彼女は可愛らしい見た目ではあるが、けしてうぶな小娘ではない。
国家最高の実力部隊に所属し、これまで数々の死線を潜り抜けてきた。
未熟だった頃、ちょっとしたミスで敵に捉えられ、壮絶な拷問や凌辱を受けたこともあったが、白濁する意識の中にあっても、敵の不意を突き、屈強な男たちを皆殺しにして生還したほどだ。
彼女は正に歴戦の猛者なのだ。
彼女は疾風の如く走りながら、先程煌びやかに明滅した地点に近付くと、やがて二人分の小さな人影のようなものを視界の隅に捉えた。
走る方向を微調整しつつさらに進めば、それが男女であることが分かる。
そして徐々に速度を落とし、やがてその手前10mほどの位置でゆっくりと足を止めた。
どこまでも広がる満天の星空、地平線まで続く草原、ふいに一陣の悪戯な夜風がローブをはためかせ、その内側の肉感的な素肌を晒すが、彼女はそんな事は気にするでもなく、目の前に立つ二人の様子を隙なく窺う。
一人は見事なフルプレート鎧に身を包み二本の大剣を構える戦士風の男。そしてもう一人はその戦士の後ろに庇われるようにしているドレス姿の女。
垣間見える女の姿は、傾国の美女とも言えるかつて見たこともない麗人だった。
しかし、この状況は歴戦の彼女をもってしても、驚愕と言わざるを得ない。
戦いというのは初手が最も重要だ。出鼻を挫くのと挫かれるのとでは、その後の展開が全く違ってくる。そして、今回彼女は完全に出鼻を挫かれてしまった。
『この女、なぜに、、丸出し………?』
戦士の後ろに庇われていたドレス姿の女は、そろりと顔を覗かせ問う。
「あ、あなた誰ですか?」
『そっちが呼び出しておいて「誰ですか?」とはどういう了見だ。だいだいその恰好はなんのつもり?』
彼女が返答をするには、動揺する気持ちをかなり抑える必要があった。
「あ、あたしがクレマンティーヌだけど………」
そこには普段の遊びも、悪戯っぽい喋り方もない。
出鼻を挫かれてしまっているからだ。
濃密な静寂が支配する星月夜。
広大な平原にはただ風が渡り、柔らかな緑の草がそれに合わせて波のように揺れ、微かな葉ずれの音だけが寄せては返す。
「──え?」
『なになに、それで自己紹介終わり?『クレマンティーヌ』って言えば分かるでしょ!みたいな感じはなに?それ名前なの?有名な人なの?』
しばし黙考しているドレス女の返事を待つべきではあったが、どうしても解決しておきたい目の前のそれに付いて、クレマンティーヌは続けて問わざるを得なかった。
「あ、あのう、なぜ、出しちゃってるのかな?」
「出しちゃってる?………ああ!」
ナ―ベラルは、問われてすぐに、自分が出しっ放しだったことに気が付いた。
『ああ、恥ずかしいー!いろいろと気が動転して、仕舞うの忘れてたー!』
ナ―ベラルは「おほんっ」と一つ小さな咳払いをした。
「これは、わたくしとしたことが、うっかりしていましたわ」
そう言うと、徐に………
出しっ放しにしていた………
ウサギ耳を消した。
「「そこッ?」」
クレマンティーヌとモモンの言葉は同時だった。
モモンはクレマンティーヌと名乗った女に視線だけ残し、顔をややナ―ベラルに向け小さく囁いた。
「姫、そこではないです」
『このドレスにウサギ耳はアンバランスっていう意味じゃないの?だったら何のこと言ってるの?』
ナ―ベラルも囁くようにモモンに尋ねる。
「これじゃないなら、どこですの?」
「愚見をお許しいただけますれば、おそらくはお胸の方ではないかと………」
「お胸………?」
『ま、まさか………』
ナ―ベラルはゆっくりと視線をさげる。
『まさか、そんなこと………』
さらに視線を下げる。
『ある訳………』
ぶり──ん!
