767日目
私は、その言葉の意味がよく理解できなかった。
何も、異国の言語や未知の専門用語で説明を受けたわけではない。ただ、私の脳がその言葉によって示される意味を理解するのを拒んだだけだ。
「......すみません、もう一度説明してもらえませんか」
「はい。───ある程度の質量を持つ感染生物は死後、体内に形成された源石結晶が徐々に活性化しつつ爆発的に増殖。全身が源石結晶に置換されます」
プロジェクタースクリーンには、人為的に鉱石病に感染させられたラットと置換速度を示すグラフが映し出されていた。その増殖速度は生前の数十万倍にも到達しており、ラットの場合は数十分で物言わぬ石像と化していた。
ここまでは、理解できたのだ。そこまでは、言語として私の中に落とし込むことができたのだ。
「そして、こちらは技術部からの資料ですが......御覧の通り一定の質量を有する源石が活性化、あるいは複数の活性源石が接触し合計質量が一定値に到達した際に自壊し粉塵となる事象が発見されました。これらから推測される結論として───」
───感染者は死後、活性源石の粉塵となって飛散し新たな感染源となると推測されます───
「「「......」」」
沈殿した静寂が、会議室を充満した。悪趣味極まりない感染者の末路を提示され、我々は言葉どころか向けるべき感情すら見失ってしまったのだ。
感染者に対する迫害。たった十三歳の少女に対して行われた暴力の跡、無理解と排斥の末に焼き付けられた憎悪と嫌悪。
その理由がこれか。
「粉塵化した源石はいつまで活性状態を維持できるんだ?」
「一度臨界点まで到達しているため、内部に含有するエネルギーが消滅するまででしょう。粉塵のサイズにもよりますが、数日の間は活性状態を維持するものと思われます」
「───著しく損壊した組織は源石への置換が発生するか?」
「いいえ。どうやら、同じ結論に辿り着いたようですね」
部長たちの会話が、酷く遠くで起きた無関係の事象のように感じる。
行き場のない憤りだけが、無力な己自身へのやるせなさが胸中を渦巻いて思考を掻き乱していた。
十分な設備の存在しない環境であれば、感染者の死体は地下あるいは居住地区から遠く離れた場所に遺棄されるのだろう。弔いすら許さず、墓標の下から遺体を奪い、人間としての尊厳を剥奪する邪悪。
(───そんなものが、人間の死であっていい筈がない)
「おい───聞いてんのか?」
「......はい」
「なんて顔、してんだよ。少し落ち着け」
「すみません、少し席を外します」
「そうか。───後で資料には目を通しておけよ」
「はい、失礼します」
私は、逃げるように会議室を後にした。
耐え切れなかったのだ、何もかもに。
何故、年端もいかぬ少女がこのような目に遭わなければならないのか。
分からない。私は何をしている?
何も、何もできていないのだ。私は未だに何も為せていない。
「畜生......っ!!」
誰にも拾われることのない嘆きは、ただ無機質な白で塗り潰された廊下に反響して次第に薄れていった。
急げ。急げ。急げ。
何か。何かないか?何でもいい、現状を打開して結末を塗り替えられる何かを早く───
「......うっ」
吐いた。空っぽの胃が捩じ切られているのかと錯覚するほどの激痛と共に、何もかもを便器に吐瀉物ごと投棄した。
まだ起きてから何も食べていないことに、便器の中に注がれた不純物のない消化液を見て気が付いた。
その日は、ずっと胃が空のままだった。
◇
925日目
その日、私達はたった一つの大きな勘違いに気が付いた。
いつの日か抱いた違和感が、足元を蠢き焦燥感を与えていた何かがついに我々の足首を掴んだのだ。
「......だめだ、どうやっても計算が合わない」
「どうして......」
私達は大きな壁に直面していた。二年も及ぶ研究によって為された源石増殖メカニズムの解明により、得られた血中源石の推定値と実測値の間に無視できない差が存在するのだ。
その差は二倍にも迫る勢いであり、治療の根幹になり得る理論の信憑性を損なうには十分であった。
「他の数値は誤差範囲に収まっている。何だ、何が足りないんだ......」
「アーツ使用による体内源石の活性化を加味した血中源石濃度上昇の近似関数、検証も裏付けも済んでいます。何か、見落としているとしか───」
半年前に抱いた違和感、その正体の断片と思しき何か。
その他の数値は殆どが誤差範囲、にも関わらず血中源石濃度と関連する値が計算と合わない。
式は間違っていない。見落とした項も、恐らく無い。
