理子ちゃん(ストロベリー風味)   作:呪術使えない

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理子ちゃん(死滅回游/百鬼夜行)

 

 

 夏油傑のもとに送られた刺客。超人の術式を持つ髙羽史彦だった。

 夏油傑は、その術式の解析をすでに終えている。超人の術式は、ウケると確信した事象を、現実世界に引き起こすという術式の性能では五条悟にさえ通用するものであった。

 

「残念だけど、君には付き合えない」

 

「……っ」

 

「昔と違って……あんまり、お笑いとかで笑えなくてね。この世界じゃ、私は心の底から笑えないんだ。君がどれだけ面白くてもね」

 

「そんな……っ」

 

「私が笑える世界になるには、いま、この儀式を終わらせる必要があるからね。さぁ、やろうか、理子ちゃん」

 

 術式を解析した夏油傑は、すぐさま己と天内理子に関する過去を開示。その結果、髙羽史彦にウケるという自信を喪失させることに成功していた。

 

 今、全日本人の術師化――百鬼夜行に向けて、天元の結界に手を加える重要な作業をしている最中だった。

 

「元気だすのじゃ。なんというか、えっと……よくわかんなかったけど、勢いは良かったと思うのじゃ」

 

「よくわかんなかった……っ!?」

 

 髙羽史彦は刺客としては厄介な部類に入る。だが、それでも、彼が本命でないことはわかる。彼が本命であれば、ぬるすぎる。

 

「久しぶりだね。恵」

 

 伏黒恵がやってきていた。

 

「夏油さん。俺を助けたこと、後悔してますか?」

 

「いいや、全然? 急になんだい、藪から棒に」

 

 伏黒恵の態度は、柔らかかった。もっと刺々しいものだと思ったが、違うようだ。

 

「正直、俺、非術師の全術師化とかどうでもいいんです。俺は俺の大切な人を守りたい。だから、強くなりたかった」

 

「そんなに、私たちが信用ならなかったかい?」

 

 伏黒恵の不信感が解消されなかった結果が今だった。

 

「そりゃ、そうですよ。国に逆らってて、変な宗教やってて、人工的に呪霊作ってるとか、これでもかってくらいベタベタな悪の組織って感じじゃないですか」

 

「うーん。改めて言われてみると、確かにそうだね。ジャンプとかの悪役にいそうな感じしてる。でも、それだけじゃないんだろう?」

 

 夏油傑は伏黒恵が、悪とか、そういう立場を気にするとは思ってはいない。長い付き合いになるから、そこはわかってはいる。

 

「津美紀に、美々子、菜々子。俺にとって、血は繋がってはないけど、三人は本当の姉だと思ってるんです」

 

「そういうのは、本人たちに言ったらどうだい? 喜ぶと思うけど」

 

「でもあいつらは、あんたらに寄りかかりすぎてる。ときどき、まるで自分たちが、飼われているペットか……オモチャの人形か……そんな雰囲気で喋ることがあったんです」

 

 これ以上ないほどに心酔している。子どもは、いつか親の背丈を追い越していくものだが、はなから敵わないものとして、二人のことを姉たちは見ていた。

 

「…………」

 

「俺はそれが嫌だった。辛かった。だから、倒したかった。俺が敵うと証明して、三人に、自分の足でどこへでも行ける大人になれるんだって、教えてあげたかった」

 

 助けられた恩から、慕っている分にはまだいい。まるで首輪をつけられてしまっているかのような、強さへの畏怖。消してやりたかったのはそれだった。

 

「恵……あぁ、わかった……。そうだったんだね。気持ちに寄り添えなくて、申し訳なく思うよ」

 

 夏油傑は納得をしているようだった。

 気持ちは伝わっている。特級呪詛師とはいえ、血も心も通った人間だ。そう、人間なんだ。

 

「ただ、それは俺のエゴです。あなたを倒したい。今はそれだけでいい」

 

「悟の方は……結構、大変なことになってるみたいだけど」

 

「あそこには、虎杖がいる。俺はあんたを見張るだけでいい」

 

「もう一人の宿儺の器か……。彼は悟に勝てるのかい? 指は……一本分だろう?」

 

「勝ちますよ? でも、それは、宿儺の器だからじゃない」

 

 ――虎杖悠仁だから。

 

 短い間の付き合いだったが、虎杖悠仁には、そう思わせるだけの凄みがあった。

 

「さて、じゃあ、私たちも始めようか」

 

「最初に謝っておきます」

 

 ――領域展開。

 

「……ん?」

 

「俺は囮ですよ」

 

 ――『誅伏賜死』。

 

 夏油傑へと差し向けられた髙羽史彦に次ぐ第二の刺客。

 法の番人――日車寛見による術式。

 

「夏油傑は二〇〇六年、盤星教・時の器の会に所属する信者の大量虐殺を行った疑いがある」

 

 己の罪と向き合う時間が始まる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「邪魔ですよ。退いてください」

 

「残念だけど、君を行かせるわけにはいかないんだ。ごめんね」

 

 乙骨憂太を止めるのは、ただ者ではない雰囲気を纏う、額に傷のある女性だった。

 

「顔に傷ってことは……もしかして、庵歌姫さん?」

 

「え……? あ、違うよ。私は……そうだね……今は虎杖香織ってことにしよう。今、結界の中で戦ってる虎杖悠仁の母親ってことで」

 

 何か含みのある言い回しだった。

 ただ、五条悟の五条家のように、家が代々術師をやっているというのも珍しくはない話だった。高専には詳しくないが、きっとこの人たちもそういう感じなのだろうと乙骨憂太は思う。

 

「そっちに用があるんですけど」

 

「死滅回游。これは私の作った結界でね……いや、元々は天元のものだから、私が作ったというのも語弊があるか。ともかく、今はゲームの最中だから、君に邪魔されたくないんだ」

 

「そのゲーム。僕も参加したいんですけど」

 

 乙骨憂太が進むのは、五条悟の援護をするためだった。

 

「死滅回游……総則。二つの陣営に分かれて戦うっていうルールになってる。結界は東京新宿の一ヶ所。天元の結界を使っているから、もっと広くもできたけど、やっぱり、ルールの強制力を高めるために、狭くした方が良くってね」

 

「…………」

 

 本来、羂索の想定した死滅回游は、複数の結界で……さらに東京の結界一つとっても、新宿や、池袋を覆うほどのものだった。対して、今の結界は渋谷での〝帳〟並の広さになる。

 

「まぁ、それで……ルールはいくつかあるけど、戦闘中のプレイヤーは、同じチームのプレイヤーが非参加状態の場合、そのチームメンバーの呪力量に出力が二分の一で加算されるってルールがあるんだ」

 

「非参加状態……?」

 

「プレイヤーは結界内で、チームに分かれ、どちらかのチームが死んで全滅するまで戦闘を行わなければならない。ただ、戦闘の開始時に、参加非参加を選ぶことができて、非参加の者は結界から弾き出されることになるわけだね」

 

「……え」

 

「最初の戦闘は死滅回游が始まって猶予時間として最長で十二時間後。戦闘を行うインターバルは、一つ前の戦闘が終わってから六時間。当然ながら最低でも一人は戦闘に参加しなくてはならない。そうでない場合、連帯責任としてチーム全員の術式が剥奪されて、死んでおしまいってわけさ」

 

 あと、プレイヤー同士は死滅回游の結界内以外で戦えないってことになってる。と、虎杖香織は言う。

 

「…………」

 

「いや、ごめんごめん。一人で長話を……。開示をしても大して結界の効力は変わらないけど、どうしても語りたくなっちゃってね」

 

「時間稼ぎですか?」

 

「いや、別に? ま、ともかく……君の呪力量は素で五条悟以上。そんな君に参加されると、まぁ、それなりに面倒だ。いくら効率がいい六眼とはいえ、戦いのレベルが拮抗すれば呪力量がものを言うって場面もでてくるだろうしね。だから、邪魔させてもらうってこと」

 

 要するに、よくわからないゲームに参加させたくないから立ちはだかってるってことだった。

 

「わかりました。あなたたちを倒して、僕はその死滅回游に参加すればいいんですね」

 

「さてね。やれるかな。私だけで愛執に狂うこの呪いを……」

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「宿儺……っ!!」

 

 虎杖は叫ぶ。

 無下限呪術の極ノ番、もとい極ノ虚との撃ち合いに押し負け、宿儺の意識が休眠状態となる。

 

「宿儺の肉体の器の……恵じゃないね。えっと、誰だっけ? とにかく、僕は早くこのふざけたゲームを終わらせなくちゃならないんだよね」

 

「この……!」

 

 取り残された虎杖は構える。それに五条悟は無防備に歩み寄る。

 

「もしかして、宿儺の術式刻まれてる感じ? ま、なんとかなるか」

 

 世界を断つ斬撃だろうと、今は対処法がある。宿儺の術式だろうと問題はない。

 

「まだだ……っ!」

 

 ――輪転術式。

 

「は……?」

 

 それは、呪力の性質の変換だった。呪力により、無下限の不可侵が中和される。虎杖悠仁の拳が届く。

 

 ――同時に、黒い花火が散った。

 

 それは呪力と物理的な衝突が、誤差一マイクロ秒の際に起こる空間の歪み。

 

「な……っ!?」

 

 黒閃を受け、虎杖悠仁の右の拳が弾け飛んだ。

 

「マジか……。憂太といい、こうも簡単にやってくれるなんて、ちょっとへこむなぁ」

 

 右の拳は、もはや原型をとどめていなかった。虎杖悠仁は、ここまでの、身体の欠損に至るほどの、初めての痛みに、呻き、うずくまる。

 

「どうして……」

 

「いや、昨日みんなでスマブラやってさ。ジャストガードってわかる? ま、Switchから仕様変わっちゃったけど、要するに、攻撃にピタリと合わせて呪力をぶつけたんだよね。原理的には、攻撃する側だけが黒閃発生させられるってわけじゃないし」

 

 痛い。なぜ、自分がこんな目に遭わなければいけない。どうして、こんなことをしているんだ?

