理子ちゃん(ストロベリー風味)   作:呪術使えない

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理子ちゃん(五条悟ごっこ)

 

「君が乙骨憂太くんかな?」

 

 袈裟を身に纏った印象的な男だった。

 

「あ、あなたは?」

 

「あぁ、私は夏油傑だよ。で、こっちが五条悟」

 

「どうもー」

 

 袈裟の男には、胡散臭い印象を受ける。そして隣にいるのが軽薄そうな目隠しの男だった。

 

「それにしても、ダメだろう? こんな未来ある若者の秘匿死刑だなんて」

 

「ち、違うんです。僕は……僕は死ぬべきで……」

 

 死刑は自分で受け入れたことだった。同級生たちを里香ちゃんに傷つけさせてしまった。

 こんな自分は、もう誰とも関わらずに、ここで死んだ方が良かった。

 

「私たちのところに来ないかい?」

 

 微笑みかけて、袈裟の男はそう語りかけてくる。

 それでも、首を横に振る。

 

「もう、誰も傷つけたくないんです。だから、外には――( )

 

「大丈夫さ。僕たち、最強だし?」

 

「最強……?」

 

 軽薄そうな、目隠しの白髪の男の言葉を疑う。今まで誰も、自分を殺せなかった。里香ちゃんを倒して、自分を殺すことはできなかった。

 何度か死刑は繰り返されたが、その全てが失敗し、手詰まりという言葉さえ聞いた。

 

「ま、そうだね。実は私たち、ここの人間ではないんだ。ここには、無理やり……ね。そうやって入ってきたんだ」

 

「そうそう。少なくとも、ここにいるような奴らよりは強いってこと」

 

 戸惑う。怪しい人たちだった。

 信用していいとは思えなかった。

 

「僕は……その、外には……」

 

「寂しくはないかい?」

 

「……っ」

 

 目隠しの男の言葉に、心中を言い当てられたような気持ちだった。ずっと、ここに縛られていて、もう誰にも会えなくて、誰にも自分を殺せなくて、これからのことを考えるだけで嫌になった。

 

「それに、私なら君のことがわかるよ?」

 

 すっと、()()は目の前に出てくる。肌で感じる……()()はたぶん、里香ちゃんと同じ存在だった。

 こちらに歩み寄る()()に、優しく抱き寄せられる。

 

「心配いらないから……」

 

 小さく、そんな声が聞こえた気がした。

 

 次の瞬間、空間がわずかに歪む。

 

「ゆ、ゆ、ゆ、憂太! 憂太ァアァア! 憂太にィイ、触るなァアある!」

 

「り、里香ちゃん!?」

 

 里香ちゃんが姿を現す。

 わからない。どういうきっかけで里香ちゃんが出てくるのか、わからなかった。

 

 でも、わかることならある。里香ちゃんは、危害を加えるつもりなんだ。

 

「へぇ、天内に反応したか。どうする? 傑。少し揉んでやる?」

 

「こちらとしては、乙骨くんに危害を加えるつもりがないって、わかってもらえればじゅうぶんなんだけどねぇ……そう簡単にはいかないみたいだ」

 

 里香ちゃんは、抱きしめてくれた人間ではない()()を強く意識している。今にも襲いかかりそうなほどの威圧感だった。

 

「あ、危ないですよ! 逃げてください!!」

 

「問題ないよ。私たちは最強なんだ」

 

 

 

 ***

 

 

 

「今日から家族になる、乙骨憂太くんです! はい、拍手」

 

 女の子が三人と、男の子が一人。そんな組み合わせのメンバーに、僕は紹介されていた。

 

「あ、えっと……乙骨憂太です」

 

「ねぇ、五条様。本気……ぃ?」

 

 茶髪の派手な女の子が、目隠しの人にそう問いかけている。

 

「どういう意味だい?」

 

「だって、こんなやつ家族って認めろって……」

 

「恵や津美紀のときは、そんなふうじゃなかったけど?」

 

「いや、いつの話? それは私たちの小さいころでしょ? 今更、こんなのが割って入ってくるなんて……いつもの悪い冗談じゃないかってこと」

 

 なんとなく、目隠しの人がどういうふうに見られているかは今のやりとりで理解できた。

 

「すまないね。私からも頼むよ。乙骨憂太くんは新しい家族だ」

 

「夏油様……わかりました」

 

 袈裟の人の言うことは素直に聞いて、女の子は引き下がった。今のやりとりを見て、なんとなく怖く感じる。

 

「よろしくね。憂太くん」

 

「えっと……」

 

 違う子だった。話しかけられて戸惑う。

 

「私は津美紀で、こっちが恵!」

 

「よろしくっす……」

 

 優しそうな女の子に、少し無愛想な男の子だった。津美紀ちゃんは優しい笑顔だったけど、恵くんはなんともいえない表情をしていてどういう気持ちなのかまるでわからない。

 

「美々子……」

 

 さっきの茶髪の子とそっくりな黒髪の女の子だ。双子なのだろうか。ちょっとこの子も表情を読み取りづらい。なんか不気味な人形を抱えてるし。

 

「菜々子」

 

 ぶっきらぼうにそう言うのは、さっきの茶髪の女の子だった。態度や表情で、納得しきれていないと伝わってくる。

 

「な、なんかごめんなさい。僕なんかが家族なんて……」

 

「は? お前、それ本気で言ってるの?」

 

「……ひっ」

 

「夏油様がシロといえば、クロもシロになるの。あんたのことが気に食わなくてもってこと」

 

「え……ぇ」

 

 それはそれでどうかと思う。

 正直言って、知らない人間が家族と言われて、すぐに受け入れられる方がおかしい。だから、彼女の言い分は理解できるものだっただけに、異常さを感じてしまう。

 

「ま、仲良くできそうで良かった。僕は少し出るから」

 

「私も、これから信者たちの集会があってね。顔を出さないとだ」

 

「あの、私たちは付いていっても……」

 

「今日は学校で訓練かな。憂太の案内もよろしくね」

 

「はい……っ!」

 

 そうして、二人は部屋から出ていく。

 初めて会った相手ばかりになってしまう。心細い。

 

「それじゃ、学校はこっち」

 

「あぁ、うん」

 

 言われるがままについていく。

 というか、今までいた場所が寮だったのだろうか、渡り廊下を通って、すぐに学校の教室らしき場所へとたどり着く。

 

「ここ、教室だから」

 

 机が、四つ置いてある。ずいぶんと少ない。

 

「じゃ、俺。違う学年なんで」

 

 そう言って恵くんは違うところに歩いていった。

 

「えっ?」

 

 女の子三人の中に取り残されて、気まずい。

 

「さっさと入れよ」

 

 入り口で立ちすくんでいると、そう言われて菜々子さんに押し込められる。

 三人は慣れたように席に座ったから、空いているところに自分も座る。

 

 隣の津美紀ちゃんが話しかけてくる。

 

「憂太くん。ここ、夏油さまが私たちのために作った学校なんだ」

 

「え? 夏油さんたちが……?」

 

「普通学科には、信者の子たちがいるけど、この特別学科には私たちしかいないってことだね」

 

「あぁ。だから、こんなに席が少ないんですねっ!」

 

 一応納得はできるけど、特別学科というのがわからなかった。

 

 先生がやってきて、普通の高校と同じようにホームルームが始まる。それが終わると、普通に授業が始まった。

 数学に、英語に、現代文に、閉じこもっていたぶん、少し遅れてしまっていたところもあったけれど、津美紀さんがフォローをしてくれてありがたかった。

 

 そうして、三個授業を終えたところだった。

 軽く伸びをする。だいぶ授業を受ける感覚を取り戻してきた。

 

「あ……。え?」

 

 ふと、隣を見ると、美々子さんが服を脱ぎだしていた。動揺する。

 こちらの視線に、津美紀ちゃんが異常に気がつく。

 

「美々子ちゃん!!」

 

「……あ……っ」

 

 もう下着姿になった後だった。津美紀さんの呼びかけで、こちらの視線に気がついて、顔を赤くした美々子さんは手に持った服で体を隠す。

 ばっちり、見てしまった。

 

「お前は、出てく!」

 

「うわ……っ」

 

 菜々子さんに蹴飛ばされて、教室の外に締め出される。

 ちょっと、呆然とする。

 

「そっか、次、体育だったのか。着替え持ってきてないや」

 

 自分が来る前は女の子三人だったから、美々子さんは今までと同じように着替えようとしてしまったのだろう。後でちゃんと謝ろう。

 

「憂太さん……?」

 

 後ろから、声をかけられる。

 

「ん? あ……えっと」

 

「恵です」

 

「あ、恵くん。今、みんな着替えてる途中だけど、用があるなら……」

 

「いや、次、同じなんで……。いきましょう、憂太さん」

 

「え……あ、うん」

 

 よくわからないけれど、恵くんについていく。恵くんは、朝見た時と服装が同じように思える。

 

「ねぇ、恵くん。僕、着替えとか持ってきてないだけど……」

 

「え? あぁ、それなら、その制服で大丈夫っすよ。あの三人は、可愛くないとかで、普段は違う服を着てるだけなんで」

 

「……え? そうなの?」

 

 体育、だと思ったけど、制服のままでいいってことは違うのかもしれない。

 よくわからないままに、恵くんについていく。

 

「憂太さん。憂太さんは、どうしてここに?」

 

「ここにって……恵くんについてきたからだけど……?」

 

「あ、いや、そういう意味じゃなくて……あの最悪な大人二人についてきたのはどうしてですか?」

 

 あの最悪な大人二人、というのは夏油さんと五条さんのことだろう。

 

「えっと……僕は誰も傷つけたくなくて、閉じこもって消えようとしたんだ。でも、一人は寂しいって言われて……。それにすごく強かったから……あの人たちの側にいれば、誰も傷つけなくて済むと思って」

 

 誰にもどうしようもなかった里香ちゃんをあの二人は簡単に抑え込んでいた。そんな人間の側なら、もう里香ちゃんが暴れて誰かが傷つく心配をする必要もない。

 

「正直、五条さんはいい加減だし、夏油さんは胡散臭すぎる。信用できない」

 

「恵くんは、あの二人を信用してないの?」

 

「それはそっすよ。津美紀とか、美々子に菜々子は……それこそ信奉してますけど、俺はああはなれない。まず、やってる宗教が怪しすぎますし……」

 

「えっと、人間に特別な力を与える神様だっけ……?」

 

 たしか、夏油さんにそういう神を崇める宗教団体の施設だと、教えられていた。

 

「あの理屈だと、俺たち術師はそんな神によって力を与えられたことになる。現実に即してない」

 

「そうだね。たしかに僕もそんな神様会ったことないし……」

 

「要するに、非術師の無知に漬け込み金を搾りとってるだけ……こんな学校まで作って……やってることが悪辣すぎる」

 

 ずいぶんと、二人のことを恵くんは嫌っているようだった。

 恵くんの言うような、二人のことを嫌う理由はわかる。それでも、恵くんを応援できる位置に僕はいない。

 

「僕はあの人たちがなにをやっていて、なにが正しいのかはわからないけど、誰も傷つけないでいいってここなら思えるから……」

 

「そうっすか」

 

 あの暗くて、終わりを待つだけのあの部屋と、ここは違った。

 生きてていいとまでは思えないけど、それでも気分は楽だった。

 

「そういう恵くんはどうして、ここに?」

 

「別に、面白いもんじゃないですよ?」

 

「あ、話したくないよね……ごめん」

 

 デリカシーのないことだったかもしれない。嫌っている相手に育てられているなんて、自分なんかよりも重い事情があってもおかしくはなかった。

 

「いや、そんなことないです。俺、小さい頃、禪院家っていう呪術師の名門に、売られる予定だったんですよ」

 

「売られる!?」

 

「まぁ、それで、横槍を入れたのが五条さんで……あとは、あの人たちが力で叩きのめして……まぁ……」

 

「あー……」

 

 なんとなく、想像がつく。

 気に入らないことは力でなんとかしてきたんだろうと、二人はそんな振る舞いだった。

 

「とにかく俺は、あの二人を叩きのめせるくらいに強くなります。それで津美紀に、美々子と菜々子の目を覚まさせる」

 

「叩きのめすの?」

 

「ええ、この世界、なんだかんだ理屈を捏ねるやつはいますけど、結局は力なんで……」

 

「えぇ……」

 

 じゅうぶん、恵くんは二人の影響を受けているように思えた。

 

「着きました」

 

 運動場、のような場所に着いたけれど、そこには里香ちゃんのような化け物がお行儀よく並んでいる。

 

「これって……」

 

「左から、蠅頭、四級呪霊、三級、準二級、二級、準一級、一級、特級の順に並んでます。とりあえず、一番左が弱いんで、憂太さんはそこから戦ってもらえれば……」

 

「え……?」

 

 戦うなんて聞いてなかった。

 一番左には、気持ち悪い虫みたいな化け物の群れがある。とりあえず、掴んで潰せばいいのだろうか。

 

「十種影法術――玉犬・黒」

 

 恵くんは、ちょうど真ん中の怪物と戦いだす。一番右が特級で、一、二で準一級なんかもあったから、えっと……二級だ。

 漢検みたいなものなのだろう。

 

 たぶん恵くんの操っている動物たちが、出たり消えたりと、二級と言われた人間以上の大きさの蛾の形の化け物に一方的に攻撃を与えていた。

 

「恵ぃ! 頑張れー!」

 

 後ろを向くと、入り口に津美紀さんがいる。美々子さんや菜々子さんも来ているみたいだった。三人とも、黒一色の制服に変わっている。

 

「あ、倒した」

 

 蛾の怪物は、地面に落ちると、二頭の犬に齧られている。

 これで、恵くんの勝ちなのだろう。

 

 そうしたら、恵くんの操っていた犬が消える。

 次の瞬間には、蛾の怪物は再生を始めて、最初にいた場所に整列をしなおしていた。

 

「やったね! 恵」

 

「ここからだ……」

 

 また、恵くんは、さっき倒したものの隣の化け物に攻撃を始める。

 準一級。猿……なのだろうか、表現のし難い化け物は、光を放つ攻撃をして、恵くんの相手をしていた。

 

「美々子、いくよ。今日こそ」

 

「うん……吊るす」

 

 美々子さんと菜々子さんは、左から四番目。さっき恵くんが倒したやつより一個下だから、準二級……その化け物と戦い始める。

 二人がかりみたいだ。

 

「憂太くんは戦わない?」

 

「そもそも、どうやって戦えばいいかわからないし……」

 

 普通の人間が、今の恵くんたちのような速い動きをできるわけがない。

 僕の知らないなにかがあることは想像がつく。あの人たち、そういうことはなにも教えてくれなかった。

 

「そっか……じゃあ、後で教えてもらわないとだね」

 

「そういえば津美紀さんは? 眼鏡……」

 

 運動をするとき、眼鏡を外す人なら見たことがあるが、かける人は、少なくとも僕は見たことがなかった。

 

「あぁ、これ? 私は、見えない側……非術師って言うんだけど、それだから、この眼鏡がないと、呪霊とか、式神とかが見えないんだよ」

 

「そうだったんですか?」

 

「笑っちゃうよね。私……非術師なのに、こんなふうにみんなとおんなじ場所にいられるなんて」

 

 自分を下げるように津美紀さんはそう言った。

 その気持ちが、なんとなく僕にもわかるような気がしてしまう。

 

「僕も、ここに居ていいのかって……今も不安なんです。だから、津美紀さんの気持ち、なんとなくだけどわかります」

 

「え……っ?」

 

「あ、いや……僕のちっぽけな悩みとは、全然違いますよね……。ごめんなさい……」

 

 わかったようなことを言ってしまって、津美紀さんに失礼だったかもしれない。

 

「ふふ……」

 

「え……?」

 

 津美紀さんは、くすりと笑う。

 どうして彼女が笑ったのか、僕にはわからなかった。

 

