アニメ【魔法少女ショコラ=ティア】。
金曜日25:00放送の2クール深夜アニメで、映画版を含めての興行収入は、……今時、指折りの興行収入を全世界に誇る作品が何作も台頭する時代だ、そんな感覚麻痺しそうなアニメーション業界の中では「普通に成功した」範疇だと言っていいだろう。
人気ある実力派声優を捕まえて、アニメーション表現は3Dカメラワークを含めて「人間の目や監視カメラなどで見ているかのように」描き、キャラクター同士の人間関係も丁寧に描く、というだけならば、実はそうめずらしい作品でもなかった。
もちろん、めずらしくない作品程度であれば、作品の名前は埋もれてしまう。
群雄割拠なアニメ業界で、いつ世界的ヒットを叩き出す名作が同時期に放送されるかもわからないのに、無難な完成度のアニメーション動画を出してしまっては“強み”となる要素、同期のアニメには無い特徴だと断言できる特徴がなければ損をするだけだ。
できれば、SNSでの口コミが見込める物語性もあるといい。
そう考えた製作陣のアニメ制作方針は、こともあろうに、令和の時代の今さらになって、しかも魔法少女が題材の作品で今やるようなものではない表現を選んだのである。
麻薬。覚醒剤
これを「幸福の花の葉巻」と表現し。
幻覚症状や中毒症状を「他人の幸福の記憶」や「幸福願望」と表現したのだ。
当然、SNSでは“大盛況”になった。
ダークな作風の魔法少女モノ、というだけならばめずらしくもない。
“大盛況”になった原因は簡単な話で、悪役の愛用する「幸福の花の葉巻」を規制する魔法少女が正義の味方という、喫煙者への配慮がまったくなかったせいだ。
喫煙者差別とも解釈できる内容は喫煙者の怒りを買い、喫煙者のSNSへの書き込みが広告塔となり、まずは「喫煙しない今時の若者」の関心を集めた。
視聴者となった若者は「ひとの幸福を奪う悪役」という典型的な悪役と、「ひとの幸福を守ろうとする主役」という典型的な魔法少女の姿にひとまず安心する。なぜか「魔法の国のお姫様」なんていう古臭い設定だが、安心して楽しめる。
そう、安心して視聴できる。できてしまう。
これが製作陣の狙いだった。
炎上商法。怖いもの見たさの野次馬根性。
それを最初の一話だけで成立させて、一話の最後にとっておきを置く。
「幸福の花の葉巻」。
その煙で他人の幸せを追体験した人間は、やがてどうなってしまうのか?
なにせ原材料となる「幸福の花」は他人の幸せの象徴だ。
どこまでいっても葉巻の使用者の幸福そのものではない。それなのに幸せの瞬間を追体験してしまい、自分ではない誰かを自分なのだと錯覚できる。
たとえば。
人気者になれなかった普通の女の子が。
人気者になれた別の女の子の幸せの記憶を味わったら?
別の女の子に素敵な彼氏がいたら? 別の女の子が普通の女の子よりも、普通の女の子にとっての魅力的に思える美少女であったなら?
夢が覚めれば、自分は自分でしかない。だが自分は彼女になりたい、彼女のような幸せがほしい、今どれだけ頑張っても同じものが得られるわけではない。
さて、自分の手元には、幸福の花の葉巻が残っている。
彼女はどうする?
