しばらく連日投稿します。
社会人というのはロクなもんじゃない。
朝早くに起床。朝食を食べて支度をしたら出勤。お昼まで休みなく働いていざ昼食かと思えば仕事がねじ込まれて十秒チャージをするハメになり。定時になったと喜んだのも束の間、仕事のキリが悪くて残業。
「あああああ、やってらんないっ!」
社会人一週間。
吐き気を催すような小難しい資格試験に、顔の厳ついオジさん軍団&ちびっこ理事長からの妙に圧を感じる面接、エトセトラ、エトセトラ。そうした難関を潜り抜けて、ようやく念願叶ってトレセン学園でトレーナーになれた。
そう念願だった。念願は叶った。だが、やりたかった職種に就職できたらハイおしまい、ではない。ついでに言えばやりたい仕事ばかりができるというわけでもない。
仕事とは、やりたいことのためにやりたくないことを大量にやることである。杠が一週間、新社会人として働いたことで学んだことだった。
いきなりウマ娘を担当してトレーニングをつけ、GⅠをガンガン獲りまくる、なんてことはないのである。
「お父さんが家に帰ってきてから晩酌してた気分が今ならよぅくわかるなぁ」
ストレスが溜まったら酒。それが杠のスタイルである。一人暮らしをしているアパートの帰り道で最寄りのコンビニへ直行。迷うことなくカゴを片手にお気に入りの銘柄の缶ビールを叩き込み、惣菜コーナーと乾物のコーナーを往復。
「……今日は、さきイカ!」
しばし迷った末にさきイカをチョイスしてカゴへ。夕飯を作るのが面倒だったので、冷凍のチャーハンを一緒に購入する。
「私の友達はキミだけだよ、ヒノデスーパードライちゃん……」
ありあっしたー、という店員の声を背中に受けながら、エコバックから500ml缶のビールを取り出す。もう帰るまでがめんどくさい。ストレスはすでにマックス。このほどよい気候になってきた春先の夜、冷たいビールを夜風に当たりながら飲むというのもまた一興。
ひと缶で済むわけがない? それはもちろん。だが杠に死角はない。どうせ家に帰れば冷蔵庫でたくさんのビールちゃんたちがキンキンに冷えている。ただ今は、抑えられないアルコールへの欲求を果たすのみ……!
「それじゃ、いただきまー……」
「あの、なにをされているんですか?」
カシュッ、と景気よくプルタブを開けた瞬間だった。横合いから声をかけられた。ちらっと横目で視線を流す。
トレセン学園指定のジャージ。明らかに生徒だ。艶やかな栗毛のツインテールに同性から見ても羨ましくなる抜群のおっぱ……プロポーション。だが顔に残る幼さは大人のそれではなく、学生のもの。
考えろ、杠凉凪。今の状況を客観的によーく捉えてみろ。
1.目の前にいるのはトレセン学園に所属するウマ娘である
2.私は今、ビールを開けて飲まんとしている
3.生徒の規範ともなるべきトレーナーの体たらくがバレるとマズい
よってこの場における最適解は見ず知らずの他人を装うこと――――!
「トレセン学園のトレーナー、ですよね?」
初手から致命的な計算ミス。思いっきりバレていた。
「いやぁ? なんのことかわからないなぁ」
「でも襟にトレーナーバッジが……」
「そぉい!」
勢いよく襟のバッジを外して証拠隠滅。
「気のせいじゃないかなぁ」
「今、引き千切りましたよね……」
うーん、駄目か。いや、まあさすがに無理があるか。トレーナーバッジを見られているのではどうしようもない。
「いけませんか! 大の大人が終業後にコンビニでビールを買って歩きながら飲んだらいけませんか!」
「いけないなんて一言も言ってないですよ、アタシ」
そうだった。彼女は一度たりとも否定するようなことを口にはしていなかった。
「まあ、同性として外で歩きながらお酒を飲むのはいかがなものかとは少し思いますけど」
「ぐうの音も出ないわ」
取り繕うことを諦めて、杠は思いっきり缶ビールを傾ける。ホップの爽やかな苦味とキレのいいのどごし。仕事終わりのストレスを流していき、渇いた身体に潤いを与えてあげれば歓喜に震える肉体の声が聞こえるよう。
「くぅーっ! ああ、この一杯に生きてるっ!」
「そんなにおいしいんですか?」
「いつかわかる日がくるよ。私も昔はビールのことめっちゃマズいと思ってたし。あ、さきイカ食べる?」
「体重管理をしているので結構です」
「あ、そっか。ゴメン、ゴメン」
そういえば彼女たちは学生であり、アスリートなのだった。そりゃあ、塩分ばかりが高いさきイカなんて食べないようにしているだろう。
「その格好だとジョギング?」
「えっと。まあ、そんなところです」
「精が出るね。あ、そっか。もうそろそろ選抜レースの時期だっけ」
自主練とはずいぶん気合が入っている。
