高校受験を間近に控えたある日。僕は一人、とある場所を訪れていた。眼下に海が広がる、名前も無いただの崖。強いて何かあるとすれば──どこの誰でもない空っぽの男が、最期に立っていた、そんな場所だ。
「…………」
もっとも、わざわざ転落防止の柵にまで近寄ることも無く、少しはなれた場所に設置されているベンチに座って眺めているだけだけれど。……あの時とは違って、
身体的には年相応の。されど分不相応な悩みを抱えた僕が、単に落ち着いて思考に耽る場所を探し求めて辿り着いたのがここだった、それだけの話なのだ。
「…………」
海風が優しく頬を撫ぜる、涼しい午後。ベンチの背もたれに体重を預けて、ぼぅっと空を見上げた──これから、どうすれば良いのだろう、と。
「やぁ」
「!?」
そんな折、背後から僕の顔を誰かが覗き込んだ。周囲に人が居るなんて毛ほども考えていなかった僕は、闖入者に対し思わず身体を跳ねさせてしまう。その人物の顔に、己のそれをぶつけなかったのは幸いだっただろう。
「……き、君は?」
何せ、幼児と言っても差し支えないほど小さな女の子だったのだ。もし頭突きなんてしていたら洒落にならない。幸いにもそうはならなかったが、少女に対して笑顔を向けるような余裕は捻り出せなかった。
「ふふ、さすがに分からないか」
困惑しつつ口を開いた僕に、少女はどこか楽しそうにそう言った。その口ぶりは、まるで僕のことを知っていて、さらに言えば僕も少女と既に出会っていると言わんばかりだ。
「ごめん、どこかで会ったかな」
「そうだね。
「──!?」
まったく気負う様子もなく答えた少女に、一瞬思考が停止した。その意味を理解した瞬間、いつかの日に一度だけ言葉を交わした人物を思い出す。
『用は済んだみたいだね』
『もう、やり残したことは無いよね?』
『待ちわびたよ、ようやく君を──』
「お前は──ッ」
奇しくも、口を衝いたのは
にこりと頬を緩めた少女も、同様に返して見せたのだ。
「ふふ、誰だろうね? でも、そうだなぁ……君の、親みたいなものだよ──なんてね」
場所が場所なのだから、もとより
「うん、元気そうで何よりだね」
……達したのだけれど。にこにこと、僕の顔を見て嬉しそうに破顔した女の子の様子に、毒気を抜かれた僕の内心は困惑一色だった。──思えば、
「……一体、お前は何なんだ……?」
自己紹介をして、向こうにもそれを求めるべきなのか。あの日起こった出来事の説明を要求するべきなのか。僕が混乱したままに漏らすと、少女は当然のように僕の隣に腰を下ろして、今度は下から僕の顔を覗き込んだ。
「それも含めて、今日は種明かしをしに来たんだよ。ずぅっと家族のために心を砕いてる君に、そろそろ楽になってもらいたいからね」
言葉の割には僕の戸惑いを気遣う様子はなく、少女は滔々と語りだした。
あるところに、仲良しの
そこで姉は、飼っている烏を遣わすことにしました。弟の様子を見てきなさい、と。烏はそれに従い、弟の元へ飛んでいきました。いざ烏が辿り着くと、これ幸いと今度は弟が烏に命令します。
姉は己を案じてはいても、戻ったところで仲直りしてはくれないだろう。姉の機嫌を取るために土産物が欲しい。見繕って持ってこい、と。そうして烏は、姉弟の関係を取り持つために、再び羽ばたいたのでした──。
「…………いや、意味が分からない」
「だろうね、だから補足しようか。まず、この
「日本神話の……?」
「その通り。そして、遣いの烏は
さて、
「
「……言葉くらいは」
「ざっくり説明すると、
「アメノウズメノミコト……」
「知っていたかい? さすがは役者さんだね」
言いつつ微笑む少女に、どうしてか居心地が悪くなって顔を逸らした。なんでそんな顔を見せるのか全く理解できない。まるで……まるで、父さんのようで。子供を見守る親のようで。
「要するに、その時と同じことをしようって話だ。他の神々を巻き込むほどの話でもないから、スケールは落ちる訳だけど。
「踊り子の魂を導く、だって……?」
「もったいぶる気はないからね、教えてあげるとも──星野アイ。君のお母さんこそ、神々に相応しい踊り子、地上の星。私……
「っ、母さんに何をするつもりだ……!?」
魂を天に導く、なんて曖昧な台詞は、死神の鎌を振るうことと比喩のレベルとして大差ない。表情を険しくする僕に、しかしと言うか、やはりと言うか。自身を烏だのなんだのと言い表した少女は、まぁまぁと気安く片手で制して見せた。
「こちらから何かする気なんて無いよ。その人生を全うしてから、神々の住まう場所に招待するってだけ。どっちかと言えばイベントの依頼になるのかな? かの神様の御前でひとつ、踊ってはくれませんか? ってね」
「……なんだよ、それ……」
僕はもうどういう情緒で居ればいいか分からなかった。普通に考えて、こんな小さな女の子の与太話を聞いてる僕自身こそが一番どうかしているんだけれど。前世のこと、僕の身に起こったこと。どんなに理解し難くとも、抽象的だろうと、それらを説明してくれるというのなら、きっと僕は聞き手に回るしかなかった。
「とにかく、君の家族に危害を加える気なんて無いってことだけ分かってくれれば良いよ。で、ここからが大事なところでね……君のお父さん。八幡についてだ。細かいことに言及すると長くなるから、要点だけ説明すると──
「……? 言ってることも、それが意味するところも、何もかも分からないんだけど」
いい加減、何を聞かされているのか。それが僕や家族にどう繋がるのか。まるで分からないままげんなりとする僕に、やっと少女は少しだけ、申し訳ないとばかりに眉を下げた。
「人が語り継ぐ歴史の中で、ある神様が分かたれたり、あるいは同一視されることはそれなりにある。
「…………は?」
詳しく聞いても分からない話に、思わず呆けた声を出せば。少女は……
「前回は間に合わなかった。だから復讐を見届けた。その上で──私は三ある足の一つを代償に、
「お前が……僕を、巻き戻らせた……?」
「そういうこと。当初の目的にも反しないしね」
考えなかった訳ではない。あの最期の瞬間、相対していた存在がそれをなした可能性は思いついて当然だった。でも、どこまで行ってもオカルトでしかなく、状況証拠やそれらしい理屈を探しても、結局僕が体験した逆行とは人知の及ばない出来事で。言ってしまえば理由のない奇跡だった。
しかし、理由はあった。人知が及ばないことに変わりはなくとも、一応は理屈も通っていた。
この、女の子が。父さんと混ざってしまったのだと言う、この
それを理解した僕は──。
「──ありがとう!!」
「わぁびっくりしたなぁもう」
少女の前に回り込んで、膝をついた。頭を下げた。神に許しを請うように……あるいは、感謝をささげるように。
「ありがとう……っ」
涙ながらに、どうにか伝わって欲しいと願った。あなたのおかげで、家族は──僕は、生きています、と。
「……良いんだよ、私にとっては当たり前のことなんだ」
穏やかに。いつか父さんがしてくれたように、少女は僕の頭をゆっくりと撫でてくれた。
月讀命と八幡紳が同一であるという設定についてはこちらを参考にさせていただきました。
※あくまで本作におけるフィクションです
https://ugaya.jimdofree.com/2016/08/18/%E6%9C%88%E8%AE%80%E5%91%BD%E3%81%AF%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%B4%B3%E3%81%AB%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F/