甘木瀬斗の暗殺教室   作:つがう

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52話

「船が出せない?」

 

 朝の10時。私たちは帰りの船に乗るべく荷物を持って船着き場へと向かったのだが、船を操縦する船員が困った顔をしてそう言ったのだ。

 台風が来る予報もないのになぜ船は出せないのかと聞いてみると、どうやら波の具合が悪いらしい。そうは言うが、波は穏やかだ。

 

「何を言われても正午過ぎにならなきゃ船は出せねえ。今出したら人魚に船を沈められちまう」

 

 船を操縦する人間の中で一番偉い男がそう言った時、私は嫌な汗が止まらなかった。

 

「人魚……?」

 

 烏間先生が訝しげにその言葉を繰り返す。

 

「昔っから言われてんだ、朝に海鳥の群れが沖の方へ飛んでいくと、その日の午前には船を出しちゃいけねえ、人魚が現れて船を海底へ引きずり込んでしまうってな。まあこれはただの迷信だが、本当に事故の確率は高い。万が一転覆でもしたら命はないぜ」

「そんな……」

「そんな不安そうな顔をしなくても正午を過ぎたら船は出してやるから」

 

 丸1日船が出ない訳では無い。その事実に皆は安心しているようだった。だが私は、冷や汗が止まらない。胃の中のものが全て逆流してきそうなくらい気分が悪くなる。

 どうしてこんなにも気持ち悪いのだろう? それはきっと、私の脳裏に焼き付いて離れないあの光景のせいだ。

 あの、人魚の村での出来事のせいだ。

 思い出したくないのに思い出してしまう。吐き気に堪えきれずしゃがみ込むと、隣にいた倉橋さんが心配してくれたのか、同じようにしゃがんで背中をさすってくれた。

 

「お嬢ちゃん大丈夫かい?」

「……すみ、ません……」

「日陰になるところで休んだ方がいい。皆もビーチの椅子がある方に戻ろう。どっちみち船は出ない」

 

 烏間先生の指示でE組たちがぞろぞろと歩き出す中、私だけは立ち上がれないままだった。

 ああ、頭が痛い。ガンガンと頭の中に何かを打ち付けられているような感覚だ。耳鳴りまでしてきた。

 これはいよいよまずいなと思った瞬間、目の前がふっと暗くなる。自分に影がかかったのだと思い、ゆっくりと見上げる。

 するとそこには髪の長い女が立っていた。だが誰もその女を知らないフリする。……否、見えていない。それで私は理解する。目の前のこの女は呪霊だと。

 

「……は……?」

『ァ……ァ、タシシ、ななにもしてな、ない、わ。海がああ、アレるのは、偶然……ナノ』

 

 呪霊は私にそう言うと、海に身を投げるようにして消えた。友好的な呪霊……? いや、多分あれはどちらかというと守護するような存在か。

 まあ、そんなことはどうでもいいのだが。

 

***

 

 ビーチの近くに設置されているビーチチェアに寝転がる。E組たちは正午まで遊べる、という思考回路になったらしく海の浅瀬の方で楽しそうにしている。

 

「気分はどうですか?」

「……殺せんせー」

 

 顔色の悪かった私を心配してくれたのか、せんせーが声をかけてきた。

 

「吐き気は収まった。あとは静かにしてれば多分大丈夫だよ」

「そうですか。それはよかったです。飲み物を持ってきました。少しでも口に入れると違うと思いますよ」

「ありがとうございます」

 

 渡されたスポーツドリンクを、口の中を潤す程度だけ飲む。それだけでもだいぶスッキリした気がした。

 

「瀬斗さん、君は船の操縦員が"人魚"と言った時に激しい嫌悪感を露にしていましたね」

「……」

「何かあったんですか?」

「……人魚が、嫌いなんですよ」

「嫌い?」

「小さい頃は好きでした。人魚姫のお話は切ないけどキラキラしていて、とても好きだった。そもそも人魚は神秘的で美しい姿をしているから。……でも今は嫌いです。言葉を聞くだけで頭が痛くなる」