「ありがとう、憂太くん。一緒に頑張ろうね?」

 

「えっと……あ……。はいっ!!」

 

 大きく返事をして、答える。

 失言をしていないか不安だったけれど、津美紀さんの表情を見ると、さっきよりもだいぶ晴れやかだった。

 

「いやぁ……訓練、捗ってるみたいだね」

 

「五条様!?」

 

 いつのまにか、運動場の中に目隠しの人がいた。

 

「うん、順調みたいでよかった。午後からは実習にしようと思って……。訓練用の私の呪霊も飽きてきたんじゃないかい?」

 

「夏油様……そんなことは……」

 

 袈裟の人もいた。

 そうだった。この人は確か里香ちゃんと同じような……呪霊を連れているんだった。肌を刺すような強い存在感の先には、里香ちゃんと同じような存在である彼女の姿がある。

 

 彼女は、袈裟の人の側から移動すると、ちょこんと座った。並んでいる化け物たちの一番右……特級の右隣だった。

 私に挑むやつはいるのか? と書いてありそうな顔だった。

 

「ま、なんにせよ。私の操る殺意がない呪霊を相手にしているだけじゃ、殺意の混じるような呪い合いの勘は養われないからね。不測の事態から身を守る意味でも、実戦は大事さ」

 

 すごく物騒なことを言っている。

 呪い合いとか、なんなんだろう。

 

「じゃ、恵、美々子ペア。憂太、菜々子ペアで午後はいくから」

 

「え?」

 

「げっ」

 

 菜々子さんは、露骨に嫌そうな顔をしていた。

 津美紀さんとは少し仲良くなれたし、恵くんとはなんとなく話すことができていたけど、この双子の子達はちょっとどう接すればいいかわからない。

 

「問題あるかい? 菜々子」

 

「いえ、ありません! 夏油様」

 

「うん、憂太は初めてだから、フォローいろいろよろしくね?」

 

「はい。五条様」

 

 二人に言われて、菜々子さんは素直に頷いていた。

 みみこさんの僕に対するキツい態度も理由がわかるだけに、二人の無理に素直に頷く菜々子さんが、可哀想に見えてしまう。

 

「ま、憂太。里香ちゃんとか……やばくなったら、私の連絡用の呪霊を消失させれば、気がつけるし……すぐに駆けつけるから」

 

「はい……」

 

 そういえば、そんなのもいた。

 ずっと、僕のズボンのポケットに入っている。

 

「だいたいは菜々子がやると思うから、気楽に見学する気分で初めは大丈夫だよ」

 

「じゃ、僕たちもう行くから」

 

 そうして、二人はまた忙しいみたいで部屋から出て行ってしまう。

 外にでるなんて、今から考えただけでも少し緊張する。

 

「そういえば、やっぱり津美紀さんは……」

 

「うん、私は戦えないから。こっちで替わりの授業受けて、帰ってご飯作ってるかな」

 

「そうなんですね……」

 

 津美紀さんには無理のようだった。どうしようもないものなのだろうか。

 

「津美紀ー。今日ハンバーグにしない?」

 

「私も……」

 

「え、ああ……。じゃあ、黒井さんに相談するね。恵はなにかない?」

 

「俺は、別に……。というか、死体とかあるかもしれないのに、よく肉なんか……」

 

「なに? 恵、ハンバーグ食べない? じゃ、私たちでもらうけど」

 

「私も半分」

 

「いや、別にそうは言ってない」

 

 ご飯の話に菜々子さんが反応して、今日の夕飯の話で賑やかになる。

 そんな話を聞いて、この人たちは家族なんだなと感じてしまう。なにか場違いのところにいるような感覚に陥ってしまう。

 

「憂太くんはなにか、作ってほしいものない?」

 

 津美紀さんの問いかけに合わせて、みんなが一斉にこちらを向く。

 あったはずの会話が全てなくなって、静かにみんな、僕の言葉を待っていた。

 

「えっと……あぁ、キャベツに塩を振って、ごま油で炒めた感じの……」

 

「え……草食系……?」

 

 菜々子さんは驚いたように、そう呟いていた。そんな言葉に、どうしても恥ずかしくなる。

 

「ふふ、憂太くん。今日は憂太くんの歓迎会だから、なんでも好きなものを頼んでいいんだよ?」

 

「あ……僕はそれが好きなんで……」

 

 津美紀さんがキョトンとする。

 津美紀さんがそんな顔する理由が、ちょっとよくわからない。美味しいじゃないか、キャベツ。

 

 疑うように、菜々子さんがこちらの顔をのぞいてくる。

 

「マジで?」

 

「マジです」

 

「マジか」

 

 

 

 ***

 

 

 

「この先が、失踪者の相次ぐ廃工場です」

 

 車に乗せて、連れて来てくれた女の人がそう言う。

 だいたい六十分くらい車に乗っていたと思う。

 

「帳、やんないの?」

 

「街外れ、それに建物の中なので……もし、対処できないようであれば引き返して、そこから改めて帳を……。呪術師に対しては帳は逆に目立つので、使わないに越したことはありませんから」

 

「ふーん」

 

 一礼をして、女の人は下がっていく。

 廃工場に、僕たちは歩いて進んで行った。

 

「菜々子さん。機嫌悪いですよね……すみません……。車の中でも、ずっと……」

 

 ずっと菜々子さんは、イライラしながらスマホをいじっていた。

 

「別に、憂太じゃない。気に入らないのは、あの女! いっつも、夏油様に色目使ってやがる」

 

「そうなんだ……」

 

 あの人が夏油さんと会っているところを見たことがないからわからない。けど、菜々子さんは夏油さんを特別視しているようだったから、そういうのは嫌なんだろう。

 

「じゃ、とっとと終わらせるから」

 

「え、あ……はい」

 

 二人で、廃工場へと入っていく。

 

 廃工場の中には、確かにウヨウヨと呪霊がいた。

 あの運動場にいた呪霊たちと比べて、だいたい四級ていどのものがあたりにうろうろとしている。

 

「憂太、そこに立てよ?」

 

「え、あ……うん」

 

「はい、チーズ」

 

 パシャリと、菜々子さんは写真を撮る。突然で、なんでかわからなかった。

 

「えっと、急に写真……」

 

「憂太、見る?」

 

 菜々子さんは、スマホの画面をこちらに見せてくれる。さっき撮った写真がそこには映っている。僕が映っていて、そして近くをうろうろとする呪霊の姿も、たくさん写真には映り込んでしまっていた。

 

「え……心霊写真!?」

 

「そ、このスマホは特別で、普通はカメラって呪霊が映らないけど、津美紀の眼鏡みたいな感じで、呪霊の写真を撮ることができるってわけ」

 

「それは、すごいけど……」

 

 写真を撮って、報告でもするのだろうか。

 

「そして、これが私の術式」

 

 菜々子さんは、写真に赤でラインを引く。その赤のラインは、写真のすべての呪霊の上を、真っ二つに分けるように引かれていく。

 

「これって……」

 

 周りにいた呪霊たちが、赤い液体を吹き出して、次々と倒れていく。

 美々子さんの手の加えた写真を見る。呪霊の赤い液体の吹き出したラインは、写真に書き加えられたラインとぴたりと会う。

 

「これが私たちの術式、形代呪法ってわけ。対象に見立てたものを形代として、その形代を変化させることで、その変化を対象へと還元させる術式。対象に見立てた形代は対象に形や性質が近ければ近いほどいいし、形代に与える変化が大きくなれば大きくなるほど呪力を食う」

 

 術式、というのはまだよくわからないけど、恵くんが使っていた動物たちみたいなすごい力、だろう。

 

「へぇー。え、ちょっと待って。じゃあ、この写真の僕に美々子さんがなにかしたら……」

 

「試してみちゃう?」

 

 すっと、美々子さんはスマホに指を添える。

 

「え、あ……いや……」

 

 慌てる。

 このままでは僕は、周りに倒れた呪霊みたいになるのだろうか。そうしたら、里香ちゃんは……。

 

「ぷっ……く……。たぶんなにも起こらないから。相手の格が上だった場合、反動がくるし、くわれる呪力のわりに全然効かないってわけ」

 

 すっと、菜々子さんは僕の首を切ってしまうようなラインをスマホに引く。

 

「あ……菜々子さん!! て、あれ?」

 

 ちょっと首がむず痒い。

 ただそれだけで、変化はなかった。

 

「こういうこと。じゃ、もう終わらせるから」

 

 パシャパシャと、いろんな部屋を菜々子さんと写真を撮ってまわっていった。

 

 僕だけだったり、菜々子さんの自撮りだったり、二人で写ったり、いつも写真は霊だけを映すことはなく、少なくとも僕たちのどちらか一人が必ず映るように撮られていく。

 

「ぷ……これ、映えじゃん。美々子たちに送ってやろう」

 

 そうして、菜々子さんはスマホをいじって、写真に加工を施していた。

 廃工場は全て回って、もうひと段落だった。あとは、あの女の人のところに帰るだけだった。

 

 外を見る。

 

「ねぇ、菜々子さん。もう夜だっけ?」

 

 そんなに時間は経ってないはずだった。

 それなのに、窓から見えた空はまるで夜の帳が下りたように暗かった。

 

「帳?」

 

 呟かれる。菜々子さんが、確かここに入る前に車を運転していた人と話していた中に出てきた単語だった。

 

「パンダ。おかしくないか? 帳を下ろしてるのに、呪霊が全然寄ってこねぇ」

 

「真希。最近は、高専に所属しない人間が呪霊を狩ってるって噂だから、もう事前に狩り尽くされてるのかもしれないな」

 

「ち……っ、わざわざね。ボランティアってことか? 気色悪い」

 

 二人分の話し声と、足音が近づいてくる。

 ちょうど、目の前の曲がり角だった。

 

「あ……」

 

「え……?」

 

 メガネの女の子と、パンダ……パンダ? 二足歩行のパンダだった。

 

「パンダ? かわいいー。写真撮っていい?」

 

「菜々子さん?」

 

 菜々子さんは、スマホのカメラをそのパンダへと向ける。

 菜々子さんの力からして、普通に写真を撮るだけではないのだろう。

 

「近づくな!! 指一本でも動かしたら、殺す」

 

 警戒をするように、メガネの女の子は薙刀をこちらに向けてくる。物騒すぎる。

 

「女の子なのに、そんな武器持ってさ。可愛くないんですけどぉ?」

 

「スマホ、向けんな」

 

「……いいじゃん? え? それ、すっぴんっしょ? ああ……もしかして、ズボラな姿を撮られるのがイヤとか? 嫌味?」

 

 薙刀を持った女の子が、菜々子さんの言葉に目に見えてイラッとしている。

 

「で、お前ら……名前は?」

 

「僕は乙骨憂太で……」

 

「バカッ! 憂太!!」

 

 菜々子さんは、血相を変えて僕のことを怒鳴ってくる。

 名前を言ったら、ダメだったのかもしれない。

 

「乙骨……ね? なぁ、パンダ? 高専でも、御三家でもねぇ。呪術師の家系でも、まず聞いたことがない。こいつら、呪詛師ってことでいいよなぁ?」

 

 パンダ……パンダと呼ばれたのはパンダだった。

 

「真希、そうだろうけど……」

 

 パンダは喋るパンダだった。ほんと、なんなんだろう。

 

「捕まえるか、それが無理なら殺すかか……」

 

 物騒な会話だった。というか、これ、まずいんじゃないだろうか。

 

「東京高専……お前たちが私たちに手を出したら、夏油様に、五条様が黙ってない」

 

 すぐさま、菜々子さんはあの二人の名前を出す。あの二人って、そんなに有名なのだろうか、とも思ったが、なんとなくいろいろ派手にやってそうだし、きっとそうだろうと思い直す。

 

「五条に、夏油って……あぁ、特級呪詛師の。虎の威を借る狐ちゃんか? チッ、ダセェんだよ」

 

「……怖くない?」

 

「ふん。よくいるんだよ、そいつらの名前出して、実際はなんの繋がりもない雑魚呪詛師どもが」

 

「それ、マジ? 不敬じゃん。誅さないと」

 

 菜々子さんは真顔になってそう呟いた。

 なんというか、顔が本気だった。二人への信奉具合から言って、本気かもしれない。

 

「ま、その特級呪詛師様方のことは、あんたらを倒した後に考えればいい話だな」

 

「チッ、逃げるぞ、憂太!」

 

「え? あ、はいっ!」

 

 菜々子さんに押されて、走り出す。

 

「待てよ、逃すか……! ……っな!?」

 

 菜々子さんは手元のスマホをいじりながら走っていた。

 振り返って確認すると、女の子が膝をついている。足を浅く切ったように血を流していた。

 

「写真、撮ってたんですか? いつの間に……」

 

「ん。無音カメラ」

 

 菜々子さんはスマホをこちらに見せてくれる。

 盗撮に使えるカメラアプリみたいだった。たしかにこれなら、写真を撮ったことにも気がつかれにくい。

 

「真希、大丈夫か?」

 

「パンダ!! 私はいい、行け!」

 

「はいはい」

 

 後ろから二人の話す声が聞こえる。

 次の瞬間には、風が通るように、なにかが僕たちを追い越していく。

 

「な……早っ……」

 

「悪いけど、ここは通さないぞ」

 

「効いてない……て、マジ? いや、動物じゃなくて呪骸か……いくら赤線したって、血が流れてなきゃ意味ないか」

 

 なにか納得したように菜々子さんが呟く。

 呪骸……聞いたことのない単語だった。

 

「パンダ、よくやった」

 

 女の子の方も、後ろから追いついてくる。

 

「憂太。私が隙を作るから、憂太は全力で逃げろ」

 

「え……?」

 

「このパンダはたぶん準二級は軽くある。私と美々子二人で準二級あたりだけど、私単独だと三級がせいぜい。どうやったって勝てない」

 

「でも、だったら……菜々子さんは」

 

「だから、憂太。車まで走って、助けを呼んで来い。頼んだ」

 

「菜々子さん!」

 

「三数える。そしたら走れ。一、二、三」

 

 菜々子さんは手を動かす。スマホの画面を指でなぞる。

 

「うわ……っ」

 

 パンダの足に切れ目が入って、綿が溢れる。めいぐるみ、だったのだろうか。

 

「憂太……! 行け!」

 

「はい!」

 

 僕がいても、役立たずだ。

 だから、言われた通りに助けを呼んでくるのがいい。全力で、車まで、来た場所を目指して走っていく。

 

 走って、走って、走って……こんなに走ったのはいつぶりだろうかと思った。

 足が痛んで、息が苦しくて、それでも、菜々子さんに言われたから、僕は助けを呼ばなければならなかった。

 

 足が、もつれる。

 無理をしたからかもしれない。必死に堪えて、前に進む。

 

「う……」

 

 それでも段差に躓き、転んでしまう。早く……早く立ち上がらなければならない。

 

 ポケットからはスマホが落ちてしまっている。転んだ勢いでだった。

 急いで拾って――、

 

「え?」

 

「きょひぃいいい」

 

 一緒に、連絡用と言われた夏油さんの呪霊も地面を這い回っている。

 いや、そうだ。連絡なら、夏油さんのこの呪霊を倒せばいい。それに、ここは圏外じゃないから、携帯でもよかったはずだ。

 

 連絡だけなら、僕がこんなふうに走って逃げる必要はなかった。

 

「あ……」

 

 違う。

 菜々子さんは、そんなことわかっていたんだ。逃げろと、まず菜々子さんは僕に言った。わかった上で、僕に逃げてもいい理由を作ってくれていた。

 

 連絡用の呪霊を潰す。落ちたスマホを手に取った。

 僕にできることは、そんな菜々子さんの意思を汲んで、ここから一刻も早く逃げる――( )

 

 

 ――憂太は、それでいいの?

