アタシがイチバン!   作:プレリュード

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素晴らしき素質

 

 ホープフルステークスが実施される中山レース場の特徴は、なんと言っても最終直線にある。

 

『中山の直線は短いぞ! ここで直線200メートルの坂!』

 

 実況がそう言ったところで杠はビデオを止める。

 

()()()だとは思うけれど。中山レース場の最終直線は厄介なんだよね」

 

 杠がそう言いながらマウスをクリック、URA公式サイトにも掲載されている中山レース場のコース紹介画像が表示される。

 

「高低差最大5メートル。およそ1700の芝コース内回りはスタート地点から徐々に降っていって、最後の直線で一気に駆け登る」

「なによ、いまさら。そんなの常識じゃない」

 

 そう。常識である。競走ウマ娘はもちろん、レースに興味のある人間ならだいたい知っている。

 ゴール板までの最後の1ハロン(200メートル)。最後の最後で立ちはだかる急坂。最大斜度は2.24%と、URAに所属する10レース場の中でも最()だ。

 

「問題は、芝2000ではこの急坂を2回登らないといけないってこと」

「東スポ杯の前にも聞いたわよ。それ」

「うん。言ったね」

 

 中山レース場の内回りはおよそ1700メートル。都合上、最終直線200メートルの急坂を2回登ることになる。

 だからホープフルステークスは難易度が高い。それが東スポ杯に出る前、つまりチーフがまだホープフルステークス出走に反対していた頃に言っていた話であった。

 

「まあモノは試しだから、やってみましょ?」

 

 

 

 


 

 

 

 

 トレセン学園は、日本最大級のアスリート育成機関である。

 中等部、高等部、事実上の現役延長生徒受入設備である大学部*1にて行われるエスカレーター式の一貫教育体制からも分かるように、青春の全てをレースに注ぎ込みたい者たちのための楽園がそこには用意されている。

 

 全学生を収容できる巨大な学生寮。

 あらゆる物を取り揃える購買部。

 例えオグリキャップ相手であろうと食材を切らさなかった学生食堂。

 古今東西、あらゆるスポーツ関連書籍とレース記録を取り揃える図書館。

 最新の知識と技術を用いてウマ娘たちの夢を見守る大学部附属病院。

 

 しかしそれらの諸設備がトレセン学園の魅力として語られることはない。競走ウマ娘にとっての「楽園」とは、なによりトレーニング施設だからである。

 

「はい、お待たせしましたっと……チーム『アルネブ』さんに割り当てられるのは15時30分から16時までの坂路コース使用権です」

「ありがとうございますっ!」

 

 ニコッと外向けフェイスを管理棟の事務員に向ける杠。トレセン名物の1000メートルを越える長距離坂路コースは、いつも大盛況。チーム向け開放日には抽選となるのが常である。

 

「にしても『アルネブ』さんが優先権行使で使用権を取るなんて珍しいですね。あ、もしかして次に向けた秘密の特訓とか……? って、聞いちゃダメでしたねぇ~」

「あはは、今日はちょっとタイムを測るだけですよ」

 

 秘密の特訓なんて無いですよと言えば、そりゃそうですよねと冗談めかして笑う事務員。しかし眼は真剣そのもの。トレセン学園の事務員には現役を退いたウマ娘が採用されることもあるというから、目の前の彼女も昔は競走ウマ娘だったのかもしれない。

 そう、レース界隈にとっての12月とは「そういうもの」なのである。年末総決算の有馬記念だけではない。ジュニア級G1である阪神JFに朝日FSが2週連続で行われたり、ダート戦線の東京大賞典。そして年末最後に行われるG1レースであるホープフルステークス。

 

「ところでお願いしてた空いてるコースの件、どうなりました?」

「キャンセル待ちの件ですね。坂路と同じ時間のキャンセルはなくて……一応、予約の入らなかったダートコースならありますけど」

 