 

 ――お前は強いから人を助けろ。

 

 そうだった。祖父に託されたその言葉に従ってきたんだった。

 

 ――小僧、貴様は弱い。ゆえに自らも、自らの矜持も守れんのだ。

 

 強くなったつもりだった。任務をこなして、交流戦では呪力の核心にも近づき、順調に進んできた。

 この二ヶ月で、新しい技術も手に入れ、磨き、万全を期して挑んだ。それなのに、こうして這いつくばっている。

 

 そうだ。目の前にいるのは、紛れもなく――最強。

 

「〝龍鱗〟……。〝反発〟……。〝番いの流星〟」

 

 虎杖悠仁はつぶやいた。

 

「……?」

 

 しかし、そこに呪力の高まりはない。

 

「起きろよ!! 宿儺……っ!!」

 

「俺は知らんな? 貴様ほど、情けない人間を」

 

 ――『解』。

 

 宿儺が目覚めたことにより、虎杖の唱えた呪詞は術式に上乗せされ、世界を断つ。

 

「それは、もう効かないって」

 

 五条悟は『落花の情』の要領で、不可侵を抜けた術式に対して『翠』を発動させることにより、世界を断つ斬撃を相殺している。

 

「クク……縛りだろう? そのカウンターは術式にのみ発動する」

 

「……っ! さすがにわかるか……」

 

 でなければ、虎杖悠仁の拳が『翠』で消滅しなかった理由がない。おおかた、不可侵を超えた術式のみを対象に取るという条件で、自動防御を行っているといったところか。

 おそらくは、縛りによって術式の使用時にかかる負担を少なくしている。

 

 ――輪転術式。

 

 なら、単純。やるべきは殴り合いだ。

 不可侵を中和する呪力を纏って、五条悟へ殴りかかる。

 

 虎杖悠仁に食らわせた呪物の数々。それらのさまざまな呪力特性に触れることにより、呪力の特性を理解、宿儺は輪転術式の習得に成功していた。

 

 さきと同じように、黒閃での防御を狙う五条。宿儺はその拳を寸前で止める。

 

「……っ!?」

 

「俺でさえ黒閃は狙って出せん。おおかた、『赫』で時間を引き延ばすことによって、その眼で周囲を分析し、条件を割り出し、確実に出しているといったところか」

 

 拳を開き、宿儺は五条悟の襟首を掴む。

 

「おっと……っ」

 

 そのままに背負い投げるが、五条悟は空中で静止して抵抗をする。

 

「『捌』……」

 

 手で触れたことにより、条件が満たされる。強度、さらには呪力からくる耐久力に合わせて、一太刀に刻む。

 

「――『翠』」

 

 術式が弾かれる。

 自動ガードの発動だった。『捌』ですら、その対象になるのはさすがに厄介か。

 

「――!?」

 

 五条悟との距離が開く。五条悟が高速で動いた、というよりは、無理やり空間がこじ開けられたという感覚だった。これは、『蒼』を用いた高速移動。

 

「百パーセント! 『蒼』」

 

「……?」

 

 離れた先で五条悟が『蒼』を放つ。だが、術式輪転により、『蒼』を中和する呪力を纏い、引力を無効化。『蒼』は脇を通り過ぎていく。

 

「〝九綱〟〝偏光〟――」

 

「――……」

 

 呪詞の二節。この呪力の高まりは、『茈』で間違いがない。

 踏み込む。

 

「――〝鴉と声明〟〝表裏の間〟」

 

 直前、強引に接近をし、懐へと潜り込む。

 

 ――虚式『茈』。

 

 肩をかする。

 反転術式で治癒をしながら、『茈』を撃った隙を晒す五条の腹へと、手を触れる。

 

 初撃の『解』。あれは『翠』で防御をしたはずだが、五条悟は攻撃を受け腕を切断されていた。『翠』は術式対象の選択、制御の処理にリソースを大きく取られるように見える。つまり、処理を上回る速度で攻撃を重ねさえすればいい。

 

 ゆえに、放つ。

 渾身の――、

 

「〝六道〟  

   ( )〝偏光〟――」

 

「――!?」

 

 時間の凝縮された呪詞の詠唱。

 

 ――虚式『黃』。

 

 さらには、触れた腕を中心とした空間の膨張。とっさに離れる。

 前の『茈』を撃った時点で発動の準備を終えていたのか。

 

「――〝蓮と内明〟

       ( )〝彼此の渚〟――」

 

 後追いの詠唱にて、呪詞が完成する。

 それにより、想定した範囲以上に、空間が弾ける。右肩、さらには右の肺まで、攻撃の範囲に飲まれて、吹き飛ぶ。

 

「ハ……ッ」

 

「   〝偏光〟

 ( )〝三界〟   ――」

 

 さらに、来る。

 反転では間に合わない。とっさに受肉を進め、右の副腕を生やす。掌印を結ぶ。

 

 ――領域展開『伏魔御廚子』。

 

 それは閉じる結界だった。

 領域の要件に、五条悟を含まない条件を設定。緊急の離脱手段としては、贅沢すぎるものであるが、ここまでしなければという危機感が宿儺をそうさせている。

 

 すぐさま宿儺は、伏魔御廚子の外殻を自ら破壊する。領域の要件を結界で閉じないものへと移行させることにより、この領域を無駄にしない。

 

 五条悟といえど、一度外郭を設定した領域の外郭が破壊された場合、そこから閉じない領域への立て直しは不可能だった。

 まさに、史上最強の術師、宿儺にのみ許された神技。

 

「――〝星と因明〟〝天地の境〟――」

 

 結界が開き、そこには徐に呪詞を口ずさむ五条悟の姿がある。

 

 ――虚式『碧』!!

 

「おお……っ?」

 

 領域が、引き摺り込まれる。

 虚式の『碧』は空間の爆縮。その空間には、当然、領域も含まれる。

 

 術式の効果が、こちらへと及ぶ前に領域から完全に離脱。『碧』に飲み込まれた領域は、完全に消滅した。

 術式が焼き切れる。

 

「術式反転『赫』!!」

 

 虚式ではなく、術式反転。器を慮ったように思える。

 領域展延を体に纏い、術式の威力を軽減させる。

 

「キヒッ!!」

 

 ――術式輪転。

 

 雷撃を放つ。その雷撃は、五条悟の不可侵に阻まれることなく、届く。

 

「無下限を中和する呪力を載せた上での、術式輪転のアウトプットか……」

 

 構える。

 この構えは、呪物として食らった九相図(兄)が得意としたものだった。

 

「『穿血』!!」

 

 呪力の性質を水に変えた再現。

 なかなか悪くはない。

 

「これじゃ、焼き切れてても術式あるのと変わんないね」

 

 五条悟は『穿血』を腕で防ぐ。不可侵を中和する呪力を混ぜて擊ちだしたからこそ、攻撃はとどいている。術式ではないため、『翠』での相殺もされていない。ただ、黒閃で衝撃はいなされている。

 

「〝龍鱗〟〝反発〟〝番いの流星〟」

 

 ――『解』!!