 

 

 手に持ったスマホは、落ちたはずみで起動してしまっていた。画面が目に入る。

 そこに映っていたのは、この廃工場で撮った菜々子さんとのツーショットだった。

 

 最初は、反対をしていたけど、それでも彼女は僕を家族として受け入れようとしていたんだ。こんな僕に良くしてくれた。今は、僕なんかを逃すために戦ってくれている。

 だから、僕は逃げられて――、

 

 

 ――憂太は、それでいいの?

 

 

 そうだ。逃げちゃダメだ。

 僕は、首から下げた指輪を掴む。

 

「ありがとう、里香ちゃん」

 

 振り返る。そこには、パンダが立っていた。

 

「真希が追えっていうからな……。逃げるだけなら、見逃そうと思ってたんだけど」

 

「菜々子さんは?」

 

「あのギャルの子なら、真希が相手してるよ」

 

「なら、よかったです」

 

 ネックレスの鎖を引きちぎり、指輪を手に取る。それを左手の薬指へと嵌める。

 そんな僕を見て、パンダはたじろぐ。

 

「お前、憑かれてる?」

 

「僕は、一度は閉じこもって、消えようとしたんです。でも、一人は寂しいって言われて、耐えられなかった。そんな僕に彼女は居場所をくれようとしてくれたんです」

 

「……っ」

 

「菜々子さんたち以外の術師のことは分かりません……それでも、僕は……僕の家族を傷つける相手なら……」

 

「これ、ヤバいやつ?」

 

「……絶対に許しません――」

 

 ――里香ちゃん!!

 

「憂太ァアあ! 憂太ァア! 好きィイ!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「憂太のやつ、うまく逃げ切れてるといいけど」

 

「で、お前はどうすんの? 大人しく捕まるか、抵抗して捕まるか、抵抗して殺されるか」

 

「抵抗して逃げ切るに決まってんじゃん」

 

 呪詛師の女だった。歳はたぶん同じくらい。チャラついた女で気に入らない。

 

「できるもんならな!」

 

 薙刀の呪具を振るう。

 実家からこっそりパクって来た呪具だった。

 

「早……っ」

 

 かわされる。けれどこの狐ちゃん、呪力強化で動けはするが、そこまでじゃない。

 身体能力は呪力込みでも私が上。だったら、やることはひとつだけだ。

 

「おら……ぁ!」

 

 攻め続ける。

 一度、受けた脚の傷が気がかりだが、何かをする暇を与えずに切り続ければいいだけだ。

 

「くそ……っ」

 

「な……!?」

 

 右の手首の皮膚が裂かれ、血が吹き出す。

 まただった。脚のときと同じだった。

 

 なにをしたのか……この女が動かしていたのは指だ。スマホだ。

 私の薙刀をかわしながら……画面を見ずに操作をしていた。よほど慣れていたか、ラッキーヒットか。なんにせよ、怯んだ隙に、距離が取られる。

 

 取られた距離の先で、私にスマホを向けてくる。

 最初もそうだ。写真と言って、私たちにスマホを向けて来た。それが術式の条件。

 指の動きからして、本当に写真か……。

 

 なんにせよ、近づくしかない。私の間合いの中に入れる。

 

「痛……っ」

 

 脚が痛む。最初に切られた場所がさらにえぐられている。踏み込む一歩が甘くなる。

 気が緩んだその瞬間に、手首の傷も抉られている。呪具を痛みで手から離してしまう。かろうじて、落ちる前に掴み直す。

 

「武器、落とせよ」

 

「落とさねぇよ」

 

 痛みには、すぐに慣れた。

 まだ薄皮を切られた程度だが、あと二、三度受ければ厄介なことになる。

 

 違和感がある。

 写真を撮ることが条件なら、なぜ、さっきカメラを向けた。写真を取られるのは、たぶん二度目だ。一枚に攻撃一度が条件なら、最初に連写をして、それで済む話だろう。

 

 まぁ、いい。攻めて、攻めて、次は呪術を発動させる隙を与えはしない。できるのはそれだけだ。

 

「ち……っ」

 

 腹部、太もも……切れて、血が流れていく。器用にも、攻撃を避けながらも、スマホの画面を見ずに片手だけで呪術を発動させ続けている。

 だが、全て浅い。動くためには問題ない。さっきのように、傷を抉られはしていない。

 

 いや、そうか。

 

「お前の術式、割れてんだよ。写真で撮った人間に攻撃する術式だろ? さっきみたいに傷口抉れないのは、新しく写真を取らないとだからだ。最初の写真に傷口なんてないもんなぁ?」

 

「な……っ」

 

 ビンゴだ。

 

「最初の一撃であれしかダメージがないってことは、一回じゃ全力でも薄皮切る程度なんだろ? あれしか来ないってわかってりゃあ、そんなに怖いもんでもねぇ」

 

 なら、写真を撮られることだけに注意をすればいい。

 あとは、捨てる。どんなに浅い傷ができようとも、無視する。そして全力で取りに行く。それでいい。

 

 そこからは、一方的だ。

 多少はこちらの傷は増えるが、相手の体勢を崩して、着実に詰めていける。

 

「この……っ」

 

 一か八かか、スマホのカメラがこちらに向けられる。

 

「甘いんだよ……っ!」

 

 薙刀でスマホを弾き飛ばす。

 おしまいだろう。これで術式も発動できない。私の勝ちだ。

 

「私のスマホ……!?」

 

 弾き飛ばされたスマホを追いかけ、女はこちらに背を向ける。

 

「させるわけねぇだろ!」

 

「ぐ……っ」

 

 隙を見せた女を組み敷き、地面に倒し、マウントポジションを取る。

 急所を外し、薙刀を刺し、大人しくさせる。

 

「手間はかけさせやがって」

 

 終わりだ。せいせいする。

 あとは、パンダが戻ってくればそれで済む――( )

 

「私の術式は形代呪法。対象に見立てたものを形代として、その形代を変化させることで、その変化を対象へと還元させる術式」

 

「は……っ?」

 

 術式の開示……。

 意味がわからない。勝負は決したはずだった。そこに来て、呪術を底上げする術式の開示だ。ここから逆転の手がある……いや、でも……。

 

「対象は生物に限らず、一定の呪力をもつ無機物を指定することも可能」

 

 ちらりと、女はこちらの呪具の薙刀を見て、さらには地面に転がるスマホに手を伸ばす。スマホには、さっき撮られた私の写真が映っている。もちろん薙刀もだ。

 私に押さえつけられているから、スマホまでは手が届くはずがない。呪具が壊れたからといって、ここから私が負ける筋もないだろう。

 

 けれど、不気味だった。

 念の為、女の手を踏み付けながら、地面に転がるスマホに薙刀を突き刺す。スマホは壊れて画面が消える。写真はもう映らない。

 これで、安心――、

 

「お前、術師じゃないだろ? そのメガネ。私の家族にも、かけてるやついるからわかるんだよ」

 

「は……?」

 

 ひび割れて、メガネが壊れる。

 

 天与呪縛……フィジカルギフテッド。その呪縛により、呪力と引き換えに高い身体能力を手にしたが、私は呪霊が見えない。わずかに残った一般人並みに低い呪力も使えない。

 

 ようするに、非術師。高い身体能力により、呪具を扱い呪霊を祓うことはできるが、なんの補助もなければ、呪霊を見ることも、祓うこともできはしない。

 

「あぁ、私の術式、形代に変化を与えるのは術者でなくとも構わないんだ……。ぷ……高専っていうのは、術師じゃなくても、安全に戦えますって? そういうところか?」

 

「は? いま、呪力の使えない私に組み敷かれてるお前に言えることかよ?」

 

 なぜ、眼鏡が壊れたのか。

 私がスマホを壊したからだ。画面がひび割れてから、スマホの電源が壊れて落ちるまでに若干のラグがあった。

 画面のひび割れと写真のメガネ……その符合により術式が発動の条件を満たした。

 

 だから、なんだ。

 呪霊の見えるメガネがなくなったところで、相手は人間。しかも、術式の起点を失い、術式を使えなくなった相手だ。

 

「あぁ、夏油様……。感謝します」

 

 夏油傑。

 特級呪詛師。

 聞いたことがある。その術式は、呪霊操術。

 

 ――呪霊!?

 

「が……っ!」

 

 腹部に衝撃がある。見えない。確実に呪霊だ。

 直感で薙刀を振るい、反撃をする。浅い……。

 

「夏油様は、私たちに呪霊操術の制御下にある呪霊をつけてくださっている」

 

「くそ……お守り付きかよ……」

 

「連絡用の四級程度でも、夏油様の呪霊なら、お前は勝てない」

 

「ちく……しょう……」

 

 意識が遠ざかっていく。

 格下だった。それなのに、この体たらく……。恥晒しがよ……くそ……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「菜々子さん!?」

 

「憂太? 戻ってきたってマジ? あのパンダは?」

 

「それなら、里香ちゃんが追い払って……というより菜々子さん! その血の量!」

 

 床に倒れる菜々子さんからは、たくさんの血が流れている。どうしよう……死んでしまう。

 

「見た目ほどひどくはないし、まぁ、だいじょぶっしょ」

 

「手当……早く手当しないと……」

 

 まずは止血……だろうか。こんな場面に遭うことは、考えたこともなかったから、どうすればいいかわからない。どうしよう。どうすればいい。

 どうしよう――、

 

「――憂太ッ! こっちを見ろ!!」

 

「え……?」

 

 じっと、菜々子さんはこちらの目を見つめてくる。

 

「私は大丈夫だ」

 

 諭すように、それでも強い語気で菜々子さんは語りかけてくる。そんな菜々子さんの声に、少し冷静になる。僕はパニックになっていたのかもしれない。

 

「でも、血が……」

 

「術師は非術師より頑丈なの。そんなに心配するくらいなら、肩貸してくんない?」

 

 菜々子さんが、こちらに手を伸ばしてくる。

 動かさない方がいいんじゃないか、とも思ったけど、しばらく迷って、菜々子さんの目を窺う。嘘のようには思えなかったから、言葉を信じて肩を貸すことにする。

 

 車まで、歩き始める。

 

「……菜々子さん。お礼、言わないとと思って……助けを呼ぶなら、電話でも、呪霊を倒すのでも良かったし……僕を逃してくれたんでしょ?」

 

「私一人の方が足手纏いがいなくてよかった……なんて、カッコつけられような状況じゃないか……。これに、あのパンダがいたら、やばかったわけだし……」

 

 どこか観念したように、菜々子さんは言った。パンダ、と言うとともに、菜々子さんはこちらの顔をちらりと見る。

 

「それは……」

 

「ぷ……そんな顔して……。憂太、やるじゃん」

 

 菜々子さんに、頬を突かれて言われる。僕の力じゃなくて、里香ちゃんのおかげだ。どうしても、こそばゆい。

 

「菜々子さんの方がすごいですよ。僕にできないことができる。菜々子さんは、とってもすごい人です」

 

「ん……あんがと」

 

 そうして、僕たちは歩いていく。

 ここに来る前と比べたら、ずっと菜々子さんとは仲良くなれたと感じている。

 

 あのときもし逃げていたら、こんなふうには、きっとなれていなかっただろう。閉じこもっていたときもそうだ。僕に必要なのは、立ち向かう勇気だったのかもしれない。

 

 そうだ。ずっと、僕は逃げていたんだ。みんなから逃げて、世界から逃げて死ぬのを待って……そして、なにより里香ちゃんからも逃げてしまっていた。

 

 だから、そうだ。これからは、一歩ずつ、勇気を出して、みんなと向き合っていきたい。

 そうすれば、こんな僕も、生きてて良いって思えるはずだ。

 きっと、これからはうまくいく。菜々子さんや、津美紀さん、みんなとなら、きっとうまくいくと思える。

 

「しゃけ」

 

 目の前には、僕と同い年くらいの男の子がいる。

 

「え……?」

 

「おかか、おかか」

 

 意味がわからない。なにを言っているのだろう。

 

「君は……?」

 

「こんぶ、うめ」

 

 すっと、口を覆うマスクをおろす。

 

「蛇の目に牙……!? 憂太! 耳を!」

 

 菜々子さんが、血相を変えてなにかを言った。

 

「え?」

 

「『眠――」

 

 何かを言いかけたその時だった。

 世界が変わった。

 

「――『久遠色界』」

 

 まるで、深海にいるような、そんな世界だった。息をすることを許されていないかのような、そんな重圧さえある。

 ところどころに湧き立つ泡が光を反射し、星のように煌めいている。

 

「理子様……」

 

 気がつけば、()()は男の子の後ろに佇んでいる。

 その存在感に、男の子は完全に硬直してしまっているようだった。

 

「菜々子さん……傷が……」

 

 あんなに酷かった菜々子さんの傷が治っていく。この空間の不気味な印象とは裏腹に、優しい気分になれる。菜々子さんの顔色も目に見えて違う。

 

「理子様……また……。ありがとうございます……」

 

「…………」

 

 菜々子さんの言葉に、黙って頷いていた。

 

「菜々子さん。これは……?」

 

「領域展開……必中必殺の呪術の極致……。生得領域を具現化して、術式を付与してる」

 

 男の子の前に出たこの空間の主は、じっと、金縛りにあったように動かない男の子の口の中を見つめる。

 

「…………」

 

 ひとしきり覗いて、すぐに興味を失ったように、彼女はこちらに振り返った。

 近づいてくる。

 

 同時に、世界が砕け散った。

 あの深海のような世界はなくなり、廃工場の敷地内へと風景が戻る。

 

「理子様……!」

 

 ()()は手を伸ばして、菜々子さんの頭を撫でていた。安心しきって、少し嬉しそうに菜々子さんはそれを受け入れていた。

 

「………」

 

 彼女はちらりと、こちらを見る。

 

「え……っ?」

 

 僕も頭を撫でられていた。

 子ども扱いをされているようで、少し恥ずかしい。

 

 そういえば、気がつく。

 僕たちの前に現れた男の子は、もうどこにもいなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「特級過呪怨霊……祈本里香。こちらで抑えてあげたからには、感謝してほしいんだけど。どうだい? 硝子」

 

 足元には、ボロボロになったパンダが転がっている。見た目こそ、傷だらけだが、パンダは呪骸。存在の要である核にはなんの損傷もない。

 

「そっちの狙いはなんだ? わざわざ任務に被せておいて……」

 

「被せたなんて、言いがかりだな。偶然だよ。もう少し信用してほしいんだけど」

 

「無理だね」

 

 相変わらずだ。硝子は、おそらくは乙骨憂太の起爆剤として、今回の件を仕組んだと思っているのだろう。肩をすくめる。

 

 パンダを見て、思い出す。自立した自我を持つ突然変異呪骸だった。

 

「改めて、夜蛾先生のことは残念だったよ」

 

「そうだね」

 

「未曾有の大震災に、津波に、それによって溢れ出した負の感情であの年は特に忙しかったからね。学長という立場でも、現場に出ざるをえなかった……私たちも手が回っていなかっただけに、本当に残念だよ」

 

 硝子から聞いて悟と共に駆けつけたが、酷いあり様だった。

 もうすでに手遅れで、理子ちゃんの力でも、どうしようもできなかった。

 特級呪霊、黒沐死……それが夜蛾先生を殺した呪霊だった。仕留めるのは一瞬だった。

 

 ――傑、俺たち、強いよね?