『ありましたー!』ごめんなさーーい。
『慌てるな、慌てるな、まだリカバリーできる。落ち着け俺!』
「ふふふ、、気付かれてしまったようですわね」『何言ってんだ、アホか俺!』
言い訳というのは初手が最も重要だ。出鼻を挫いてしまうのと、自然に取り繕うのでは、その後の展開が全く違ってくる。そして、今回ナ―ベラルは完全に自ら出鼻を挫いてしまい、もはやリカバリーなど不可能である。
悪戯な笑顔を絶やさないクレマンティーヌも、この素っ頓狂な女には完全に呆れ顔だ。
「いやぁ、それ、気付くなって方が難しいよねェ」
「うちでは皆こうですけどなにか?」『ああ、なんちゅうこと言ってる、モモンガさんにバレたら怒られるー!』
「ええ──、そうなの!」
丸出し女の言葉が本当ならば、これから転籍するつもりの組織では、女は皆胸を丸出しにしているという事になる。
歴戦の猛者であるクレマンティーヌですら、自分が丸出しでうろついている姿を想像することは中々に衝撃的だった。
これまでの折衝では一度もそんな条件を聞いていなかっただけに、俄かに苛立ちすら覚えた。とは言え今後の隠れ蓑としてこの組織は有用である。
クレマンティーヌは一旦気持ちを落ち着けるため「す─っ」と小さく息を吸い込み、先に必要なことを聞くことにした。
そのためにはまず………。
「ズーラーノーン!」
その合言葉を高らかに宣言した。
瞬間ナ―ベラルの両肩がピクリと動いた。
『ああ、びっくりしたー!突然ズーラー、、、ってなんなの?』
『ズラ?』
『、、、、、、』
『ま、ま、ま、まさか──!』
『まさか、この子わたくしがリアルでズラを被っていることを知ってるのか?俺が被っていることを知ってるのは、、、身内だけのはず、妹か?妹のマキなのか?こいつの中身はあいつなのか!これやっぱりモモンガさんのドッキリなのか?』
あまりの衝撃の大きさにナ―ベラルは言葉を失い、再び自分がおっ〇い丸出しだという事は勿論忘れてしまっている。
丸出し女の反応から、どうやら合言葉が正解だったと悟ったクレマンティーヌは言葉を続ける。
「それじゃ、そっちも自己紹介お願いしたいんだけど」
ナ―ベラルは完全にパニックになってしまったが、それも致し方ない事だ。
リアルで絶対の秘密だったズラを暴かれたということは、目の前にいる可愛らしい顔をした、クレマンティーヌと名乗るアバターの中身が、妹のマキである可能性が高いのだから。
『こいつは俺が実の兄貴の『悟』だと知っているのか?それとも何も知らずにモモンガさんに言われてここに来たのか?ていうか?その場合モモンガさんが俺のズラを知っていたのか?』
謎が謎を生み、ナ―ベラルは混沌の海に沈みかけていた。
『こんな時は落ち着くんだ俺、いや、わたくし、いやいや、俺、ええいもうどっちでもいいや!』
「も、もしかしたら、わたくしの事をご存知なのかしら」
「んー?あんたのお名前も、それどころか組織の正式名称すら教えてもらってないよぉ、あたし可哀そうぉ!」
『ああ、とするとやっぱり、この子はわたくしの事は何も知らずに、モモンガさんに呼び出されてここに来たのか!それにしても俺のズラを合言葉みたいな感じにするって、いくらなんでもいじり過ぎだろ!モモンガさんに会ったら、絶対目の前で『ホネホネロック』フルコーラスで歌ってやるから!』
混沌の思考の海から覚醒したナ―ベラルは、クレマンティーヌに応える必要があることに気が付く。
「た、たしかに自己紹介がまだでしたわね」
ナ―ベラルは数ある自己紹介パターンの内、最も評判の良い(と自分では思っている)ものをチョイスした。
気持ちを落ち着かせ、左手を腰に当て、右手は
「悪のギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に咲いた一輪の
そしてクルリと一回転し、
「ナ―ベラル・ガンマ永遠の十七歳…
ナーベちゃんと呼んでね♡」
そして、左手の掌をグーにし、
「プンプン!」
シュぺタ──ン!
──闇を切り裂く一閃。
瞬間ナ―ベラルの顔面に鋭い衝撃が走る。上体は大きく海老反りブリッジ状にしなる、次いで顔中に焼けるような痛みが襲う。
「ぎゃ────!
いたい──!
いきなり痛──い!」
振り切ったバックスウィングの姿勢から、直ちにクレマンティーヌに正対するモモン。その片手には、いつの間にか特大のハリセンが握られていた。
ナ―ベラルはブリッジの体勢から、ぎィーーという建付けの悪いドアが軋む時の効果音が聞こえて来そうな動作で、小刻みに震えつつゆっくりと姿勢を戻す。
「姫!丸出しのバカみたいな恰好で、その『ボケ』はアインズ・ウール・ゴウンの品位に関わります」
「こら──っ!だからホケてねーっつうの!