 

「……なるほど、もうか……」

 

 術式の焼き切れは修復した。脳を壊し、作り直す術式を修復するすべは知っている。

 

「いつ、その鱗が剥げるか、見ものだろう?」

 

「なら、やってみろよ!!」

 

 やるべきは、複数種の攻撃を与えて、五条悟の処理速度を上回ることだ。

 

 不可侵の『蒼』、黒閃の『赫』、術式相殺の『翠』。こうも術式を使い続けて、脳が無事なわけがない。反転を回し続けて修復しているのだろう。

 それが追いつかなくなるレベルで、攻撃を続ければいい。

 

 そのためには、『伏魔御廚子』を当てたいところだが、あちらには空間ごと領域を破壊する手段がある。あちらが領域を展開しないのも、『碧』で自らの領域を破壊して術式が焼き切れるリスクがあるから。

 焼き切れた状態同士ならば、輪転をアウトプットできるこちらが有利か。なんと、歯がゆい。

 

 思考を切り替え、輪転で過冷却に性質を変化させた呪力を打ち出す。

 

「『霜凪』」

 

 裏梅の術式の再現。

 術式がなくとも、他者の術式をこうも再現できる……輪転術式とは、よくこんなものを作り出してみせたものか。天晴れと、そう宿儺は感心する。

 

「術式輪転『翠』!!」

 

 過冷却の呪力に対し、球状の『翠』を放ち、相殺をする。『翠』は空間に停留し、罠となる。ジワリと近づいてきている。忘れた頃に当たりそうな嫌な速度だ。

 まぁ、問題はない。

 

「フ……『解』!」

 

「く……っ!?」

 

 そして、この『解』は当たる。

 先ほどの『霜凪』に混ぜた不可侵を中和する呪力が、まだ空間に停留していた。過冷却の呪力よりも広範囲に飛ばした結果、『翠』では相殺され切らなかった。

 

 この好機は一秒もないだろう。

 だが、この間に渾身の『解』を連打する。

 

「ヒヒッ!!」

 

 無下限の『翠』での術式相殺が間に合わず、『解』が食い込む。そこに並行して『穿血』を打ち込むことで、五条悟の処理の限界を引き出す。

 

 五条悟は、度重なる攻撃に、脳の処理の限界のためか鼻血を垂らす。これならば……。

 

 ――虚式『黃』。

 

 大雑把な攻撃だった。近くに置かれ、未だ残存する鬱陶しい『翠』はあれど、かわすことも簡単だろう。追い詰められたゆえに、精細さを欠いただけか。

 

 なにかを忘れている――。

 

「まさか!?」

 

 背後を振り返る。そこには、『蒼』を中心に回転をする『茈』がある。地球を回る月のようなものだ。けれど、時間経過による『蒼』の減衰により、『茈』がその束縛から解き放たれる。

 

「〝()(こう)〟〝偏光(へんこう)〟〝(からす)声明(しょうみょう)〟〝(ひょう)()(はざま)〟」

 

 初手、『茈』を放つ前に、『蒼』を撃っていた。あの時は意図がわからなかったが、全ては、この挟み撃ちのためだというのか。

 本来ならこれほどの引力、気がついていなければおかしい。輪転での術式の中和を逆手に取られたか。

 

 だとしても、もう気がついた。不意をうたれれば当たっていたやもしれぬが、この機ならばかわすにはじゅうぶん。

 余裕を持ち、その挟み撃ちを上へとかわす。かわしきれる。

 

「〝六道(りくどう)〟〝偏光(へんこう)〟〝(はす)(ない)(みょう)〟〝彼此(ひし)(みぎわ)〟」

 

 後追いの呪詞。二つの虚式がぶつかる。正面からの『黃』の空間の膨張により、『茈』は弾き返されていく。

 

 すでに避けた。避けたはずだ。なぜ、今になって『黃』の呪詞を……。

 なおも『茈』を巻き込みながら膨張を続ける『黃』。たどり着く先には、『茈』を束縛していた『蒼』がある。

 いや、空間の膨張に巻き込まれているのは『茈』だけではない。あれは、『翠』。霜凪を消した『翠』がまだ残存していた。……さらには『蒼』の引力に引かれていく。

 

 衝突する『蒼』と『翠』。始まるのは、『碧』による無制限の空間の爆縮。

 

「〝三界(さんがい)〟〝偏光(へんこう)〟〝(ほし)(いん)(みょう)〟〝(てん)()(さかい)〟」

 

 ――五条悟の極ノ虚は二種類ある。

 通常の『蒼』、『赫』、『翠』を衝突させた『無』。

 虚式である『茈』、『黃』、『碧』それぞれを収束させた――、

 

「〝()(へん)〟〝回折(かいせつ)〟〝()(おん)(れい)(きゅう)〟〝色相(しきそう)()(かい)〟」

 

 ――『無量空処』と同じ、帝釈天の掌印が結ばれる。

 

「極ノ虚『 』――『空』( シューニャ )

 

 死滅回游――開始から、七十五分五十三秒。そのゲームは崩壊した。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――うますぎるだろ……。

 

 日下部篤也は内心、呟く。日下部篤也の目の前にいるのは、女子高生二人だった。

 

「どいて、……邪魔しないで……」

 

「私たちだって、津美紀のため、五条様の役に……!」

 

 死滅回游にプレイヤーとして登録した後、さっさと誰よりも早く非参加を選び、日下部篤也は羂索に命じられた通り、結界に近づく五条悟側の術師を、結界に近づけさせないための見張りをしていた。

 

「あー、ほら……話くらいは聞いてやるから。ながーい奴な」

 

 日下部篤也の実力は本物の一級術師。目の前にいる女子高生は、二人合わせても二級に届かないくらいの実力しかない。

 五条悟は結界の中で戦っている。夏油傑は日本人全員を術師にする儀式のために動けずにいる。当然ながら、こんなところにはやってこない。

 

 自分はこの目の前の女子高生二人を相手に、のらりくらりと戦っていればいいだけだ。そうすれば、いざという時の言い訳はできる。日下部篤也の算段はこうだった。

 

 襲ってくる高校生二人を相手に、簡易領域を展開。

 襲ってくるんだから、仕方ない。仕方なーく、撫で斬りにする。

 

「くそ……!!」

 

「菜々子……落ち着く」

 

「わかってる」

 

 術式が危なそうだったから、術式の媒介となるようなスマホや人形は、もうすでに奪ってある。

 この女子高生二人に、逆転の目はおそらくない。

 

 二人は、術式はなく、体術だけで日下部篤哉と戦闘をしていた。日下部篤也は刀でそれに応戦する。

 そう、日下部篤也は手加減に手加減を重ねて、相手をしていた。

 

 見ようによっては、痛ぶっているように見えてしまったかもしれない。

 

 ふと、呪力を感じる。こんなぬるい戦場では、ありえないほどの、呪力の高まりに、日下部篤也の背中には、怖気が走る。そちらを向く。

 

「美々子さん、菜々子さんをこんなに傷付けて……。ぐちゃぐちゃにしてやる」

 

「憂太!!」

 

 特級術師、乙骨憂太の怒りが、日下部篤也に向いてしまう。

 

「あ、日下部篤也か。ごめんちょっと、突破されちゃってね。手伝ってよ」

 

「マジかよ」

 

 楽な仕事のはずだった。特級術師の相手なんて割に合わない。

 

 そのときだった。

 世界が白い光で満たされる。方角は、死滅回游、結界。それが光を放ちながら膨張している。

 

「いやぁ、想像以上だ。ルールの拘束力を高めるために、結界を狭くしたけど、それが仇になったか……」

 

「これって。やばいだろ! 逃げるぞ!!」

 

 明らかにまずい結界の膨らみ方だった。限界まで膨らんだ風船のようなものだろう。

 これからどうなるかなんて目に見えている。

 

「菜々子さん! 美々子さん!」

 

「憂太!」

 

「ありがと!」

 

 あっちはなにかの術式で、避難を完了させている。

 

「クソッタレ!」

 

「お! シン・陰の簡易領域か。なかなかの練度を感じさせるね。じゃあ、私も」

 

 目の前では、羂索の卓越した結界術が披露される。

 嘘だろ。あっちに入れてもらったらよかったかもしれない。と、日下部篤也は内心後悔していた。

 

 次の瞬間には、衝撃が届く。世界が白で埋め尽くされる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――小僧。せいぜい噛み締めろ。

 

「う……くぅ……」

 

 五条の攻撃を受け、一度、宿儺は休眠を挟んだがその時よりも宿儺を感じない。

 宿儺が、深いダメージを負ったことがわかる。

 

 両手で体を支えながら、あたりを見渡す。

 何もなかった。新宿……ビルの立ち並ぶその街は、見る影もなかった。

 

 一面が更地だ。

 しかし、死滅回游の結界内は無人。もし人がいる中で、こんな破壊規模の攻撃が行われてしまったらと考えてしまい、そうではないと、ホッと……、

 

「は……?」

 

 死滅回游の結界がない。

 さっきまで、確かにこの場所は黒い結界に囲まれていたはずだ。それなのに、その結界がなくなってしまっている。

 

 死滅回游が、終わった……?