 

 ――そうだね。

 

 ――人間って、こんなに弱いやつにも殺されるんだよな。

 

 ――あぁ、そうだろうね。

 

 悟は、空を見上げてそう言った。

 悟のその言葉は、私たちの中で、共通の感覚として存在しているものだった。

 

「あれが、先生の選んだ死に方だし……」

 

 非術師たちを守って死んだと聞いている。私たちがいるのだから、放っておいてもいつかはその呪霊も祓われていただろう。

 でも、夜蛾先生はそうはしなかった。それだけの話だ。

 

「そうだね」

 

 先生は、立派な人だった。

 それだけに、残念でならなかった。

 

「夏油! 特級呪詛師! なんで私まで治したんだよ? 敵に情けをかけられるとか、恥晒しにもほどがある……」

 

 そういえば、いたんだった。

 非術師の女の子だ。菜々子のついでに、理子ちゃんが治したんだった。まぁ、理子ちゃんが治さずとも、硝子が治しただろう。

 

「なにも、恥に思うことはないさ。術師が非術師を……強者が弱者を助けることは当然のことだよ。というか、硝子。いくら呪具があるからといって、非術師を任務に向かわせるなんて、高専はそんなにも人手不足なのかい?」

 

「てめぇ!!」

 

「煽るな、夏油。相変わらず、お前は若いままだな」

 

 硝子は窓の外を見つめる。その先には、二人の若者に寄り添う特級の呪霊がいた。

 

「いや、進んでるさ。計画はね。それに、あのときの縛りはそういうものだったのかもしれないかな。()()()()()()だけだよ」

 

「それを若いって言ったんだ。バカ……クズ……」

 

 どうしてか、今日の硝子はあたりが強いようだった。

 高専の学生の前だからかもしれない。

 

 そうして話していると、むくりと、パンダが起き上がった。

 

「硝子……呪詛師と、どうしてそんなに仲良く? もしかして、硝子……高専を……」

 

「いや、硝子は高専を裏切ってはないよ。むしろ逆だね。こっちの内情を探っては、高専側に流したりしてる」

 

 硝子は呪術界の上に、私たちに共謀していると思われているから、意図してこちらの情報を流して、硝子の利用価値を呪術界に示すことで立場を保っている。

 こちらの計画に関しては、硝子は乗り気ではなく、あまり手伝ってくれてはいなかった。

 

 パンダは、硝子をどうしても心配しているようだ。

 

「……硝子。危なくないか? それで、殺されたりしないのか?」

 

「高専の同期だから。それに、同期の私を殺すくらい薄情な奴らだったら、この国はもうとっくに終わってるかな」

 

「そうかな……?」

 

 相変わらず、硝子は私たちに辛辣だった。

 悟も言っていたけれど、学生の頃と比べて、大きな溝を感じてしまう。学生の頃とはなにもかもが違うのはそうだ。

 

「それじゃあ、私たちは行くから。追ってくるかい?」

 

 今すぐこちらに襲いかかりそうな、非術師の子に視線を向ける。呪霊が見えないというのに、凄まじい意気込みだ。

 

「追うわけないだろ、バカ」

 

 そんな非術師の女の子を、硝子は手で制して言った。

 

「じゃ、また。灰原や七海にも、よろしく」

 

 七海はなんだかんだで呪術師に戻ったみたいだし、灰原はいま高専で教師をやっているみたいだった。後輩たちも元気でやっているようで、なによりだ。

 

 私は、家族たちのもとへと帰るとしようか。

 

 

 ***

 

 

 僕たちは、家に帰った。

 菜々子さんは、傷をあの子に治してもらってもう大丈夫だから、本当に良かった。そうして菜々子さんは、血まみれになった服を着替えて、血を落とすために、お風呂に入っているところだった。

 

 菜々子さんの心配はもういらない。

 それで、ご飯を作っているみたいだったから、なにか手伝おうと思って、僕は台所にいく。

 

「えっと……」

 

「黒井美里です」

 

 知らない……初めて会う人がいる。

 使用人のような服を着ていた女の子だった。

 

「えっと、黒井……ちゃん?」

 

「憂太くん!」

 

 ちょんちょんと、肩を突かれる。そちらを見れば津美紀さんだった。

 津美紀さんは僕に耳打ちをしてきた。目の前の人が、僕の思ったような年齢と違うことを教えてくれる。

 

「えっ……!?」

 

 一目見ただけでは、年下だと思ってしまったけれど、相当に歳が離れている。というか、夏油さんや、五条さんより年上かもしれない。

 

「黒井さん。私たちの母親代わりの人なんだ」

 

「あ、そうなんですね」

 

 ぺこりと、黒井さんは僕に一礼をしてくれる。どうもと、ぎこちなかったかもしれないけれど、簡単に返事をする。

 

「そういえば、憂太くん。こっちに来たってことは、なにか他に食べたいものでもあった?」

 

「あ、いや……。なにか手伝えることがないかなって思って」

 

「もうっ! 主役は憂太くんなんだから、休んでて!」

 

 そうすると、津美紀さんはぷりぷりと怒ってそう言う。

 

「あ……いや」

 

 そうして僕は締め出されてしまう。

 台所の前で、立ち尽くす。どうすればいいだろうか。

 

「なにしてるの?」

 

「あ、美々子さん? その……手伝おうとしたら、津美紀さんに」

 

 しょざいなさげにしていた僕を見つけたのか、美々子さんに話しかけられる。

 

「津美紀、けっこう頑固だから……。暇でしょ……? なら、ちょっと付いてきて?」

 

「え……あ、はい」

 

 美々子さんに、歩いてついていく。たどり着いたのは、建物の中庭のような場所だった。

 

 芝生の上に、美々子さんは座る。隣に座るように、促され、僕も座った。

 

「まずは、そう。今日のことは聞いたから、菜々子のこと、ありがと」

 

「え、あ……そんな。僕こそ、菜々子さんにお礼を言わなくちゃで」

 

「うん、知ってる……全部。だから、ありがと」

 

「え……っ?」

 

 わかった上で美々子さんにお礼を言われて、僕は困ってしまう。

 

「ねぇ、私たちのこと、知りたい?」

 

「えっと……」

 

 唐突に言われて、答えに窮してしまう。どう応じればいいのかわからない。

 

「私たちは双子で、地図にも載らないような田舎の村で生まれたの」

 

「あ、……はい」

 

 美々子さんは、こちらの返答を待たずに話し始めてしまった。

 

「私たちの周りにいた人間たちは非術師ばかり、術式を持つ私たちは、奇妙な力だって、あいつらは嫌ってた。それでも、それだけなら……まだ良かった……」

 

「え……」

 

「村の中で発生した呪霊のせいで、村の人間が次々に死んでいった。それで、私たちは狭くて苦しい檻の中に入れられた。私たちのせいにされた。殴られたり蹴られたり、すごく痛かった」

 

「そんな……っ、美々子さんたちのせいじゃないのに……!」

 

 理不尽だった。

 呪霊のせいなのに、美々子さんや菜々子さんが、そんな目に遭うなんて、許されることじゃなかった。

 

「うん、痛かった。私が殴られるのは痛いけど、菜々子が私を庇って殴られるのはもっと痛かった。ろくになかったご飯も、私にばかり菜々子は……」

 

「…………」

 

 昔のことを語る彼女の表情を見れば、悲惨だったことは充分すぎるほどにわかるほどだった。

 共感して、胸が痛い。

 

「ふふ……そんな私たちを助けてくださったのは、五条様に、夏油様だった。あの村の人間たちに、死よりも厳しい制裁を与えてくださったの……!!」

 

 美々子さん、怖い。恍惚とした笑みに、あの二人をどれだけ信奉しているかがわかってしまう。

 

「えっと……」

 

「呪霊は嫌い。非術師はもっと嫌い」

 

 すんとした表情に戻ったあと、美々子さんはそう呟く。

 

「非術師って、じゃあ津美紀さんのことは……」

 

「津美紀には、今は内緒。津美紀は、いつか術師になれるって夏油様がおっしゃっていたし」

 

「そうなんだ」

 

 津美紀さんは、自分がその非術師であることで悩んでいた。その悩みを解決する方法があることに、安堵する。

 

「非術師は、私たちよりとっても弱い。私たちより弱いやつは、いじめていい。私たちの好きにしていい。五条様はそうおっしゃっていた」

 

「それって……」

 

「結局は私たちは、あの二人の気まぐれに生かされているにすぎない。それでも、私たちはあの二人のモノでいい。私たちはそれがいいの……」

 

「そうなんだ」

 

 少しだけ、悲しいなと僕は思う。

 彼女の表情といえば輝いていて、僕にとっては恐ろしくうつってしまう。

 

「憂太は、尊敬してる? 夏油様に、五条様」

 

「え……っ!? あ、うん。まぁ」

 

「……じーっ……」

 

 強く見つめられる。

 なんというか、ここで否定の言葉でもいってしまえば、殺されるんじゃないかと思った。

 

「美々子さん……?」

 

「私の術式、知ってる? 菜々子と同じ」

 

「え、あ……それなら、菜々子さんに教えてもらいました。写真撮るやつですよね?」

 

 独特な話題の転換だった。なんとかついていく。

 

「そう、形代呪法。でも、私は写真じゃなくて、これ」

 

 美々子さんは、抱きしめていた人形を、僕の前に突き出して言う。

 奇妙な人形だった。縫い目の感じから、たぶん手作りだろう。

 

「えっと、これを使うって……?」

 

「見てて?」

 

 ポッケから、美々子さんはマッキーを取り出すと、人形についていた名札っぽいモノに、『乙骨憂太』と書き込んでいく。

 

「僕の名前?」

 

「そう。この人形の情報を、こうやって呪いたい相手に近づけていく。髪の毛、くれる?」

 

「え、あ、はい」

 

 数本抜いて、美々子さんへと渡した。

 美々子さんは、器用に人形の頭の縫い目へと渡した髪の毛を埋め込んでいく。

 

「ていや」

 

 人形に、美々子さんはデコピンをした。

 

「いた……っ」

 

 じんと、額に痛みが走る。

 

「ふふ、これで憂太は思いのまま」

 

 人形をいじって美々子さんは遊んでいる。

 美々子さんが触るたびに、人形の触られた部分が少しむず痒くなる。

 

「美々子さん、くすぐったいです」

 

「そう。憂太は、呪術師なんだから、少しは人を疑わないとダメ。素直に髪の毛渡したから」

 

「でも、美々子さんは、家族ですよね? 疑う理由なんてないですよ」

 

「……!?」

 

 驚いたように、美々子さんはこちらを見つめる。

 ちょっと、今の言葉はまずかったかもしれない。

 

「そうですよね。今日、会ったばっかりで、こんなこと……おかしいですよね」

 

「別に……」

 

 なんとなく、気まずい。

 

「今日、菜々子さんに助けてもらって、僕は菜々子さんに逃げさせてもらったんです。でも、それだと、菜々子さんは傷つくばかりで、家族になろうとしてくれたのに……。思えば、僕は逃げてばかりだった」

 

「…………」

 

「だから、もう、逃げない。逃げないでちゃんと向き合うって決めたんです。菜々子さんや、津美紀さん、恵くんに、もちろん美々子さんにも……ちゃんと」

 

 それに、里香ちゃんともだ。

 

 だから、まず信頼されるにはこちらから信頼することだと思った。美々子さんのことを、疑ったりは絶対にしない。

 

「うん。憂太は家族。だから、私も疑わない」

 

 人形をいじるのをやめて、空を見上げて美々子さんは言う。

 つられて僕も空を見れば、夕暮れの赤から黒のグラデーションに、特別明るい二つの星が輝いていた。

 

 少しの間、空を二人で眺めていた。心地のいい静かさを僕は感じる。

 今日はいろいろなことがあった。一つ一つ、頭の中を駆け巡っていく。思い出した。美々子さんには謝らなくてはならないことがあった。

 

「あ、えっと。今日は、その……着替えのとき……すみませんでした」

 

 美々子さんは顔を赤くする。恥ずかしさからか人形をギュッとした。人形にダメージが入ったからか、少し息苦しかった。

 

「ん……憂太は家族だから、別に構わない」

 

 そう言いつつ、きゅっとさらに人形をきつく抱きしめていた。本当に苦しい。

 

「み、美々子さん! 息が……! 人形! 人形!」

 

「あ……っ」

 

 気がついたように、美々子さんは人形を手放す。

 

「はぁ、はぁ……。苦しかった……ぁ」

 

「ごめん。ふふ」

 

 美々子さんは、失敗を誤魔化すように、少し照れたように笑った。

 

 そんな顔を見て、美々子さんも、生き方が少し違っただけで、普通の女の子なんだと思った。

 

「憂太ーぁ。美々子ー。なにしてんの?」

 

 菜々子さんだった。

 お風呂上がりの菜々子さんからは、風に乗っていい匂いが流れてくる。メイクを落として髪を下ろした菜々子さんは、少し違った印象で真新しい。

 

「ん、菜々子。憂太は家族」

 

「ふーん、そういうこと」

 

 菜々子さんは僕の名前の書かれた人形を見た後、僕と見比べて、なにかを察しているようだった。

 

「えっと、あの……」

 

「美々子、スマホ貸して? 私の壊れたから」

 

「ん……」

 

 美々子さんは、すぐにスマホを菜々子さんに渡す。貸し借りにあまり抵抗がないのだろう。

 

「じゃ、写真、三人で。はい、いぇーい」

 

 美々子さんと菜々子さんに間に挟まれて、体を寄せられた後、パシャリと写真を撮る。

 

「もー。憂太、表情かたーい」

 

「ふふ……ほんとに」

 

 写真はあんまり慣れていなかった。僕のスマホに送られてくる三人の写真は、確かに僕の表情がぎこちない。

 

「そうですね、これは」

 

「それじゃ、ご飯だから。五条様に夏油様も来たから、憂太の歓迎会」

 

「いこ?」

 

 二人に連れられて、僕は歩いていく。

 そういえば、疑問が浮かんだ。

 

「美々子さん。菜々子さん。二人は、夏油さんに五条さんを尊敬しているみたいですけど、もし夏油さんや五条さんの意見が分かれたりしたときは……」

 

「そんなことないでしょ」

 

「え……?」

 

「私と菜々子と同じ。そんなこと絶対にない」

 

 そう言い切られる。

 

 その後の歓迎会では、僕は暖かく迎えられる。一緒にご飯を食べて、最後にはみんなで写真を撮って、僕はここで新しい家族と一緒に、暮らしていけるんだって思えた。

 

 

 ***

 

 

「硝子と同じ反転術式のアウトプットも覚えたか。憂太は優秀だね」

 

「私は無尽蔵の呪力総量に、無制限の術式模倣を評価したいかな」

 

 乙骨憂太が呪術を学んでそこまで経たない。だというのに、凄まじい成長スピードだった。

 悟にもできない反転術式のアウトプット。さらには、祈本里香による無尽蔵の呪力に、無制限の術式模倣さえできるという。

 

「私たちも、うかうかしてはいられないというわけだね」

 

「傑。それ、本気で言ってる? 憂太はまだまだでしょ。最低でも領域展開は習得しないと」

 

 私たちの話に、理子ちゃんはあくびをしていた。

 

「悟はそう言うけど、すぐに憂太なら習得してみせるさ。若者の成長スピードは舐めたらいけないんじゃないかい?」

 

「とは言っても、術式の模倣だろ? 六眼ありきの俺の無下限も、天内ありきの傑の呪霊操術の戦法も、憂太は使えない。このままだったら、頭打ちだね。俺たちに、一歩劣る」

 

 事実、そうだろう。

 領域展開、さらには折本里香の完全顕現を使いこなせたとしても、私たちに届かない。

 

「それでも、悟は憂太に期待してるんだろう?」

 

「まあね?」

 

「……ふっ」

 

 一つ、なにかきっかけがあれば、憂太は私たちに喰らいつけると、そう悟は思っているのだろう。

 

「ま、それでも……最強なのは俺たちだけど」

 

 ただ、私も悟も、負ける気はないということだ。互いに実力の拮抗する私たちは、互いに高め合うことで、日々強くなっていっている。

 憂太が実力をつけてくれるその日には、今よりも強いはずだ。そのときが楽しみに思えてくる。

 

「それで、恵はどうするんだい?」

 

「……っ」

 

