アタシがイチバン!   作:プレリュード

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トレーナー足りえぬ在り方

 朝きっかりに出社して夕方は定時上がり(アフターファイブ)……なんて幻想だ。少なくとも杠はそう思っている。

 ことさらトレーナーなんて、ウマ娘ひとりひとりと向き合うのだから時間はいくらあっても足りない。

 

「ではお先に失礼します、お疲れ様ですっ!」

 

 今日はもうあがっていい――――所属するチーム・アルネブを率いる梓峰(あずさみね)チーフトレーナーから退勤の許可を受けるやいなや、かばんをひっつかみ、手帳やら筆記具を大急ぎで詰め込む。

 スマホで時間を確かめると……うん、想定外に時間はかかってしまったけれど約束の時間には間に合いそうだ。

 

 集合場所は山の上の神社。体力に自信がない杠にとって山登りは堪える。ダッシュで登ろうものなら、息切れでまともに話すことさえ苦しくなる。走らずとも間に合うのなら、それに越したことはない。

 

「杠君」

「あっはい、なんでしょう!」

 

 トレーナー室から飛び出そうとした杠に声をかけるチーフ。すわ残業延長かと身構える彼女の耳に穏やかな声が届く。

 

「今日は夕方から雨が降るらしいから気を付けてね」

「了解ですっ。忠告ありがとうございます!」

 

 そういえば朝の情報番組でお天気お姉さんがそんなことを言っていたような気がする。一応、折りたたみ傘はカバンに入れてあるから降っても準備は万端だが。

 

「ダイワスカーレット。あの子、意外と時間に厳しいんだよねぇ」

 

 秘密の練習はあの日から毎日続いていた。一度、仕事が30分ほど長引いて遅れた時があったけれど、あの日は彼女の機嫌は露骨に悪かった。

 ……別に、担当トレーナーとして契約したワケではないのだけれど。

 

「さて、今日はどんな練習メニューにしてあげるのがいいかな」

 

 スキップでも踏みそうな勢いで杠は約束の場所へと赴く。

 やらなくてはいけないこととはいえ、書類整理やらの事務仕事はあまり好きになれない。せっかくトレーナーになったのだから、ウマ娘のトレーニングをしたいし、レースで結果をあげて実績を積みたい。

 

「今日のメニュー、うまくいくといいなぁ」

 

 昨日は酒を飲まなかった。一昨日も、一昨昨日も。

 なぜ飲まなかったのか? それはもちろん、ダイワスカーレットのための練習メニューを組むためである。

 夢に向かって駆けるウマ娘に最高の環境を提供する――――日本ウマ娘トレーニングセンター学園の理念はお題目だけのものではない。最新のトレーニング設備はもちろん、学術的知見に基づいた教官による間違いのない集団指導……専属契約を結べば、個々のウマ娘に最適化されたトレーニングメニューを国家資格(トレーナーライセンス)を持つトレーナーが用意してくれる。

 

 そしてトレーナーとしての仕事は、杠が一番やりたいこと……酒を飲むよりもずっとやりがいのあることだった。

 チームのサブトレーナーとしては、まだ体験すら出来ていないことであった。

 

「やっほー、お待たせー」

「遅いっ!」

「ゴメン、ゴメン。社会人ってどうしても退勤時間ってズレがちでさ」

 

 いつもの書類整理に加えて梓峰チーフが担当するウマ娘のクールダウンをやっていたら思いのほか時間が押してしまった……とは言わず、あくまで一般論で誤魔化す杠。

 

「ふぅん。忙しいんだ」

「まさか! 今日だってちゃーんと新しいメニューを考えてくるぐらいには暇だよ?」

「それはそれでどうなのよ」

「あっはっはっは。おっしゃる通りすぎてなんも言えねぇー」

 