 事務員の返事に、うむむと考える杠。流石に有馬記念直前に芝コースのキャンセル待ちは無謀だったか。

 とはいえ、坂路コースを抑えるのは絶対だ。全体開放のタイミングでは全力疾走出来ないし、全力でやらなければ意味がないのだから。

 

「それでお願いします」

「じゃあこちら、ダートBコースの当日申込書になります」

 

 日付とチーム名、トレーナーの氏名を書くだけの簡単な申込書が手渡される。素早く記入してトレーナー名には梓峰チーフ、監督者としてサブトレーナーである自分の名前を書く。

 ……サブトレーナーは、チーフトレーナーにおんぶに抱っこ。こうしてコースの使用権を借りられるのも梓峰チーフの実績と信頼あってのもの。だから当然、申込書に書き込まれるのもチーフの名前。自分は彼の代筆者で、彼の代わりに監督するだけのトレーナー。

 

 ここが、杠凉凪の現在地。

 

「……いやぁ、キラキラしてんねぇ」

「えっ? そんなに変な名前(キラキラネーム)でしたかね?」

 

 確かに姓の(ゆずりは)は珍しい方だと思うが、涼凪(スズナ)は別に普通の名前ではないだろうか?

 

「違う違う! そうじゃなくてさ、梓峰さんは見る眼があるなーって話」

「……?」

 

 いまいち要領を得ない杠であったが、彼女が何か言いかける前に管理棟の扉が開いた。

 

「トレーナー、ペース走終わりました!」

 

 振り返ればそこにいるのはダイワスカーレット。事務員がいるので優等生らしい敬語での報告だ。

 

「おっけー。それじゃ次は坂路ね。ハロン毎のタイム計るからそのつもりで」

「はい!」

 

 


 

 

 

 12月は師走。ウマ娘も走る季節である。晴れ間が覗こうとも空気は冷え、吐く息は白くなる。呼吸を整えるダイワスカーレットの周囲にも、気のせいか蜃気楼のように揺らめく空気。

 

「(ホープフルステークスに向けて、スカーレットの身体は仕上がりつつある)」

 

 身体の準備、という意味では杠は担当トレーナーとして確信に近い自信を持っていた。

 

「よーい……はじめ!」

 

 トレセン学園の坂路コース。脚への負担が少なく、天候の影響を受けにくいウッドチップコースを駆け上がっていくスカーレット。杠は彼女の走りを観察しながら、ハロンの通過タイムを記録していく。

 

「(問題は……)」

 

 手元のストップウォッチに記録されたハロン毎のタイムは、悪くはない。

 そう、悪くはない。

 

「よーし次。平地コース取ってあるから、そっちに移動するよ!」

 

 両手をメガホンみたいに口元に添えて叫んで、それから杠も走り出す。ここで大事なのは息を入れさせないこと。いや息は入れてもいいが、身体を休ませないこと。

 

「(一度坂路を登って、それから平地を全力疾走して……その後易々と登れるほど、坂路は甘くない)」

 

 スカーレットは焦っている。杠が焦っていて失敗したあの時も、今も。

 彼女の目標である「一番になる」ことを叶える。それは杠が彼女の担当トレーナーになるうえで背負った「責任」だ。梓峰チーフの言うとおり、トレーナーはウマ娘が過度なトレーニングをしないよう監督しなくちゃいけない。手綱を握らなければならない。

 

「(スカーレット、というかジュニア級のウマ娘に共通する弱点は精神的な未熟さ。だから悪いけれど、その「自信」を真正面から否定するしかない)」

 

 坂路全力疾走、平地全力疾走、そして2度目の坂路。

 

 模擬的ではあるけれど、中山芝2000と同じ。ここで2度目の坂路タイムが落ちていることが分かれば、スカーレットも納得してくれるだろう。

 ホープフルステークスで彼女が掲げる「ある目標」は実現不可能であると。

 

「3ハロン34秒で勝つなんて」

 

