あゆみのおしばい 作:ひらがななかい
「ごめんね。今日は“お忍び”だから私が“ここ”に来てたってことは内緒にしてくれる?」
もしも何気なく振り返ったとき、その視線の先に自分の“推し”が立っていて話しかけられたりなんかしたら、みなさんはどうなりますか?ドッキリ番組とかでイケメン俳優が学校に潜入したときの中学生とか高校生みたいに、大声で絶叫したり感激しすぎて泣いたりしますか?
「・・・あ・・・あの・・・その・・・」
ちなみにわたしは、語彙力を失った“限界オタク”になります。
「本、買いました・・・そして読みました・・・・・・すごく、その・・・おもしろいです(訳:百城さんの小説を上下巻共に買って読ませて頂いています。主人公の感情が成長と葛藤を通じて本当に読んでいて心に伝わってきて、今まで読んだ本の中でぶっちぎりで面白いです。本当にありがとうございます)」
「そっか、このあいだの誕生日に出した
「いえ・・・あの、月並み以下の感想しか言えずごめんなさい・・・(最悪だ・・・これじゃあ百城さんに失礼すぎるぞわたし・・・)」
「ううん。ちゃんとお気に召してくれているのは伝わったから、大丈夫だよ」
「・・・あと・・・本当に面白いです・・・!・・・今まで読んだどの本よりも(何とか一番言いたかったことは言えた・・・)」
「ははっ、それは大変恐縮です」
こうして心の準備なんて全くできてない状態のまま“生”の百城さんと久しぶりに再会したけれど、心の中で一瞬だけとはいえ不審者だと思い込んでしまったこととか滅茶苦茶な感想しか言えなかったこととか色々と謝るべき点は多しとはいえ、どうにか百城さんには気持ちが伝わったみたいでそこだけは幸いで一安心。
「・・・あれ?ひょっとしてあゆみちゃん?」
「あ、はい。そうですけど・・・・・・・えっ?」
なんてすっかり安心しきって油断してたら、“第2波”がきた。
「いやいやいや、まさか超絶的に有名であろうお方がわたしなんかのこと」
「しょうがないじゃん。だって、顔を見た瞬間に“あゆみちゃん”だって分かっちゃったもん(“あろうお方”って言葉遣いはどこで覚えたんだろ・・・)」
「・・・・・・・ふぇ?」
まさか百城さんがわたしの
「・・・・・・大丈夫?あゆみちゃん」
ほんの一瞬だけ視界が飛んでまた鮮明になると、真後ろの列に立っていた百城さんが身を乗り出すような体勢でわたしの肩をギュッと掴んで、テレビとかスクリーンじゃあまり見せない“人間らしい”心配げな顔をして真っ直ぐにわたしを見ていた。
「はい。もう、大丈夫です」
一瞬の立ち眩みが収まって、わたしはいま自分が置かれている状況を理解する。百城さんが、わたしの肩に手を掛けている。百城さんが、わたしだけを見つめている。
「でも・・・これ以上見つめられたら・・・ヤバいかもしれません」
大丈夫・・・・・・なわけない。
「そっか。じゃあ一旦座って深呼吸でもしよっか?」
そんな限界ギリギリのわたしに、モード系っぽいファッションも相まって羅刹女のときと比べて大人になってより美しくなった百城さんは容赦なく気絶しかけたわたしに天使のように優しく微笑む。ベージュ色のキャスケットから垣間見える白銀の色をした綺麗なショートヘアの髪、黒縁の伊達メガネを越しても十二分に見惚れてしまうほど綺麗な宝石みたいに輝くパッチリした琥珀色の瞳、絹のようにツヤツヤな白い肌、画面越しで見る以上に小さく整ったこれ以上ないくらいの可憐な顔立ち、ふわっとしていて心地良くて柔らかいけどどこかミステリアスで小悪魔っぽくもある独特なハスキーボイス。
『ねぇ?私たちって“これ”でおしまい?』
ひとたび芝居に入れば、
「はい・・・じゃあ、お言葉に甘えて」
なんて、溢れ出るようなこの気持ちをいま目の前にいるご本人に言う勇気なんてわたしにはないけれど。
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「どう、落ち着いた?」
「はい。何とか」
危うく気絶しかけたわたしを気に掛けてくれた百城さんに促される形で、わたしは自分の座っていた席に腰掛けて変な方向へ昂っていた気持ちを落ち着かせていた。
「・・・あの?百城さんはここを出なくて大丈夫なんですか?」