 とはいえ、それは目の前の彼女(ダイワスカーレット)には関係ないことだ。まして彼女は杠のトレーナーとしての資質(スキル)を疑っている節がある。

 とにかく今は、彼女に信頼される。それだけの結果を残さなければならない。

 

「さ、時間も勿体ないし。さくっと始めちゃいましょ?」

 

 杠は、焦っていた。

 

 

 


 

 

 

「……ふむ」

「どうしたんだよ、トレーナー」

 

 梓峰に疑問を投げかけるのはドリームジャーニー。現状、チームアルネブに所属している唯一のウマ娘である。ちなみに未デビュー。

 

「杠トレーナーのことだよ、さっきからチラチラ見てたじゃねえか」

 

 ドリームジャーニーは部室(チームルーム)に備え付けのロッカーから学生カバンを取り出して、それから梓峰を見てニヤリと笑った。

 

「当ててやるよ。ムネもシリもデカいから鼻の下伸ばしてんだろ? オジさんがうら若い女性に興味持つなんて犯罪じゃねえ?」

「ただ新人だから心配しているだけだよ」

 

 梓峰は表情ひとつ変えずにあしらう。どこが心配なんだよとドリームジャーニーは首を傾げた。

 

「仕事を覚えんの早ええぞ、あれ」

 

 実際、まだ一週間と少し。事務仕事もさせているが杠は順調に覚えている。梓峰が想像していたよりも早いペースで。

 だからそこまで心配する必要なんてないのでは。なるほど彼女の言うとおりではある。

 

「急いては事を仕損じる。ウマ娘もトレーナーも、じっくりやることが大切なんだ」

 

 キミと同じだよと梓峰は言う。

 

 チーム……トレーナーとの専属契約を結んだことで、既にドリームジャーニーはデビューの条件を満たしている。レース登録さえ行えば今すぐにでもデビューすることは可能であった。

 だが梓峰は彼女のデビューを先送りにさせていた。それこそ既に本格化を向かえ、むしろデビューを急ぐべき段階に差し掛かりつつあるというのにである。

 

「……言っとくが、まだ納得したワケじゃないからな。あとトレーナーとウマ娘は根本的に違うだろ」

「違くないさ。彼女はキミと同じで、まだレースを体験したワケじゃない。学科試験(テスト)で百点を取ってもタイムは良くならないだろう?」

「けどよ。トレーナーの学校で優秀だったから引っ張ってきたんだろ?」

 

 実に素朴な感想を投げかけてくる教え子に、梓峰は小さく肩を竦める。

 それを同意と受け取ったドリームジャーニーはやっぱりそうだと口を尖らせた。

 

「器用で、頭もよくて、知識も豊富。見映えだっていい。杠トレーナーなら次の選抜で担当を見つけることだってお茶の子さいさいってもんだろ。すぐにレースの経験だって……」

「優秀なだけなら、サブトレになんてさせないけどね」

「どういうことだよ?」

「いや、なんでもない。もう食堂も混む時間だ、君も早く帰りなさい」

「へいへいっと。んじゃ、お先ー」

 

 上着を翻してさっていくドリームジャーニーを見送ってから梓峰は広げていたファイルを棚へ押し込む。強引にねじ込もうとした弊害でファイルがいくつか棚から転がり落ちてきた。そろそろ古いファイルは廃棄するべきかと思いながら、落ちてきたうちのひとつを開く。

 

「優秀だろうさ。若くて青く。未熟でとても優秀だよ、杠君は」

 

 面接、筆記試験。彼女のスコアは素晴らしいの一言に尽きる。データの上で見ればトレーナーとしての能力は新人として破格という評価を下してもいいレベルだ。

 それこそチーム所属というステップを飛ばし、いきなり専属トレーナーとしてやっていくことだって可能だろう。

 

「だからこそ、迂闊に目を離せないんだよ」

 

 思い切りよくファイルを閉じ、棚へしまう。コートを羽織り、かばんをひっつかむと梓峰はトレーナー室に鍵をかけた。

 