これは、アイトル風自己紹介No12番てすわ!」
「そうは申されましても、目の前の先方様にも大変失礼ですので」
そう言われ、ナ―ベラルは力なく項垂れた。
「ら、らしかに、わらくひが迂闊れした。ても、いきなり暴力は良くないのてははりまへんこと。わらくひたって話せはわかるって、何回言えはわかってくれまふの………」
「それから、とさくさにまひれて、わらくひのことふぉまた『ハカ』といいまへんてひた?」
「ですから、あれは『暴力』ではなく『突っ込み』でございます」
「あ、あのう、わはくひ、自己紹介したたけて、ホケておりませんのよ………」
「────この命で謝…」
「もうええわ!」
楽しそうにじゃれ合う二人を前に、クレマンティーヌは益々苛立ちを募らせた。
『英雄の領域からも逸脱しようかという、このクレマンティーヌ様を舐めてるのかのかこいつら…』
しかし、クレマンティーヌは可愛らしい見た目ではあるが、けしてうぶな小娘ではない。なんとか平静を取り繕い会話を続ける。
「ふ~ん、そっちの組織の正式名称は『アインズ・ウール・ゴウン』って言うんだ。ところでさぁ、おたくに入ったら、あたしも丸出しにしないといけないのかなぁ?それってかの盟主様のご意向なの?」
『──盟主?ああ、モモンガさんのことか?』
「ええ──っと、、そうです。魔導王陛下は乳好きなんです」『モモンガさんごめんなさい!』
「へ、陛下?王様なの?というか、アインズ・ウール・ゴウンって国なの?」
「そうですわよ。まだ建国したばかりではございますけど。
国王陛下のことはご存知なのでしょ?」
「そりゃあ、直接会ったことはないけど、何カ月も前から遣り取りしてたからさぁ少しは知ってるよ………」
『なんだよモモンガさん、そんな前から仕込んでたのか!会ったことがないって、メールで打ち合わせしてたの?』
「──アンデッドなんだよねェ」
「その通りでございますわ」
「ひょっとしてエルダーリッチなのかなぁ?」
ズコッ─!
エルダーリッチという今一なギャグではあるが、ナ―ベラルはお付き合い程度に軽くズッコケてあげた。しかし隣のモモンからは凄まじい殺気が放たれている。
それを受けたクレマンティーヌは、クラウチングスタートにも似た低い構えを取った。まさに一触即発である。
その両者を見て、ナ―ベラルは慌ててモモンを手で制した。
「モモン!これはギャグですから、本気で怒ってはダメですわよ!」
次にナ―ベラルはクレマンティーヌを諭した。
「エルダーリッチねェ、それだとちょっと微妙で笑いにはなりませんから、この場合は『スケルトン』って言うのが正解かもしれませんわ。それから、陛下は『死の支配者・オーバーロード』でございますのよ。ご存じでしょ?
あ、そうそう、それからまだご紹介していませんでしたね。こちらがわたくしの近衛をしている『モモン・ザ・ダークウォリアー』ですわ。
彼の前で陛下のいじりは慎むことをお勧め致しますわよ。彼が本気で怒ったら、わたくしでは止められませんの。ホ─ホホホ、、」
偉そうに言ってはいるが、ナ―ベラルは未だおっ〇い丸出しであり、顔面は真っ赤に腫れ、その表情は涙目だった。
しかしそんな事など忘れてしまうほど、ナ―ベラルは戸惑っていた。
『というか、この子ギルドへの加入希望者なの?うちは人間種は入れないのになぁ、モモンガさん説明してないのか?