ちなみにわたしの左隣の客席には、百城さんが何食わぬ顔をして平然と座っている。
「え?何で?」
「だって、百城さんってお仕事とか結構忙しいんじゃ・・・」
「うーん、暇じゃないけど私がいなくなったらあゆみちゃんがひとりになっちゃうでしょ?さすがに夜の8時にお母さんが戻ってくるのを待ってる小学生の女の子を映画館で1人にさせちゃうわけにもいかないし」
「・・・ありがとうございます」
上映もとっくに終わり、試写会に選ばれた周りのお客さんもシアターを次々と後にしてすっかりまばらになった2階席の一角に、わたしと百城さんが隣同士でふたりきり。そしてお母さんはトイレが混雑しているのか、中々戻ってこない。
「でも、わざわざ仕事の心配をしてくれるなんてあゆみちゃんはやっぱり只者じゃないなぁ~」
「・・・恐縮すぎます」
自分の推しが隣にいて、自分に話しかけてくれる。想像するとこれ以上ないくらいに夢みたいに幸せだけど、いざ“リアル”でそういう場面に出くわしたら・・・緊張が半端じゃない。だけど、せっかく貴重な時間を割いてまでこんな“一般人A”のわたしとお話してくださるなんてもう二度とないかもしれない・・・だから落ち着けわたし。これはきっと試写会に続いて神様がくれたささやかな
「・・・まさか・・・こんなただの試写会で百城さんと会えるだなんて夢にも思いませんでした」
「うん。私も前の席に座ってるのがあゆみちゃんだって知ってちょっとだけビックリしちゃった」
「えっ・・・あの、百城さんってどこの席で観てました?」
「ちょうど真後ろの席」
「そうなんですか!?・・・・・・全然気づきませんでした」
「私って気配を変幻自在に“消せたり”できるからね」
「本当ですか?」
「もちろん嘘。でもバレないように他人っぽく見せることは役者だからいくらでもできるよ」
「・・・なるほど・・・さすが“天使様”・・・」
“・・・いや落ち着かん!”
いやいやいやいや、どうしたらいいんですか?推しが隣に座っているっていうこの状況は・・・もちろんこういう
「・・・・・・」
そしてとうとう、百城さんとどうやって話を広げたらいいのか分からなくなって、次の言葉が出て来なくなった。ていうか、片や超がつくほどの人気女優で片やただの小学6年生って、普通に考えて共通の話題がなさすぎる。でも、本当は小説のこと以外にも色々と百城さんに伝えなきゃいけないことはあるはずなのに、突然の出来事で全部飛んだ・・・・・・ううん、思い出せ。思い出すんだわたし。これじゃあただただ百城さんを待たせるだけの無礼者、ファン失格もいいところだ・・・何かないか何かないか・・・・・・
「・・・あゆみちゃんは今どうしてるの?」
「・・・・・・あ、はい、えっと何ですか?」
我を忘れて何か話せることはないかと考えていたところで不意に声をかけられたわたしは、百城さんの言ったことを聞き逃してしまって思わず聞き返した。
「いやほら、そういえば黒山さんの“あの映画”の撮影で久しぶりにあゆみちゃんに会ってからまた随分とご無沙汰になっちゃってたし、あれから名前も全然聞かなくなってたからどうしてるのかな~って、私も時々ふと思ったりしてたからさ」
そんな大女優の言葉を聞き逃した無礼なわたしに、左隣に座る百城さんはスクリーンに視線を向けてほんの少しだけ寂しそうに笑いながら“あの映画”の撮影からすっかり会わなくなったことを話し始める。当たり前だけど、カメラの回ってないところでこうやって何気なく話してる横顔すらも本当に綺麗で美しいから、目のやり場に困る。もちろん困るなんて本人に言うのは失礼にも程があるけれど。
「そしたらいきなり黒山さんの映画を撮ってたときよりもっと可愛くなったあゆみちゃんが目の前にいたから、“お忍び”で来てたけどついつい声をかけてみたくなっちゃった」
「いいや可愛いってそんな!わたしなんて、百城さんからそう言ってもらえるレベルからは程遠いですよ・・・」
ほんと、百城さんは“こんな”わたしとは大違いだ。
「そんなことないと思うけどなぁ。だって役者は人によって
“自分が一番可愛い”・・・なんて言葉を呟いても1ミリも嫌味にすら聞こえない圧倒的な百城さんの放つ説得力。そんなふうに自分のことを思えることができたなら、わたしはもっと頑張れたのかな?わたしはもっと近づけていたのかな?
