あゆみのおしばい 作:ひらがななかい
「わたしのしょうらいのゆめは、“えかきさん”になることです」
羅刹女に出会う瞬間まで、わたしは将来“絵描き”なるものだと子どもながらにずっと思っていた。その理由は絵が好きだからとか憧れてるとかじゃなくて、単純にお母さんとお父さんがどっちも“絵を描く”仕事をしていたから、わたしもそういうふうになっていくんだろうな・・・なんて、疑いもしないでそれが当たり前だと信じていたから。
『ああ、腹が立つ。腹が立つ』
『ああ腹が立つ、腹が立つ』
だけど、生まれて初めてこの目で見た舞台の上で感情と感情がぶつかり合う光景と、その中心にいる“羅刹女”との出会いが、お父さんとお母さんの背中しか見えてなかった世界を一気に変えた。
「会えて光栄だ新宿ガール・・・思ったより軽いな。ちゃんと食ってんのかよ」
舞台が終わって、甲乙で敵味方に分かれて戦ってた人たちが焼肉を囲んで敵味方なんて関係なく本気でふざけ合い盛り上がる光景を見て、何がなんだかよくわかんないけどこんなにキラキラした綺麗な世界があるんだってことを知ったわたしは、“あの
「あの・・・!・・・・・・サイン・・・ください」
その瞬間、わたしの将来の夢は“絵描き”から“
「わたし・・・・・・女優さんになりたい」
「・・・女優さん?どっちに入れるか決めるって言ってたのがどうしてそうなるの?」
「だって・・・わたしも“みんなの仲間”に入りたいって、思ったから」
甲乙を決めてくる代わりに誰から貰ってきたのかも分からない色紙を持ってトイレから戻ってきた娘をキョトンとしたリアクションで見つめるお母さんのことなんてお構いなしに、わたしは自分の思いを両親に打ち明けた。
「・・・言っとくけど女優って本当に大変なお仕事だよ?それでもいいの?」
「いい。わたしは絶対に女優さんになるって決めたから」
6歳だったわたしは・・・同じ舞台のど真ん中で好きな“役者”に囲まれながらお芝居をしている“不確かな未来”だけを見ていた。
カシャッ_
目の前から、いきなりカメラのシャッターを切るような音が聞こえた。
「・・・・・・百城さん?」
心の中にある“いまの自分”の想いを伝えると、百城さんは黒色のポーチから自分のスマホを取り出してわたしのほうに向けてシャッターを切っていた。何となく、百城さんが撮ったのはわたしの表情だっていうのはすぐに分かった。
「どうしてわたしを撮ったんですか?」
「なんだか撮ってみたくなったから」
「・・・どんな写真になりましたか?」
「・・・見たい?」
「・・・百城さんがよかったら」
胸の奥に抱える想いをぶつける普通の女の子を捉えた1枚の写真を少しだけ戸惑いながらせがむわたしを前に、百城さんは小悪魔っぽく揶揄うようなわざとらしい笑みを浮かべながらスマホを差し出す。
「はいこれ。“奇跡の一枚”」
ほんとにもう、どうして“リアル”の百城さんという人は写真で見るより可愛くて、映画で観るより綺麗で、何気ない仕草のひとつを取ってもこんなに魅力的に
「“奇跡の一枚”って・・・」
なんて勝手に見惚れながら、百城さんのスマホの画面に映る“奇跡の一枚”が目に映る。
「・・・私は今までのあゆみちゃんの中で一番綺麗だなって思ったよ・・・この
“奇跡の一枚”だなんて、きっと百城さんはわたしを励ますためにわざと大げさに言って気を使ってくれているだけ・・・そう思っていた。
「・・・なにこれ・・・すごい不細工・・・」
そう思って隣の天使様が撮った写真に写る
「でも・・・・・・こんな
だけど、写真の中にいるわたしは、瞳の奥で炎が渦巻いてるように見えるほどの熱い感情で何かを訴えていて、
「・・・百城さんの言った通り・・・・・・“奇跡の一枚”ですね・・・」
そして、今まで知らなかった自分の表情を見て、心に秘められてるまだ知らない感情に出会えたような気がして、素直に嬉しくなった。
「・・・やっぱり、あゆみちゃんも“自分が一番可愛い”って思ってるじゃん」
百城さんの一言でハッとなる。いつの間にかわたしは、写真の中にいる自分を見ながら微笑んみながら自分の正直な気持ちをそのまま言葉にしていた、
「・・・ごめんなさい。生意気ですよね?」
我ながら、百城さんのような大女優を前にして何を満更でもないみたいな顔して生意気なこと言ってるんだ・・・と思いつつ、本当に満更じゃないから、 “ごめんなさい”と半端に謝ることしかできない。だって、生意気だけど本当に今までの自分の顔のなかで“一番可愛い”って思ってしまったから。
「ううん、あゆみちゃんは生意気なんかじゃないよ。だってもう一度役者になるんでしょ?」