代入した数値は何回もチェックした。計算ミスなど言うまでもない。
ならば、何故───
「まさか───」
───初期値
「そんな、まさか......」
同じ結論に至ったのだろう。青褪めた顔で後輩が呟く。
実験用感染生物内で源石が増殖を始めた値。人体への質量換算。分散分析から"人体で源石が増殖するに至る閾値"を求める。
それをある程度下回る値。それを初期値として代入し再計算する。
Enterキーを震えながら押し込んだ右手は、数秒後には血が滲まんほどに握りしめられ机に叩きつけられた。
「───ああ、クソッ!!」
「───ッ」
感情を制御しきれず悪態が口をついて出る。後輩も息を呑み、眼前のデータが示す意味を受け入れられずにいた。
それも仕方のないことだろう、何せその数値が示すのは一年半にも及ぶアプローチの大半が無意味であるという意味なのだから。
得られた値は、実測値と殆ど一致していた。
非感染者は源石を含有していない人間ではない。体内の源石が増殖する閾値まで到達していない人間の事であると。
感染者は、正確には発症者と呼ぶ方が適切であると。
そう、理解させられた。
あまりにも単純で、それでいて決定的なミス。
おそらくは出生前の段階から源石を体内に微量ではあるが保有しているのだろう。それらを過剰に除去してしまえば身体にどのような悪影響が発生するか推測もできない。
体内で増殖した組織を死滅させること。体内で異常増殖した組織を一定の値まで減らして維持すること。
その治療法にどれだけの差異が存在するのか。浪費した時間がどれだけ致命的であるのか。
そんなもの、言語化せずともこの場にいる全員が理解していた。
「......いや、まだだ。まだ終わっていない」
その場にいる全員を奮い立たせるために嘯いた詭弁。半ば自分自身を騙す為の言葉に賛同する者は居るものの、彼らの表情からは一つの共通認識が見て取れた。
このままでは、間に合わない。
透析や外科的処置を施す案も身体への負担の面から早い段階で却下されている。一部の臓器では源石結晶が一定の機能を代替しており、透析によってそれらに悪影響を及ぼす事例が確認されている。そもそも強引なアプローチはタイムリミットを大きく縮めることに繋がりかねない。
源石結晶は既に全身へと深く根を張り、外科的治療でピンポイントに取り除く段階を過ぎている。仮に全身の体液、体表及び体内に析出した源石を同時に除去などしようものなら、数日にも渡る大手術となり想像を絶する負荷によって少女は確実に命を落とすだろう。
もっと早く気付いていれば───
(いや、本当はその可能性を無意識のうちに除外していたのかもしれない)
源石が害だけを齎す存在であり消滅させる方法が発見されれば。もっと早い段階で治療を開始出来ていたら。臓器の代替技術がもっと発達していたら。
だがそれは、源石が消滅しても問題が無いという前提の話だ。余命というタイムリミットの中で治療できる可能性がある場合の話だ。そんな希望に縋り、盲目的に誤った道を選んでしまった。また間違えてしまった。
漸く理解した。
────はこの星を訪れた時点で手遅れだった。彼女の為を思うのであれば全てのリソースを症状進行の緩和と延命のみに注ぐべきであった。
徒に予算を、時間を、人員を、設備を浪費し、確実に死期を早めた。私は彼女にとっての害でしかなかった。
私の努力は、無駄だった。
◇
私はいつも通り、回診の為に少女の病室を訪れていた。
「その後に私は───」
いつも通りの、なんてことのない雑談。切り取られた、誰しもが笑顔になれるような日常の些細な断片を語るその穏やかな表情を。
私は、直視できなくなっていた。
「......あの、聞いてますか?」
「あ、ああ。もちろん聞いてるよ」
「上の空、というか。何を隠しているんですか?」
「いや、その......」
「やっぱり、言わなくてもいいです。これでもかってくらい顔に出ているので」
ベッドに腰掛けた────は静かに微笑んだ。舞い落ちる木の葉を思わせる儚さの中に、私はある種の諦観を見た。
いつから彼女は、そんな表情をするようになったのだろう。少なくとも一年前にはそんな───
「ようやく、私の目を見てくれましたね」
「......っあ」
飴細工にでも触れるかのように、彼女は私の頬に手を添えた。目を逸らすことは許さないと、言外に示すかのように。
「少しだけ、寂しかったんですよ?あなたはこんなにも優しくしてくれるのに、私からは何も受け取ってくれないから」