 相談に来たのは恵だった。

 私たちのことを苦手に思っていることはわかっているからこそ、意外だった。

 

「恵、憂太に越されて焦ってるでしょ?」

 

 デリカシーなく悟は尋ねる。変わらない悟に、私は呆れる。

 

「そりゃ、間近であんなもの見せられたら、焦らない方がおかしいですよ」

 

 術師として、鍛えてきた歴としては恵の方が長い。憂太が年上とはいえ、こんなにもあっさり越されてしまえば、焦るのも仕方ないだろう。

 

「恵、本気の出し方知らないからね」

 

「は?」

 

「いざとなれば……って、自分の命を捨てるだけでなんとかなるって、思ってる。その奥の手だろう?」

 

「……それは……」

 

 自分の命もろとも相手を倒せる奥の手が恵にはある。

 自分の命を投げ出すだけで、どうにかなる安心感からか、恵は死ぬ気で力を振り絞ることはなかった。それを悟は指摘している。

 

「ただ、言っとくけど、恵。魔虚羅じゃ俺らは倒せないよ?」

 

「……っ!?」

 

「試してみる?」

 

「後悔しても知りませんよ?」

 

「大丈夫、大丈夫。俺たち、最強だし」

 

 かつて、六眼と無下限を持つ術師と相打った十種影法術。そのときに、使われたと予想される最強の手札だ。

 

「布瑠部由良由良――」

 

 ――八握剣異戒神将魔虚羅。

 

 十種影法術。最初に与えられる二体の玉犬から、調伏の儀で新たな式神を倒し、倒した式神を仲間に一種類ずつ式神を増やしていく術式だった。

 

 そして、調伏の儀には他者を巻き込むことができる。ただ術者以外を巻き込んで調伏をおこなった場合は無効だった。

 しかし、調伏の儀で呼び出された式神は、調伏の儀に巻き込まれた人間を、術者も含め全て殺すまで止まらない。

 

 八握剣異戒神将魔虚羅。

 十種影法術の中で、誰も調伏に成功のしたことのない最強の式神。調伏の儀に敵を巻き込めば、すなわち、それは最強の自爆技となる。

 

「そのワンコの賑やかし……調伏の儀のとき、いっつもいる感じ?」

 

 調伏の儀の開始により、魔虚羅に伴い現れた犬たちだったが、戦端を開く法螺笛代わりの遠吠えをして、影となって消えていった。

 

「俺は、手伝いませんよ?」

 

「それでいいよ。それと……」

 

「なっ……」

 

「妨害も禁止ね」

 

 一瞬で悟は恵を組み伏せ、掌印を結ばせないようにする。これで、恵は術をもう発動できない。

 

 魔虚羅が動く。それよりも早く悟が動いた。

 

「領域展開――『無量空処』」

 

 領域展延により私は身を守る。

 領域に付与された術式が発動し、魔虚羅は完全に動きを止める。六眼が、見つめる。

 

 ガコンと、一つ方陣が回った。

 

 悟の無量空処を受けながらも、ぎこちなく、魔虚羅は動き出そうとしている。

 

「ふーん。この調子なら、だいたい完全な適応まで六回くらいか。方陣が一つ回るごとにグラデーションで適応していくと……」

 

 ――術式反転『赫』。

 

 次の瞬間には、十種影法術最強の式神は消失していた。

 かつて、相打ちになった、というには呆気ない。悟の方が過去の術師より強かったか、十種影法術を使った術師が別の手を使って相打ちに持ち込んだのか。

 

 なんにせよ、悟にとって、魔虚羅単体では脅威にならなかった。

 

「くそ……っ!!」

 

「これでわかったでしょ、恵。最低でも、魔虚羅調伏しないと僕らには勝てないよ? だって僕ら、魔虚羅より強いもん」

 

「じゃあ、どうしろって」

 

「今の恵じゃ、僕たちどころか、憂太にも追いつけない。もっと欲張れ。死んで勝てないんなら、死ぬ気で勝ちにいくしかないでしょ」

 

「……っ」

 

 

 ***

 

 

「八十八橋……?」

 

「そ、心霊スポット。ま、こういうところは呪力の溜まり場になるから、パトロールをするんだ。行って来て?」

 

「え? あ、はい」

 

 そう言われた。

 それで、僕たちは八十八橋に向かうことになった。

 

「なにも、夜に行くことないんじゃない?」

 

「憂太はわかってないっしょ。こういうのは雰囲気が大事なの。うらめしやー」

 

 そうやって、菜々子さんは僕のことを怖がらせようとしてくる。全然怖くなかった。

 

「さっさと終わらせて帰りましょう」

 

 なぜか、全員で肝試しに行くことになってしまった。無理やりに連れて来られた恵くんはそう言う。

 

「もう、恵。そんなこと言わない」

 

 最初は肝試しに反対していた津美紀さんだったが、今になってはかなり乗り気だった。

 ちょうちん持ってるし。どこで買ったんだろう。

 

「憂太、バンジーする……? 紐……持ってきたけど」

 

「美々子さん、それタコ糸だよね? やらないよ?」

 

「憂太なら、紐なくても大丈夫でしょ。形だけ」

 

「いや、そうだろうけど、やらないからね?」

 

 八十八橋でバンジーをするというのが、若者の中で流行っているという話はあった。

 確かに、呪力で防御をすれば、橋から落ちたくらいなら大丈夫だと思う。だからといって、タコ糸で飛び降りたりはしないし、そもそもバンジーをすること自体が迷惑でしょ。

 

 美々子さんは、本当に残念そうにしていた。

 

「よっし、着いた八十八橋」

 

「なんていうか、普通の橋だよね。残穢もないし、呪霊もいない」

 

「もう、帰っていいですか?」

 

 本当に恵くんは帰りたそうだった。

 

「待て待て、恵。私が調査したかんじ、この橋の下を歩いて散策するのが一番肝試しっぽい!」

 

「本当にやるんですか?」

 

「くじ、作ってきた。二人と三人に分かれて、一周して戻ってくる感じで」

 

「スマホアプリのくじでよかったでしょ」

 

 恵くんは、菜々子さんにそんなふうに指摘をすると、こういうのは雰囲気が大切なのと、津美紀さんに怒られていた。

 

 全員で、くじを引く。

 

「えっと、津美紀さん?」

 

「みたいだね」

 

「じゃ、私たちは恵と三人ってことか」

 

「ん……」

 

「そんなふうに掴まなくても逃げませんよ」

 

 恵くんは、菜々子さんと美々子さんに、両側からがっしりと腕を掴まれて、逃げないようにされていた。

 

「それじゃ、僕たちからですかね」

 

「いってらー! 津美紀ー、憂太ー」

 

 恵くんを掴んでない方の腕を振って、菜々子さんは僕たちを見送ってくれている。

 それに応えて、小さく僕たちも手を振る。

 

「ねぇ、憂太。憂太は怖くない?」

 

「えっ? あ、いや、何度か任務でこういう感じのところはあったし、それなりには慣れてるかな」

 

「そうなんだ。私は、ちょっと怖いかも」

 

 心細いのか、津美紀さんはいつもより僕に近づいて歩いていた。

 呪霊の警戒は一応するけど、気配もない。あるていど歩き回ったら、菜々子さんたちと合流すればいいだろうか。

 

「そういえば、津美紀さん。恵くん、最近」

 

「ん、恵? たしかに最近、ちょっと変だよね。なんというか、私たちにもよそよそしいし」

 

 今回、恵くんを強引に誘ったのも、それが理由だったのかもしれない。

 菜々子さんは面倒見がいいし、美々子さんは諌めるところはしっかり諌める性格だった。二人とも、恵くんのことを心配しているようだったから、今はいろいろ恵くんから聞き出そうとしているところかもしれない。

 

「そういえば、恵くん。あの、五条さんと夏油さんのこと、すごく嫌ってると思うけど」

 

 美々子さんや、菜々子さんくらい慕っているのも、ちょっと心配になるけど、反対に恵くんは打倒二人を掲げるくらいの反発ようだ。

 

「あぁ、恵はちょっと反抗期だからね。もちろん、夏油さまや五条さまには悪いところもいっぱいあるよ? でも、それでも私たちにとっては良い人たちだから」

 

「良い人……では、まぁ、そっか」

 

 僕たちは、二人に守られている部分がかなりある。二人の性格は、まぁ、うん、手放しに尊敬できるものではないけど、それでも僕たちにとっては間違いなく恩人だった。

 

「あの二人って、いくら強くても人間なんだよ? 恵は強いあの二人に、強いからこそかな……完璧を求めすぎてるってだけ。やっぱり反抗期なんだよ」

 

 そんな恵くんの態度を、津美紀さんは反抗期という言葉でまとめる。

 

「じゃあ、津美紀さんは、あの二人のことは……そこまで」

 

「憂太、あのね。とっても、すごい人たちなんだよ? 国を相手にして勝っちゃったし。私たちの頼んだことは、たいてい叶えてくれるし」

 

 津美紀さんからは、美々子さんや菜々子さんに準ずるものを感じてしまう。恵くんの心配は間違っていないんじゃないかと感じてしまう。

 

「えっと、じゃあ、とりあえず。先に進もうかな」

 

「憂太、話逸らしたよね?」

 

「あはは……」

 

 そうやって、進んでいく。たまに残穢を探してみるけど、やっぱり呪霊はいないみたいだった。

 

「川、だね。津美紀さん。一周って言ってたから、ここから引き返す?」

 

「うーん? このくらいなら、飛び越えられるけど、飛び越えちゃおう。後ろから来たらビックリするかな?」

 

「え、まぁ、そうかもしれないけど。危なくないかな?」

 

「いや、流石にこのくらいなら、大丈夫だと思うよ? えい」

 

 そうして、津美紀さんは川を飛び越えていく。

 津美紀さんの言うとおり、流れる川は小川と言えるほどで、ちょろちょろと水が流れている程度だった。そこまで心配する必要はなかったかもしれない。

 

「え……?」

 

 いない。

 川を飛び越えた……はずだ。けれど、その先に津美紀さんの姿がなかった。

 

 どうすればいい。何が起こった。

 川を飛び越えたからだろうか。いったん菜々子さんや、美々子さん、津美紀さんに相談? いや、津美紀さんは非術師だから、時間をかければかけるほど危ない。

 

 スマホで、手早く菜々子さんにメッセージを送って覚悟を決める。

 

「津美紀さん!!」

 

 同じように川を飛び越える。

 

「憂太!!」 

 

 着地した先は、景色からして違っていた。

 

「これって、領域展開……いや、結界術?」

 

 呪霊……それも等級が高い可能性がある。

 警戒してあたりを見渡す。

 

「憂太、アレ!」

 

「え?」

 

「ナアアアアアアア」

 

 モグラ叩きのモグラみたいな呪霊だった。

 穴もたくさん、ある。やっぱり、モグラ叩きの呪霊かもしれない。

 

 呪具の刀を取り出して、構える。

 

「津美紀さん。大丈夫ですか?」

 

「うん。こっちに攻撃はしてこないみたい。でも、ちょっと、気分が悪いかも」

 

「……っ。できるだけ早く倒すから」

 

 津美紀さんは、非術師だから呪いへの耐性がない。耐性がない以上、こういう呪霊の結界の中にいるだけで、じわじわと呪いにあてられて、体力を奪われていく。

 

「むり、しないでね」

 

「ええ」

 

 モグラ叩きの呪霊に向かって、走り出す。

 

「ナアアアアアアア」

 

 刀で、切り裂く。手応えはあった。呪霊の消失反応もある。

 

「まだ……?」

 

「ナアアアアアアア」

 

 数が、多い。

 本当にモグラ叩きだ。本当に数が多い。

 

 津美紀さんのためにも早く倒したいのに、その数の多さにいやになる。

 

「憂太、疲れてない?」

 

「大丈夫です」

 

 こっちに来てから鍛えているし、呪力の扱いを覚えた。そのはずだけど、この数は疲労が溜まってくるほどだった。

 

 それでも、根気よく倒していけば終わりは見えてくる。

 

「ナアアアアアアア」

 

「く……っ。ラスト」

 

「キャキャキャキャキャ」

 

 最後は少し手強かった。

 こちらの刀での攻撃を予測し、穴へと潜り、今度は後ろに出現する。

 

 ただ、こちらの攻撃手段も刀だけではない。相手の動きも単純だった。

 呪力の放出を当て、祓う。

 

 結界が崩れていく。

 

「お疲れ様、憂太」

 

「ありがとう、津美紀さん」

 

 そこそこ時間が経ってしまっている。やっぱり、数が多くて大変だった。

 ふと、気がつく。地面に落ちている大きな呪力の気配だった。

 

 指――?

 

 拾い上げる。

 

「なにこれ?」

 

「えっと、うーん。指……両面宿儺の指かも。特級呪物」

 

「え……っ!? 触ってよかったかな?」

 

 とっさに思い出せなかっただけで、話には聞いたことがある。本物は見たことがなかったから、本当にこれがそれかはわからないけど、もっと丁寧に扱った方がよかったかもしれない。

 

「とりあえず、持っていこう? これが、宿儺の指だったら、ここら辺が危ないし」

 

「うん、そうだね」

 

 とりあえず、指はポケットにしまう。非術師の津美紀さんが持つわけにもいかないし、これは僕が持つべきだろう。

 

「そういえば、菜々子さんたちは」

 

 まず、安否を知らせる連絡をしようとする。

 もしかしたら、心配をして、こっちに向かってくれているかもしれない。

 

「え?」

 

「どうしたの、憂太?」

 

「未読?」

 

 メッセージは未読だった。おかしい。なにかあったかもしれない。菜々子さんが、確認をしないなんてことはないはずだ。

 急いで、待ち合わせの場所に向かう。

 

「あそぼ……ぉ。あそぼ……ぉ」

 

 そこには、血だらけで、菜々子さん、美々子さん、恵くんの倒れている光景が広がっていた。

 

 

 

 ***

 

 

「恵、これ、なんだと思う?」

 

「呪霊、ですかね……」

 

「あそぼ……ぉ。あそぼ……ぉ」

 

 背後に異様な気配を漂わせて、立っていたそれだ。細長い首に、短い手足……奇妙な形をしておおよそ人間とは思えなかった。

 

「なんというか、パンダに似てる……」

 

「パンダ? 全然、そんな感じじゃないですけど」

 

「菜々子……パンダ、これだよ?」

 

 この間、上野動物園に行ったときのお土産のパンダのぬいぐるみのキーホルダーを、美々子は菜々子に見せる。

 

「いや、そうじゃなくて、憂太が来たばっかのとき戦ったパンダの呪骸に似てるってこと」

 

「呪骸? あれがですか? ってことは、術者がいる?」

 

 呪骸は術者の呪力で動く。

 とはいえ、手の届く範囲に術者がいるとは限らないか。

 

「いや、あのパンダは自己補完できてる感じがあった。これが最近の呪骸のトレンドかもしんない」

 

「それって、ありなんですか?」

 

 人工的に呪力の自己補完のできるモノを作り出せる。それはかなりの脅威に思える。

 

「あそぶ……あそぶ……」

 

「とりあえず、これは呪骸ってことで……核狙い……なら、恵より私たちの術式がいいかも」

 

「じゃあ、俺は足止めで……」

 

「オッケー、じゃあ、ナイスショットできるように、サポートよろしく」

 

「わかりましたよ!」

 

 十種影法術――大蛇。

 

 今ある手札の中で、一番拘束力に長けた式神だ。

 

「キャハハハハ」

 

 呪骸らしきそれに噛み付く。大蛇に噛みつかれながらも、そいつは奇妙に笑っている。

 

「美々子」

 

「うん」

 

「せーの」

 

 そうして、菜々子は写真を撮る。

 

