからそこまで時間は経っていないものの、各メディアがこぞって特集したがったこともあって、良くも悪くもアイ一色の季節が訪れることになった。イベントの開催や楽曲のリリースと、ことあるごとにSNSでは論争が巻き起こっていた。
彼氏持ちのアイドルは果たしてアイドルと言えるのか? 元のグループを解散してまで男を作り、そのくせソロで活動再開とはいかがなものか? 酷いものになると、貫通済みのアイドルとかよく応援できるな、と言うような投稿すらよく見かけるものだ。
しかし、意外なことに擁護する声が多いのも事実だった。そもそもアイドルに彼氏が居ないってのはファンの思い込みか願望だろ、と言った穿った意見から、居ると分かってるならそれを前提とした推し方が出来る、と言うような、ある種こちらに都合がよすぎる声も多々あり。
アイを中心としたネット上のレスバが尽きることは無いが、壱護さんやマネージャーは再デビューに関して大成功の一言で締めくくってみせた。なにせ、収益は右肩上がりで留まることを知らず、新規顧客を開拓し、これをほぼ独占することに成功したから。
それはアイがアイドルだとかそうでないとか以前の問題で。恋する女の子が世論に負けず、幸せを掴もうとする姿に魅了された同性ファンの台頭。疑似恋愛の対象と言う印象の強いアイドルのメインターゲット層には数えられていなかった、大勢の女性ファン獲得が根底にあったのである。
B小町を解散し、ただ一人愛を確かめられる存在を欲して。それを叶えて、応援してくれた人々への感謝と共に舞い戻り。待っていてくれた、あるいは新たにファンとなってくれた人たちの背中を押せるようにと歌い踊る、一番星のようなアイドル。
ソロアイドル、アイ。彼女は女の子たちの間で紛れもないカリスマとなり、そして当然のように男性ファンの目をも奪う、鮮烈な存在として新たな地位を築きつつあった。
「うひぃ~っ。外は寒いねぇ~」
「そりゃ外だからね……」
そんなカリスマアイドルが隣を歩くことに、俺はいつまで経っても慣れることが出来ずにいる。
12月下旬。もはや多忙と言う言葉が生ぬるいレベルで仕事に打ち込んでいるアイと、半年前までに比べればこれまた忙しい日々を送っている俺はどうにか互いの日程を調整し、半日ばかりの自由な時間を過ごしていた。平たく言えば、デートってヤツである。
昼頃から合流した俺たちは、ついさっきまで暖房でぬくぬくしていた水族館を回っており、一通り海の生き物を観察し終えて外に出たところだった。……女子と外出なんて経験は無いに等しい俺だったが、妹の意見も参考にしつつ選んだデートスポットは最適だったと言えるだろう。アイは終始はしゃいでいたし、俺自身もまた楽しみつつ巡ることが出来た。
「はぁ~……ねっ、このあとはどうしよっか?」
合わせた指先に息を吹きかけて、こしこし擦りつつこちらを窺うアイ。空を仰げば日は徐々に傾いており、そう遠くないうちにグラデーションを描き始める筈だ。
「……」
「ん?」
まだ青い空から視線を下ろし、アイに戻す。どうしたの? と微笑みながら首を傾ける彼女の格好に、改めて意識を向けた。
季節に合わせた暖かそうな浅紫のニットワンピース。もこもこしているかと思えばしっかり身体のラインは強調されていて、しかも生地に反して丈は短めだ。膝下までをハイソックスで覆っているものの、太腿半ばから膝までは露出している。
……本当にこの子、俺のこと好きなのか? 可愛すぎやしませんか? 身バレ対策にと黒いニットハットを被っているアイだが、そこから流れる濡れ羽はまるで魅力を隠せておらず、顔が見えずとも十分に人目を引いていた。
いや、アイの俺に対する好意の真贋なんて、本当に今更だ。とうに俺はそれを信じたのだ。けど、でも。ねぇ?