 

「あぁ……あぁ」

 

 違う。壊されたんだ。

 さっきの攻撃で、結界が吹き飛んでしまった。だから、結界はもうない。単純なことだった。

 

 もう一度、あたりを見渡す。

 わかってしまう。

 

 結界の外郭を超えて、新宿は更地に変わっていた。何キロ……結界を超えているのだろうか。結界の周りには、一般人がいた。念の為、高専のみんなが避難誘導をしていた。

 

「釘崎……ぃ。順平……っ。狗巻先輩……。パンダ先輩……。灰原先生……。ナナミン……」

 

 死んだ……みんな死んでしまったかもしれない。

 

「あぁ……」

 

「あーあ。結界ごとやるつもりではあったんだけどな。ちょっと行き過ぎたかなぁ」

 

「……!?」

 

 立ち上がる影。

 五条悟だった。この惨劇を引き起こした元凶だった。

 

「ま、これで傑も天元の結界を使えるだろうし、天内も自由になれる。津美紀が変なゲームに参加する必要もない。一件落着か」

 

 ノー天気な声が聞こえる。

 これだけ殺しておいて、一件落着? そんなはずがないだろう。

 

「なんなんだよ……」

 

「は……?」

 

「お前は……なんなんだよ……っ」

 

「あ……? 聞こえねぇ。じゃ、用も済んだし、僕、帰るから」

 

 五条悟は、歩いていく。

 行ってしまう。

 

 動け。責任を取らせろ。

 渋谷の、そしてここ新宿での大量虐殺。この男を野放しにしてはいけない。

 

「動け……俺、動けよ……っ!!」

 

 自身を叱咤する。

 しかし、頭をよぎるのは、結界の外にいるみんなのことだった。きっと、みんないなくなった。それなのに、今、頑張ってなんになるんだ。

 

 ――お前は強いから人を助けろ。

 

 誰も、助けられなかった。

 誰も……誰もだ……。涙が溢れる。俺は、弱い……。

 

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」

 

「……!?」

 

 声がする。この声は、確か……、

 

「――ただし、俺たちを除いてな。超親友」

 

 その声に、五条は問う。

 

「お前、誰だよ?」

 

 呪術高専京都校三年。

 一級術師、東堂葵。

 

「超親友。いつまで蹲っている。狗巻の呪言のおかげで、京都、東京校の生徒に、命に別状はない」

 

「それじゃ……釘崎たちは……」

 

「あぁ、生きている。ただ、逃げ遅れた窓や呪術師もいる。失われた命もある」

 

「……っ!?」

 

「だが、虎杖。俺たちは呪術師だ。俺たちが死なない限り、呪術師は負けない。俺たちは、死した先達の意思を脈々と受け継いでいくんだ」

 

「……っ……」

 

 そうだ。立ち上がらないと。

 そうじゃなきゃ、死んでいった人たちが報われない。

 

「ところで、五条悟。九十九由基は覚えているか? 貴様が殺した」

 

「だれ? それ? 名前覚えるの苦手なんだよね。なにか特徴ない?」

 

「特級術師だ。俺の師匠でな。ケツとタッパがデカい女だ」

 

「特級……。あぁ、俺が殺したっていうか、勝手に自爆したんだよね。アイツ」

 

「そうか、なら俺はやらなければな。師の敵討ちだ」

 

 勝手に自爆したって言ったじゃん、と、五条悟は呟いた。

 

「……っ」

 

 息を飲む。さっきの言葉の重さを知る。東堂の覚悟を知る。

 立たなければ。東堂のためにも、死んでいったみんなのためにも、俺は立つんだ。

 

「東堂。俺も呪術師だ!!」

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「しくったかもな……」

 

 死滅回游……ふざけたゲームを破壊するために使用した極ノ虚。初めてやってみた自爆だった。

 破壊規模は、想像を超えるもので、おそらく、単純なエネルギーなら虚式の百倍は超えていた。

 

 そして、想像よりも自身へのダメージが大きい。

 ふざけたゲームを終わらせる最短を選んだことに、間違いはなかった。だが、術式が機能を停止しているのは想定外だった。

 

 この極ノ虚は無量空処に近い。巻き込んだ相手に無限の情報の交換を強いるものだった。情報の交換の果てにある、平均化、つまりは終局状態が引き出され、形ある物は塵芥となり、生きている者は死に絶える、とは天内の弁だった。

 

 無量空処に近い……からこそ、脳へのダメージがまず酷い。自身の術式で、体が術式に慣れているからこそ、この程度で済んでいるのだろう。それでも、いま、術式は一切使えない状態にあった、

 

 そして、耐える際に反転を全力で回したせいか、反転の精度が格段に落ちていた。未だ戻らない術式を、修復する目処が立たない。

 

 目の前にいる宿儺の器が無事なのは、きっと宿儺が受肉関係で裏技を使ったのだろうと想像がつく。

 まぁ、宿儺だ。なにか手があったとしてもおかしくない。

 

 ――ま、術式も反転もなくたって余裕でしょ。

 

 増援が一人しかいないのは、傑や憂太の方に足止めに行っているからだろう。傑が負けるってことはないだろうし、こいつら倒せば、俺んとこは終わりだろう。

 

「いくぞ! ブラザー!」

 

「おう!」

 

 二人は、殴りかかってくる。

 二人とも、思いの外、身体能力は高い。たぶん、七海よりもいい動きだ。

 

 宿儺の器の拳をしゃがみ込んでかわす。同時に、ちょんまげの拳をスウェーで避ける。

 宿儺の器の顔面に蹴り、ちょんまげの腹にボディーブローを決めていく。

 これなら手早く済みそうだ。

 

 ――一拍の拍手の音が響く。

 

「……あ?」

 

 何が起こった。さっきとは、景色が違う。

 宿儺の器の拳が目の前だ。反射的にかわして、カウンターを叩き込む。

 

 位置を確かめる。さっきまで、宿儺の器のいた位置に、移動していると六眼が告げる。おそらくは、術式の正体は位置交換。

 

 ――また、拍手の音が鳴った。

 

 今度は、こちらから殴りかかるその瞬間にだった。

 拳が空を切る。その隙に、宿儺の器の拳が背後から来るのを感じる。体を斜めに、手を回して受け止める。ちょっとだけ体勢がキツい。そのままに振り返り、投げに入る。

 

 ――拍手の音が鳴る。

 

 体勢はそのまま、位置が変わっている。投げが中断されたということになるのか。

 

 そのまま、殴り合いの最中に、こちらが仕留め切れるというタイミングでの、位置の交換が続く。

 パチパチ、パチパチと、まるでおちょくられているような気分になる。

 

 この術式、厄介かもしれない。

 まず、この術式は術式対象の重心を基点に入れ替える。それが基本だ。

 

 入れ替えた先で地面に埋まってるとか、そういうことがないから、個体を分断するような入れ替えは不可能。ただ、入れ替えた二つの体積が被っていれば、重心同士にこだわらず、わずかだが入れ替え先をずらすことができる……か。

 宿儺の器と、入れ替え術師は体格差で重心が上下に違うが、入れ替えた後に宿儺の器が宙に浮いていないのはそのため。

 

 入れ替えの可能な対象は、呪力を帯びた物質だろう。呪力さえこもっていれば、無機物は問わない。

 

 さらに、入れ替えは二種類。まず、慣性ごと入れ替える入れ替え。そして、慣性を入れ替え先に依存させる入れ替えの二つだ。

 たとえば、術者が止まっていて、飛んでいる石と入れ替わるとしよう。そうすると……入れ替え後も術者が止まり、石も飛んだままの入れ替え……術者が石と同じ速度で飛び出し、石は最初の術者と同じように静止する入れ替え……それら二つが任意で選べる。

 

 とにかく、こうなると択が多い。

 そして、この性能なら、ハメ技もいくつか考えつく。六眼で集中すれば、何と何とが入れ替わるかは看破できるが、当然ながら気が付いていても対応できない入れ替えを狙ってきている。

 

 そして、術者ではない宿儺の器の方。この位置の交換に、まるで動じていない。完璧に対応している。さらに、ちょくちょくこっちの攻撃の直撃を受けているが、反転で治している。耐久力が並の術士じゃない。

 

 気合いを少し入れ直そうか。

 

「なぁ、五条悟よ?」

 

「なんだよ」

 

「お前たちは呪霊のいない世界を謳っているが、非術師の術師化以外にも方法があることは知っているだろう?」

 

「そういや、あの女の弟子だっけ?」

 

 なんか、別の方法を言ってたっけか。もう、忘れたけど。

 

「呪力からの脱却……それこそが理想だろう?」

 

「は……っ、嫌だね。回りくどい」

 

「そうだろうな。呪力からの完全脱却……もちろん術師も呪霊もなくなってしまう。自らの強大な力を失うのが怖いか?」

 

「…………」

 

 まぁ、無下限がなくなるのも、考えれば色々しんどくて面倒だ。雨の日とか、濡れるだろうし。

 

「それとも、失いたくない呪霊でもいるのか?」

 

「……っ!?」

 

「愛する女のために、世界を敵に回す。熱い男だな、五条悟よ」

 

「今はこっちが政権取ってんだよ。世界の敵はそっちだぞ?」

 

 軽口だった。最強は俺たちだから、世界とか、どうでもいい話ではある。

 

 やはり、入れ替えは厄介だった。

 対応こそ、できているものの、疲労感が蓄積されてしまっている。一手でもミスれば終わってしまうような、そんなヒリヒリとした感覚が連続して、神経をすり減らす。

 

「っ……」

 

 入れ替え。入れ替え先で、わずかに宙に浮いた状態。地面の距離が感覚と違い、踏み外す。

 同時に、入れ替え術師の拳を、腹にまともに受けそうになる。ま、今からでも回避は間に合う。

 

 いや――、

 

 ――術式が戻る。

 

 入れ替え術師の攻撃が寸前で止まる。

 

 術式が使えるが、まだ反転は使えない。さらには出力にキャップがついたような状態で、『蒼』もできない。反転が使えないからこそ、不可侵も学生時代の頃のように、任意でしか発動できない。

 ついでに言えば、反転に引きずられるかたちで、輪転も使えなかった。

 

