昔日の巷塵   作:湊咍人

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「罪の対義語」

彼の始まりであり、彼女の終わりである場所の話です。

今更ですがモデルにしている国はノルウェーです。細かな差異は気にせず読み飛ばしてください、あくまでモデルであってそこまで忠実に書いているわけではないので。

あと作者は絶望する様を見るのがあまり好きではありません。現実という圧搾機に選択を強いられ苦悩に塗れる姿を楽しむ過程で、結果として酷い目に遭っているだけなので。
ただ、それらの結果としての絶望する様は大好物です。



Antonym Of The Sin

 

 

 朝日がカーテンの隙間から差し込み、私の目を瞼越しに焼いている。

 今日もまた、今日を迎えることが出来た。家族と友人もまた同様に今日という日を迎えることが出来ただろう。

 

 そんな取り留めのない当たり前の日常。以前の生では数えるほどしか享受できなかった平和な日々。

 Dinara(ディナラ)という名前と新たな生を受けてから、今日で16年が過ぎた。

 

 リビングでは既に食事を済ませ通学の準備を進める兄の姿。

 どうやら時間には余裕があるらしい。見るに堪えないと言った様子で櫛を手に取ると、四方八方へと伸び散らかし余計な癖の付いた髪を梳いてくれる。

 

「ディーナ、寝癖が酷いぞ」

「───ご飯食べてる間に直しておいて......」

「まったく......いつか彼の前でボロを出すんじゃないか?」

「......エイディーは純粋だからまだ騙せる」

「悪い女に捕まってしまったな、彼には同情するよ」

「もう、彼の顔も見たことないでしょ」

 

 以前の生では殆ど呼ぶことのなかった彼の名前は、adrian(エイドリアン)という。ちなみにファーストネームではなくニックネームで呼ぶことが一般的であるため、私もまた彼のことをエイディーと呼んでいる。

 

 そう、()だ。彼と私は現在、交際関係にある。

 

 以前の私、エレーナやフロストノヴァに言っても信じてはもらえないだろう。エレーナであったときは紳士的な対応をされるだけだったし、フロストノヴァであった時などは敵対関係ですらあったのだ。

 

 こうして対等に、互いを尊重し合う関係で在れることがどれほど幸福であるのか。

 二度の生では絶対に手に入れることのできなかったそれを、毎日ゆっくりと咀嚼している。

 

 ───それはそれとして。

 

「あんなに純粋でいられると、少しね。彼の困り顔が、私の為に頭を悩ませている姿を見ると楽しくなっちゃって......」

「......恐ろしい女だよ、お前は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、エイディー。

 罪の対義語って何だと思う?」

 

 放課後。クラブ活動に参加していない私たちは手近なファストフード店にて、課題を片付けながらドリンク片手に雑談に勤しんでいた。

 

「───相変わらず難しいことを聞くね、君は」

「私はこの問いを"難しい"と捉えるあなたのことを好ましく思っているの。

 だからこうして困らせたくなってしまう」

「本当に、僕の頭は君に悩まされてばかりだよ......」

 

 そう言って顔を背ける彼。その耳は先まで真っ赤になっている。

 ───本当に、揶揄い甲斐がありすぎてこちらまで困ってしまいそうだ。

 

「───君が僕をいつも悩ませることについては、まあ今のところは置いておこう。

 それにしても、罪の対義語か......今回の質問はどうやって思いついたの?」

「ある小説に、こんな一節があったの。"その質問の答え次第で人間の本質が分かる"って」

「なるほどね」

 

 本当の理由はそれだけでない。私が、エレーナが、フロストノヴァが犯した罪の行く先を知りたかったのだ。彼に、私たちはどこへ行くのか見定めてほしかったのだ。

 何も知らない彼に、中立の立場として裁いてほしかったのかもしれない。

 

「まずは───そうね、幾つか思いついたものを挙げてみましょう」

「神、救い、愛、光、善......まだまだあるだろうか」

「でも、神にはサタンが、救いには苦悩が、愛には憎しみ、光には闇、善には悪という対義語が既に存在する。

 まるで、調和のとれた世界に罪という異物が紛れ込んだように思えない?」

「やっぱり難しいな......君は答えを持っているのかい?」

「いいえ、それを2人で見つけるために聞いたの」

「そっか」

 

 ああでもないこうでもないと頭を捻る彼に、1つヒントを出す。

 

「例えば、"動く"という言葉の対義語は"止まる"でしょう?対義語は品詞の変化を伴わないものなの。

 そして罪という言葉は名詞───つまり」

「なるほど、罪の対義語は名詞であるわけか」

「その通り」

 

 今度は逆に彼から切り出す。

 

「罪の対義語は無罪かと思ったんだけど、君のおかげですぐに違うと分かったよ」

「それはどうして?」

「だって、無罪は名詞としても使えるけど本来は"罪を犯していない"という状態を表す形容詞だからね。

 "僕"の対義語に"僕以外"と答えるようなものだよ」

「......その例え、なんだか面白いわね」

 

 どこか格好つけたような発言にもとれる、彼らしくない言葉による例えに少し笑ってしまう。

 

「あまり笑わないでくれ、すぐに思いついた例えっていうだけで深い意味はないから」

「"僕か、僕以外か"って言ってみて」

「───この話は終わりにしよう。

 でも、ごめん。この質問には答えられないまま帰ることになりそうだ」

 

 外を見れば既に日が落ち始めている。いくら治安がいいとはいえ夕食前の学生が出歩くには遅い時間が近付きつつあることが、ガラス窓越しに見て取れた。

 