斜に構えた俺の理性は、何度だって高ぶる感情にブレーキをかけたがる。だって普通に考えて、アイのような可愛くて、綺麗で。魅力的な女の子が、俺を好いてくれる訳が無いのだと。
「……いや、日が落ち切る前に、あと一か所くらい回ろうかってな」
「うんっ!!」
俺の言葉に心底嬉しそうに頷くと、アイは俺の隣に歩み寄った。目的地に向かうべく駅を目指して歩き出すと、応じて彼女も跳ねるように足取りで続く。
別に、彼女の容姿が優れていることだとか、周囲にどう見えているかの再確認がしたかった訳じゃない。考えるべきはつまり、冬コーデと言えどアイは寒そうな格好をしている点について。これから時間が経つにつれて冷え込むのは分かり切っているのだから、次の移動場所やらなんやらには配慮しないといけない。
「どこに行くの?」
「そうだなぁ……」
事前にいくつか控えておいた、デートスポットだの移動時間だの費用だのを記したメモをスマホアプリで開く。指を滑らせてスクロールしていると、どれどれとアイが手元を覗き込んできたので、身体を捻って拒んでやった。
「むぅ、スマホを見せたがらないってことは……ウワキ?」
「そんな命知らずなマネするかっつの……男の子がデートのために用意したカンペだぞ、それを覗き見るなんざ処刑と一緒だ」
「あっ……そ、そっか」
へへ、と。思わずと言ったように照れ笑って、それからアイは幾分しおらしくなった。……まさか俺が、そこまで気合を入れてるとは、なんて考えていそうだ。俺だって自分で言ってて顔が赤くなってる自覚はある。勢いで口を衝いてしまった。
けれど──そりゃそうだろうと、開き直ったって良いではないか。好きな女の子。俺のことを好きだと言ってくれた、女の子なんだ。初めてだから、失敗したってしょうがない。そんな言い訳は常に頭をチラついているけれど……それはアイに、今日一日を楽しんでもらいたいって想いと喧嘩せず同居している。
行き先に目星をつけて、手にしていたスマホをポケットに入れて。俺は仕事が無くなった右手を見て、次いでちらりとアイの左手に目を向ける。
──結局のところ、俺はアイと自らが釣り合っているなんて考えちゃいない。子供まで作って、その子たちのためにお互いが出来得る限りのことをしていると十分に分かっていて、それでも、と。果たして俺で良いのだろうか、なんて女々しく考えている。
アイが活動を再開してからと言うもの、俺は彼女に、外であまりベタベタするのは良くない、という態度をとっていた。例え彼氏が居ると公言していても、人目に触れれば醜聞となり、彼女が叩かれる材料になってしまうから、と。
アイは、俺の醜い劣等感を受け入れて、配慮してくれていた。周りに他人が居る時は、以前のようにスキンシップをすることが無くなっていた。彼女の立場を慮っているように振る舞いながら、その実俺こそが、己の卑下に付き合わせてしまっている。それを理解していながら、これが正しいのだと決めつけていた。
でも──でも、だ。この日のためにデートプランを捏ね繰り回してきました~なんてポロっちゃった今なら、ちょっとだけ大胆になれる気がする。自分が作って押し付けた暗黙のルールを、恥知らずにも破れそうな気がするのだ。
がんばって八幡! デートで大胆にアタックするのは女の子の特権なんだから! いや俺は男だけどね。しかし最近は男女平等も極まってジェンダーレスがどうのと騒がれている。つまり八幡ちゃんになっても良いってワケ! 違うか? 違うね。
これ以上バカでキモイこと考える前に行動しようと、タイタンにアタックするような覚悟で俺は口を開いた。
「……なぁ、その。手、繋いでいいか? 寒いし……」
「っ!!」
その瞬間、俯きがちに歩いていたアイがガバッと顔を上げると同時にギョロっと俺の顔を見て、ギロッと俺が差し出しかけていた右手を凝視した。怖い怖い怖い!!
「あ、う……い、イイの?」
だがすぐに、萎むように……俺を心配するように、上目がちにアイは問い直す。……ここまで気を遣わせてしまっている時点で情けないにも程があるが、ここで引き下がったらもはや、俺は彼女に対して一生引け目を感じ続けることになるだろう。
ええいままよ……! 立体起動装置で飛翔するが如き勢いで、俺はアイの左手を絡めとる。俺ってば一体何と戦ってるんだろう?
「──!」
「……俺が、そうしたいんだよ」
あぁ~キモイ! キモイよ八幡!! なんで生きてるんだろう? いっそ殺してくれ……。
間違いなく真っ赤になっているだろう顔を逸らしながら、蚊の鳴くような声で返し。それでも繋いだ手をきゅっと握り、少しだけ歩を早める。アイがつんのめったりしないよう気を付けたつもりだが、まるでそんな様子はなく、彼女は再び俺の隣に並び──繋いでいない右手を、俺の右腕に添えた。
「……えへへ、あったかいね……」
「むしろ熱いまであるな……」
互いに上気しているだろう表情を見ないようにして。腕を絡めて距離はゼロに等しいくせに、間抜けにも顔を背け合って。それでも、この熱だけは離さないようにと、俺とアイは指を絡め続けて電車に乗った。