──ああ、もしかして、そういうことなのか?一応確認しておくか!』
「大事なことなのでお伺いしますが、あなた人間かしら?」
「──はぁ?」
あまりにも想定外の質問に、クレマンティーヌは一瞬意味が理解できず、呆けた返事をしてしまった。
しかし、けしてクレマンティーヌはバカではない。その言葉の意味を高速で検討し、すぐに答えを導き出した。
「ふ~ん、そゆこと………
たしかに、あたしはまだ英雄の領域をうろちょろしてるけど、そう遠くないうちに必ず逸脱して"人外になる"よ、あんた達だってそう思っているから誘ってきたんでしょ!」
ナ―ベラルはパンッと手を叩き、大きく首肯いた。
『そうなんだ。種族変更するつもりなんだね。何になりたいんだろう?この雰囲気からして…そうか、
「わかりました。それなら問題ございませんわ。
あ、あと、念のためでございますが、社会人ですわよね?」
「──はぁ?」
『確かに無理して若作りはしているけど、まさか未成年には見ないだろうし?そもそも社会人でなかったら何だって言うんだ?漆黒聖典は秘密部隊だから、社会に属さない存在なのかって聞きたいの?』
クレマンティーヌの脳内にいくつかの疑問が巡るが、そのまま答えるしかなさそうだ。
「ん~、一応…社会人になるのかな?」
『そうか、こいつやっぱりマキなのかなぁ。専業主婦だから『一応…』みたいな言い方してるのか。でも妹よ専業主婦も立派なお仕事だぞ!お兄ちゃんはそう思うぞ!』
「なるほど、それなら一切問題ございませんわ。
ちなみにナザリックの事はどのくらい聞いてございます?」
「──ナザリック?」
「ええ!まさか、ナザリックを知りませんの?」
「だってー、兎に角この時間にこの場所に行けば、組織のNO2の人がいるからって言われただけで~、強大な秘密結社ってこと以外、拠点の在りかも、名称も、組織構成もぜ~んぜん教えてくれなかったじゃ~ん!」
『モモンガさん、わたくしの事をギルドのNO2って言ってくれてたの!やっぱり『ホネホネロック』は勘弁してあげますわ!それにしても、この子に何も教えてあげてなかったの?っていうか、うちのギルドそこそこ有名なんだけどなぁ………ああ!もしかしてアカウント作りたてなんだな!滅茶苦茶レベル低そうだと思ったら、そういうことか』
「そ、そうでございましたか、それは申し訳ございませんでした……
では、ナザリックの事を簡単にご説明いたしますわね。
ナザリック、正確には『ナザリック地下大墳墓』と申しまして、名前の通り全10階層からなる巨大な地下ダンジョンでございますわ!
仲間たちと共にこだわり抜いて作り上げましたのよ!わたくしも恥ずかしながらかなり課金しちゃいましたわ。ホホホ、、、
地下とは申しましても、ジャングルがあったり、湖もあるし、溶岩の川があったり、氷河もありますわよ。
上の方の階層にはバンパイアとかアンデッドがいっぱいいますし、それに何と言っても、人食いゴキブリが何万匹もいて、入ってきた人はみんな体の内側から食べられちゃいますの。面白いでしょ!
湖には大きなゴーレムもいるし、溶岩の所は悪魔だらけですわ。それからジャングルには残虐で可愛らしいダークエルフがいるし、氷河には刀を振り回す昆虫とか、幽霊の
入り込んできたバカな人間は、なぶり殺しにしますのよ!滅茶滅茶楽しいですわよ!ホホホ、、、
あ、そうそう、9階層には立派なスパとか、エステなんかの美容系施設もございますから、あなたも連れて行ってあげますからね。お肌がプルンプルンになりますわよ!
えっと、それから………」
簡単に、と言った割に、軍事機密でもあるナザリックの内部状況まで語り出したナ―ベラルに、モモンは少々危機感を覚え、苦言を呈さざるを得ないと判断し、ハリセンの握りを確かめた。
「姫、部外者にナザリックの情報をあまり詳しくお話してしまうのは、如何なものかと愚行致します」
モモンがハリセンを握り直したことを鋭く察知したナ―ベラル。
「ちょ、ちょ待って、待って、待ちなさーい!
この子はいいのよ!大丈夫だから!