ついさっきまで辛い現実から逃げていたくせに“はじめての表情”を見ただけで心変わりし始めた生意気なわたしを、百城さんは“役者になるんでしょ”の一言で受け入れる。うまくは説明なんてできないけれど、こういう“全部を受け入れる強さ”があるから
それに・・・本当の百城さんは“天使”でもなければ“天才女優”でもなくて、本当は誰よりも芝居に一生懸命な頑張り屋さんで誰よりも負けず嫌いな“役者”なのは、夜凪さんや黒山さんのようにちゃんと向き合った人たちと比べたら負けるけど、“あの映画”の現場にいたわたしだって“それ”ぐらいは知ってる。
「はい」
“役者になるんでしょ”と、もう一度覚悟を聞いた百城さんの瞳から瞬きの一瞬たりとも目を逸らさずに、今度こそわたしは堂々と意思を伝える。
「・・・その一言をずっと待ってた」
わたしの目と心を離さない琥珀色の綺麗な瞳がほんの少しだけ綻んで優しくなって、待っていた答えを心の中で静かに喜ぶように百城さんはそっと呟いて、わたしの両手からそれぞれ自分のスマホとハンカチを優しく手に取る。
「あゆみちゃんってスマホ持ってる?」
「あ、はい持ってます」
「LIMEは?」
「入れてます」
「よし、じゃあ早速交換しよう」
「はい、分かりました」
その流れのままに、わたしはごく“自然”な流れで百城さんとLIMEを交換する。ちなみにわたしのスマホは、小学4年生の2学期にいまの学校に転校したタイミングでお母さんからプレゼントされたもの。
「・・・あの」
「ん?なにあゆみちゃん?」
「これ・・・本当に百城さんのLIMEなんですか?」
「じゃなかったらここにいる私は“幽霊”になっちゃうよ」
「そう・・・ですよね・・・」
もう一回言うけど、わたしはごく“自然”な流れで百城さんとLIMEを交換した。
「あ、あぁ・・・百城さんが、百城さんのLIMEが・・・わたしの、LIMEに・・・」
「手が震えてるけど大丈夫?」
「すみません。百城さんとLIMEを交換したことを冷静になって考えたら・・・鳥肌が限界突破すぎて」
「冷静になるどころか今日イチで取り乱してる気が・・・」
我に返ってそのことを理解した瞬間、緊張のあまり全身の至るところの鳥肌が立って震えてきた。それもそうだ。だってわたしが
「10秒ください。気持ちを落ち着かせるので」
「うん、10秒といわずあゆみちゃんのタイミングでいいよ」
もちろん色んなことが重なって役者をやめて学校も転校した“どん底”だったときも、推しへの“好き”という気持ちだけは途切れなかった。その気持ちにずっと甘えていたなんて言われてしまったらその通りだけど、“好き”の感情がずっとあったからわたしは立ち直れて、スクリーンの向こうの世界も好きなままでいられた。
そして、だいぶ遠回りをしちゃったかもしれないけれど、こうやって自分のことを見つめ直して“やっぱり
心の奥にいる“6歳のわたし”が“女優さんになりたい”って言い続ける限りは、どんなことがあっても芝居を
「・・・落ち着けた?」
目を閉じて頭の中でゆっくりと呼吸を整えながら10秒を数えて、隣から聞こえた百城さんの囁くような声と同時に、ゆっくりと目を開ける。子役の芸能事務所に入っていたときに稽古場で先生から教わった、緊張を和らげるリラックス法。
「・・・はい。どうにか」
何気にやるのは久しぶりだったけど、何とか身体の震えは治まった。芝居をすることを止めても、自分が思ってる以上にちゃんと身体は感覚を覚えているみたいだ。
「LIME送ったよあゆみちゃん」
「あ、はい」
気分が落ち着いたタイミングで、サイレントにしていたわたしのスマホに百城さんから2つのLIMEが届いた。
「さっきの写真と・・・これは?」
「私からのプレゼント」
“ともだち”に登録したばかりの百城さんのトークを開く。その中には百城さんが撮ったわたしの写真と、URLだけが貼られたメッセージが送られていた。
「・・・・・・!?」
百城さんから送られたURLを恐る恐る開いてみると、それは明らかに名前に見覚えのある映画監督が主催するオーディションのホームページだった。
「・・・これって・・・」
「まだ詳しいことは何も言えないけど、役者になりたいなら受けてみれば?」
スマホの画面に表示されたページを凝視するわたしに、百城さんはまた小悪魔みたいにふっと笑いかける。
「受かるかどうかはあゆみちゃん次第だけど・・・“ここ”ならきっとやり直せるよ」
スマホの画面から百城さんの座る左へ視線を移すと、視線の先にいる“
「じゃ、お迎えが来たみたいだから私はこれで帰るね」
そして背を向けたまま、百城さんは見惚れたわたしへ呟くとそのまま2階席の出入り口へと足を進めていく。すぐ隣まで近づいた“天使の背中”が、遠ざかっていく。
“待って・・・!”