 美々子と菜々子の術式は形代呪法。菜々子の写真は、対象の形代を用意する手順が簡単な反面、形代への攻撃手段が限られる欠点がある。反対に、美々子の人形は、対象の形代と認めさせるためにいくらか手間がかかる欠点があるが、一度形代としてしまえば攻撃の自由度は高い。

 

 写真を対象の形代とするために、菜々子はスマホに呪力をこめるが、同時に美々子も人形に呪力をこめる。

 

 一卵性双生児は、呪術的には同一人物とみなされる。

 ゆえに、美々子と菜々子に限って起こるバグ。同一人物が、同一の術式を、同一のタイミングに使用したため、菜々子が写真を形代に選んだ瞬間、物体を形代にする呪術的条件を達成したという事実が、美々子にも適応される。

 

 結果、菜々子の写真だけでなく、美々子の人形も、複雑な手順を挟まずとも形代として認められる。

 

「核みたいなの……三つ? デコイ?」

 

「とりあえず、一番、呪力の大きいやつで!!」

 

「うん」

 

 美々子、ポケットから取り出したキリで、人形の腹部を貫く。

 

「キャハ……? ギャアアァアアアア」

 

 悲鳴と、血の噴出。

 そうして、大蛇に拘束されていたその呪骸らしきそれは、力なくうなだれる。

 

「やった?」

 

 核があった、ということは呪骸……。それにしてはなぜ血を噴き出した。呪骸なら人形のはず。奇妙すぎる。

 

「術式効果は切れてるから、死んだのは間違いないはず」

 

 美々子が言うからには、死んでいるのだろう。

 

「結局、これ、呪骸だったんですかね」

 

「写真撮って、夏油さまに送ってみる?」

 

 美々子が、その残骸へと、スマホを持って近づいていく。

 

「ウギャアアアア」

 

 美々子が近づいたその瞬間に、倒れていたはずのそれは動き出した。

 

「危ない! 美々子!」

 

「え……っ?」

 

 その呪骸から放たれた大量の血を、美々子を庇った菜々子はもろに受ける。

 驚きに体が硬直し、動けずにその光景を見届けるしかなかった。

 

 ――蝕爛腐術『朽』。

 

「うぐ……が……っ」

 

 呪骸の血を浴びた菜々子が苦しみ出す。

 意味がわからなかった。美々子の術式が解除されたなら、死んでいるはず。

 

「菜々子っ。菜々子……っ! そんな、死んだはずじゃ……!?」

 

「キャハハハハ。モウヒトリ、モウヒトリ」

 

 呆然とする美々子に、呪骸は襲いかかろうとする。

 今度はとっさに動けはした。

 

 ――大蛇、鵺!

 

「ギャアアァ」

 

 大蛇で拘束をし、鵺の雷撃で動きを鈍らせる。

 なんとか間に合う。

 

「菜々子さん! 危ないですよ」

 

「恵……! ありがとう。菜々子はなんとかするから、引き付けてて」

 

「わかりました」

 

 近づいて、蹴飛ばし、美々子と菜々子から距離を離す。

 

「アソブ……アソブ……」

 

 なんなんだ、こいつは。

 さっきより、少し姿が違っているような気がする。なんとなく、怪物からわずかながら人に近づいたような印象だ。

 

「玉犬!!」

 

 白と黒の玉犬を呼び出す。

 一人で戦うとなる以上、今使える中で玉犬以外の式神では、決め手に欠ける。

 

「ワンコ!! ワンコ!!」

 

 呪骸の注意は完全に玉犬に逸れる。

 なんというか、賢くはない。完全に玉犬に気を取られ、術者である俺のことは眼中になくなってしまっている。

 

「いける」

 

 これなら、夏油傑の二級の呪霊よりも戦いやすい。

 注意すべきは、噴き出す血だ。アレにまともにかかったら、玉犬もタダでは済まない。最悪は破壊される。それだけは避けたい。

 

 玉犬二体での挟撃。

 意外と動く。切り傷程度で、致命傷が与えられない。

 

「恵」

 

「美々子さん? 菜々子さんは」

 

「術式で人形を身代わりにした。いったんは大丈夫」

 

 形代呪法には、ダメージを形代に肩代わりさせるような、そういう使い道もある。

 

「じゃあ、美々子さんは人形、もうないんですよね。下がっててください」

 

「大丈夫。これ、使うから」

 

 菜々子さんが手に持っていたのは、パンダのぬいぐるみのキーホルダーだった。人形といえば人形か。

 あの呪骸の垂れ流した血を含んでいる。条件は達成済み。

 

「じゃあ、美々子さん」

 

「うん、大きさが足りないし、形も違うから、致命傷は難しいけど……恵、頼んだ」

 

「はい、頼まれました」

 

 美々子さんは、血を含んだパンダのキーホルダーを地面に落とし、踏み潰す。

 

「いって、恵!」

 

「玉犬!!」

 

 動きを鈍らせた呪骸を、玉犬は食い破っていく。

 腹の中から、呪骸の核を取り出し、噛み砕く。必然的に血をかぶるが、ここから破壊されるようならば、その前に解除すればいい。

 

 もう一度、呪骸は沈黙した。

 

「恵、これで……」

 

「ええ、おしまいですね」

 

「オレの……番……ぅうう?」

 

 沈黙したはずの呪骸は、立ち上がり、駆け出してくる。

 

「おしまいって言ったでしょ?」

 

 影の中から飛び出した大蛇が噛み付く。玉犬にズタズタにされ、耐久力の落ちていた呪骸の体は、不意打ちの大蛇の一噛みで脆く崩れ、核ごと砕かれる。

 

「恵。誘う必要あった?」

 

「ありましたよ。活性化状態にあった方が、核の位置もつかみやすかったですし」

 

 三つあった核が、全部本物……あいつは死んだ核から生きている核に切り替えて生き返ったように見せていた。

 三つ全部、壊さなければ倒せない……けれど、活動していない核の位置は今ひとつ掴みづらい。だから、切り替わるまで素直に待って、不意をついた。

 

「菜々子……」

 

「憂太さんが来るのを待ちま――( )

 

 

「遊ぼぉ……遊ぼぉ……」

 

 

「は……?」

 

 核がもう一つ? 違う、もう一体。

 それに、こいつは、さっきのやつより人間に近い形。呪力から言って、さっきのやつより……強い。

 

「美々子――」

 

「ぎゃ……っ」

 

 隣にいたはずの美々子は、呪骸に殴られ、吹き飛ばされていた。早い。反応できなかった。コンクリートの地面に頭をぶつけて、美々子は気を失う。

 死んで……ないだろうか。今の勢いはまずかった。まずい。

 

「遊ぼ……ぉ」

 

「ちっ……」

 

 勝てない。

 さっきのやつも、美々子のサポートがあってやっとだった。それよりも明らかに強い。

 

「遊ぶ……? ん……?」

 

「布瑠部……」

 

 いや、待て――、こいつを調伏の儀に巻き込んだとして、どうなる?

 

 魔虚羅よりは弱い。確実に、一回は殺せるはずだ。

 だが、そのあとはどうだ。こいつは、さっきのやつと同じく、核が三つだったら? 調伏の儀はどうなる? 核一つ潰しただけで終わるのか?

 

「ん……? んんん……?」

 

「やめだ」

 

 不確定要素が多すぎる。

 それに――、

 

 ――死んで勝てないんなら、死ぬ気で勝ちにいくしかないでしょ。

 

「あぁ、じゃあこっちだ」

 

 調伏の儀。けれど、呼び出したのは魔虚羅ではない。

 

 ――満象。

 

「ゾウさん……遊ぶ?」

 

「そうだよなぁ……お前は」

 

 行動パターンはさっきのやつと同じ。

 術者よりも、式神に注意を向ける。

 

 あとは、満象の意識がまずどちらに向くか。対策はある。

 

 ――脱兎。

 

 これも、また未調伏の式神だ。

 撹乱目的の使用。脱兎自体に攻撃力はないため、後始末は面倒だが、調伏の儀で出現する場所を事前に理解できていれば、少し不便ではあるものの撹乱に使用できる。

 

 現れ出た無数の兎に、こちらを完全に見失った満象は、ターゲットを完全に呪骸の方に固定させる。

 

 始まるのは潰し合いだ。

 満象に、呪骸。あぁ、わかっていた。満象程度では、この呪いには敵わない。

 

「キャキャキャキャ」

 

 満象が、血を浴び、倒れる。

 見た限り、満象の放出した水により薄まった血は、術式の効果が発動しないのか。

 

 次だ。次の手を打て。

 未調伏の、満象、脱兎、貫牛、円鹿……。

 調伏済みの、玉犬、蝦蟇、鵺、大蛇。

 

 貫牛以上ともなれば、今の力ではリスクが高い。ならいっそ、魔虚羅の方がマシだろう。

 

 そうか。鵺と、蝦蟇だ。式神を合わせる。

 

「不知井底!」

 

 拡張術式の使用。不知井底は、羽の生えた蛙だった。鵺や蝦蟇より強さにおいては劣るが、通常の十種の調伏済みの式神とは違い、破壊されようと何度でも使用できる。

 

「カエルー、パタパター」

 

 やはり、この呪骸は式神にくらいつく。

 一匹、一匹と不知井底は呪骸に虐殺されていくが、そのたびに、追加の不知井底をけしかける。

 

 注意だ。注意を引くだけでいい。

 呪力が尽きるまで、不知井底を作り続ける。

 

「くそ……」

 

 不知井底の破壊が早い。

 呪骸の意識がこちらに向く。

 

「カエルー、もっとー」

 

「ぐは……っ」

 

 素早い動きに殴りつけられる。

 とっさに、呪力でガードしていなければまずかった。美々子はこれにやられたのだろう。倒れている美々子は、本当に大丈夫だろうか。

 

「弱いぃ。弱いぃ」

 

「いいさ、やってやる」

 

 呪具を影から取り出す。

 ここからやるのは、シンプルなど突き合いだ。あぁ、だが、わかってる。体術で言えば、この呪骸の方が上だろう。

 

「弱いぃ。死ぬぅー」

 

「かは……っ」

 

 無様だ。

 呪力で、ダメージを少し軽減するのがやっとだ。体はボロボロになって、骨もいくらか折れているだろう。

 

「死ぬぅ」

 

「玉犬!!」

 

「ん?」

 

 最後の呪力を絞り出す。

 これ以上、式神は出せないだろう。玉犬に噛みつかれ、呪骸は動きをわずかに止める。

 

 振りかぶる。殴りかかる。呪力をこめる。

 

 ――黒い閃きは、空間の歪み。

 

「ギャア!?」

 

 この土壇場で、打撃と呪力のタイミングの誤差が1マイクロ秒もなかったということか。

 

 黒閃のダメージは平均で通常の二・五乗。これは呪力なしの打撃を一として、そこへかける呪力強化の倍率に対して二・五乗をするという計算だ。

 

 たとえば、今の打撃のような、呪力のほとんどこもらない打撃では、黒閃でも雀の涙。呪力により一割増しの攻撃力が二割り増しになる程度だ。

 

 核を壊すには至っていない。

 それでも十分だ。こちらの勝利条件は、核を破壊することではない。

 

「やったなァアア!!」

 

 ――蝕爛腐術『朽』。

 

「……っ……」

 

 手に痛みがある。殴った際に、血を被った。

 

「キャハハ!!」

 

 蹴り飛ばされ、数メートル軽く吹き飛ばされる。

 体に力に入らない。このままなら、殺されるだろう。

 

「遊ぼ……ぉ、遊ぼ……ぉ」

 

 ニタニタと笑った呪骸が、こちらに歩みを進めてくる。

 あぁ、だが、これでいいんだ。

 

 そう、これがこちらの勝利条件。

 

「恵くん?」

 

 ――特級術師、乙骨憂太の到着。

 

「あとは任せましたよ?」

 

 疲れた。少し休む。

 

「……っ。……ぐちゃぐちゃにしてやる」

 

 間近で驚異的に膨れ上がる呪力を感じる。

 

 

 

 ***

 

 

「憂太、アイツ、キライ?」

 

「あぁ、嫌いだよ。大嫌いだ。里香ちゃん」

 

「じゃあ、里香もキライ」

 

 特級過呪怨霊、折本里香。その完全顕現。

 生前の姿とは似ても似つかない呪霊の姿だ。

 

 まず、僕のやるべきことは決まっていた。

 

「恵くん。借りるよ?」

 

 十種影法術――蝦蟇。

 

 模倣した術式により顕現した蝦蟇。呪力により強化され、そのサイズは人の背丈の三倍ほどにもなる。

 

「カ……?」

 

 蝦蟇は舌を伸ばし、敵を捕え飲み込む。

 

 今のうちに、僕は恵くんに駆け寄る。

 

「恵くん、大丈夫?」

 

 反転術式をアウトプットし治療をする。特に、腕……なにかの呪いのようで、反転術式でも治らない。できることは呪いの侵攻を止める程度。

 

「俺はいいです。それより、美々子を」

 

「――っ!? 美々子さん!?」

 

 ぐったりと倒れている。

 呼吸に、脈拍は……とにかく、反転術式をかける。まだ……きっと、まだ大丈夫なはずだ。

 

 そして、少し遠くに倒れている菜々子さんがいる。

 近づいて、息をちゃんとしていることを確認する。反転術式をかける。

 近くを見れば、美々子さんの人形がある。人形が菜々子さんにかかった呪いを代わりに受けているように見えた。やったのは美々子さんだろう。やっぱり、美々子さんはすごい。

 

「ギャハ!!」

 

 蝦蟇を破壊して、飛び出してくる。

 

「お前は、絶対に許さない!」

 

「あ?」

 

 呪霊なのかなんなのか、わからない敵だ。それでも、みんなを傷つけた。美々子さんを……。だから、こいつだけは殺さないといけないんだ。

 

「憂太さん。やつは呪骸です。核が三つある。三回殺さないと死なない。あと、血には注意してください。付着すると呪われます。」

 

「ありがとう、恵くん。そうだね……仇は討つから」

 

「……っ!? そうですか……」

 

 敵に向き直る。

 

「んん? 変なヤツ……?」

 

 呪骸……生き物じゃない。里香ちゃんに頼めば、多分、簡単に倒せるはずだ。

 

 恵くん、そして菜々子さんを見る。

 二人には呪いがかかっている。菜々子さんも一時的に人形が身代わりになっているだけだ。人形が壊れたら、まずい状況にある。

 これは目の前の敵を殺したら解除されるものだろうか。きっと最悪を考えなければダメだ。

 

「里香ちゃん。頼みたいことがあるんだ。いいかな?」

 

「あい……」

 

 里香ちゃんは言うことを聞いてくれる。

 夏油さんや、五条さんと何度かぶつかって、何度も負けたからだろうか。里香ちゃんも簡単なものなら、僕の言うことに従ってくれるようになった。

 

 恵くんから借りた術式――十種影法術。

 少し借りて使った程度だったから、蝦蟇までしか調伏できていなかった。

 

「貫牛……」

 

 一瞬で、里香ちゃんが潰して使用可能になった。

 十種影法術は本来ならば複数人での調伏は無効。そしてなぜか、里香ちゃん単独で調伏を行った場合、僕がその式神を使えるようになる。

 夏油さんの予想では、里香ちゃんに術式が外付けでストックされているからという話だけれど、使えるのなら、今はいい。

 

 式神、貫牛が現れる。

 

 牛の式神だ。

 攻撃方法は単純。直線的な突進のみ。

 

「ウシー。グアァアア」

 

 貫牛にその敵は、吹き飛ばされる。

 離れれば離れるほど、貫牛の突進は威力を増す。吹き飛んだ先への二度目の突進。貫牛の突進を受け、敵は血を撒き散らしながら引き回される。

 

 ――蝕爛腐術『朽』。

 

「そっか」

 

 血を浴びたところから、貫牛はとかされていき、破壊され消えていった。

 

「キャハハ」

 