「じゃあ丁度いいわ。この質問は課題にしておいてあげる」

「───ちなみに、期限はいつまで?」

「指定しないわ。でも未提出は許さないから」

「......なるべく近日中に提出するから単位を貰えないかな」

「それは課題の出来次第ね」

 

 家路につく。彼の家と私の家はファストフード店からの方向こそ近いものの徒歩数分の距離があるため、必然ではあるが途中で分かれることになる。

 正直に言ってしまえば、別れたくない。これまでの生を含めれば何年生きていると思っているんだと内なる自分が苦言を呈するが、そんなこと言われたって仕方がない。 

 

 彼の顔が見れない夜が来るのは、今でも少しだけ怖い。

 

「ディーナ?」

「......何でもない」

 

 別れの挨拶であるハグ。彼の体温を感じながら、それでいて絶対に私の顔を見られない時間。

 ───今日も変わらず、一回で済ませるつもりだったのに。

 

「───エイディ?」

「その......何故か君が泣いているように見えて」

 

 一度離れた体を彼に抱き寄せられ、そんなことを言われてしまう。

 私は意図して彼を困らせるが、彼は無意識的にそれをする分だけより質が悪い。

 

 おかげで、鏡を見なくても分かるほどに顔が紅潮している。

 

「......ディーナ?」

「なんでもない......なんでもないの、エイディー。

 だからもう少しだけ───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。私たちはサマーキャンプに訪れていた。

 

 一般参加者である私にとっては顔も知らない偉い人が開催したキャンプに友人から誘われただけに過ぎないが、彼にとっては違うらしい。

 それなりのポストが用意されたらしく、数週間前からコツコツと準備していたという。

 同年代の子供たちに適切な指示を出しつつ、本人も必要な物資を運んでいた。

 

「エイディー、私にも何かできることはある?」

「そうだね......じゃあ、僕が置いた箱を開封して括っていた紐を纏めておいてほしい」

「分かったわ」

 

 各種キャンプ用品から夕食の材料まで幅広く、各グループ単位で必要な数を纏めた箱を一つずつ開封していく。因みに紐を回収する理由は"絡まったり踏んだりすると危ないから"であるらしい。なんというか、いかにも彼らしい理由に思わず笑みが零れた。

 

 それからは幾つかのアクシデントこそあったものの、彼の入念な準備と人徳故に大きな問題に発展することはなく一日目の終わりを迎えた。

 片付けを済ませ、就寝までのわずかな空き時間。

 

 私は彼に、キャンプ場の端へ呼び出されていた。

 

「あの質問の答えが、ようやく見つかったんだ。君にそれを伝えたかった」

 

 意を決したような表情でそう息巻く彼を前に、ちょっとした落胆が無かったと言えば嘘になる。だってそうだろう、こんな機会で、こんな夜遅くに呼び出しだなんて。"もしかしたら"だなんて想像してしまう。

 まあ、今は置いておこう。

 

「じゃあ、もう一回聞こっか。

 エイディー、罪の対義語は何?」

 

 一拍おいて、彼は答えた。

 どれほどの思案の果てに辿り着いたのかも分からない回答を口にする。

 

「罪の対義語は───徳なんじゃないかと、僕は考えた」

 

「その理由は?」

「理由は二つある」

 

 彼はそう言って、身振り手振りを交えながら説明を始めた。

 

「まず一つ目。対義語っていうのは表と裏の関係にあるから、それはプラスとマイナスの関係にあるはず。行動から生じるもので、その結果として積み重なって死後に量られるもの───」

「それで徳、か。でも罪を重ねた人が徳を積んでいることもある。対義語であるその二つは共存できるものなの?」

「それが二つ目だよ、ディーナ」

 

 私の目を真っ直ぐに見据えて、彼は続ける。

 まるで、今から口にする言葉が相手にとって最も重要であると確信しているかのように 

 

「裁かれるべきは罪であって罪人じゃない、その結果として罰が罪を犯した者に下されるんだ。罪を憎んで人を憎まずというように、罪の対義語はそれを犯した人とは切り離して考えるべきだと、僕は思う。

 ......寧ろ両立しうるからこそ、そこに対立関係が成立しているんじゃないかな」

「ええ、そうね。きっとそう───」

 

 彼は()()何も知らない。

 エレーナとフロストノヴァが犯した罪も、歩んできた道のりも全て。

 

 彼女たちが犯した罪を赦したわけではない。その過ちを、間違えた選択を指した発言ではない。

 それでも───確かに今、私は救われたのだと確信できた。 

 

「......ディーナ?」

「ありがとう、エイディー。あなたの答えはとても素敵だったわ。

 一緒に戻りましょう、もう就寝時間が近いわ」

「ああ、そうだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




罪の対義語には基本的に明確な答えが存在しません。作中では徳を挙げましたが人間失格の中では"ドストエフスキーは罰を罪の対義語として書いたのではないか"という一節があります。
この問いに対して明確な一つの答えを求めるのではなく、各々の異なった答えから何かを求める方がいいのかもしれませんね。

その解釈では、主人公くんもエレーナも"救い"を求めていたのかもしれません。
罪の対義語の類義語。完全でなくとも罪と対立関係が成立する何か。それを無意識的に求めていたと......
立場も状況も大きく異なる二人でしたが、相手に"救い"を見たという意味ではよく似ていますね。

救うことで救われたかった、けれども本質的には自身に救いなどないと理解していた。
救われることで救いたかった、誰かを救える人間であると相手に理解してほしかった。

結局、どちらも救われることはありませんでしたが。



次に書く短編の登場人物とか

  • アーミヤ
  • パトリオット
  • ホルハイヤ
  • Friston-3
  • モスティマ
  • グレイディーア
  • 歳陣営
  • シャイニング
  • ロサ
  • 医療部モブ
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