兎に角一旦ハリセンを降ろしなさい!」
話を聞いていたクレマンティーヌは想った。
『──地獄だ』
モモンがハリセンを放たないと安堵したナ―ベラルは、再びクレマンティーヌに向き直り、口をパクパクと開けたり閉じたりしながら、如何にも聞きにくそうに質問を続けた。
「最後にもう一つだけだけお伺い致しますでございますわ。マナー違反なのでお答えしていただかなくても勿論全然、ぜんぜーんかまいませんが、あなたのリアルのお名前は、そのぉ、も、もしかして『マキさん』ですか?」
クレマンティーヌにとっては、リアルという言葉の意味はよく分からなかったが、いずれにしてもそれほど重要なことではないだろう。
それよりも『マキサーン』という自分の洗礼名を、あまりにも恐る恐るという雰囲気で聞かれた事の方が、訝し気に感じる処ではある。しかし特段隠している訳でもないので、やはりそのまま素直に答えることとした。
「そうだけど?あたしのフルネームは『クレマンティーヌ・マキサーン・クインティア』って知ってるよね?」
『うっわーなにそれ、ダッさ、、クレマンティーヌとクインティアの部分はかっこいいのに『マキさん』を『マキサーン』って、せっかくの前後のかっこ良さが台無しだろ!ま、わたくしも人の事は言えないか『ワタナベ』が『ナ―ベラル』だもんなぁ、、家系?ダサいネーミングセンスって我が家の家系なのか?っというか、俺の事は知ってるのか?』
「ちなみに、わたくしのリアルの事はご存知かしら?」
「だから~、リアルって何なのさ、さっぱり分からないよ!全然教えてもらってないって言ってるじゃーん!」
『そうかそうか、マキは俺が『悟』だって事は知らないんだな。ああ良かった、こんなお姫様ロールやってるってバレたら一生ネタにされるよ』
「そ、そうでしたわね。ホホホ、、、」
ほっと安心した拍子に、ナ―ベラルは未だに自分が丸出しだったことを思い出した。
自分とバレていないとは言え、妹にこんな格好を見られるのは、兄として実に情けないものだ。
何食わぬ顔でそっとドレスの胸元を元通りに整えたつもりだが、しかし挙動不審な視線は些かも隠せてはいない。
「あの~、胸は出しっ放しじゃなくても良かったの?」
「ま、まあ、それは個人の自由ですから、あなたも出したくなければ出さなくていいですわよ」
なんだかよく分からない遣り取りではあったが、丸出しにしなくてもいいならそれに越したことはないので、クレマンティーヌはこれ以上その件について突っ込まないようにした。
クレマンティーヌが次の話題に移ろうとするより早く
「あなた、かなりレベルが低いですわね」
唐突な質問だった。
ナ―ベラルも100レベルプレーヤーではあるが、ギルドメンバーの中では最弱である。したがって人間種プレーヤーを前にして、モモンの横や、ましてや前に出るなど絶対にありえない。
しかし、先程来クレマンティーヌに対して完全に油断しているのは、彼女がとてつもなく弱いことが分かるからだ。
コンソールが表示されない代わりに、相手の種族、レベル、MPなどが抽象的概念のように大まかに分かる。石を見れば堅い、プリンを見れば軟らかいと分かるのと同じ感覚だ。
「──レベル?」
レベルというのが何を指すのか、地位なのか、知性なのか、力なのか、いずれにしてもそれが低いという事は、良い評価ではないことは理解できる。
「そうです。レベルですわ。多分20台後半から30位ですわよね?」
ナ―ベラルは悪気があってそんな質問をした訳ではない。初心者がレベルが低いのは当然であり、けしてそれ自体が恥ずかしいことではない。
むしろナ―ベラルのようにベテランカンストプレーヤーでありながら、とてつもなく弱いという事の方がよほど恥ずかしいのだ。
「──だからぁ、レベルってなに?」
突然に訳の分からない評価を受けて、ネコ科の動物を想わせていた軽薄な笑顔が霧散し、若干の苛立ちが表情にも現れる。
「はい?レベルをご存じありませんの?」
『おいおい、レベルを知らないなんて、どんだけ初心者なんだよ!今日アカウント作ったのか?』
「もしかして、強さみたいなもののこと?」
「そうですわね、強さも含まれますけど『総合的な実力』みたいな感じのことですわ
わたくしなんか100レベルでございますが、強さ的なことで申しますと、滅茶滅茶弱いんでございますのよ」
そしてナ―ベラルは思い切り胸を張る。
「姫、それは自慢できるようなことではないと愚考致します」
「ホホホ、、、たしかにそうでございますわね。ちなみにこのモモンも100レベルですが、わたくしと違って戦士系ですからとっても強いですわよ。
ほら、この筋肉、カッチカチですわよ、カッチカチ!」
「姫、それは鎧です!」
隙あらばふざけ始める二人に、クレマンティーヌもいい加減呆れ顔である。