 

 


 

 

 

 明日は選抜レース当日だ。ハードなトレーニングをすれば、疲労は翌日に引きずる。少量のアルコールならよい睡眠を迎えさせてくれるけれど、深酒をすれば翌日にも二日酔いを引きずることになるように。

 ……うん、違うか。まあ、いいや。

 

 とにかくダイワスカーレットのフォームチェックは問題なし。軽くストレッチなどのメニューを流すようにやらせていたところで、冷たいものが杠の頬にぶつかった。

 

「あ、雨……」

 

 さっきから雲行きも怪しかった。そういえば梓峰に「夕方から雨が降る」というようなことを帰り際に教えてもらったっけか。

 

「ねえ。雨が降ってきたし、今日はもうこれくらいにしよう」

 

 まだ降り方は水滴が落ちてきたくらいだが、だんだんと雨足が強くなるかもしれない。

 

「もう? いつもより早いんじゃない?」

「明日でしょ、選抜レース。疲労を残して本番を迎えるべきじゃないよ」

 

 だからわざわざメニューも軽めのもので組んだ。せっかく日ごろの練習で実力を伸ばせても、崩れたコンディションでは発揮できるものもない。

 

「じゃ、解散しよう。ここから雨が強くなっていくはずだから早く帰ること」

「……言われなくともわかってるわ」

「ならよかった。明日、期待してるから。じゃあねっ」

 

 たんたんとリズムを踏むように階段を下る。まだ弱く降っているだけの雨。その中を小走りに杠は帰路を急いでいく。

 今日はお酒をやめておこう。勝利の美酒に酔いしれるのは明日でいい。

 ダイワスカーレットはきっと勝つ。杠凉凪の願い。その始まりはここからだ。

 

 

 


 

 

 

 そして迎えた選抜レース当日。

 

 芝ダートその他諸々のコースを備えるトレセン学園練習コースには人だかりが出来ていた。

 スカウトを目指してアップを続けるウマ娘、有望株はどこかと目を皿のようにして探すトレーナー……もちろんそれだけではない。

 選抜レースは年に4回開催される。そう、()()()()()()()()開催されない。故に手を抜くことは許されない、それは運営側も同じ。サポート科の生徒が出走表の束を抱えて駆け抜け、実況席が設営され……とにかく大騒ぎになるのである。

 

「ふんふ~ん」

「ずいぶんと余裕がありそうだな」

 

 杠スズナは新人トレーナーである。そして新人トレーナーが迎える初めての選抜レースとなると普通は緊張したり、怒涛の情報量とレースの熱気に押し流されたりするもの。しかし杠は極めて自然体だった。

 

「(ダイワスカーレットは頭ひとつ抜けている)」

 

 杠には確信があった。夜遅くまで練習する根性、毎日メニューを変えてもいいくらいの飲み込みの早さ。

 間違いない、彼女は逸材だ。どうして今まで誰にもスカウトされなかったのか不思議なくらいの。

 そしてこれは、またとないチャンス。ダイワスカーレットの担当は「空席」で、今回の選抜レースを勝てば間違いなく彼女は杠のスカウトを受けてくれる。というかそうでなければ酒の代わりに買ったエナドリが報われない。酒税かかってないクセして意外と高いんだよね、アレ。

 

「ふふふ。チーフ、これでも予習はバッチリなんですからね!」

 

 勝ったな掲示板見てくるとはまさにこのこと。いや流石にレースはちゃんと見るけれど。

 事前のアピールはばっちり。新人というマイナスポイントはあるものの、十分に練習メニューを組み、トレーニングをつけられるところは彼女に示した。

 このスカウト、もらった!