「ブラザー!!」

 

「おう!!」

 

 不可侵が戻ったと見るや否や、すぐさま対応をしてくる。

 宿儺の器は輪転を使う。輪転で中和をしている最中なら、入れ替え術師の攻撃も当たる。

 

「は、いいねぇ」

 

 攻撃は同時。対応こそしてきたものの、これで格段に読みやすくなる。

 宿儺の器の方の攻撃に注視していれば、入れ替え術師の方の攻撃も予測できる。

 

 こうなれば、簡単だった。

 今まででも、ギリ、攻めきれないくらいだった。それが、こうして攻撃の予測がつくようになる。

 

「東堂……!!」

 

「く……っ!」

 

 まずは、こっちから潰す。宿儺の器の拳をかわしながら、不可侵を保ったまま押し込み、拍手をさせない。そのままに、地面に倒し、踏みつけ、潰す。まぁ、ギリギリ生きてるでしょ。

 

「くそ!!」

 

「はいはい」

 

 ヤケになった宿儺の器の攻撃だった。

 拳を避け、そのまま腕を掴み、捻って折る。

 

「ぐあ!!」

 

 そのままに放り投げ、終わりだろう。反転は使えるみたいだが、精度が悪い。今ひとつだ。このダメージでなにかできるとも思えない。

 

 戦いも終わりだ。俺の反転はまだ、戻らないし、不可侵は切っとくか。反転を使える前と同じように、不可侵を続けていると、疲労が溜まっていく。久しぶりの感覚だった。

 

 不可侵を切ろうとして、なんとなしに、学生時代、天内を守っていた頃を思い出した。あのときは、不可侵を切ったタイミングを狙われていたんだったか。懐かしい。

 

 思い出に浸って、意味があるわけではないが、あのときのように、もう一度不可侵を展開し直す。

 

「……あ」

 

 ガツンと、背後に術式の手応えがある。

 

「よう、油断しろよ。最後くらい」

 

「あいにく、こういうの二回目なんでね」

 

 ――天与呪縛、フィジカルギフテッド。

 それも、呪力のない完全なやつだ。

 

「最悪だな」

 

 そんな言葉を漏らしたのは、どちらだったか。

 

 あの最悪な敗北が脳裏に巡る。コンディションで言えばあの頃より悪い。相手には天逆鉾がないから五分五分か。いや、不可侵の対策なしだとも思えない。

 

 あいつ殺してから十年くらいか。はっ、嫌になるね。

 

 

 

 ***

 

 

「君にはやってもらいたいことがあるんだ」

 

 それは虎杖悠仁の母親――羂索からの提案だった。

 

「な、なによ……私に……」

 

 布団を被ったまま、真依は答える。ここは東京高専で借りている部屋だ。あの渋谷での一件から、行動指針を共有して、京都校の生徒も、東京の寮で過ごしていた。

 

「五条悟を殺すためには必要なことさ」

 

「五条悟を殺す? む、む、無理だわっ! みんな、みんな殺されるの! あいつに!! 五条悟に……っ!!」

 

 真依は、五条悟をその目で見てから、恐怖し、部屋へと篭りきりだった。

 

「君たちは双子だ。それも、一卵性双生児のね。呪術的に同一人物と認められる。禪院真希……彼女はフィジカルギフテッドだけど、君に術式や呪力があるせいで、彼女は本来の完全なフィジカルギフテッドの力を発揮できていない」

 

「知ってる。なんとなく、そんな気はしてたわ」

 

 知識として、誰かに教えられたわけではない。ただ、自分のことだ。そう直感くらいはしていた。

 

「かつて、伏黒甚爾という男がいてね。あぁ、伏黒恵くんのお父さんだよ。彼は、完全なフィジカルギフテッドだった。彼は、五条悟に一度勝利している」

 

「……っ!? それって……!」

 

「まぁ、いくらかお膳立ては必要だろうけど、彼女は五条悟に勝てる可能性を秘めていると言ってもいい」

 

「……私が死ねばいいの?」

 

 唾を飲み込んで、禪院真依は言った。禪院真希が完全なフィジカルギフテッドに覚醒するには、そうするしかない。

 

「まぁ、ちょっとついてきてよ」

 

 そう言って、外に誘う羂索に、禪院真依は躊躇する。格好が格好だった。

 

「…………」

 

「こないのかい?」

 

「いく……」

 

 ただ、羂索も待ってくれそうにない。意を決して、今のまま外へと出ることにする。

 

 羂索と共に向かった先。そこは蔵のような建物だった。

 

「ちょうど、烏鷺亨子っていう術師がいてね。彼女の術式は空間を歪めるものなんだ」

 

「それが、なによ」

 

「宿儺は術式の拡張で、空間さえ切断してみせた」

 

「だから、それがなんなのよ!」

 

 回りくどい。結論から述べろと教わらなかったのかと、禪院真依は内心で毒づく。

 

「ま、そうだね。この先、結界術を応用して、内界が世界から隔離されている。君がここにこもっていれば、禪院真希は完全なフィジカルギフテッドになれるってことさ」

 

 作るの大変だったんだよ、これ。途中で協力してもらってた烏鷺亨子は呪物に戻されて悠仁に喰われるし……と、羂索は誰に言うでもなく呟いていた。

 

「私が、ここにいれば……」

 

「それと、君の構築術式で、作ってもらいたいものがあるんだけど」

 

 紙を手渡される。設計図のようなものだった。

 

「……っ! 無理よ! こんなの作れない!!」

 

 そこに書いてあるのは呪具だった。命を代償にした縛りならともかく、こんなもの、自身のゴミみたいな出力の構築術式では作れるはずがないと、禪院真依は思う。

 

「あぁ、どっちか一つでいいんだ。この中に入れば、双子の繋がりは絶たれて、多少は君の術式の出力も上がるだろうし」

 

「でも……こんな呪具なんて」

 

「ま、その呪具を、禪院真希が五条悟との戦いで使うんだけど」

 

「……っ!?」

 

 禪院真希は呪具の扱いに長けている。それは呪力の扱えない身体で、呪霊を殺し続けていたからだった。

 

「私も手伝うさ。期待してるよ」

 

 そう言いながら、羂索はこの場所に禪院真依を取り残して去っていく。無責任だと、禪院真依は思ってしまう。

 

 結界の中に入る。そこには、一通りの生活に必要なものは揃っていた。

 外界と隔離されていると言っていたが、どこから水や電気を引っ張って、トイレなどで出て行く下水はどうなってるのだろうか。なにか嫌な予感がする。嫌なことは考えないようにする。

 

 全部忘れて、作業に取り掛かる。

 

 外界から隔離されているからか、日も上らない。何日経ったかわからない。疲れたら寝て、起きていたら呪具を作る。

 

 ときおり、羂索がやってきて、食糧を持ってきたり、呪具の製作にアドバイスをくれたりと、外界との接触は、その程度だった。

 

 眠い。それでも、夢現の中、作業へと没頭する。睡眠の時間はできるだけ少なく。この呪具は真希が使う。

 半端なものなら、きっと、五条悟に――、

 

「ひ……っ。はぁ……はぁ……」

 

 五条悟の、虚式の実験台にされそうになった恐怖が、今でも蘇る。怖い。あんなものに、勝てるわけがない。

 

 そうだった。禪院家の女としての運命も、抗えるわけがないとそう思っていた。でも、双子の姉は……、

 

「なんで私が……こんなに頑張らなくちゃならないのよ……っ!!」

 

 涙を流しながらも、手を止めない。

 自分が頑張らなくても、姉は頑張ってしまうんだ。ここで手を止めても、呪具がないなんて理由で、姉が足を止めてくれることなんて、絶対にない。

 

 一緒に落ちこぼれてくれなかった姉だ。そんな姉のことを想って泣き続ける。泣き続けて、泣き続けて、何時間も、何十時間も……手元で呪いを込め続ける。姉がちゃんと使えるように手を加える。

 

 疲れた。眠い。もうやめたい。それでも、頑張るのをやめる理由には、きっとならない。最後まで……。

 

「真依!!」

 

 ふと、扉が開く。呪力の出力が大幅に落ちるのを感じる。

 

「でき……た……わよ……」

 

「真依……お前、大丈夫かよ!?」

 

 酷い姿をしていたと思う。それでも、関係がなかった。

 

「……お姉ちゃん」

 

「……っ!?」

 

 久しぶりに、そう呼んだ気がした。真希が、狼狽えているのがわかる。

 

「私は、お姉ちゃんさえいれば……どんなに苦しくても、苦しくなかった……! 辛くても、辛くなかった……っ。だから……っ」

 

「…………」

 

「だからっ……、だから――ぁ」

 

 次の言葉を告げられずにいた。

 そうしているうちに、姉は、優しく抱きしめてくれていた。

 

「あぁ、わかってる。わかってるよ。でも、ごめんな。あのままじゃ、私は私じゃいられなかった」

 

「知ってる。だから、お姉ちゃんは嫌い」

 

 拗ねた子どものように、そう言う。後ろにいる妹のことなんて、見てくれない。ただ、前だけを見て進んで、置いて行ってしまう。それが嫌いだった。

 

