甘木瀬斗の暗殺教室   作:つがう

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42話

 こちらが敵の顔を知らないのをいいことに、相手も客のフリをして襲ってくるかもしれないと注意を促す殺せんせーの言葉に、神妙な面持ちで頷いたものの……けれど、やはりは実戦経験が乏しい。あまりにも何事もなく廊下を歩き進んでいくと油断も生まれる。

 何度かすれ違う客が、目を合わせることなく通り抜けることによって生まれた安堵、なにより……何があっても、先導する烏間先生がなんとかしてくれるだろうという慢心。

 3階の中広間に到達した時、それらの油断が明確な隙を生んだ。

 

「ヘッ楽勝じゃねーか! 時間ねーんだからさっさと進もうぜ」

 

 寺坂君と吉田君が烏間先生を追い抜いて駆け出した。

 

「ちょっ、バカ! 烏間先生より前に……」

 

 ピクリ、と指が動く。本能的に感じた危険。私も同じように駆け出す。黒い山高帽を被った、チェックのシャツの中にハイネックの服を着こんだ小太りの男。鼻歌混じりに歩いてくる男はなんの変哲もない、如何にもな"ただの客"に見える。それなのに私の足は動いた。

 

「寺坂君! そいつ危ない!!」

 

 背後から不破さんのそんな声が聞こえた。

 

「あ?」

「うぉっ!」

 

 手を伸ばし、吉田君の服を掴んで彼と位置が取り替わる。遅れて駆け寄った烏間先生が残った寺坂君の襟を掴むと後ろに突き飛ばした。

 男が中に着込んだハイネックを鼻まで押し上げなにかを取り出したのを見るなり、私は目を閉じて息を止める。

 その瞬間、顔にかかってきた感触にガスを吹きかけられたのだと認識しそのまま後ろへと飛ぶように後ずさった。カン、という音が響き、顔回りから吹きかけられた空気が消えたことを察してゆっくりと瞼を開ける。男の手にはもうなにも握られておらず、手のひらサイズの缶が遠くへと転がっているのを見ておそらく烏間先生が蹴り飛ばしたのだろうと認識したところで……男から声が飛んだ。

 

「何故わかった? 殺気を見せずすれ違いざま殺る。俺の十八番だったんだがな、オカッパちゃん?」

 

 不破さんはフン、と鼻で笑う。

 

「だっておじさん、ホテルで最初にサービスドリンク配った人でしょ?」

 

 ああ、この男に感じた危険はそのせいか。

 思い出すべきは看病の為と居残り組となった竹林君の言葉である。感染力は低い、という犯人の言葉、そしてクラスの半分程はまだ無事なところから考えても、盛られた毒はおそらく空気感染ではなく経口感染。飲食物等に混入されたと見るべきだという見立てだ。

 

「クラス全員が同じものを口にしたのは……あのドリンクと、船上でのディナーだけ。けど、ディナーを食べずに映像編集してた三村君と岡島君も感染したことから、感染源は昼間のドリンクに絞られる……したがって犯人はあなたよ! おじさん君!」

 

 ぱちんっとウインクをしながら自信満々に言う不破さんはまるで漫画に出てくる探偵のようであり、事実、漫画を読んでるから素早く適応出来るのだと得意げに語る不破さんの緊張感の無さに誰もが緊張を忘れかけ……ガク、と膝をついた烏間に誰もが目を丸くし、弛緩しかけた空気が再び引き締まる。

 

「毒物使い……ですか。しかも実用性に優れている」

 

 殺せんせーの言葉に男は俺特製の室内用麻酔ガスだ、とにやりと笑う。

 

「一瞬吸えば象すらオトすし、外気に触れればすぐ分解して証拠も残らん……はずなんだが、なんでお嬢ちゃんはピンピンしてんのかな?」

「吸ってないから。吸って体内に入んなきゃ意味ないんでしょ、それ」

「……何故そこまで気付いた? 第一、あのガスは来ると予期してなきゃぜってー防げなかったはずだ。食らった瞬間に息を止めようとしてもその時には既に吸い込んじまうからな」

「勘」

 

 私は堂々と男にそう言い放つ。

 

「勘なんかでこれを突破されちゃあ毒物使いの面目丸つぶれなんだがな」

「知らん。あんたが勝手にこっちをただの中学生って思っただけでしょ」

「ははっ、まあいい。おまえ達に取引の意思がないことはよくわかった。交渉決裂、ボスに報告するとするか」

 

 そう言って足早に立ち去ろうとしたのか早急な動きで踵を返す男だが、しかし即座に動きを止めることになる。男が来ていた側の通路は既に生徒達の手によって塞がれていたのだ。

 中広場に置かれていたテーブルや花瓶、装飾用の槍などリーチのある得物を手に取られては、毒をメインに使う男としては強行突破するにしてもあまりにも分が悪い。

 

「……敵と遭遇した場合、即座に退路を塞ぎ連絡を絶つ。指示はすべて済ませてある」

 