「(・・・お母さん・・・?)」
遠ざかる天使の背中に“待って”と立ち上がって手を伸ばすと、百城さんとトイレから戻ってきたお母さんがちょうどすれ違うところだった。目の前の景色が広い青空へと飛び立つ天使から
「あとはあゆみちゃん次第ですが、やれることはやりました」
すれ違いざまにお母さんと百城さんがお互いに会釈を交わして、百城さんはそのまま振り返ることもなくシアターの外へと出て行った。何となくすれ違うときに言葉を交わしたように見えた気がしたけど、一瞬だったし微妙に距離もあったからわたしにはよく分からなかった。
「ごめんあゆみ、トイレが並んでて遅くなった」
「はいこれ、お母さんのスマホ。せめて自分のスマホぐらいは忘れないで持ってってよね?」
「えっ嘘?スマホ忘れてたの私?」
「そうだよ・・・おかげでずっとここで待ってたんだからねわたし」
右の客席に置いてあったスマホとパンフレットをお母さんに手渡す。この人と来たら自分のバッグは忘れないのにスマホを忘れてたことには気づいてもいなかった。こんな感じでお母さんは、たまに結構忘れたら“ヤバい”ものを忘れる抜けたところがある。
「それは本当にありがとうございました」
「さっきからわたしは“おかあさん”か」
“母親の威厳”がまるでゼロになってるお母さんに、わたしは堪らずツッコミを入れる。こういうときは決まって立場が逆転する。本当にこれだと、どっちが“お母さん”なのか分かんなくなってくる。
「さ、遅くなるから帰りますか」
かと思った次の瞬間には、お母さんは完全に気を切り替えている。正直都合がいいなって思うようこともあるけれど、お母さんの気持ちの切り替えの早さは“役者”顔負けだと思うし、そういう
「はぁ・・・誰のせいで遅くなったと思ってんのさ・・・」
それに、そんなお母さんが身近にいたからいまのわたしがいるし、夜凪さんや百城さんたちとも出会えたし、芝居を好きになれた。
“・・・本当になれるのかな・・・わたし・・・”
お母さんの背中を追うように、わたしはシアターの出口に足を進める。同じように出口へ歩いて行った百城さんに手を伸ばしたときに浮かんだ光景が、フラッシュバックする。大空に飛び立つ天使の背中に、必死に手を伸ばそうとしたわたし・・・
「やるんだよ。悔しかったら“勝つ”まで・・・逃げるのはそれからでも遅くない」
百城さんから言われた“覚悟”が頭に浮かんで、わたしはフラッシュバックを払いのける。
“・・・そうだ。わたしはもう・・・スクリーンの向こうに“憧れる”のをやめたんだ・・・”
「・・・さっきから随分と機嫌が良さそうじゃない?」
お客さんが誰もいなくなったシアターを出てエレベーターホールの扉の前でエレベーターが来るのを待つわたしに、隣に立つお母さんが横目で微笑ましく話しかける。
「なんで?」
「なんか、いつもよりあゆみの目がすごく生き生きしてる」
きっと、というか絶対にお母さんはわたしに何があったかなんて知ってるはずがないのに、わたしの機嫌が良いことを言い当ててきた。本当にお母さんって人は、エスパーかって言いたくなるくらいわたしの
でもさすがに、こんなこと言ったらお母さんもビックリするかな?
「・・・ねぇお母さん?」
「?なに、あゆみ?」
扉が開いてエレベーターの中に入って1階のボタンを押して扉が閉まる。エレベーターの中はわたしとお母さんだけ・・・
「わたし・・・・・・もう一度
お母さんとふたりきりになったのを見計らったわたしは、1階へ降下するエレベーターの中でずっと心の奥底にしまい込んでいた本音を打ち明けた。
確かな今日、不確かな未来。
暑すぎて森