 

「四番目のレース、七番」

「え」

 

 さすがに虚を突かれた。第四レースの七番、梓峰チーフが口にした数字は、紛れもなくダイワスカーレットに割り当てられた数字だったからだ。

 

「おや、違ったかな? 杠君はダイワスカーレットのことが気になっていると思っていたのだけれど」

 

 なんでもないことのように言う梓峰チーフ。ダイワスカーレットの名前を知っているのは、まだいい。しかし、どうして杠が気にしていることを知っているのか。

 

「最近、熱心に練習を見てあげていたじゃないか」

「どうして知っているんですか!?」

 

 ダイワスカーレットの自主練を見ていることは、誰にも気づかれない自信があったのに。なにせ自主練は夕刻以降、しかも人目につくこともない神社である。

 

「まさか……」

「僕はストーカーじゃないよ」

 

 でもエスパーではありそうだった。まだストーカーとまでは口にしていない。一応チーフ相手だし、寸でのところで踏みとどまったのだけれど。

 

「ダイワスカーレットはマークしていたウマ娘でね。だから寮をこっそり抜け出して練習している、って情報は耳に入ってた」

「で、でもそれだけでは私が練習を見てるって話にはならないんじゃ……」

「やけに慌てて帰る杠君の帰宅時間とダイワスカーレットの自主練の時間が何度も一致すれば、だいたいなにをしているのか想像はつくさ」

 

 それはつまり、ダイワスカーレットがいつ、どのくらいの時間自主練しているかを把握しているということ。この人の情報網はどれだけの規模まで手を広げているのだろう。まるで……。

 

「繰り返すけどストーカーじゃないからね。担当以外でも、ウマ娘が危険なことをしていないか監督することはトレーナーの大切な仕事だ」

「は、はぁ……」

 

 何度も繰り返す辺りストーカーの自覚があるのではないかと杠は思ったが、社会人として口には出さなかった。

 そんな杠に、それにしてもと梓峰チーフは続ける。

 

「君のしたことはあまり褒められたことじゃないね」

「なぜです?」

 

 少しムッとして杠は返した。梓峰チーフはベテラントレーナーだが、要するにいい年したオッサンである。そんなオッサンが自分のストーカー行為を棚に上げて説教したら、誰だってムッとするに決まっている。

 それに褒められたことではないと言うが、規則の上から外れたことはひとつたりともしていないというのに。

 

「君がしたことはあまりに無責任が過ぎるからだよ」

 

 しかし続いた梓峰チーフの言葉は、杠にとって予想外のものであった。

 

「(無責任が過ぎる? この私が?)」

 

 わからなかった。無責任が過ぎる。その言葉の意味が。

 杠がいったいなにをしたというのだろう。ただお互い合意の上でダイワスカーレットの自主練を見てあげただけ。そのどこが無責任だというのか。梓峰チーフだって「担当ウマ娘以外の監督も仕事」と言ったばかりじゃないか。

 

「わからないかな」

 

 分からないだろう、と断定した口調で言う梓峰チーフ。教師が出来の悪い生徒に言い聞かせるようなその言葉。

 

「……まぁ、はい」

 

 屈辱だ。奥歯をきつく噛みながら杠は声を絞り出す。自分が出来の悪い生徒であること……社会人(トレーナー)未満であることを認める。それは杠にとって耐え難いことだった。

 

「安心していい。君ならすぐに理解できる」

「本当にそう思いますか?」

「まずはこの選抜レースを見届けよう。終わったらすべてを話そう。まあ、君なら教えるまでもないだろうがね」

 

 わかったようなことを口にした梓峰は腕を組むと背中を打ちっぱなしのコンクリートへ預ける。話はもうお終い。一方的に切られた会話に不完全燃焼の感覚を覚えながら、杠は無言でトラックを睨む。

 

 

 

 さて、端的に結論だけ。

 

 選抜レース。あらゆるウマ娘たちがレースへ出走するために走る、最初の関門。自分をスカウトしてくれとウマ娘たちが叫ぶアピールの場所。

 

 そこにダイワスカーレットは来なかった。

 

 

 




梓峰のヒミツ

コーヒー派
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