「ごめんな……それが真依のためでもあるって、私は……」

 

 だから、一緒に歩くためには、走って追いかけるしかないじゃないか。頑張るのは、嫌だったのに。

 

「あげる。私、疲れたから、もう寝る……」

 

 そう言って、ベッドに横になる。気に障るから寝たフリをする。気力がないから、毛布はかけなかった。

 

「真依……。あぁ、ありがとう……」

 

 動く音がした。毛布が、肩までかけられる。

 しばらくして、呪力の出力が増大する感覚があった。

 

「勝たないと、許さないわよ……っ」

 

 一人になったその世界で、その祈りは、その呪いは、きっと届いていた。

 

 ***

 

 

「ふ……!!」

 

 奇襲は、呪具ではないただの刀によって行われていた。五条悟には六眼がある。呪具で奇襲を行えば、呪具の呪力を気取り、奇襲が失敗する可能性があった。

 

 奇襲からやや遅れて、急速に接近する呪力を五条悟は確認する。新手……いや、その正体は呪具だった。

 

「は、真依のやつ……片方だけでも上出来だろうに」

 

 ――飛天。

 

 ――神武解。

 

 かつて、宿儺の用いた二つの呪具は、羂索と禪院真依の手により模造され、天与の暴君の手の中に収まる。

 

「へぇ……結局、呪具頼りかよ」

 

「虎杖!!」

 

 さらに禪院真希は、懐から取り出した筒状のなにかを、虎杖悠仁へと投げつける。

 

「させるかよ……なにかわかんねぇけど」

 

 呪力を飛ばして妨害をする。破壊を試みる。これ以上、面倒を増やす理由もない。

 

「ふ……っ!」

 

 ――拍手の音が鳴る。

 

 入れ替えの術式だった。すぐさま、五条悟は東堂葵を蹴り飛ばしてトドメを刺す。だが、その筒状の物体が、虎杖悠仁の手に渡る。

 

「ありがとう、真希先輩。東堂!」

 

 その筒から溢れ出るのは呪力……いや、反転のエネルギーだった。虎杖悠仁の傷がみる間に回復していく。

 

「E缶かよ。便利なもん持ってんじゃねぇか」

 

 再び、虎杖悠仁は立ち上がる。

 

「真希さん。東堂の分は」

 

「一個こっきりだ。奪われて逆に使われてもまずいだろ」

 

「だったら、今のは東堂に使った方が……」

 

「五条の無敵バリア突破できんのお前だけだろ? 早く終わらせて、家入さんとこ連れてくぞ」

 

「そうか、分かった」

 

 体の傷は修復されたが、虎杖悠仁の呪力が回復したわけではない。いま、注意するべきは、フィジカルギフテッドの女の方。

 

 同時に動き出す。まずは、禪院真希の飛天の投擲からだった。

 

 ――飛天。

 

 かつて宿儺の用いた呪具の一つ。風を操るその性質から、自ら加速し、対象を貫く必中の刃となる。

 

「は……っ」

 

 当然ながら、不可侵で五条悟は受ける。その程度で、倒される五条悟ではない。

 不可侵を打ち消そうと、虎杖悠仁が殴りかかる。

 

 まず、五条悟は、不可侵で止められようと、勢いを衰えさせない飛天を止める選択肢をする。飛天を掴み、これを利用しようとする。

 

 そして、その手は空を切った。

 六眼が観察をしている。これは、雷だった。

 

 ――神武解。

 

 その呪具の雷により、飛天は向こうへと引きつけられ、五条悟の手をかわした。

 

 後に来る虎杖悠仁の拳。ただ、飛天の攻撃がないのであれば、簡単だった。払いのけ、浮いた体にこちらの攻撃を叩き込むだけ。

 

 そして、虎杖悠仁に構う間は不可侵は使えない。虎杖悠仁は、禪院真希へと目で合図を送る。

 

 ――構わない。やってくれ!

 

「虎杖……っ」

 

 その意図を汲み、禪院真希は神武解による雷撃を放つ。

 

「ヤッベ……っ」

 

 雷の攻撃、その前に呪具の使用に際して発生した起こりを五条悟の六眼は見抜く。

 とっさに飛び退き、虎杖悠仁から離れ、不可侵を再展開。雷撃を凌ぎ切る。

 

 五条悟は考える。

 今、宿儺の器に構っている余裕はない。宿儺の器に構えば、フィジカルギフテッドの女の呪具での攻撃があたる。フィジカルギフテッドの女を先に仕留めるべき。ただ、徹底してフィジカルギフテッドの女は距離をとっている。フィジカルギフテッドの能力が天内を守る戦いの時と同じであれば、こちらは追いつく速度が出せない。

 

 ――いや、今ならできるか。

 

「術式順転――『蒼』!!」

 

 五条悟が最速の所以。もちろん、今の出力では押しつぶす『蒼』の反応は作れない。行うのは空間の短縮。虎杖悠仁を置き去りにし、禪院真希へと五条悟は迫っていく。

 

「速っ……!? 真希先輩!!」

 

 禪院真希に不可侵を突破する手段は……、

 

 神武解の複雑な形状に挟まっていた、何かがこぼれ落ちる。

 

 ――お姉ちゃん、おまけもつけておいたから。

 

「真依、お前。頑張りすぎかよっ」

 

 禪院真希は笑う。彼女が握るのは、一欠片の刃の破片。柄もない。呪具としては、不完全極まりない。だが、そこには力が宿る。

 元となった呪具はもちろん――、

 

 ――天逆鉾。

 

 一度、五条悟を殺し損ねたその呪具だった。

 不完全ゆえ、たった一度の使用のみで、その刃は完全に粉々になる。ただ、それでも十分すぎる。

 

 発動中の術式の強制解除。不可侵が破られる。

 前方からの神武解。後方からの飛天。これを躱せるわけがない。

 

「『蒼』!!」

 

 再びの『蒼』の使用。術式の無理な使用で、五条悟の脳は悲鳴をあげていた。だが、関係ない。

 宿儺の次元を断つ斬撃を避けたのと、同じ要領だった。空間を歪め、攻撃を逸らす。致命傷を避けていく。

 カウンターで、再展開の不可侵を使いながら、二つの呪具を吹き飛ばす。

 

「上出来だな」

 

 満足げに笑う禪院真希だ。攻撃には対応した。不可侵ももう戻っている。

 

「ありがとう、真希さん!」

 

 そこには駆けつける虎杖悠仁だ。

 背中へと手を当てられている。

 

 宿儺、東堂、真希先輩と、みんなで繋いだ。

 あぁ、大丈夫。今ならできる。勝てる。勝ってみせる。

 

「『捌』……っ!!」

 

「……っ!?」

 

 術式が決まる。

 だが、その時――、

 

 ――輪転が戻る。

 

 ほとんど同時だった。『捌』が、無下限の術式輪転に相殺され、五条悟に薄く傷をつけたのみで通らない。

 

 次いでくる神武解の雷撃。虎杖が術式を放つ間に、弾かれた呪具を禪院真希は拾い切っていた。不可侵が虎杖悠仁の輪転により、解除された状態にある。五条悟は自らの呪力の性質を輪転で雷に変えることにより、順応し、雷撃を耐える。

 

「輪転が戻ったってことは……」

 

 輪転は、反転に引きずられて使用できていなかった。

 つまり――、

 

 ――反転が戻りかけている。

 

 今の出力なら、『赫』はもちろん撃てない。精密な脳の回復なんて論外だろう。万全時と比べれば、心もとない。できるのはわずかな時間の凝縮くらい。

 

 ――黒閃。

 

「が……っ!?」

 

 だが、それで十分。

 完全なフィジカルギフテッドですら反応できない速度だった。禪院真希は、腹に受けたその強力な打撃により、吹き飛ばされる。当たりどころが悪かったから、おそらくは復帰も不可能。

 

 調子が良い。気分がいい。五条悟は直感する。

 

 ――あと一発、黒閃を当てれば、反転の出力が回復する。

 

 虎杖悠仁を視界に収め、五条悟は不敵に笑った。

 

「……っ!?」

 

 虎杖悠仁は息を呑む。

 いま、『赫』で時間を操作して、黒閃を打った。反転が戻った。

 

 いや、だが、回復をしているようには見えない。まだ、出力は十分じゃない。これは直感だった。

 それでも、今の反転の出力でも、おそらく、あのジャストガードの黒閃くらいはできる。どうする? 今、殴れば、弾け飛ぶのはこちらの拳だ。

 

 だが、これが最後の好機。あの黒閃のジャストガードを破る方法はたった一つだ。

 

 ――最大出力の黒閃を、当てるしかない。

 

 五条悟を視界に収める。

 

 ――黒閃は狙って打てない。

 

 黒閃の条件は時間差だけではない。空気中の分子の流れ、種類などによる些細な変化も黒閃には影響する。

 

 ――黒閃は狙って打てない。

 

 そんな常識を術式により打ち破った術師こそが五条悟だ。時間を遅らせ、分析し、呪力を最適化させていた。

 

 だが、虎杖悠仁にそんな術式も能力も存在しない。だからこそ、集中、そして気合だ。それだけで黒閃を決める他ない。

 術式はいらない。脳の限界を超える集中に、わずかばかりの反転のリソースは脳の回復へと回す。ただ、集中する。

 

 動き出したのは同時だった。示し合わせたわけではない。

 二人の拳がぶつかり合う。

 

 黒閃の威力は、()()()二・五乗。当然ながら。黒閃を打つたびにその乗数は変化する。

 

 ――虎杖悠仁は黒い火花に愛されている。

 

 ぶつかる拳に、互いに弾ける黒い火花。

 

 ――俺が、押し負けた……!?