『ああ、こいつらと喋ってると話が全然進まねェ』
しかし、このまま侮られる訳にはいかない。一級の戦士としての矜持がそれを許さないのだ。
「でも、それって、もしかして遠回しにあたしのことを、と~っても弱いって言ってる?」
「ま、まぁ、気を悪くなさったらごめんなさい。誰でも初めは弱いんですのよ。あなたもこれからレベル上げをすれば、すぐに95レベル位にはなれますわ。
ね、協力いたしますから、一緒に頑張りましょ。
外にはモンスターが一杯いますのよ、そんな状態で外をうろうろしてたら、多分今日死んじゃいますわ」
ここまで侮られて黙っていては、今後この組織での自分の地位が怪しくなりかねないと思ったクレマンティーヌは、自分の実力の一端を見せることにした。
「ふ─ん、だったら試して見る?」
「なるほど、わかりましたわ…」
レベルの差とはどういうことなのか、初心者プレーヤーには言葉より実力で見せてあげた方が良いだろうとナ―ベラルも判断した。
「──モモン、少しだけ力を見せてあげなさい」
モモンは、直ちに起き上がると、クレマンティーヌに正対し、二本のグレートソードを抜き放った。しかし、それを使う気はないとばかりに、手の中でクルンと柄を回転させ、刃を下に向けて大地に突き立てた。
そして両手を広げ優し気に語り掛ける。
「さぁ決死の覚悟で掛かって来なさい」
クレマンティーヌはモモンの様子をしげしげと観察する。
大柄な体躯ではあるが、フルプレートを着用しているため、露になっているのはヘルムを外した頭部と、ガントレットを外した手首から先だけで、全身の筋肉量などは測り難い。
その顔はまるで女のように美しく、ほとんど日に焼けている様子もなく肌は白い。
目鼻立ちは非常に整っており、切れ長の眼光は鋭く、黒い瞳はどもまでも深い。
短く整えられた艶のある黒髪は、風に靡いてさらさらと揺れている。
指はまるで白魚のようで無骨さの欠片もなく、剣の鍛錬をした戦士の物とは程遠い。
香水だろうか、風に乗って時折いい香りが漂って来る。
このモモンと呼ばれる戦士は、クレマンティーヌの常識から言えば、金持ちの美丈夫が、豪奢な剣や鎧をひけらかしながら、戦士のふりをしているようにしか見えない。
「はぁ、なめてんのかてめェ…
たしかに、その鎧も武器も立派だよ。そりゃ、見せびらかしたくもなるだろうね。でもさぁ」
──肉食獣の笑みに変わる。
「アホかお前!折角のヘルムも剣も使わずに、無手でこの英雄の領域に達したクレマンティーヌ様に勝てる?」
◆
スレイン法国の最奥、この神聖不可侵の場所に立ち入ることを許されているものは少ない。
最高執行機関、12名のメンバーからなるそれは、本日も会議を行っていた。
「さて、では次の議題に移りますが、『疾風走破』の件に付いてです」
つい最近土の神官長に就任したばかりのレイモン・ザーグ・ローランサンが報告する。
「ここ一カ月の調査の範囲ではという前提ではありますが、お手元の調査報告書の通り、特段の不穏行動は認められませんでした」
「いや待たれよ、何度もエ・ランテルに往復していると聞き及んでおるが」
そう問いただしたのは、この場で唯一の女性である火の神官長ベレニス・ナグア・サンティニである。
「それは、趣味の小物や服、マジックアイテムなどのショッピングをしているとのことでして、エ・ランテルは商業都市でもありますから、わが国には無い珍しい物もあるのでしょう」
誰かが発言した。
「あの性格破綻者が?小物を?服を?俄かには信じられがのう」
「性格破綻者はいくら何でも言い過ぎでしょう。それにそもそも彼女があんな性格になってしまった事には我々の責任も大いにあるわけですし」
「それはすでに解決した案件ではないか」
「そうですね。ですがそれは我々の中ではと注釈が付くと思いますよ。実際に想像を絶する恥辱を受けた彼女が、少々性格が歪んでしまった程度で再び職場復帰できたのは、勿論我々のサポートもありましたが、何よりも彼女の精神力が強かったということなのでしょから」
「お主、いくら直属の部下とはいえ、やけに庇うではないか」
「いいえ、私は極めて客観的に彼女を評価しているつもりですよ。いずれにしても、漆黒聖典の女性隊員たちも毎回お土産を貰っているようですし、彼女が買い物をしている事は間違いないようです。ご覧の通り風花の報告書でも特段怪しい行動は無かったとなっておりますので」
ベレニス・ナグア・サンティニの視線が一瞬鋭くなった。
「それで、元漆黒聖典第三席次として、お主もそれを信じておるのか?」
「信じるも何も、彼女は国外に出る際はきちんと届け出もしておりますし、それに非番の時に何をしようとも、法に触れない限りは自由でありますから」
「理屈ですな。漆黒聖典の隊員ともなれば一部の例外を除いては、個で軍をも相手に出来る実力を持っておるのだ。非番だから何をしてもいいなどと、まるでそこら辺の兵士と同等のように扱うのはちと危険ではないか」