幸福の花の葉巻を求めて、悪役に人気者の女の子を売るのだ。
人気者の女の子から、ひたすら幸福の花を摘んでもらい、幸福の花の葉巻を作ってもらえば、自分は何もせずとも、「彼女の幸せを自分のモノにできる。」
なるほど魔法少女は悪役を倒した。
倒せたが、幸福の花の葉巻の悦びを知った中毒者を倒せていない。
密売者を倒しても中毒者は生まれており、何も解決せず、ただ行方不明になった人間だけが際限なく増えていく。
これが【魔法少女ショコラ=ティア】第一話であり、めぐまれた人間が魔法の国のお姫様のように幸せに暮らしている間にも、悪役たちの“物語”……すなわち人間の“犯罪”は終わらない、という現実を叩きつけるのである。
最後に表示される「つづく」の可愛らしく夢心地なフォントや、いかにも魔法少女モノらしい魔法少女自身の愛嬌ある声で語られる次回予告で、魔法少女ショコラ=ティアから見た現実と、【魔法少女ショコラ=ティア】を楽しむ視聴者から見た当作品への認識のずれを如実に表現するのも、とてもよく趣味が悪い。
結果は大反響、そして“大盛況”。
炎上と物議と感想の嵐でSNSのホットワード・ランキングに【魔法少女ショコラ=ティア】の名は掲げられ、かくして同期放送の作品群にも負けない人気を博したのである。
「魔法少女の名前がチョコと涙(英語でTear)の時点で気づくべきだった」
「中米のネタをちらほら見せてきたと思ったら、マジで中米の犯罪組織ネタかよ」
「俺達は結局、このアホ魔法少女と何も変わらんってことか」
作品への感想は、悲鳴と阿鼻叫喚で出来ていた。
【魔法少女ショコラ=ティア】劇場版放送から数年後の、時は令和二十年。
原作第一話放送当時での製作陣の意図とは関係なく、遅れて作品のファンとなっていた俺は、情けないことに熱中症で亡くなっていた。
今生になって「そういう死因だった」と気づいたのは、たまたま季節が夏で天気は晴れ、外気温は記録的な猛暑40℃と、前世の死に際にも似た真夏日のせいでありえないほど喉が渇き、本当に熱中症で倒れかけていたからだ。
「あ、そういえば、こんな感じで【魔法少女ショコラ=ティア】の復刻版フィギュアを買いに行こうとして、暑さで倒れたような、……いやフィギュアってなに?」
などと、意識を混濁させながら思い出した途端に、芋づる式で前世の記憶をすべて思い出せた。原作知識だけしか思い出せない、なんてケチなオチもつかずに、だ。
おそらく前世での眠れる自我(無意識)と、今生での自我(表層意識)が意識混濁によって混ざりあい、
ムズカシイ考察を省くと。
前世の記憶を、自分の経験だと納得できたのだ。
だから、なのだろう。
だれのフィギュアを求めていたのかも、しっかり思い出せる。
もちろん、すべてを思い出した自分が興味本位で『
「こいつなら、ショコラたち魔法少女らを足止めできるだろう。」
うん、そう判断されて「あとは任せた」と言われた件は嬉しい。
苦節数話、現実時間にして苦節二週間、ようやく推しに信頼されたのだから気分は最高だ。
実際これまでも、ショコラ姫とその家臣と分断しておいて、できるだけ女上司様だけでも余力をもって戦線離脱できるように時間稼ぎをしたり、土魔法で土埃を起こして煙幕の代わりにして視界を奪い、あらほらさっさと逃げるくらいはやった。
とはいえ、まさか大魔法「ヨロトル」を真正面から撃ちあうなんていう真似を原作よりも早く、それこそ1クール終盤の激熱展開を序盤も序盤の今現在にやらかすまでショコラ姫へ怒りをぶつけるとは思わなかった。
たしかにショコラ姫と家臣たちを分断させた以上、大魔法ヨロトルをぶつけて魔法力がすっからかんになっても、相手がショコラ姫だけであれば確実に勝てたかもしれない。だが仮にも、本来であれば大魔法ヨロトルの撃ちあいは1クール終盤の見せ場なのだ、アニメの看板にして主役である魔法少女ショコラ=ティアがそんな簡単に負けるわけがない。
原作であれば家臣たちがいたせいで全力を出すわけにはいかなかった、大魔法を使った瞬間の隙など晒せなかった女上司様が、まさかの一騎打ちとはいえ素直に全力投球とばかりに大魔法をぶちかますとは、さすがの原作再走済みのファンとて予知できまい。
それだけ自分を信頼してくれたのだろうが、だとしても限度ってものがあるだろうに。
……まあ、女の