 

 結果として、より完璧な黒閃を打った方が勝つ。

 攻撃の反動と驚きで体勢を崩した五条悟だが、やはり立て直しも早かった。虎杖悠仁よりも早く、次の一撃を打つ。それだけだった。

 

 虎杖悠仁は体で受け、同時に、黒い火花が散る。たたらを踏むのは五条悟だ。

 一度黒閃を放ち、ポテンシャルを十二分に引き出せたゆえであった。この短時間で、虎杖悠仁は黒閃のジャストガードをモノにしていた。

 

 打ち合いに次ぐ打ち合い。

 互いに黒閃を続けていくが、黒閃の精度が違う。一撃一撃で五条悟は押し負けていく。

 

 極限の集中の中、虎杖悠仁は無機物の魂さえ捉えていた。地面を走り、黒閃で蹴る。空気の揺らぎを面で捉え、黒閃を打つ。

 まさに鬼人が如く。

 黒い火花をまるで纏うかのような、虎杖悠仁に、五条悟は畏怖すら感じた。

 

 ――小僧、お前は本当につまらんな。

 

 虎杖悠仁には、声が聞こえた気がした。

 

 たったいま、このとき、この瞬間……このいくばくかに限っての話だった。虎杖悠仁は五条悟を超え、宿儺をも超え、今現在、最強の術師へと成る。

 

 虎杖悠仁の抱く感情は――、

 

 

 

 ***

 

 

 

「天内、なにやってんの? スパーリング?」

 

 天内はサンドバッグを殴っていた。憂太たちがたまに使う学校の設備を持ってきたのだろう。

 

「黒閃が出せぬか試してみてるんじゃ」

 

「ふーん。なんで?」

 

「一回は、黒閃! って、やってみたいじゃろ」

 

「あ……うん」

 

 何度か、天内はペシペシとサンドバッグを殴るが、天内は黒閃が出せずにいる。

 

「悟、やってみるのじゃ! 手本じゃ! 手本!」

 

「いいけど」

 

 福岡でやったアレのことを言ってるのだろう。『赫』で時間を凝縮し、呪力のタイミングを合わせる。黒閃狙いだから、『蒼』は使わずに、シンプルな打撃のみだ。こっちの方が条件が簡単になる。

 

 拳がサンドバッグに触れる瞬間、呪力を一度にぶつける。

 

「……む? 出ぬの」

 

「あー。ちょっと、今日、調子が悪い日っぽいね。雨だからかな」

 

 タイミング自体はドンピシャだった。それでも、黒閃が出ないことはあるにはある。

 

「……んん? 雨だと出にくいものなのじゃろうか?」

 

 天内は首を傾げた。言い訳に聞こえたのかもしれない。

 

「湿度とか、気温とかさ。そういう条件が違うと黒閃ってでないもんよ」

 

 硝子あたりにこれを言ったら、大笑いされて頭を心配された思い出がある。あんまり、こういうことは言いたくなかった。

 

「む……黒閃は空間の歪み……。周囲の分子の質量や運動状態でも条件が変わってくる……? ありえなくはないか」

 

「お、わかってんじゃん」

 

 天内は、こういうところが話が早くて助かる。

 

「ちょっと、傑のとこに行ってくるのじゃ」

 

「え、なんで?」

 

 しばらく待っていると、天内が戻ってくる。

 ゾロゾロと、呪霊を引き連れてやってきていた。

 

「悟、こやつらで悟の六眼を強化するのじゃ! 原子レベルで周囲の環境を認識できれば、条件も割り出せるじゃろ」

 

 人工仮想怨霊の大群だった。なんというか、天内は割とガチっぽい。

 

「えっと、そっちのヤツらは?」

 

「加湿の呪霊、除湿の呪霊じゃ」

 

「じゃあ、もう一個そっちのは?」

 

「暖房の呪霊に、冷房の呪霊。あと、送風の呪霊じゃ」

 

「電気代いらずじゃん」

 

 そんな便利な呪霊持ってたのかよ。この建物って、もしかしてこいつらで空調回ってたりするんだろうか。

 

「こやつらで、温度や湿度を調整して、黒閃がどうしたら出るのかを見極めるのじゃな」

 

 なんというか、天内はガチのようだった。

 

「ほら、打つのじゃ」

 

 天内はノートを取り出すと、俺の隣にデカい目をした呪霊を置いた。六眼ほどではないが、見ることに特化した術式の呪霊だろう。この呪霊、メモリに繋がっているようだから、たぶん、録画もできる。

 

「はいはい」

 

 サンドバッグに拳を打ち込む。黒閃は出なかった。

 

「うーん。時間としては、ピッタリじゃよな……?」

 

「誤差〇・〇〇〇〇〇一秒以内ってだけじゃなくて、強化する呪力とぶつける呪力の兼ね合いもあるってこと。俺、今、ゼロって何回言った?」

 

「ちゃんと六回じゃ。悟、一マイクロ秒と言う方がいいじゃろ。ゼロって何回も言うのわけわからんじゃろうし」

 

「あー、マイクロね。うん、マイクロ」

 

 ミリとか、ナノとか、ちゃんとわかってないと、こっちの方がわかりづらいってこともあるだろう。ま、天内がわかってればいいか。

 

「とにかく、環境要因を保ちながら、どういう呪力の流れで黒閃が出るか実証じゃな」

 

「はいはい」

 

 天内の言われた通りに呪力を細かく調節し、単調に拳をサンドバッグに打ち込んでいく。

 だいたい三十分ほどしたくらいで黒閃が出る。

 

「なるほど、このポイントじゃな。次は温度をちょっと下げるのじゃ」

 

「了解、了解」

 

 もう一度、サンドバッグを殴る。黒閃が出る。

 やっぱり、一度黒閃が出てみれば調子が良い。どうすれば黒閃が出るか、体が理解している。

 

「ん? 悟。さっきと呪力の流し方変えたじゃろ?」

 

「そうだけど……」

 

「……んん。後で解析すれば良いか……」

 

「ダメだった?」

 

 天内は、難しい顔をしていた。ちょっと、天内の予定とは違うことをしてしまったのかもしれない。

 

「いや、まぁ、よい。次は湿度を変えたのじゃ」

 

「わかった」

 

 また、サンドバッグを殴る。三連続黒閃の成功だった。ちょっと調子が良いかもしれない。

 

「また、湿度を変えたのじゃ」

 

「え、もしかして、俺、これ続けんの!?」

 

「そうじゃ。悟も、黒閃たくさんやりたいじゃろ?」

 

「俺、いいよ。もう肌感でだいたい掴んだし」

 

 なんとなく、これからなら『赫』で黒閃を確定させることもできそうな気がする。もう良いだろう。

 

「やるのじゃ!」

 

「だから……」

 

「やるのじゃ!」

 

 結局、その後、丸一日、サンドバッグ相手に黒閃を打ち続けた。

 

 そして、三日後の朝だった。

 

「天内、まだやってたのかよ」

 

「ん。ちょうど、今終わったところじゃ」

 

 とったデータの整理と言ったところだった。俺が黒閃を打つ作業を終えた後も、天内は記録に向き合い、ペンやパソコンを動かしていた。あれから、寝ても覚めてもといったような調子だった。

 

「へぇ、どんなもん?」

 

「拳の速度や、空気中の気体質量密度、エネルギー密度や、呪力の動きなどの複数の要素を勘案し、このラインで黒閃が出ることが予測されるのじゃな」

 

 天内は、パソコンに映った三次元のラインを見せてくれる。天内がポチポチと要素を動かすと、ラインの形は変わっていくから、まぁ、四次元、五次元のグラフってことなんだろう。

 

「んで、これどうすんの?」

 

「じゃじゃん! これを呪術的なプログラムに書き下したものがこれなのじゃ! まぁ、『赫』の時間の凝縮の使用と六眼が前提ではあるのじゃがな。これで黒閃打ち放題!!」

 

「やっるー。天内」

 

 たとえば、『落花の情』は呪力操作のプログラムだったりする。こういうデータがあれば、確かにプログラムに書き下すことは可能か。天内はこれがやりたかったんだろう。

 

「まぁ、実験がもっとちゃんとできれば、もうちょっといいものが作れたんじゃがな」

 

「あとは実際に使ってブラッシュアップしてけばいいじゃん」

 

「そーじゃな。妾は休む」

 

 天内は、布団に入った。天内の術式的に寝る必要はないだろうが、それは天内の自由だろう。

 せっかくだし、天内の作ったプログラムを試してみたい。傑からそこそこ強めな呪霊を借りて適当に殴ってみるのがいいか。

 