「しかし、彼女の性格が個性的だから、というだけの理由で出入国を制限することもできませんし」
現、土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンには秘密があった。それは極めて個人的なもので、この場で話題にするような事ではない。
彼は数年前より男性機能に衰えを感じ始め、男としての自信を失いかけていたのだ。
そんなある日、非常に効能の高い強壮剤の存在を知った。
その薬自体はなんら違法なものではないのだが、これは非常にデリケートな問題なのだ。したがって、秘密を誰にも知られない為に、国外のエ・ランテルにあるバレアレ薬品店に偽名で発注していた。
王国最高の呼び名も高き、かのリイジー・バレアレの作る強壮剤は、効能が圧倒的だった。
あの夜、久々に妻を屈服させた喜びは、何ものにも代え難いものだった。
「今夜のあなたはまるでドラゴンみたいだったわ」という妻の言葉は、夜の営みで女性が男性を褒める時の最上級の賛辞だ。
嬉しかった。そして男として自信と活力を取り戻した。それからは仕事にも益々意欲的になり、ついには法国1500万の民のトップ12人の内の一人、土の神官長という要職を仰せつかるまでになった。
ちなみに精力が有り余り過ぎて、現在愛人が3人もいることはまた別の話である。
つまり一度あれを使ってしまったレイモンは、もう他の店から購入する気などまったく起こらないのだ。
以前は人を雇い現地まで赴かせていたのだが、しかしこの費用がバカにならない。
彼の小遣いの範囲では、年に4~5回購入するのが限界だった。ただし、それでは薬の消費期限の関係でどうしても空白期間が出来てしまう。
国の要職に就くレイモンは、国外で万が一事件にでも巻き込まれれば国際問題にもなり兼ねず、このような極めて私的な用件で、自ら現地に赴く訳にもいかなかった。
そんな時、新人隊員であった漆黒聖典第九席次『疾風走破』が、趣味のショッピングで毎月のようにエ・ランテルに通っているという話を聞き、それとなく頼んでみたところ、ついでという事で快く引き受けてくれた。
ちなみに彼女は、薬の効能に付いてはまったく知らない。
勿論手間賃として相応の金額は支払ってはいるが、走ることで交通費が掛からない彼女は、非常に安く引き受けてくれている。
彼女はショッピング費用が浮き、レイモンは安く薬が手に入る。お互いにウィンウィンの関係なのだ。
彼女であれば、工作員特権で入管手続きも不要であるため、荷物の中身を調べられることもない。勿論仮に調べられたとしても全く違法性は無いのだが、面子を重んじるレイモンにとしては非常にありがたい特権なのだ。
ちなみに『疾風走破』を含め漆黒聖典の隊員は、非番の時は幻術効果のある仮面を着用し、全く別人に成りすましている。
レイモンが、ついつい『疾風走破』を庇ってしまうのは、そういう裏事情があったせいだ。
◆
「王女様さぁ、これからお仲間になるっていうのに悪いんだけどさぁ、この戦士さんが死んじゃっても、恨みっこなしでいいんだよね」
「そうですわね。もしモモンに傷ひとつでも付けることができたら、魔導王陛下からものすごい褒賞が貰えますわよ」
「──ふ~ん、あっそ」
──肉食獣の瞳がカッと見開かれる。
「でもさぁ、人をおちょくんのも大概にしといた方がいいと思うよ!」
「どうした、掛かってこないのか?それとも目を開けていると怖いなら、こちらは目を瞑っていてもいいぞ」
すると、モモンは本当に目を瞑ってしまった。
クレマンティーヌは煽るのは好きだが、煽られると直ぐに激昂してしまうところがある。そして英雄の領域に達して以来、ここまで侮られたのは初めてのことだ。
「てめェら、むかつくにも程があんぞ!」
腰に幾本か下げていたスティレットの一本を取り出し、剣先で首元の外套の留め具を外すと、それはするすると足元に滑り落ちる。
現れた肢体には、胸と腰回りをわずかに覆うだけの、ビキニアーマーと呼ばれる軽装鎧を着用している。
鍛え上げられた筋肉の上には女性らしい脂肪が包み、丸みを帯びた豊かな双丘は半分近くが剥き出され、谷間へ向かって濃い陰影を作っている。
さらに腹部、臀部、脚部と全身の流れるような曲線は一段と美しく、蠱惑的でありながら尚健康的だ。
『すごい!なんちゅう凄まじい作り込み!』
ナ―ベラルの正直な気持ちだ。
クレマンティーヌはゆっくりと姿勢を変えていくと、クラウチングスタートのポーズに近いが、立ったままの異様に低い構えを取る。
瞬間、限界まで引き絞られたバネが弾けるように、顔からモモンへと一直線に迫りながらスティレットを突き出す。狙う先は閉じたモモンの目だ。
ビクンッ!