 聞こえてきた烏間先生の言葉に、男は即座に振り向いた。ゆらり、と立ち上がった烏間先生は戦意を喪失しておらず、にぃ、とその口角を吊り上げる。

 

「おまえは……我々を見た瞬間に攻撃せずに報告に帰るべきだったな」

「フン、まだ喋れるとは驚きだ」

 

 象すらオトす、と自信のあったガスを吸いこんでもなお動き出そうとする烏間先生に顔を引き攣らせた男、しかし瞬時に平静さを取り戻すとハイネックの布地を鼻上まで押しあてた。

 

「……だが、所詮他はガキの集まり。おまえが死ねば統制が取れずに逃げ出すだろうさ」

 

 烏間先生はなんとか立ち上がり構えを取っているものの、体は震え限界に近い、といった様子だ。それならば殺れると思ったのか、男はズボンのポケットから再びガスを取り出した。だがそれを取り出した頃には既に烏間先生の足は男の顔面間近にまで迫っていた。

 当然、男は反撃はおろか避けることすら許されず膝蹴りを顔面に受け、吹っ飛ぶ。一拍遅れて倒れ伏した男の意識はもう既になく……とてもではないが、通常、麻酔ガスを吸い込んだ人間が出来る芸当ではない化け物っぷりだった。

 

「流石烏間せんせ……ッ、先生!」

 

 一同の間で上がったのは歓声でなく悲鳴だった。……男に鮮やかな一撃を繰り出した烏間先生もまた、倒れ込んでしまったからだ。




 すべての片付けを終えた一同は心配の眼差しで烏間先生を見ていた。磯貝君の支えで立ち上がった烏間先生は……ダメだ、と首を振る。

「普通に歩くフリをするので精一杯だ。戦闘ができる状態まで……30分で戻るかどうか」

 その言葉に……心配よりもドン引きする気持ちの方が勝った。

「象をも倒すガス浴びて歩ける方がおかしいって」
「あの人も十分化け物だよね」

 その言葉につい同意してしまう。……とはいえ、そのおかげで助かったのだから、文句を言う筋合いはないのだが。
 そうして私たちは行軍を再開したのだが、突入当初の勢いは既に立ち消えていた。多くの顔色は悪い。ここはまだ3階だ。標的がいる10階はまだまだ先。だと言うのに、もう烏間先生やイリーナ先生には頼れない。もちろん、殺せんせーにもだ。ぱんっと自分の頬を叩く。気合を入れろ。感覚をさらに研ぎ澄ませろ。
 ホテルに突入してから今までの短期間に、それでも嫌という程に思い知った、経験と知識を重ねたプロの殺し屋の恐ろしさと凄さ。だからこそ、恐怖を覚える。そんなプロがこの先にも待ち構えている。
 プロだろうが何だろうがそれが非術師ならば、私は手を出せない。殺せない。

「いやぁ、いよいよ"夏休み"って感じですねぇ」

 ……人が気合い入れてるって時にこのタコは!!
 球体の中でご丁寧にデフォルメの太陽を浮かべた殺せんせーが、気楽極まりない声でそうのたまった。当然、私以外の空気もピシリと固まる。……そして、一瞬遅れて盛大な大ブーイングが巻き起こった。

「何をお気楽な!」
「ひとりだけ絶対安全な形態のくせに!!」
「渚、振り回して酔わせろ!!」

 渚君も流石に今の発言はどうかと思ったのか、一同の期待に応えるように無言で殺せんせーの入った袋を思いっきりぶん回す。

「にゅやーッ!」

 情けない悲鳴をあげながらぐったりした様子の殺せんせーを他所に、渚君から袋を受け取ったカルマ君はにやりと笑って寺坂君……の、ズボンを指さした。

「よし寺坂、これねじこむからパンツ下ろしてケツ開いて」
「死ぬわ!!」
「カルマ君、君に容赦はないのか容赦は」

 流石というべきか、嫌がらせに対する発想度が1人だけ段違いである。多分悟でも思いつかないぞそんな非人道行為。確かに殺せんせーも精神的大ダメージを受けるだろうがそれ以上にヤバいのは寺坂君の方だ。流石に即却下された案に、寺坂君がカルマ君へと食って掛かる最中、渚君はカルマ君にぶら下げられている殺せんせーへ視線を落とした。

「殺せんせー、何でこれが夏休み?」

 その問いに、殺せんせーはにやりと笑ってこう答える。

「先生と生徒は馴れ合いではありません。そして夏休みとは、先生の保護が及ばない所で自立性を養う場でもあります。……大丈夫。普段の体育で学んだ事をしっかりやれば……そうそう恐れる敵はいない。君達ならクリアできます。この暗殺夏休みを」

 殺せんせーは勉強に関しては常に手厚く、この上ない程丁寧に指導を行う。けれどその一方で、体育だけはやたら容赦がなく無茶ぶりを出してくる傾向にあるらしい。無責任なようにも感じる、お気楽な言葉。だがここで後戻りなどは出来ない。
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