 

 

 ***

 

 

 

 虎杖悠仁の抱く感情は――焦り。

 

 五条悟は笑っていた。

 

 ――はっ、面白ぇじゃん。

 

 五条悟は押し負けたとはいえ、黒閃を打っていた。五条悟の反転のリソースは回復している。

 だが、その反転を五条悟は術式の回復に回さない。

 

 虎杖悠仁は実感していた。

 五条悟の黒閃の精度が上がっている。

 

 五条悟は反転で脳をフル以上に回転。虎杖悠仁の黒閃を手本とし、天内理子の作り上げた黒閃のプログラムに修正を加えていた。

 

 ――あと、五発もない。追いつかれる。

 

 それは確信だった。それでも、黒閃を打つしかない。

 

 ――一発目。

 

 五条悟の蹴りを腕で受ける。黒閃の精度で劣る五条悟に衝撃が反射し、ダメージを受けるのは五条悟になる。

 

 ――二発目。

 

 虎杖悠仁の打つ、五条悟の脇腹を狙った拳を、五条悟は手で掴み、ガードする。黒閃でガードを貫き、五条悟は衝撃でよろめく。

 

 ――三発目。

 

 よろめきながらも五条悟は虎杖悠仁の顔目掛けて、拳を放った。虎杖悠仁は顔面でそれを受ける。虎杖悠仁のガードの黒閃で五条悟の拳にダメージが蓄積される。

 

 ――四発目。

 

 顔面で拳を受けた虎杖悠仁は、そのままに、進み、五条悟の顔面へと、渾身の黒閃を叩き込もうとしていた。しかし、五条悟はそれを読む。腕でのガードが間に合っていた。

 

 五条悟は、確信していた。

 五発目はない。この四発目の黒閃で、解析は終わる。黒閃の精度で並ぶ。

 そうなってしまえば、虎杖悠仁のアドバンテージはなきに等しい。体術で圧倒するなり、術式を回復させるなり、方法はいくらでもある。五発目はない。

 

 ――四発目の黒閃が散る。

 

 違和感がある。虎杖悠仁の拳がひしゃげている。ダメージがこない。

 つまり、そうだ。虎杖悠仁は黒閃を打たなかった。

 

 だが、それは悪手だ。こちらにダメージはない。つまり、それで隙ができるわけでもない。反対に、虎杖悠仁の拳には、致命的なダメージが入る。しばらくは使えなくなる。

 追いつかれることに恐れて、黒閃を打たないのなら、

 

 ――衝撃は遅れてくる。

 

 それは呪力のみの衝撃だった。

 虎杖悠仁の悪癖。その高い素の身体能力により、呪力を置き去りにし、先に拳が敵へと届く。その後に、呪力の衝撃が届く二重の衝撃。

 黒閃の習得により、矯正されたはずのものだった。

 

 狙ってできるものではない。予想はできなかった。黒閃のガードは物理攻撃のみに有効。呪力のみの攻撃なら、反転をした呪力で相殺することが可能だが、反転のリソースは術式と脳に回していた。

 

「逕庭拳って、とこかな」

 

 その攻撃を受け、五条悟は呟く。

 結果として、予想外の攻撃に、五条悟は大きくよろめく。

 

 ――五発目。

 

 虎杖悠仁は、よろめいた五条悟の顔面を捉える。拳を振り抜く。

 

 虎杖悠仁、渾身の――、

 

「――『黒閃』!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 結界の崩壊の後、羂索と日下部篤也は、乙骨憂太と牽制をし合いながらも、虎杖悠仁たちの戦いを遠目に観察していた。

 

「黒閃をまともに受け、ダメージで動けない五条悟。対して、ふらつきながらも、その闘志に衰えを感じさせない虎杖悠仁」

 

 日下部篤也は言った。

 

「これって……」

 

 羂索が合いの手を入れる。

 

「あぁ、虎杖悠仁の勝ちだ」

 

 ――新しく誕生した最強の戦跡が、いま、刻まれる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「悟、助けてあげようか」

 

「……っ!?」

 

 唐突に現れた夏油傑に、虎杖悠仁は身構える。

 なにかの呪霊の術式で現れたように見えた。呪霊操術、その手数……術式は呪霊の数と同等と言ってもいい。

 

「なんというか、悟。大事なとこで勝てないんじゃよな……」

 

「理子ちゃんが、それをいうと、洒落にならないと思うけど……」

 

 天内理子が死んだのは、五条悟が伏黒甚爾に負けた結果だった。

 

「すまない、虎杖。止められなかった」

 

「いや、伏黒。無事でよかった」

 

 夏油傑の足止めにいたのは、伏黒恵だった。夏油傑がここにいるということは、伏黒恵が無事ではない可能性があった。それだけに虎杖悠仁は安堵する。

 

「……虎杖。虎杖か……」

 

 虎杖悠仁の雰囲気が、この戦いの前とは違っていた。五条悟との戦いを経て、虎杖悠仁はそのポテンシャルを開花させていた。それだけに、纏う雰囲気も重い。

 

「悟。起きるのじゃ!」

 

「う……もしかして、やられてた?」

 

「意地を張って黒閃勝負に乗る必要はなかったじゃろ……」

 

「ま、そのおかげで黒閃プログラム完成したし」

 

「む……」

 

 作ったのは天内理子だ。だからこそ、あまり強くは出れなくなる。

 

「虎杖。こいつで回復しろ」

 

「すまない」

 

 伏黒の出した式神だった。円鹿の特性を引き継いだ式神であり、反転術式で他者を回復させることが可能だった。

 

 回復は、当然のように互いに行なっている。ある種の合意のような形で、互いが回復に専念していた。

 

「虎杖。これからは俺がいる」

 

「……!!」

 

「勝つぞ」

 

「おう!」

 

 気合いを入れ直す。伏黒恵は思う。この戦いに、意味も理由も要らなかったのかもしれない。ただ、自分たちがこの世界で一番に強いのだと証明するだけ。

 

「それにしても、ひどくやられたね。悟」

 

「ほとんど自爆のダメージだけどね」

 

「短時間じゃ、全部は治せぬぞ? たぶん、虚式は撃てぬ」

 

「ま、そのくらいの縛りでちょうどいいでしょ」

 

 あまり重くとらえていないようだった。そんな五条悟に、夏油傑は尋ねる。

 

「どうして、そんな無茶したんだい?」

 

 五条悟は、夏油傑の肩を軽く叩いてみせる。

 

「お前が、いるからな」

 

 そんな信頼に、やれやれと肩をすくめながらも、ふっと笑った。

 

「なかなか、すべての日本人を術師にする……一筋縄じゃ、いかなそうだね」

 

「ま、でも……俺たち最強だろ?」

 

「そうか。そうだね」

 

「やるぞ」

 

「あぁ、なら、これが……最後の呪い合いになるか」

 

 虎杖悠仁と、伏黒恵。五条悟と、夏油傑。二人対二人という対決だった。これが最後になるだろうと、それを肌で感じ取る。

 

 お互いの願いをかけた最後の戦いが始まろうとしていた。






理子ちゃん(死滅回游/百鬼夜行)
夏油傑が伏黒と話して裁判をしている裏で芸人と芸について語っていた。あんまり詳しくないけど。

五条悟
始めての自爆はちょっとやり過ぎだったかなぁとは思ってる。

夏油傑
まぁ、最短で百鬼夜行にいければいいかなって、メンタル。

虎杖悠仁
天使「受肉の際、器を殺し沈めている」虎杖「こいつら、みんな、俺が(くら)う」宿儺「ケヒ、当然だ」
から始まる話があったような気がするけど、カット。前々回アンケートの受肉組と覚醒組の顔合わせのやつ

両面宿儺
虎杖に食わせたたくさんの呪物で受肉回復連打させた。卑劣。


伏黒恵
倒すのは自分のため。越えられない壁を越える。そこに意味も理由もいらない。

禪院真依
渋谷事変後、東京高専で、意気消沈して、釘崎に煽られたり、真希に慰められたり、直哉に五条悟を殺してと頼んでキレられたり、そんな話があったと思うけど、カット。前々回のアンケートのやつ。すごく頑張った。

禪院真希
魂を知覚できていないから、そこまで強くなかった。

羂索
夏油傑が海外と講和条約を締結。いよいよ殺したら不味くないかとなったところ、自分が乗っ取れば大丈夫と言ってドン引きされる話がきっとあったけど、カット。前々回のアンケートの社会情勢のやつ。
いろいろ頑張ってる。一応、死滅回游は、チーム戦以外にも、五条悟と夏油傑が死んだら止まるようになってるらしい。

乙骨憂太
日下部篤哉は僕が倒します。

日下部篤也
女子高生相手に優しくしてたら、特級術師に目をつけられる。

枷場菜々子・美々子
そこまで強くないから、羂索ラインでは見送られて、日下部ラインにいた。

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  • 五条悟&夏油傑(理子ちゃん)
  • 虎杖悠仁&伏黒恵(宿儺プロデュース)
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