「理由を聞いても?」

「…………先生は、八百比丘尼伝説って知ってますか」

「えぇ。確か人魚の肉を食べて不老不死になり、何百年も生きた女性の話ですよね。それが君の人魚嫌いに関係があるんですか?」

「……村があったんです。人魚を崇拝する村が。その村で人魚だと言われていたものは人間でした。即身仏とでも言えば多少は綺麗事になるでしょうか」

 

 ……いや、ならない。あれはそんな言葉で終わらせてはいけないほど禍々しいもので、私にとって忌々しい記憶のひとつだ。

 呪いや私が呪術師であることを匂わせたくは無いのだが、気が滅入っていて、それでいて殺せんせーは担任だ。少しくらい言っても罰は当たらないだろう。私の少しの弱音のようなもの。

 

「どうして瀬斗さんはそのような悲惨な場面を見ることになったのですか?」

「それは言えない、少なくとも今は」

 

 思い出したくない。むしろこんな記憶、今すぐにでも捨てたいくらいなのだ。でも私は呪術師だから、あれを成長として受け止めなければならない。

 

「……ごめん、殺せんせー」

「いいんですよ。生徒は教師に何でも話さなきゃいけないことはありませんから」

 

 殺せんせーはそう言うと、私の隣に座って触手で頭を撫でてくれる。その感触が心地よくて、私は目を閉じた。

 

「ねえ先生、日没までには東京に戻れるよね」

「戻れると思いますよ」

「そっか。じゃあそれまでここで寝ててもいい、かな」

「勿論です。ゆっくり休んでください」

「うん……」

そうして意識を失うように眠りについた私の額には、殺せんせーの触手が置かれていたのだと後から聞いた。

 

***

 

「おはようございます、瀬斗さん」

「ん……? ああ、おはよう、殺せんせー」

 

 目を開けると殺せんせーがいて、日は高く照っていた。

 

「船が出るそうですよ、行きましょう」

「はい」

 

 荷物を持って船の方に行くと、もうみんな乗っていて、私が最後のようだった。申し訳ない、もう少し早く起こしてくれても良かったのに。

 

「お、お嬢ちゃん顔色良くなったな」

「はい、少しゆっくりしたら良くなりました」

 

 船員の男に返事をして、私も船に乗り込む。船は沖の方へ進んでいき、徐々に小さくなっていく島をぼんやり見る。

 現在時刻は午後12時11分。理子ちゃんにかけられた賞金はとっくに取り下げられている。日没までの数時間、高専内の、天元様のところにいるからもう安全だろう。それなのに胸騒ぎは鎮まらない。

 

『ママ』

「……勝手に出てきたらダメだよ」

 

 弟切にそう注意するが、彼は聞かずに私の周りをくるくると忙しなく動き回っている。

 

『ママ、ふ、ふあん、ザワザワ』

「……大丈夫、要らない不安なんだよこれは。悟も傑も強いんだから」

 

 心臓付近を押さえながらそう言うと、弟切は心配そうな顔をして私の顔を見る。そしてそのまま私に抱きつくと、小さな声で呟いた。

 

『ママのふあん、とッてあげヨゥか』

「……そのままでいい」

『ナンデ?』

「次生まれた呪霊は傑にあげるって約束してるんだ。どうせなら強い子をあげたい」

『そっかァ、わかた。じゃ、ママのコと、よしよしする』

 

 弟切はそう言うと、カギヅメが当たらないように両手で覆うように私の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 東京に着くのはあと6時間後……私はまっすぐ高専の寮に戻るからみんなのことはわからないな……。高専内とはいえ、わざわざ筵山麓の方まで行くのは面倒だし……。硝子にお土産の地酒渡さないとだし。

 海を眺めながら、そんなことを考えた。

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