「──決めた」
「決めるなっ」
目の前に突き付けられた
「君の言ったデメリットはわたしにとってどうでも良いんだよ。なら保留にする意味もないでしょ? だから決めたの、わたしを想ってくれる君に」
「俺の言動をなんでもかんでも好意的に受け取るのをまずやめろ……! そもそも俺を選択肢に入れるな! カミキとやらと俺を比較するならどう考えても前者だろっ。その上でカミキが駄目だってんなら、確信を持てる相手が見つかるまで先延ばしにしろって言ってるんだ!」
分かってないなぁと、アイは呆れた素振りで首を振った。ムカつく態度だが、そんなことに口を挟んで話を有耶無耶にしたくはない。どうにかしてコイツの中から、好印象の俺という謎の偶像を消し去らなければ。
この女の俺に対する執着は、もはやカルト染みている……!
「カミキ君は良い男の子だよ? 悩んでるわたしに色々アドバイスしてくれたり、君みたいに相談のってくれたりしたし。だから、男の子とセックスしたら、もしかしたらそのヒトを愛せるんじゃないかって思ったとき、まっさきにカミキ君にしようと思ったし」
でも、と。アイドル型爆弾は俺に向き直って熱っぽい視線を飛ばす。
「君を見つけちゃったんだ。わたしのライブに来て、わたしを危険物でも見るみたいに立ち竦む君を。それだけなら良かったのに、ライブの帰りにバッタリ会っちゃうんだもん。──カミキ君の前に、一人くらい別の男の子とお喋りしてみても良いかも、なんて考えちゃった」
「バチバチにバイアスかかってんじゃねぇか……ファンの中から目についたヤツを、
「否定はしないよ? いまそう言われればね。でも私は誰でも誘えた訳じゃないし、その時の反応次第では冗談だって無かったことにしたよ。だからね……何を言っても、君なの。もう私は、その相手を君にしか求められない」
「それが視野が狭いって言ってんだよっ。本当にお前は、そんなことのために培ったモノひっくるめてドブに捨てられるってのか──」
──マズイ、と。脳が警鐘を鳴らしたが、遅かった。悪手を打ったと自覚した。俺はどうにか、彼女を説得したかったのだ。相手は俺じゃない方が良い。仮にそうでも、リスクとリターンがまるで釣り合ってない。そうやって、アイの衝動をどうにか霧散させようと抗っていた。
しかし──俺は分かりきったことを再確認してしまった。俺の社会通念とか常識とか。そこから導き出される「有効だろう説得」は、彼女にとって「問題ないと再確認する作業」にしかなり得ない。
そしてそれは──決意を新たにする、ということに他ならないのだ。
俺のすべきことは、常識的に年下の女の子の未来を憂いてやることではなく。汚い大人ぶって煙に巻くことだったのだ。
一瞬で思い至ったアイの思考回路に、致命的な懸念に。やはりその宇宙人は──。
「──
覚悟を決めてしまった。
「わたしの過去を聞いても、わたしが気を悪くしないようにって、軽々しく慰めなかった。それでも、たぶん憐れんではくれたよね? でも顔には出さないように気を付けて、いまのわたしを知ろうとしてくれた」
「わたしがアイドルである意味を知って、面と向かって関わりたくないって言ったくせに。それでも目を逸らさずに話を聞いてくれた。君の優しさを──本物の優しさに触れるってことを、知っちゃったんだ」
その
「愛ってなんだろうね? わたしには全然分かんないけど……きっと、優しい人にしか分からないものなんだと思う。優しさが無いと、誰にも愛を表現できないと思うんだ。カミキ君は優しいけど……なんか違うなって、いまなら思える」
目を閉じて。瞼の裏に何かを描くように、浅く俯いて。
再び顔を上げて、瞳を開いたアイは──頬を染め、とろけるような笑顔で言い放つのだ。
「君が良いの。君じゃなきゃ嫌なの。身体を重ねて、心は重なるのかな? そこに愛は生まれるのかな? そのヒントだけでも得られるのかな──比企谷、八幡さん。確かめるなら、君とがいい」
────。
その蠱惑的な表情に、言葉を、呼吸を、思考を奪われた。状況を打破すべく足掻かなければと焦る理性は、頭の片隅に追いやられ。
星芒を宿した潤んだ
ふたたび、テーブル越しに。ゆっくりとした彼女の動きは見えていたはずなのに、それを止めることも出来ずに。
彼女の顔が間近に迫り、俺に影を落として──。
PiPiPiPi──。
そこでハッとした。己を取り戻した俺は、反射的に立ち上がり、彼女から──抗いがたい魅力を振りまいていたアイドルから距離をとる。右手で胸を押さえた。
心臓が動いていることを、確かめたかった。
「むぅ、もう時間かぁ……今日はここまでだね、お仕事に響いたら斎藤さんに怒られちゃう」
つい数秒前の雰囲気は欠片も見せず、彼女は携帯片手に唇を尖らせた。その姿は……ただの、年下の女の子に見えた。
──恐ろしい、と改めて思う。女というのは、ただの数秒でこうまで顔を変えられる生き物なのか……? 俺の女性観を修正するのに十分すぎる体験だった。もちろん、悪い意味で。
「ごめんね? ひき──
テキパキと機敏に手荷物をまとめ……ポーチに適当にぶち込んでいるだけだったが。身支度を終えると、彼女も立ち上がり、出入り口の方へ足を進めようとして──立ち止まり、手を後ろに回しながらくるっとこちらを振り返った。
「支払いはしておくから、八幡は準備が出来たらお店出ちゃって大丈夫だからね。今日はありがと──
悪戯っぽくウインクし、ファンに受けるだろう笑顔と仕草を演出するアイドル。不吉な言葉を残しつつ……こちらの表情に満足した様子で、今度こそ俺の視界から消えていった。
「…………」
ようやく、長い一日が終わった。今を時めくアイドルとの食事なんて言う、多くの人間からすれば幸運だろう時間が幕を下ろした。
「…………」
憔悴しきった俺は、それから十数分もの間、店を後にすることが出来なかった。