「・・・・・・全然そんなんじゃないですよ・・・わたしなんて」
ううん。そんなの、とんだ思い上がりだ。だからわたしは、“スクリーン”の外側にいるんだ。
「・・・・・・あゆみちゃん?」
「みんなー!“げいのーじん”が来たぞー!」
「“じょゆうさん”だったらなんかセリフしゃべれよー」
「“黒ナントカ”ってカントクの映画に出た“てんさいこやく”だったら10秒あれば泣けるだろ?」
そういえば、百城さんにも夜凪さんにも、“みんな”にもまだ言ってなかった・・・わたしが“役者”をやめて“普通の女の子”に戻ったこと。
「あゆみちゃんはわたしたちとあそんじゃダメだよ。だってあゆみちゃんは“げいのうじん”だから、みんな一緒にあそんでケガとかしたらこわ~い大人のひとからお仕置きされちゃうし。そうでしょ?」
本当はもっと頑張りたかった。もっともっとお芝居を頑張って、夜凪さんと百城さんの背中に近づきたかった。だけど・・・わたしは頑張れなかった。わたしに稽古をつけてくれた先生と喧嘩してでも、黒山さんの映画に出たわたしをおもしろおかしく“芸能人扱い”するクラスのみんなと正面からぶつかってでも、自分の
「お母さん・・・・・・もう稽古にも学校にもどこにも行きたくない・・・」
自分の
「・・・あゆみちゃん」
「・・・・・・?」
「
左から聞こえてきた心地の良い優し気な声でハッと我に戻ると、百城さんはわたしに自分のハンカチを手渡してきた。心の奥で封印している過去を思い出してしまったわたしは、気が付くと両目から涙を流していた。
「・・・いいんですか?」
「涙は目が腫れる前に落としとかないと。特に“お顔が命”の役者さんだったら、ね?」
「・・・・・・ありがとう、ございます」
天使を通り越して女神様のような温かな笑みでハンカチを差し出す百城さんの言葉に甘えて、わたしは百城さんのハンカチで溢れた涙を優しく拭う。本当は自前でハンカチはちゃんと持ってきていたけれど、そんな余裕なんてなかった。
「・・・泣きたくなるくらい自分の感情を吐き出したくなることなんて、役者をやっていてもやっていなくてもよくあること・・・・・・私だって、お芝居以外で涙を流したことはこれまでに何回もあるし・・・」
「・・・そう、なんですね」
「うん。私だって人間だからね」
わたしのことなんて全く分からないはずなのに、隣に座る百城さんはあたかも全部を知ってるかのような口ぶりで優しく語りかける。
「あゆみちゃんはどうして泣いているの?」
だけど、横で涙を拭ったわたしに向けている視線は穏やかで温かい言葉と表情とは裏腹に、“あの映画”の撮影でカメラの外から夜凪さんの演技を怖いくらいに真剣な表情と眼差しで見ていたときと同じくらい熱くて、“本気”だ。
「大丈夫・・・私は“味方”だから」
涙で少しだけ湿った百城さんのハンカチを力なく握るわたしの左手に、百城さんの白くて細くて綺麗な指先をした掌がそっと触れて、温かくて力強い言葉が心を突き刺す。その瞬間、わたしの心の中でずっと抑え込んでいた“何か”が弾け飛ぶ感覚を覚えた。
「・・・・・・わたし・・・もう役者じゃないんです・・・」
ずっと抑えていた感情を百城さんへ打ち明けるのと同時に、せっかく引っ込み始めていた涙が心の底から溢れ出る言葉と一緒に再び堰を切って溢れ出した。
「・・・あれから色んなことが恐くなっちゃって・・・芝居をやめたんです・・・・・・羅刹女で、舞台が終わってみんなで焼肉を食べてた百城さんと夜凪さん、王賀美さんたちとバッタリ会ったときみたいに・・・ただの“ファン”でいたほうが、ずっと幸せだって思ったから・・・」
「そっか」
「・・・でも・・・・・・愛琉くんとか、世凪くんとか・・・一緒に遊んでた友達がどんどん前に進んで行って、知ってるみんながどんどん遠くに行って・・・・・・そんなこと思ってたら・・・黒山さんの映画を撮ってたときのこととか思い出して・・・・・・わたしだけ置いてけぼりな気がしちゃって、なんだか悔しくなって・・・もうわけわかんなくなって・・・」
「・・・そっかあ・・・・・・あゆみちゃんは芝居をやめちゃったのか・・・」