突き出したスティレットがモモンの目に突き刺さる寸前、突然まるで巨大な城壁に突き立てかのように動きが止まってしまった。
クレマンティーヌは、その身体能力をフルに使うことで、辛うじて肩が脱臼しない様、そしてつんのめらない様、なんとか姿勢を保った。しかし、目に映る光景は想像を絶していた。
さっきまでアホみたいに丸出しにしていた、そして自分自身を弱いと嘯いていたあのナ―ベラルが、横から手を伸ばし、スティレットの先端をまるでおやつのクッキーでも頂くかのように、親指と人差し指の二本で摘まんでいるのだ。さらには小指が可愛らしく立ってさえいる。
しかもナ―ベラルはモモンを凝視し、こちらの剣先は見てすらいない。
「こらッモモン!あなたまた瞼で挟む気だったでしょう!あれ、見てるこっちがキモいから、やめなさいって前にも言ったではありませんか!」
「畏まりました。姫様」
モモンは再び両手を広げ、優しい笑顔で目を閉じ、クレマンティーヌに語り掛ける。
「では、クレマンティーヌよ、もう一度、今度は本気で掛かって来なさい」
先程の刺突は武技を使ってはいないだけで、クレマンティーヌにとっては本気であったのだ。
「たしかに全力じゃないけどさぁ」
不思議そうに首を傾かせ、視線は剣先とナ―ベラルを交互に行き交う。
「あれどうやったの?速度系と防御系の武技を合わせたのかなぁ?」
軽口を叩いてはいるが、もはやクレマンティーヌに余裕などまったくない。
言葉とは裏腹に、本能は絶対に適わないと告げ、心臓は早鐘を打ったように激しく鼓動する。
しかし、戦士としてのプライドが、やめろと告げる本能に無理やり蓋をする。
クレマンティーヌは再び異様に低い構えを取った。
『能力向上』
『能力超向上』
『疾風走破』
『流水加速』
いくつもの武技を重ね掛けし、先程に倍するスピードでモモンに迫る。狙うは再び目だ。
「死ね──!」
右手から突き出されたスティレットを、モモンは頭をほんの少し動かしただけで回避する。
「まだまだ──!」
続けて恋人に抱き着くような体制で迫りながら、左手に持っていたスティレットを放つも、モモンは今度は頭を反対側に軽く振りそれも回避する。
両手の攻撃がいとも簡単に躱され、クレマンティーヌは成す術もなく、そのままの勢いでモモンに抱き着いてしまう。
するとモモンは、そのままクレマンティーヌを両手で抱きしめる。
モモンの両手が強くクレマンティーヌを締め上げる。
「まさか──!」
モモンが何をしようとしているのか察したクレマンティーヌは、なんとか離れようとあばれるが、その腕はまるで万力の様にビクともしない。
「んぐううー、、て、てめェ、、こ、こんの野郎…」
必死にもがくクレマンティーヌに、モモンは先程と同じ優しい口調で語り掛ける。
「──そんなに暴れるなよ」
クレマンティーヌは、自分の背骨がゴキリと折れる姿を幻視する。
そして………
──キスされた。
いつになったらカルネ村に!とお怒りの方もいらっしゃるかと存じますが、よくよく考えてみますと、異世界へ降り立ってからカルネ村どころか、未だ一歩たりとも歩み出しておりませんでした。ごめんなさい!
次回こそは、必ずや………。
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