けれど、彼女たちにとってはスカウトされるかどうかは死活問題だ。なにせチームに属するか、トレーナーと専属契約を交わさないとレースへの出走すらままならないのだから。
「ま、ほどほどにしなよ。もう門限とか過ぎちゃうよ」
「わかってます」
「ん、わかってるならいいや。じゃあ、私は帰るから」
明るいコンビニの元から薄暗い道へ杠は戻っていく。まだ缶の中に残っているビールを飲みながら。後ろから「結局、飲みながらなんだ……」なんて呆れたような声が聞こえたが気のせいだと思うことにした。
だってプルタブ開けちゃったらビールの炭酸が抜けちゃうし。
杠凉凪はトレーナー、それも中央トレーナーである。
医者や政治家先生になるのと同じくらいに難しいとされる”あの”中央トレーナーである。
しかし、だ。その輝かしい肩書きにはまだ頭に「新人」の一言がくっついている。いくら資格やら試験やらを潜り抜けたとしても、紙面のテストで学んだことと実際に教えて導くことはずいぶんと違う。
なので。
「杠君。日誌はどうかな?」
「書けました、
こうしてチーフトレーナーが率いるチームの中でサブトレーナーとして経験を積む。それが駆け出しトレーナーが最初に経験することだった。
つまり実際のところ杠は指導資格を持つれっきとしたトレーナーではあるものの、まだ担当のウマ娘がおらず、チーフトレーナーである
社会人になっても勉強は続く。勉強からは逃げられないのだ。
「どれどれ。ちょっと確認させてもらうよ」
チーム・アルネブの日誌。表紙にそう銘打たれたノートを開き、ついさっき杠がつけた記録を梓峰は目を細めながら確認していく。
まだ顔を合わせて一週間弱。杠は彼のことをほとんど知らない。真っ黒な髪をきっちりとオールバックに固めていること。髪色と同じように黒いスーツを愛用していること。おそらく年齢は四〇代くらいだろう、ということ。
上司になる男性として悪い人ではなさそう。それが杠の現状で下している判断だった。
「うん。いいね。ありがとう。今日はこれであがりでいいよ」
素晴らしい。定時退勤バンザイ。仕事が嫌いなわけではなくとも、帰れるというのは嬉しいものである。
ま、これ新人だからなんですけどね。もうしばらくしたら定時退勤なんてそう簡単にできなくなるに違いない。今のうちにこの定時退勤を楽しませてもらおう。
「そうだ。ようやくトレーナー室のスペアキーが来たから杠君にも渡しておくよ」
「わっ、ありがとうございます!」
「大事なものだから無くさないように頼むよ」
「もっちろんですよ!」
このトレーナー室、さらっと見ただけでも結構大事なものがたくさんある。ウマ娘たちのタイムに出走予定表。ライバルチームがこうしたものを手に入れたら、かなり有利になることは想像に難くない。
渡された銀色のキーを手の中で転がす。ちゃんと落とさないようにキーケースにつけておいた。少しだけ重さを増したポケット。悪くない。責任はあるけれど、チームに所属するサブトレーナーとして認めてもらったような感覚だ。
「それじゃ、お疲れ様」
「お先に失礼しますっ! お疲れさまです!」
それはそれとして、定時では帰るのである。帰っていい、と言われたのだから当たり前のように杠は帰宅するだけである。
…………まあ、ね。
「帰る、って言っても晩酌の一本を買いに行くことはするんですけどねー!」
帰るとは言ってもトレセン学園から直行で家に帰るとは言っていない。道中のコンビニには寄るのである。
なぜならば。
「お酒ちゃんが……お酒ちゃんが私を待っているッ!」
杠凉凪。すでにおわかりだろうが、彼女は大の酒好きである。念のために注釈を入れておくと、決してアルコール中毒ではない。ただ、飲むのが好きでやけに肝臓が強いだけの女である。
昨日も寄ったコンビニにウキウキで入店。お気に入りの銘柄を500ml缶でカゴに叩き込み、さて今日はなんのおつまみにしようかなと考える。
今日のお昼ご飯はさば味噌煮だった。身体は肉を求めている。
「人間には二種類がいる。からあげサンを買う人間と、買わない人間だ……!」
意味もなく渋いトーンでカッコつけて呟きながらつまようじの袋を破って口に咥え、空いた両手でからあげサンのパッケージを開ける。
ほどよいスナック感覚で食べられるお肉。しっかりとした味の揚げ物がビールに合わないわけがない。
この手のホットスナックは店内で保温されている。おかげで出来立てではなくとも、そこまで味が落ちない。
だがこのからあげサン、夜風には弱いのであっという間に冷めてしまう。もちろん家で温め直せばいいのだけれど、それでは味気がない。
なにより? せっかく保温してくれていたものを家でもう一度温めるなんて無粋ですし? 今、手元に温かいままであるものをまた温めるなんてエコを謳うこの時代に合ってませんし?