 自分を苦しめた相手を倒せたからか、喜んでいるようだった。

 

「憂太ァ。終わったァ」

 

「ありがとう、里香ちゃん」

 

 ――脱兎。

 

 調伏の儀に現れる脱兎は数が多い。里香ちゃんでも手こずってしまっていたようだった。

 

 目的は撹乱ではない。

 出し惜しみはしない。貫牛の通った血の軌跡に、一匹残らず脱兎を敷き詰め、血に触れさせる。

 

 そして、僕も、地面の血溜まりに触る。

 

「……んあ?」

 

「あぁ、血に触っちゃった。これじゃ、僕もやられちゃうな?」

 

「キャハハハハ」

 

 ――蝕爛腐術『朽』。

 

 手に受ける痛み。

 同時に、膨大な数の脱兎が、破壊され、消滅していく。

 

「んあ? ぎゃっ!?」

 

 術が解かれる。手の痛みが消える。

 恵くんに、菜々子さんを見れば、僕と同じように呪いが解かれているようだった。

 

 この敵は、術式の範囲制限ができなかった。だから、僕に術を発動したと同時に、脱兎にも……僕が全力で限界まで数を出し、血を付けた全ての脱兎にも、術が発動してしまった。

 結果として、呪力の枯渇。術を解除しなければならない状況に陥り、菜々子ちゃんや、恵くんの術式を解いたのだろう。

 

 上手くいってよかった。

 出し惜しみをしなかったから、脱兎は全て破壊されてしまい、もう使えないけれど、それは大切なことじゃない。恵くんや、菜々子さんが無事なことが一番だ。

 

 蝦蟇に、貫牛に、脱兎。恵くんのように、うまく式神を破壊されないように戦うことは僕にはできない。

 

 それでもだ。

 十種影法術――破壊された式神の術式や力は、既存の式神に受け継がれる。

 

「『満象』『渾』」

 

 嵌合獣――森羅。

 

「ひゃ?」

 

 作り出した新しい式神は、高い跳躍力で、空へと飛び上がっていく。

 満象の重量。貫牛の離れれば離れるほど攻撃の威力が高くなる特性。

 

「憂太さん……」

 

 次の瞬間には式神が落下し、敵を押しつぶす。

 すさまじい衝撃音が響いてくる。神妙な顔で恵くんがこちらを見つめていた。

 ちょっと、やりすぎちゃったかもしれない。

 

 式神を解く。

 潰れて、跡形もなくなってしまったと思ったけれど、原型がある。

 

「これ、死んだかな? 恵くん」

 

「どうでしょう? まとめて三回分死んだかもしれないです。ただ、警戒はしておいてください」

 

「うん、わかったよ」

 

 近づいてみる。

 ぺしゃんこの体だった。普通の生き物だったら、絶対に生きてはいない。

 

 ピクリと、動いた。

 

「……!?」

 

「イィヤァアア!!」

 

 逃げた。

 ぺしゃんこになったはずの体を変形させ、脱兎のごとく、走り去っていく。

 

 里香ちゃんを追わせるのは……暴走が怖い。僕が今から走っても、たぶん追いつけない。

 

「じゃあ、こうしようか」

 

 さっきまで潰れていた場所に溜まった血を片手で掬う。術式を切り替える。

 

 ――形代呪法。

 

 条件は満たした。

 刀を持ち、自分自身に向ける。

 

「憂太ァ。ダメぇえ」

 

「大丈夫だよ、里香ちゃん。ちゃんと治すから」

 

 逃げていったあいつは、人の形に近い。人形は手元にないけど、人の形をしているものなら、とうぜんある。僕自身だ。

 

 そして、呪いは、差し出したものが大きいほど、得られるものも大きくなる。

 媒介は、さっき掬った血液だ。

 

 ――刀で、心臓を突き刺す。

 

「グギャァアアァアア」

 

 遠くから、断末魔の叫び声が聞こえてくる。ここまで聞こえるということは、そこまで離れられていなかったということか。

 

「はぁ……」

 

 反転術式を回して、一気に心臓を治癒させる。

 痛かったけど、それだけだ。これで、あいつを殺せたから、やっと安心できる。

 

 恵くんも、菜々子さんももう大丈夫だ。

 美々子さんは……、

 

「憂太!」

 

 呼びかける声に振り向く。

 

「え……っ? 美々子さん?」

 

 美々子さんだった。美々子さんは、いつものように笑って、僕の名前を呼んでいた。

 

「ん……」

 

 隣に立っているのは、呪霊――天内理子。

 

 里香ちゃんが、僕の背中に隠れる。いつも、顕現したときに抑えられているから、里香ちゃんは理子さんにいじめられていると勘違いしていた。

 

「美々子さん!!」

 

「憂太……?」

 

 とっさに僕は抱きつく。

 体温を感じる。暖かい。生きてる。

 もうダメかと思った。息もしてなかったし、心臓も止まってたから……本当によかった。

 

「ねぇ、憂太。憂太って、美々子のこと好きだった?」

 

「え、えっと、菜々子さん!? これは違くって、生きててよかったって思って。というより、菜々子さんも無事でよかった」

 

 とっさに弁明する。菜々子さんも、理子さんに治してもらったみたいで、もう大丈夫みたいだった。

 理子さんの治癒の精度は、僕の反転術式のアウトプットより断然いい。

 

「じゃ、私も」

 

 僕が美々子さんを抱きしめる上から、被さるように菜々子さんも抱きしめてくる。

 

「菜々子さん?」

 

「美々子、ありがと。それと憂太、最後見てたから。いくら治るからって、あんなことはしない。私たちの術式だし、目覚め悪すぎっしょ」

 

「あはは。うん、次から気をつけるね」

 

「ま、ありがと」

 

 お礼を言われる。それに、怒られてしまった。

 どうせ治るし、僕なんかの体がどうなってもいいと思っていたから、怒られるのは想像していなかった。なるべく、あれはやらないようにしようか。

 

「恵……くる? 頑張ったみたいだし……」

 

「いや、俺は遠慮しときます」

 

「そう……残念」

 

 抱き合って無事を喜び合ってた僕たちだった。美々子さんが、一人になっていた恵くんを誘ったが、あえなく断られてしまった。

 

「ずるい……」

 

「…………」

 

 聞こえる。暴れそうな里香ちゃんを、理子さんが睨みをきかせて牽制しているようだった。

 

「というか、夏油さん。いたんなら、手伝ってくださいよ」

 

「いや、憂太だけでなんとかなりそうだったしね。あ、それと帳はおろしておいたよ。だから、憂太が派手にやったことで混乱は起こらないと思うし」

 

「けっこう前からいたんじゃないですか。というか、なんで泣いてるんですか?」

 

「術師が術師を慈しみ、助け合う。私の理想とする世界がここにあると思うと、涙が止まらなくてね」

 

 本心で言っているのかはわからなかった。恵くんが胡散臭いと言う理由もわかる気がする。

 

「そういえば、憂太さん。津美紀は」

 

「あ……。津美紀さんなら、こっちに異変があったから、先に行っててって言われてて」

 

 津美紀さんが来ても危ないだけだったから、僕が来たあと、少し遠くで連絡を待っているはずだ。

 スマホで……。

 

「すまない、傑。やられたみたいだ」

 

 歩いてきたのは、五条さんだった。

 五条さんは、抱きかかえている。津美紀さん……意識のない津美紀さんだった。

 

「津美紀……?」

 

「敵の本命は、たぶんこっちだ」

 

 

 

 ***

 

 

 

「悟の六眼でもわからないのかい?」

 

「あぁ……わからない。ただ、呪霊って線は多分ない。タイミングがピンポイントすぎる」

 

 津美紀が一人になったタイミングを突かれたということだ。

 

「呪いがわからない以上、相手の出方を待つか……」

 

 この呪いを解くことを条件に、相手がなにかこちらに条件を飲ませてくる。

 それが考えうる中で一番ありうる可能性だ。

 

 ただ、敵の正体が掴めなさすぎる。俺たちを利用したい人間は山ほどいる。ただ、ここまで度胸のあるやつは心当たりがない。

 

「あ?」

 

「…………」

 

「……どうした、天内?」

 

 天内が裾を引っ張ってくる。

 なにか主張をしたいのだろう。

 

「ん……!」

 

 津美紀に指をさしたあと、掌印を組む。

 あの形は、無量空処……?

 

「津美紀に、無量空処をしろってことか……?」

 

「……ん」

 

 天内は、深く頷いた。意図がわからない。無量空処を当てれば、間違いなく目覚める前に廃人になる。

 

 天内は、俺に触ったまま、片手で自分の領域展開の掌印を組んでいる。じっと、こちらを見つめている。

 

「悟、賭けてみないか?」

 

「それでいいのか?」

 

「あぁ、信じてみたいんだ」

 

 傑は、天内に甘い。

 見渡す。子どもたちが、みんな信じていると目で訴えていた。

 

「はぁ、知らないぞ?」

 

 津美紀を、そっと地面に置く。

 見届けるためか、恵、美々子に菜々子、憂太がそれぞれ俺の肩あたりに触れてくる。

 

「ん」

 

「じゃあ、いくぞ?」

 

「領域展開」

「領域展開」

 

 結界で覆われる。二者による領域展開で、いつものように結界内で必中効果が相殺される……そうではなかった。

 

 津美紀の周りに、血のように赤い珊瑚のような、天内の生得領域の具現によるオブジェクトが展開される。

 

 通常、領域展開は結界を閉じ、結界内に生得領域を具現化させ、術式を付与する。

 だが、今の天内の領域は違った。

 

 結界で、天内は領域を閉じていない。それは、キャンパスのない空に絵を描くような神業だった。

 それを実現しているのは、縛りによってか……天内の領域は、津美紀をすっぽりと入れる半径九十センチメートルに限定され、それにより閉じない領域の難易度を下げているようだった。

 

 ――『久遠色界』。

 

 その限定された範囲内では、限定したからだろう、俺の領域展開の必中効果を完全に消し切り、天内の術式が優位になっている。

 

 ――『無量空処』。

 

 そして、俺の無量空処も必中(あた)る。

 六眼を見開く。術式対象は、間違いなく津美紀。だが、津美紀まわりの必中効果は天内により相殺されているはずだった。

 

 そして、津美紀が――、

 

 

 

 ***

 

 

 

 溺れるように、沈んでいく。ぶくぶくと、沈んでいく。

 水の中に深く沈んで、消えていくようなそんな気持ちだった。

 

 きらめく水面に、手を伸ばそうとも届かない。

 私はただ沈んでいくだけ。底のない深い水の中、永遠に沈んでいく。

 

 大切なみんなとは、もう会えないのかもしれないと思った。それはイヤだなと思ったけれど、体に力は入らなかった。

 

 ただ手を伸ばすだけで届かない。もうきっと、私は、私でなくなってしまう。

 悲しいけど、悲しくなかった。辛いけど、辛くはなかった。

 

 深く沈めば、もう光も届かなくなる。

 沈んで、沈んで――手を伸ばして、

 

「妾がきたからには、もう大丈夫じゃ」

 

「え……?」

 

 手を、取られる。

 セーラー服の女の子だった。私はこの子を知っている……そんな気がして、それでもわからなかった。

 

 ――『久遠色界』。

 

 景色が変わる。変わっていく。

 沈むだけの海の中から、暗い……なにか気味の悪いもの……図解で見たような昆虫の神経が浮かぶ空間に変わる。

 

「やっと、受肉できたと思ったのに……あなた、素直に身体を開け渡しなさいよ!!」

 

「え?」

 

 そこには裸の女性がいた。

 機嫌が悪く、私を指差してそう言う。怖い女の人だと思った。

 

「妾が言うのもなんじゃが……人の体を乗っ取って、我が物にするとは趣味が悪いにもほどがある。そう思わぬか?」

 

 セーラー服の女の子は言う。

 たぶん、この子が助けてくれたのだと思う。

 

「というか、あなたなによ! なんなの! 急に現れて!!」

 

「フッ……妾は天内理子。巷では呪霊の女王とも呼ばれておる。それとポケモンマスターじゃ」

 

「ポケモン……」

 

 夏油様と、五条様が、寂しい雰囲気でポケモンをやっていたところを見たことがある。

 なにか、関係あるのかもしれない。

 

「女王? なによ! 宿儺が呪いの王なのよ!! 女王になるのは、その妻であるこの私!!」

 

 宿儺の妻……? よくわからない。どうして、こんなところにいるのだろう。

 

「おかしいのぅ。両面宿儺は有名なのじゃ……しかし、そんな話は聞いたことがないのじゃが」

 

「その予定よ! 絶対的な強者! それゆえの孤独! 宿儺に愛を教えるのは!! この私っ!!」

 

「いや、お主はここで終わりじゃ」

 

「は? ここは私の生得領域。あなたたちなんか、すぐに沈めてやるわ!」

 

 彼女は睨みつけ、鎧を……昆虫の形をした鎧を身に纏っていく。

 

「いや、終わりじゃ」

 

 女の子は、印を結ぶ。

 あれは、確か――、

 

 ――『無量空処』。

 

「あが……っ」

 

 虫の鎧は弾け、女は気を失って倒れてしまう。

 鼻や目から血を吹き出して、ピクリともしなくなる。

 

「どうして……?」

 

「ま、あれじゃ。妾は必中効果を伏黒津美紀のみに絞った。妾の『久遠色界』により、器としての強度を引き上げ、強制的に受肉。さらにはお前さまの魂の強度も引き上げ、浮上させた」

 

「いや、じゃあ、さっきのは……」

 

「だから、妾は必中効果を伏黒津美紀のみに絞ったのじゃよ。この女の魂には、妾の必中効果の相殺は及んではおらぬ。相殺されない、悟の『無量空処』に必中(あた)り、魂が死んだのじゃ」

 

「え? じゃあ、さっきの掌印は?」

 

「ん? 雰囲気じゃ。妾も、『無量空処』ってやってみたかった」

 

 女の子は、イタズラっぽく笑って言う。

 それに私は、くすりとして、つい微笑む。

 

「ねぇ、あなたって……そう……なんだよね?」

 

「どうやら……歓談の時間も終わりのようじゃ」

 

 この空間が、どうやら崩れていくようだった。悲しげに、女の子は笑って言う。

 

「傑には、悪いことをしたと伝えておいてくれ。黒井や、悟にもじゃが、傑には特にじゃ」

 

「うん」

 

 私の質問に答えてくれなくとも、それだけで全てわかった。

 

「それと、そうじゃな。BWからは、わざマシンは無限に使えるから、気兼ねなく使うのじゃ、とも伝えておいてくれぬか?」

 

「ポケモン……?」

 

 よくわからない。ポケモンは有名だし、二人がやっていたからなんとなく知っているけど、BW……ブラックホワイトなんてずっと昔だろう。

 

「ねぇ、また話せる?」

 

「それは……どうじゃろうな?」

 

 空間は、もうほとんど崩壊していた。

 最後に、伝えられるのは、きっと、あと一言。

 

「ありがとう、理子様」

 

「うむ、達者での?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 津美紀が、起き上がった。

 とっさに領域展開を解く。天内も、領域展開を解いていた。

 

 六眼で見れば、いつもの津美紀だ。本当に、天内は呪いを解くことに成功していた。

 

「津美紀! 大丈夫か!」

 

「恵、そんなに心配してくれたの?」

 

 津美紀の言葉に、恵はバツの悪そうに顔を背けた。

 

「津美紀さん!」

 

 憂太に、菜々子と美々子も津美紀へと声をかけ、駆け寄っていく。

 

「ごめんね。心配かけちゃったかな?」

 

「そ、そんな……全然……」

 

 そうして、一通り、本当に体に異変がないかを、津美紀は憂太たちに確認されていた。

 

「夏油様、五条様」

 

 それが終わって、津美紀はこちらへと抜け出してくる。

 