「───私は、君から何かを受け取る資格を持っていない。私は善人でもないし、善意から動いている訳でもない。それに君を傷つける事しかできないんだ」
「でも悪人ではないですし、悪意から動いている訳でもない。ましてや打算でも。───あなたはどうして、私を救おうとしてくれるんですか?」
喋りすぎだ、と理性が囁く。こんな事を、彼女に聞かせるべきではない。何でもないと誤魔化せばいい、不誠実であっても正直に話すよりも幾分かマシだ。
そのはずなのに。
私の口は別の生物のように言葉を紡ぎ続ける。言語化したことも、誰かにその断片も伝えたことのない。
直視し難い、醜い私の本性を。
「......私は、幸福を正しく受け取れない。
私は、私自身が幸福を受容する事に耐え切れないんだ。そんな奴が幸せになろうだなんて考えるだけ無駄だ。それどころか有害だ。
だから私は、持ちうる全てのリソースを他者に使う。誰かを幸せになんてできない、理解もできないけどそれでも───」
全ては無意味だ、
それは醜い私の感傷と傲慢の副産物で観測した、あらゆる事象の一側面に過ぎない。
無意味を、無価値を、無理解を他者に押し付けてはならない。この虚無も私が見出して手元に置いているだけだ。
多くの人にとって、この世界は無意味ではない。
だから───
「誰かが幸福になる手助けがしたいんだ。それがきっと、人間として正しい姿だと思うから」
善人とは善意を以て善行を為す人間の事だ。
悪人とは悪意を以て悪行を為す人間の事だ。
だが世の中には純粋な善人も悪人も居ない。人々は己の利益の為に善行と悪行を繰り返し、他者の幸福を自身の幸福に変換して受け取る。
白も黒もない。ただ攪拌され入り乱れた善悪の切り取った一部分が、どちらにより近いかで判断される。
善悪は裏表ではなく、視点が異なるだけで容易に反転しうるものであると詭弁を弄し、正当化と批判を都合よく切り替える。
人間は未だに分かり合えない、不格好で野蛮で愚かで、それでも少しずつ進んでいる。
私なんかとは違う。人類はいずれ、相互理解に至る。
だから、人間は性善説を体現する生物であると。私はそう信じている。
私は何者か。これまでであれば答えられなかったその問いに、今なら納得できる答えが用意できる。
私は意志でなく信念により善行を為す、人間というには不完全な何かの事だ。
それでも考えてしまう。
───不完全でなければ、どれほどよかったか。
「でも、結果はこのザマなんだ。私は君を傷つけてばかりで、私が居なければ君はもっと───」
「......」
「私はもう、立ち上がれない。もう駄目なんだ、私は。消えてなくなりたい......」
「───私は、もうすぐ死ぬんですね」
小さく息を呑み、彼女は呟いた。
「でも、無駄という言葉は適当でないと、私は思います」
「......私は、私では君を救えないだろう。時間もリソースもない、全て私のせいで───」
「じゃあ、私が死んだら全て無駄なんですか?」
「......え?」
彼女が死んでしまったら、この研究は無意味なものになるのか。
それは、そうだろう。だって彼女を救えなければ、私は───
「また、私のように転移してくる人もいるかもしれません」
「......っあ」
「考えたくはないことですが、もしかすると地球でも源石が現れるかもしれません。それに───」
一拍おいて。万感の思いを込めたかのように透き通った笑顔で続けた。
「私は、あなたに救われたから」
「......ッッッッ!!」
気付けば、ベッドから立ち上がった少女に抱き締められていた。
微かな心音が耳に届く。彼女はまだ生きている。
生きて、いるんだ。
「......ッすまない!!私は、私は君を───」
「いいんですよ、私は。だってもう」
───こんなにも、幸せなのだから───
彼女の顔がぼやけて見えなくなっていたことで、私は頬を伝う熱い何かの存在に気が付いた。
とめどなく溢れ出るそれが何かも理解できないまま、今度は私から少女を抱き締めた。
彼女の体は冷たくて。それなのにとても暖かくて。
私は、それが涙と呼ばれるものだと漸く思い出した。
負けないで────ちゃん!!あなたが死んだら誰がオリ主の精神を守れるの!?
次回、────死す!!デュエルスタンバイ!!
あと感想くださいお願いします(豹変)
次に書く短編の登場人物とか
-
アーミヤ
-
パトリオット
-
ホルハイヤ
-
Friston-3
-
モスティマ
-
グレイディーア
-
歳陣営
-
シャイニング
-
ロサ
-
医療部モブ