今、食べるっきゃないよね!
「ってなワケでいっただきまー……」
「お行儀悪いですよ」
つまようじに刺して口へ入れようとした瞬間だった。またしても咎めるような声が杠の手を止めた。
この声には覚えがあった。というか、つい昨日にも聞いたばかりだ。
「あはは……。また会うなんて奇遇だね」
「アタシも予想外でしたよ」
昨日もこのコンビニで会ったトレセン学園のウマ娘だった。またしても昨日と同じようにトレセン学園指定のジャージを着ている。呼吸が少しあがっていて、頬が上気しているのはジョギングしていたからだろう。
「今日もトレーニング?」
「えっと。そんなところです」
まさかこうも連続してエンカウントすることになるとは思わなかった。確かにジョギングなら同じコースを使っていても不思議はないし、杠も昨日と同じコンビニを利用している。だが、時間まで一緒になるのは完全に偶然の産物だろう。
「からあげサンは……」
「いらないです」
「だよねー」
断られると思っていた。だが大人の体裁というものがある。そのままガン無視決め込んでもぐもぐやるのは些かよろしくない。
断られたので気兼ねなくからあげサンを食べられる。昨日にビールを飲んでいる姿もがっつり見られているので、遠慮なく缶を開けたら、喉を鳴らしてぐいっと呷る。
「くぁーっ! いいっ! さいっこう!」
この一杯のために生きている。冗談なんかじゃなく、そう思える。お値段のする素敵なお店でしっとりと雰囲気を味わいながら飲むのもいいけれど、こういう安っぽいのもまたオツなものだ。
「楽しそうですね」
「うん? ま、大人の特権だからね。あなたも一生懸命なのはいいけど、ほどほどにした方がいいよ」
この時の私は本当に迂闊だった。思考がアルコールで鈍っていたとしか思えない。真面目な忠告ではあった。けれど、選抜レースを前にしてナイーブになっている子供にかける言葉ではなかった。
「私は一番じゃなくちゃ、ダメなんですよ」
一体、彼女のなにを逆撫でしてしまったのか。ともかく、杠の言葉は彼女のなにかしら柔らかいところに振れてしまったらしい。
「わからないでしょうね。でも、こんな通過点でアタシは躓いてるわけにいかないのよ」
さっきまでの冷めた目からは想像できない。紡ぐ言葉は落ち着いたものでも、節々から漂うのは肌を刺すような覚悟が滲む。
ああ、でも。悲しいけど、私はわかってしまう。
願いとは呪いだ。その願いが過酷なものであればあるほど、困難が付き纏う。だが困難であっても願ってしまったものはそう簡単に捨てられない。
そのうざったい呪縛が痛いほどに理解できてしまう。理解できるよ、なんて軽々しく口にしようものならば、さらに彼女の神経を逆撫ですることになることがわかり切っているから言わないけれど。
「……選抜レース。一週間後だよね」
「ええ、そうよ! だからこんなところで時間を潰してるヒマなんて……」
「ちょっと走ってみてよ。見てあげるから」
残っていたビールを一気に飲み干して缶を潰す。からあげサンも一気食い。箱を畳むとコンビニのゴミ箱へと叩き込む。
酔って正常な判断なんてできない? おもしろくない冗談だ。この杠凉凪、たかだが缶ビールの一缶ごときで酔っぱらうような肝臓ではない。
「ほら。私って駆け出しとはいえトレーナーだからさ。少しくらいならアドバイスできるんだよね」
「本当にできるんですか?」
その疑問には期待ではなく、疑いがあった。アドバイスなんて本当にできるんでしょうね。彼女は言外にそう告げていた。実際、妥当な疑念だと杠も思う。新人、駆け出し、ド素人。いくらトレーナーという資格を持っていようが、そんな冠が杠の身にはついて回る。
でも。
これでもトレーナーの資格試験を潜り抜けたのだ。成績も優秀だったと自負しているし、まったくの役立たずにはならないはず。
「……ここから十分くらい行った低い山の上。古い神社があって、人もいないし、そこそこ広いわ」
「そこが秘密の練習場所ね。りょーかい。じゃ、行こっか」
夕飯は少しお預けだ。いいじゃないか。どうせトレーナーという仕事はウマ娘のトレーニングをつける、という仕事だ。それの予行練習だと考えればいい。
「案内はよろしくね」
「わかってるわよ」
ずんずんと進む彼女の背中を追いかけていく。と思った矢先に、足を止めた。
「……ダイワスカーレット」
おっと。
そういえば彼女の名前を聞いていなかった。コンビニというありふれた場所で二度の偶然を重ねて置きながら、名前すらもお互いに名乗っていない。
「
にっこりと杠はダイワスカーレットに笑いかけた。
ダイワスカーレットのヒミツ
パパっ子