アタシがイチバン!   作:プレリュード

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喫茶黒猫珈琲にて

 喫茶店のドアを開けると、軽やかなベルの音が鳴った。

 ほとんどがカウンター席。テーブル席が三つほど。落ち着いた店内照明に、木目のフローリング。店主の趣味が反映されているのだろう。調度品もレトロな雰囲気なもので揃えられ、シックな店内を作り上げている。

 

 喫茶店。しかも昨今のチェーン店とはまるで違う。古き良き純喫茶に寄せた喫茶店だった。店内放送は控え目な音量のピアノが流れている。

 

「どこかで聞いたことのある曲だ」

 

 でも曲名が思い出せないな。呟きながら梓峰はカウンター席へ向かう。

 

「シシリエンヌ。ガブリエル・フォーレの短編曲です」

 

 カウンターの内側にいた女性が梓峰の疑問に答えた。ぴしっとアイロンのかけられたカッターシャツに黒のチノパン、クリーム色のエプロン。腰くらいまで伸びた黒髪は後ろでひとつに纏められ、その頭部でぴくっと動いた耳にはクリスタルの耳飾りが付いている。

 

「いらっしゃいませ。ご注文を、伺います」

 

 トレーナーさん。

 そのウマ娘は大人びた顔にどこかいたずらめいた子供っぽい笑みを浮かべた。

 

「君は引退しただろう。もう僕は君のトレーナーではないさ」

 

 そうだろう、カフェ。

 梓峰が穏やかに返す。わかっていますよ、とマンハッタンカフェは答えた。

 

「ブレンドを。それからなにか甘いものはあるかな?」

「バナナのシフォンケーキは、どうでしょうか」

「いいね。なら、それをいただくよ」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 電動ミルにコーヒー豆を入れる。均一に挽かれた豆をネルドリップへ落とし、沸かしたお湯を銀色のヤカンへ移した。ゆっくりと円を描くように細くお湯を流す。モコモコと豆が膨らみ、じわじわとコーヒーがサーバーへ滴り落ちていく。

 

「お店に来てもらったのは、久しぶりですね」

「最近、忙しくてね。ご無沙汰になってしまったよ」

 

 湯気の立つコーヒーとバナナのシフォンケーキが梓峰の前に置かれた。

 火傷をしないように気を付けながら一口。舌の上を転がるような苦味のあとからすっと酸味が爽やかに抜けていく。

 

「うん。おいしいね」

「ありがとう、ございます」

 

 クリームも砂糖もカフェは出さなかった。梓峰が入れないことを知っていた。

 

「バナナのシフォンケーキもおいしいよ」

「バナナをカラメリゼしたんです」

「カフェならパティシエだってやれるだろうね。現役時代にもらったチョコレートもおいしかったな」

「懐かしいですね」

「もう十年以上前の話になるからね。ようやくチームを持てるようになったばかりだった」

 

 若かったなぁ。感慨深げに梓峰は呟く。

 

「ウマ娘もトレーナーもたくさん見てきたよ」

「どうですか。今年は?」

「新人がなかなか見どころのある子なんだ。まだ青いけど、このまま順当に成長したらきっと面白いことになりそうだよ」

 

 梓峰は上機嫌にコーヒーカップを傾ける。

 杠凉凪。新しくチーム・アルネブに入ったトレーナー。今年でようやく二年目だ。しかし、いきなりダイワスカーレットという逸材を引っ張りこみ、ホープフルステークスと桜花賞を獲ってきた。

 まだ未熟なところはある。酒癖がだいぶ悪いなどいろいろ目につく点はあるものの、今後をとても楽しみにしていた。

 それはそれとして酒癖の悪さは直した方がいいとも思っている。

 

「ああ。彼女ですか」

「知っているのかい?」

「一度、トレセン学園へキッチンカーで行った時に。うちのコーヒーを買っていかれました」

「なるほど」

 

 カフェは不定期でキッチンカーに乗り、トレセン学園へやってくる。そこまでトレセン学園から店が離れているわけではなくともやってくる。本人曰く、「コーヒーを淹れ置きすると酸化して味が落ちてしまう」のがイヤなのだとか。

 