 一概に全てのレースがそう、という訳ではないが。多くのレースは最終盤にスパートを掛け、直線勝負となるのが一般的である。故に重視される最後の3ハロンのタイム。

 

「(そもそも、なんでスカーレットは3ハロン34秒を目標に?)」

 

 ホープフルステークスはジュニア級G1。勝つだけでも名誉であるし、立派な実績になる――――――それこそ、有馬記念にこそ及ばないが年末を飾る「一番」に相応しい。

 だから大事なのは3ハロンのタイムなんかではないハズなのだけれど……。

 

「なるほど! それで中山のスパートを意識したトレーニングをしているのですね!」

「うわっ」

 

 突然背中から聞こえる大声。危うくストップウォッチを取り落としかける杠。

 

「……ええと、貴女でしたか。乙名史記者」

「はい! 練習中に失礼いたします、杠トレーナー」

 

 そこに居たのは、ポケットタイプのメモ帳を構えたスーツの女性。杠がダイワスカーレットにさせている練習がホープフルステークス最終直線の模擬練習であることを一瞬で見抜くあたり、優秀な記者……なのだとは、思う。

 思うのだけれど。

 

「その……記憶違いでなければ、昨日も来ていらっしゃいましたよね?」

「はい! 昨日は上半身強化を目的としたウェイトトレーニングでしたね! 真摯な負荷管理、必要とあらばウェイトをヤスリで削りミリグラム単位での調節も辞さない熱意!」

「しませんよ?!」

 

 学園の備品であるトレーニング用具をヤスリなんかで削ったら弁償モノである。もちろん例え話ですと乙名史記者は言うが、眼は本気っぽいのでちょっと怖い。

 というか、なんでこのヒトは毎日のようにトレセン学園に来てるんだ。いや学園に来るのはいいとして、どうして自分たちの所にばかり来るのだろうか。

 

「それはもちろん! 杠トレーナーに感服したからですッ!!」

 

 説明になっていない。しかもこれ、先日の取材を受けてからずっとこの調子なのだからどうしようもない。

 なんなんだこのヒト。もしかしなくてもヒマなのか? 週間トゥインクルは最王手のレース雑誌だから、記者を抱えすぎて余っているとか?

 

「(…………まあ。番記者さんが付いてくれる分には、ありがたいけれども)」

 

 トレーナーとレース記者は、持ちつ持たれつの関係だ。

 トゥインクル・シリーズは国民的エンタテインメント、つまり興行である。必ずそこには観客が居て、メディアがいる。重賞ともなればスポーツ新聞の一面を飾るし、有馬記念や日本ダービーのような超有名レースは普通の新聞でも大きく扱われる。

 

 とはいえレースを走るウマ娘たちは学生の身分。当然トレセン学園としては将来有望なウマ娘に記者が群がることは避けたいわけで、基本的に学園内には記者は立ち入ることが出来ない……が、これだとレースに向けての記事を記者が書けない。公開練習日はあるにはあるが、そんな僅かな情報量で書かれた記事ではトゥインクル・シリーズは盛り上がらない。

 

 観客は知りたいのだ。

 どの出走ウマ娘が誰をライバル視しているかを。

 あるチームがレースに対してどれだけの対策を施しているのかを。

 そしてアイドルとしての側面も持つウマ娘が、学園でだけ見せる素顔を。

 

 そこで登場するのが、チームが記者を学園内に招き取材してもらうというシステム。巷で番記者なんて呼ばれる仕組みは、記者からすれば独占取材。チーム側からすれば宣伝、そしてなにより公開情報を制御しやすくなるという利点がある。

 もちろん、乙名史記者の取材を受けるにあたって梓峰チーフの許可は取得済みである。

 

「しかし、今日の練習は本当に気合いが入っていますね! ホープフルステークスまで時間があることを考えると、今回は作戦の試運転と言った所でしょうか?」

「そうですね。そういうことになります」

 