「どうしたんだい?」

 

「私……さっき、夢……というか、心の中の世界で……理子様と話したんです」

 

「……っ!? それは本当かい!?」

 

 傑が食いつく。

 俺は横にいる天内を見つめたが、ぷいと顔を背けられる。津美紀から話を聞けということだろうか。

 

「そうです、夏油様。よくわからない女の人が私の中にいて……」

 

 一通り、津美紀は心の中の世界でなにが起こったかを伝えてくれる。

 

「話を総合して考えると、津美紀はなんらかの呪物によって、受肉させられたと考えるべきか」

 

 宿儺の妻と名乗る女。おそらくは平安時代あたりの術師だろう。

 そして、宿儺と同じく呪物となって、現代に呪いとしてその存在を留めていた。

 

「五条様の術式のおかげですね」

 

「悟の『無量空処』は魂にまであたるのか……」

 

 魂、というのは今ひとつわからない概念ではある。天内は魂を理解して、領域展開で津美紀を救うことを提案したのか。

 天内が魂を理解しているのは、星漿体だったから、それとも死んだからだろうか。

 

「それにしても……そうか、理子ちゃんが……。黒井さんにも、今の話、しておいてくれないかい?」

 

「うん。わかりました」

 

 やはり、天内のことだから、黒井さんには必ず伝えなくてはならない。津美紀は、子どもたちの中では、特に黒井さんに親しくしていたから、事情も理解しているだろう。

 

「傑、天内の領域展開を受けたら、また話せるかもしれないよ?」

 

「やめておくよ。今回のことは、いろいろな要因が重なったことによる偶然にすぎない。今は、理子ちゃんの意思が、奥深くにはしっかりとあるってことを喜んでおこうか」

 

「あぁ、そうだな」

 

 津美紀を目で追う。また、俺たちを離れて、恵や憂太たちと話しているようだった。

 

「そういえば憂太くん。その子が里香ちゃん?」

 

「え……? あ、はい」

 

「初めましてだね」

 

 呪霊が見えるようになっている。伏黒津美紀は術師へと覚醒していた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「呪胎九相図、四番から九番」

 

 長年の呪物としての封印に耐えられず、骸となっていたそれらだった。

 

「肉体から魂の情報を複製。相性の良い魂に、互いの魂を観測させるよう、三つ……魂の情報を入力した核を一つの呪骸に……だね」

 

 期待していただけに残念でならない。呪胎九相図、なにをしようと、やはり想定の範囲内か。

 

 残った一番から三番も、それほど期待はしないでおこうか。

 

「それはそうと、成果はあったかな。完全自立型人工呪骸……魂の情報さえ的確なら術式を使わせることもできる。人工物である以上、少し手を加えればこちらの命令通りに動かすことも可能か」

 

 こっちの方の成果としては、十分だった。

 

「それにしても、伏黒津美紀に万を受肉させて、獄門疆の条件を少しでも達成しやすくしようとしたんだけど、こちらは失敗だったか」

 

 目的を果たすためには、五条悟の封印は必須だ。

 そのための布石の一つとして機能させようとしたが、まさかあんな方法で攻略されるとは予想外だった。

 あの呪霊の女王は、九相図とは違い、こちらの予想を簡単に超えてくれる。

 

「ま、それなりの収穫はあったってことかな。宿儺の受肉には慎重にならないとだね」

 

 知らずに宿儺を受肉させ、沈められていたらもう後戻りのできない失敗だった。それだけに、宿儺を受肉させる前にアレが見られたことは、幸運だったと言える。

 

「いやぁ、獄門疆の捜索に並行して、呪霊操術を持った人間の捜索。総監部の掌握。ここ十年、本当に大変だったかな」

 

 額に縫い目の男は不敵に微笑む。

 

「特級呪霊、真人。育ち次第、争奪戦か……」

 

 

 

 ***

 

 

 

「傑、少し仕事減らさないか?」

 

「どうしてだい? 悟」

 

「今回の件、憂太の反転があって、美々子はギリだった。あいつら、守ってやらないと、いつ死んでもおかしくないでしょ」

 

 悟の言うとおりだ。

 今回、こちらを狙った相手は、正直に言って得体がしれない。

 

 総監部や、御三家、さらには呪詛師連中とは、なにか違う、嫌な予感がする。

 

「悟は過保護だよね。もう少し、信じてあげたらどうだい? 憂太なんて、祈本里香のコントロールもそれなりにできるようになって、今や、私たちに次ぐ術師さ」

 

「だから、今回はそれでもギリだっただろ? 津美紀も天内の機転がきかなきゃアウトだった。どことも知らないやつを助けて、家族を助けられないのは、理に適ってるかって聞いてんだよ」

 

 美々子や菜々子、恵や津美紀たちの成長を見届けて、悟は高専のころより情緒が育まれている。

 そして、悟は自分と私以外の人間をいつ死んでもおかしくないと見ているから、こうなる。

 

「弱者は等しく助けるべきさ。憂太や恵はもう守られるだけじゃない。津美紀もね」

 

 あれから、津美紀は術師として覚醒した。呪物に封じられた魂が持っていた呪力、術式、知識を自由に引き出し、領域展開まで行えるようになった。

 

「それであいつらを取りこぼす。それって、本末転倒って言わない?」

 

「それでも、だよ。大義を果たさなければ、今まで奪われてきた命に意味がなくなる。降りるかい、悟?」

 

 私は、もう止まれない。

 悟に、理子ちゃんと話せるかもしれないと言われたとき、私ははぐらかした。今更理子ちゃんと話して、なにを言えばいいかわからなかった。

 

 彼女なら、きっとこんな私を――、

 

「降りるわけねぇじゃん。冗談でも言うなよ」

 

 腐ったように悟は言う。意地悪なことを言ってしまったかもしれない。

 

「あぁ、わかったよ。仕事は少しだけ減らそう。少しだけね。家族との時間を大切にしようか」

 

 妥協をする。

 

「歌姫だっけ? 遠征めんどうだから、関西中心に、そっち方、減らさね?」

 

「あ、うん。歌姫先生には頑張ってもらおうか」

 

 確かに、関西に行って、戻ってくるのは時間的にはかなりの負担だった。

 関東での活動を減らすより、関西の活動を減らす方が、数に対して減る負担が大きい。理に適っている。

 

 京都の呪術高専のみんなには少し酷だが、頑張ってもらおう。

 

「それで、硝子は例の呪骸に対してはなんて?」

 

「特級呪物、呪胎九相図。それに似た残穢らしいね」

 

「たしかあれ、高専の忌庫に」

 

「盗まれたみたいだ」

 

「は? また侵入されたのかよ」

 

 悟が思い出したのは、理子ちゃんのときのことだろう。

 忌庫の入り口は、あのとき理子ちゃんと行った薨星宮の通路の途中にある。

 

「ま、詳細は後日かな」

 

 敵は高専の深くに潜っている、ということだろうか。まさか、総監部や御三家がつながっている……これは考えても仕方のないことなのかもしれない。

 

「そういえば、傑。面白いこと思いついたんだけど」

 

「なんだい?」

 

 なんとなく、悟がこう言うと嫌な予感がする。これは日頃の信頼の問題だろう。

 まあ、耳を傾けてみようか。

 

「この間、天内がやった結界で閉じない領域展開をいろいろ試してみた」

 

「あ、そうなんだ」

 

 結界で閉じない、つまりは閉じ込めないということだから、脱出も通常の領域展開と比べれば容易だ。

 

「この領域展開のメリットは、領域の()()をあるていどは自由に設定できるところだ」

 

「それで?」

 

 確かに、理子ちゃんは範囲を絞って出力をあげていたか。ただ、範囲を狭めてしまえば、当然なら逃げられやすくなってしまうだろう。外せば、術式の焼き切れで反撃をされるということにもなる。

 

「あぁ、この()()っていうのは、なにも物理的な空間に限らない」

 

「それは――」

 

 確かに理子ちゃんは呪物に宿っていた魂の部分を必中効果から除外していた。話の方向が、なんとなく見えてきたような気がする。

 

「俺の『無量空処』で攻撃するのは、知覚とかそういう()()の部分だろ?」

 

「そうだね」

 

「だから、最低限、必中効果をその()()の部分に絞る」

 

「でも、それだと領域の押し合いの時に、その必中効果の隙間で相手の術式を通されるんじゃないかい?」

 

「そこでだ。傑の呪霊、特に天内だけど、同時に領域展開をする」

 

 なんとなく、悟の目論見は見えてくる。

 

「要するに、必中効果の棲み分けってところか」

 

「二者の領域展開は、普通に使えば必中効果が相殺されるだろ? でも、これなら二つの領域展開の術式を敵に必中させることができる」

 

 少し悟は自慢げだった。

 たしかに、これができるのなら凄まじい破壊力だろう。

 

「で、悟。誰と戦うつもりなんだい?」

 

 問題があるとすれば、悟の『無量空処』でも、理子ちゃんの『久遠色界』でも、必中必殺なことだ。単体でも基本的にはオーバーキル。これ以上を求める必要はないと思える。

 

「……宿儺とか?」

 

 話に聞く呪いの王だ。史上最強の術師、両面宿儺。呪物となり、二十本の指が日本中に散らばっている。

 

「さすがに、勘弁してほしいかな」

 

 とは言え、今は私たちがいる。

 史上最強とはいえどそれは平安時代の話だろう。

 

「でも、ロマンあるだろ? 合体必殺技。天内も頷いてるし」

 

 いつのまにか、隣にいた理子ちゃんは、悟の言葉に頷いていた。

 

「仕方がないね。少しだけ練習しようか」

 

 理子ちゃんの呪術操作の精度は、津美紀にやった狭い範囲で限界のはずだ。

 

 だから、バフの術式を持つ人工仮想怨霊によって、理子ちゃんの呪力操作の精度や出力を底上げさせる。

 

 制限なしの閉じない領域――結界で閉じないという縛りにより、術式の効果範囲は広いが、今回は練習、規模を小さく限定する。

 

 悟はそこに自身の領域を重ねる。

 

「ん? これ、必中効果相殺されてるね」

 

「思ったより、範囲絞るのが難しい感じか」

 

 しばらく、練習が繰り返され、時間が無駄に過ぎていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 信用ならない大人二人に心酔する津美紀や、菜々子、美々子の目を覚まさせるために、自分の力を磨いてきた。

 

 今の実力では、準一級に手が届きかけたところだった。

 

 俺は弱い。

 憂太さんが家族になって、それを強く実感してしまっていた。

 

 十種影法術。五条悟には、六眼もちの無下限に並ぶと言われた。それを信じてやってきたところもある。けれど、今ひとつピンとこなかった。

 

 だけれども、理解してしまう。

 特級術師……乙骨憂太。その術式は模倣。憂太さんの模倣した十種影法術は、俺の使う十種影法術とはスケールが違った。

 

 式神の破壊前提での戦闘の組み立て、そして破壊された式神を継承させた『渾』こそが十種影法術の真骨頂なのだと悟った。

 

 もちろん、憂太さんの中では十種影法術は複数ある模倣した術式の一つでしかない。だからこそ、躊躇なく式神を壊していけたという理由もある。

 

 ただ、俺は憂太さんのようになれないという理由はもう一つある。

 単純に、式神の調伏した数の不足だ。『渾』には、破壊された式神の力をどの式神が受け継ぐかルールがある。今、俺が大蛇を破壊されたとして、それを受け継ぐ式神がいないということだ。

 

 いや、いろいろと理屈を捏ねたが、そもそも憂太さんと俺とでは、根本的な呪力量や出力が違う。

 十種影法術がどれほどの術式かは理解したつもりだ。同じ業物を持てど、達人か素人かで強さに天と地ほどの差が出るように、同じ十種影法術を使っても扱う術者によって、大きく差がでるというだけの話だった。

 

 俺は弱い。

 俺が守るつもりだった津美紀は、術師として覚醒した。

 

 津美紀の中に取り込まれた呪物に宿る魂から、術式、呪力、知識を引き出して、津美紀はすでに一級術師ほどの実力を得ていた。

 領域展開さえ使用可能。ポテンシャルでは憂太さんの方が上とはいえ、現時点では俺たちの中で津美紀は一番強い。

 

 憂太さんにも、津美紀にも俺は及ばない。追いつけるビジョンさえない。五条悟に、夏油傑は、雲を掴むほどに遠い存在だった。俺は、なにをすればいいのかわからなくなった。

 

 手に持つのは、特級呪物。両面宿儺の指の屍蝋。八十八橋で憂太さんの落としたものを拾っていた。

 

 あぁ、そうだ。呪いを祓えるのは呪いだけだ。呪いに敵わないのならば、より強い呪いに縋る他ない。

 

「小僧が……。舐めた真似をする。気に入らんな」

 

「お前が、両面宿儺だな……?」

 





登場人物紹介

理子ちゃん(五条悟ごっこ)
久しぶりにちゃんと喋った気がする。『無量空処』って、やりたかった。

夏油傑
理子ちゃん(五条悟ごっこ)と話す覚悟が決められていない。計画は進んでいるらしい。

五条悟
傑と、自分たちより弱いやつらで線引きされた世界の中にいる。合体技楽しー。

乙骨憂太
新しい家族になった。夏油傑と理子ちゃん(五条悟ごっこ)の関係を見て、そういうものだと思っているから、呪いを解くという発想に至っていない。女誑し。

祈本里香
理子ちゃん(五条悟ごっこ)はいじめてくるし、憂太は浮気ばっかりしててとても悲しい。こんなに献身的なのに……。

枷場菜々子
面倒見がいい方。どちらかと言えば夏油傑と一緒にいる方が多い。命令は絶対だから、家族として憂太を受け入れようとした。誑しこまれた。

枷場美々子
ちゃんと諌める方。どちらかと言えば五条悟と一緒にいる方が多い。菜々子や津美紀が危なくないか憂太を品定めしようとしていた。誑しこまれた。

伏黒津美紀
美々子、菜々子に洗脳攻撃に恵を庇って盾になり、美々子、菜々子の仲間になった。
万からパクった構築術式、万からパクった呪力運用、万からパクった術式運用に、万からパクった領域展開の技術。一度、魂を沈められ、掴んだ呪力の核心。

伏黒恵
強くなって、みんなを悪い大人から守ろうとした。乙骨憂太に越され、津美紀は最強(学生組)になった。

菅田真奈美
車で送ってあげたのに、色目使ってるって言われた。家族じゃないのは五条フィルターに弾かれたから。

禪院真希
そこまで強いはずじゃない菜々子になぜか負けた。非術師煽りをされた。

パンダ
パンダはパンダなんだ。

狗巻棘
特級呪霊から、全力で逃亡した。口の中を覗かれたあたりは、本当に死ぬかと思ったらしい。

家入硝子
学生の頃と同じようにはいかない。秘密がたくさん。

黒井美里
理子ちゃん(五条悟ごっこ)式アンチエイジングによって、若々しい姿を保っているらしい。

散相、骨相、焼相
本人たちは遊びたいだけだった。命令に行動を歪められていた。伏黒恵たちに楽にしてもらった。

膿爛相、青瘀相、噉相
本人たちは遊びたいだけだった。命令に行動を歪められていた。乙骨憂太に本来あるべきでない魂を解放してもらった。


強者ゆえの孤独、あなたに愛を与えるのは、この私。

額に縫い目の男
呪胎九相図はつまらなかったらしい。着々と目的への道を邁進している。すごい頑張った。

両面宿儺
記憶をダウンロード中。交渉中。

理子ちゃん制作、ギャルゲー(RPGツクール フェスで制作)。人気ルートは?

  • 王道、里香ちゃんの幼馴染ルート
  • しっかり者、津美紀ちゃんルート
  • 現代っ子、菜々子ルート
  • 不思議ちゃん系、美々子ルート
  • 闇堕ち、真希さんルート
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