「楽しそうですね」

「楽しいに決まってる。将来有望な若者が育っていくのはいくつになっても楽しいよ」

「ええ、そうだと思っていました。最近、アナタは私がトレセン学園へ行っても寄ってくれませんし」

「いやいや、本当に忙しかったんだ」

 

 じろりとカフェに見られるのは居心地が悪い。ついでにいえば旗色も悪い。実際、カフェのキッチンカーが1週間に2~3回くらいのペースで来ていることは知っていた。が、忙しさを理由に顔を出していなかった。

 げふん、と咳払いをひとつ。

 

「ホープフルステークスまでが順調すぎてね。気がかりだった」

「デビューからの連戦連勝。ジュニアGⅠのホープフルステークスも勝利した、ですよね」

「ホープフルステークスまで勝ってきたときはさすがに驚かされたよ」

 

 正直、入着だろうと読んでいた。それが実際はどうだ。ダイワスカーレットは優勝してきた。

 

「だからこそ、気がかりだった。レースの世界は才能だけで勝ち続けられるほど甘くない。そしてスカーレット君は自分の走りだけで勝てると思った。杠君はスカーレット君の才能に甘えてしまった」

「でも、敢えてアナタはなにも言わなかったのでしょう?」

「アドバイスはしたよ。それに、聞かれたことにも答えた」

 

 でもこういうことは外部が言ったところで変わるものじゃないのさ。

 

 それに外から言われて変わるようではダメだとも思った。外からの言葉で簡単に揺らぐようでは軽すぎる。自分たちで気づく必要があった。

 チューリップ賞までに気づけば上々。勝ちの目はある。しかし、彼女たちは気づかなかった。

 

「だからチューリップ賞は負けると思った。なにせ相手が相手だ」

「ウオッカさんでしたね。タキオンさんの教え子の」

「負けず劣らずの才能を持つウマ娘だ。トレーナーの力量も現時点ではタキオン君が勝る」

「現時点では、ですか。相変わらずですね」

「未熟な者の未来がどうなるかなんてわからない。もちろん、杠君がタキオン君を越えるより先に、まず僕を越えないといけないんだけどね」

 

 技量だけならばその日は意外と近いのではないか。梓峰はそう思っていた。もちろん、トレーナーとして越えられる日はまだまだ先だと思っているが。

 

「では、まだしばらく越えられそうにありませんね」

「そう言ってくれるのはカフェくらいだろうね」

「アナタは私のトレーナーさんですから」

「それはありがとう。おかわりをもらっても?」

「そういう意図は、ありませんよ」

「おいしかったからさ。もちろんね」

 

 茶目っ気を含んだウインクをする。まったく。呆れたようでありながら、どこか嬉しそうにカフェはコーヒー豆をミルへ流しいれる。さっきは電動ミルだったが、今度は手動ミルだった。丁寧にゴリゴリと手で豆を挽き始めた。

 

「桜花賞はリベンジを果たしましたね」

「結構ヒヤヒヤさせられたけどね。杠君がトレーナーの自覚をするまではすぐだった。スカーレット君がトレーナーとして杠君を見れるかだよ」

 

 それだけが直前まで噛み合わなかった。

 

「まさかレース中にぴったりと噛み合うなんて、だれが想像できる?」

「でも噛み合った。だから勝てたのでしょう?」

「本当に面白いコンビだよ。先が楽しみだ」

 

 教え子が育っていく姿を見るのは本当に面白い。自分ができなかったことを次々と教え子たちが成し遂げていく。

 

「これだから辞められないよ。教育者っていうのは」

「アナタはトレーナーですよ」

「ウマ娘のトレーナーであり、トレーナーのトレーナーでもあるんだ」

 

 そして梓峰はその在り方が結構気に入っていた。

 カフェが新しく淹れてくれたコーヒーをすする。ほんの一口だけ残っていたバナナのシフォンケーキを平らげた。

 

「さて、と。あまりにも長く居座りすぎだな」

 

 そろそろお会計を済ませて帰ろうか。腰を浮かしかけたところでカランコロン、と入店を知らせるベルが店内に響く。

 いらっしゃいませ。途中まで言いかけたカフェが固まる。

 

「やぁやぁ。久しぶりだねぇ、カフェ」

 