 あ、外部(よそ)には秘密でお願いしますよと言えば、当然ですと力強く頷く乙名史記者。梓峰チーフからも「彼女なら大丈夫」と太鼓判は貰っているが、釘は指しておくに越したことはないだろう。

 

「今回のタイムで私たちの考えていることが上手くいくかを試して、それから本番に向けて追い込んでいく形になりますね」

「なるほど! そしてそれが、先程仰っていた3ハロン(あがり)34秒だと!?」

「え、ええ……」

 

 気圧されるように答える杠。実際にはスカーレットは目標タイムを出せないだろうから、34秒という数値目標は撤回する予定だけれど。一応そういうことにはなる。

 

「中山の坂で34秒、しかもジュニア級のウマ娘がそのタイムを出すのは生半可ではないでしょう……だからこその坂路コースだけでなく平地コースも確保して本番同様の環境を整える! トレセン学園のシステムとして重複予約は出来ないはずですから、西へ東に駆け回り、方々の関係者に頭を下げたりしていたのではありませんか……!?」

「ええと…………」

 

 イヤ別に。単純に事務員さんが気を利かせてくれただけなのだけれど。

 

「すばらしいですッ! 東スポ杯の勝利、新人でありながら重賞を制覇したことに(おご)らず、方々の顔を立てながら担当ウマ娘の練習環境を整えるとは!」

「いやいやいや……」

 

 本当に、そんなことは何もしていない。強いて言うなら事務員さんとちょっとお酒の話で盛り上がって仲良くなったくらい。しかし杠が否定した所で、この記者はきっと止まらないことだろう。

 そしてそんなことより、大事なのはダイワスカーレットのタイムである。平地コースの全力疾走から再び坂路へと戻った彼女に合図を送り、ストップウォッチでタイムを計る。

 

 

 

 

 

「……はぁ、はぁ……トレーナー。どうでしたか?」

「うん」

 

 息を荒げつつも記者の前ということで優等生ムーブをするスカーレット。ストップウォッチを握る杠の顔は、僅かに険しい。

 

「ねえ、スカーレット。レースに勝つにはどうしたらいいか知ってる?」

 

 杠の問いかけに、スカーレットは優等生フェイスのまま自信たっぷりに口を開く。

 

「そんなの決まってるじゃないですか――――――最初から一番で、そのまま最後まで一番ならいいんですよ」

「そう。その通り」

 

 もちろん、それで上手くいくなら話は簡単だ。

 レースはスタミナ管理である。当たり前の話として、1000メートルを超える距離を全力疾走で駆け抜けられるウマ娘はいない……いないのだが。

 

「あなた、スゴいよ」

 

 ストップウォッチの数字は、1回目の坂路と殆ど同じタイム。

 あれだけの全力疾走の後に、まだ彼女は坂を登り切るだけの余力を残している。

 

「うん。ダイワスカーレット。あなたは本当に、一番のウマ娘になれる」

 

 逸材だ。信じられないほどの。杠はストップウォッチを握り締める。

 これはきっと「ラッキー」なのだろう……少なくとも杠にとっては。

 

「ふふ。当然ですよ、トレーナーさん」

「すばらしいですッ! 既にお二人は、頂点に登り詰めることを確信しているのですね……!」

 

 自信満々の笑みを浮かべつつも優等生らしく控えめな表現で抑える担当ウマ娘。

 これは記事にしなくては! と早速許可を取り付けようとする番記者。

 

 そう、なにもかもが順調だ。順調すぎるほどに。ダイワスカーレットはなにをするまでもなく、タイムを伸ばしている。五分五分の勝負だろうと予想していたホープフルステークスは着実に射程圏内。

 

 それで、私は? 私はいったいなにをした?

 

 杠の握るストップウォッチが、少しだけ音を立てた。

 

 

 

*1
サポート科はむしろ大学部からが本番なのだが、いかんせん知名度が低い。




????のヒミツ

引退後にURAに就職した。経理課から異動して今に至る
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