「・・・うん・・・クラスのみんなから“じょゆうがきたぞー”ってバカにされて・・・・・・夜凪さんとかがやってる演技をやりたいって先生に相談したら、“そんな危険なことはしないで”って否定されて・・・・・・全部嫌になって・・・」
「・・・でも・・・やめたらやめたで悔しくてわけわかんなくなって、つらいんだ?」
「・・・・・・うん」
“・・・こういう荒療治はできればしたくないんだけど・・・・・・でも“明菜さん”が心配してた通り、これはかなり塞ぎ込んじゃってるなぁあゆみちゃん・・・”
「・・・・・・なるほどね」
途切れ途切れになりながら不器用に言葉にならない心の声を紡ぐだけで精一杯なわたしのことを、百城さんは肯定も否定もしないで、ただただ感情がぐちゃぐちゃになったわたしの頭を軽く撫でながら、寄り添うような優しい声色で相づちを打つ。
「じゃあ、もう一回だけ役者になってみない?」
「・・・・・・え?」
そして心の準備が整うことなんて待たずに、百城さんは再び溢れた涙を拭うわたしをじっと見つめて声色はそのまま僅かに語気を強めて言い放った。あまりにも突然すぎた百城さんの言葉。さすがにわたしも全く意味が分からなかった。
「だって悔しいんでしょ?みんなに勝てないまま逃げちゃって、どんどん置いてけぼりにされてく自分が?」
「・・・・・・」
急に“役者になってみない?”って言われてただ困惑するわたしのことなんてお構いなしに、百城さんは考えさせる暇すら与えないでわたしに問う。図星を突かれたわたしは、何も言い返せない。
「本当は泣きたくなるくらい後悔してるのに、こんな“つまんない”ことでずっと悩み続けるのはもったいないよ」
「・・・“つまんない”?」
「うん。“つまんない”よ・・・あゆみちゃんのことをなんにも分かってない人たちの言葉も、いつまでも自分の心に嘘をついて勝手に壁作ってる今のあゆみちゃんも」
芝居の先生たちから自分の演技を否定されて、学校ではクラスのみんなから仲間はずれにされて、何もかもが恐くなって“普通の女の子”に戻った過去を、百城さんは天使のように笑いながら“つまんない”の一言で容赦なく言い切った。悔しいだとか、“わたしの何がわかるんだ”とか、不思議とそういう“怒り”の感情は全く湧いてこなかった。心のどこかで薄々と気付いていたけれど、向き合う勇気が無くて“忘れたフリ”をしていた。
「・・・そうですよね・・・」
百城さんの言う通りだ。気にすることなんてこれっぽっちもない“つまんない”ことでバカみたいに悩んで、辛いことから逃げて嬉しいことだけ考えて・・・ほんと、ぐうの音すら出ない。だけど、だからってどうしたらいいかなんて分からない。
「・・・だけどわたし」
「だけどじゃない」
ぽつりと口から出かけた都合のいい言い訳を遮る強い言葉と一緒に、両方の頬にほんの少しだけ痛みが走る程度の衝撃が走って、視線が無理やり左に座る天使に向けられる。
「悔しかったら“勝つ”までやればいい・・・逃げるのはそれからでも遅くない」
微かに顔にかかる生暖かい呼吸と無理やり向けられた視線の先で、息がかかるくらい顔を近づけて頬を両手で抑える百城さんは“
「さてと、ここから先はあゆみちゃんが決める番だね」
頬を強く抑えていた手と心を刺す瞳がふわりと離れて、燃える炎が一瞬でいつもよく見ている天使の姿に変わる。そんなわたしのことを“ファン”じゃなくて“役者”として見てくれている百城さんの瞳と表情と言葉で、わたしは初めて目を逸らさないで向き合った。
「・・・あゆみちゃんはどうしたい?」
初めて真正面から向き合って、本当の
「わたし・・・・・・女優さんになりたい」
「わたしは・・・・・・
“6歳のわたし”から返ってきた答えは、あの日から全く変わっていなかった。
テレビやネットに限らず、ここ2,3年のあいだで女優のことを女優と呼ばないで“俳優”って呼ぶようなことが多くなった気がする。それはジェンダーフリーの考えや傾向が浸透し始めた昨今の情勢が少なからず関係している・・・ということなのか?
“女優”を“俳優”という呼び名に統一するべきか、それとも“女優”は“女優”のままであるべきか・・・・・・駄目だ、問題が難しすぎておバカな俺には決められない。