 露骨にカフェが嫌そうな顔をした。振り返らなくても誰がやってきたのか、梓峰には手に取るようにわかった。声に聞き覚えがあるし、そもそもマンハッタンカフェのことを「カフェ」と呼び捨てにする人物は意外と多くない。

 

「やあ、タキオン君。よく会っているから久しぶりではないけど、プライベートでは久しぶりだね」

 

 つい昔を思い出して、梓峰は笑いをこらえきれずに口角をあげる。タキオンがカフェに絡んで、カフェが迷惑そうに顔をしかめる。このやり取りを何度も見たものだ。

 嫌そうにしているものの、なんだかんだと現役が終わっても関係が続いているあたり、カフェも友人としてタキオンのことを受け入れているのだろう。

 これを指摘するとカフェはもっと嫌そうな顔をするだろうし、タキオンはもっと上機嫌になってカフェへ絡む。そんな展開が容易に想像できるため、梓峰は口にしないが。君子は危うきに近寄らないのである。

 

「おお? これはこれは。梓峰くんじゃあないか。まさかこんなに早く会えるとはねえ」

「おっと、僕に用事?」

「本当はカフェにお願いして連絡を取ってもらうつもりだったんだけどねぇ。手間が省けたよ」

「……私はやると言ってませんが」

「でも梓峰くんに連絡を取るならカフェに頼むのが一番だろう?」

 

 カフェは面白くなさそうな顔をしている。そんなカフェに構うことなく、タキオンはカウンターテーブルに向かい、梓峰の横に座った。

 

「カフェ。悪いんだけど、もう一杯おかわりをもらえるかな」

「いいんですか?」

 

 付き合うつもりですか? そんな言外の言葉をカフェが梓峰に投げかける。無言で頷くと、カフェは意図を汲んでくれた。

 

「なかなか込み入ったものがありそうじゃないか」

「ハッハッハ! 話が早くて助かるよ」

「あまり愉快な話ではなさそうだから憂鬱だけどね」

「おやおや。悲しいねぇ。もしかすると素晴らしい儲け話かもしれないじゃあないか」

「わざわざ外で僕と接触を計った。いくらなんでも怪しすぎるよ」

 

 梓峰もアグネスタキオンもトレーナーだ。話したいことがあれば、トレセン学園で話せばいい。チーフトレーナーである梓峰はチーム・アルネブのトレーナールームを訪れれば話せる。

 わざわざ学外で接触を計った。カフェに仲介をお願いしようとしてまで、だ。

 

「なにか外に漏らしたくない案件。違うかな?」

「本当に話が早くて助かるよ」

 

 トレセン学園にいる限り、人の目は避けられない。それはウマ娘であり、他のトレーナーであり、そして番記者等のメディア関係者の目だ。

 

 その点、カフェの店ならばそういった人の目はない。聞き耳を立てるような輩がいても、狭い店内では目立つ。

 

「カフェ、なにか私にも飲めるものをもらえるかな。ああ、コーヒー以外で頼むよ」

「どうぞ、お冷です」

 

 コン、と音を立ててカフェは迷いなくグラスに注がれた氷水をタキオンの前に置いた。梓峰の前にはおかわりのコーヒーがそっと置かれていた。

 

「うーん、お冷なみに冷たい対応だねえ」

「うちはコーヒー専門の喫茶店です。紅茶は取り扱っていません」

「そこで真っ先に紅茶が出てくるあたり、私のことをわかってくれているようで嬉しいよ、カフェ」

 

 もっとカフェが嫌そうな顔をした。梓峰は笑ってしまいそうな顔を必死で我慢していた。

 じろりとカフェに睨まれたので咳払いをして誤魔化したが。わかっていた話だが、カフェは結構鋭い。

 

「他のドリンクくらいあるんじゃないかい?」

「はぁ……。オレンジジュースでいいですか」

「上々さ」

 

 アイスコーヒー用のグラスに氷を落とし、オレンジジュースを注ぐ。コースターと一緒にタキオンの前へ置いた。

 

「それで、話というのは何かな」

「少し、君に厄介をかけることになるかもしれない」

 

 意味深に笑いながら、アグネスタキオンはストローを咥えてオレンジジュースを啜った。

 




 マンハッタンカフェのヒミツ

チーム・アルネブのコーヒーはカフェの店が卸している

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