昔日の巷塵   作:湊咍人

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これまでの倍近く長い上に独自設定&解釈マシマシです。
暖かい目で見てください。

あと一応フォローしておくと、主人公くんはかなり有能ではあります(源石増殖メカニズムの解析などは殆ど彼が一人で終わらせています)。

大して役に立っていないところが彼らしいですね。


「結」

 1318日目

 

 端的に結論だけを述べるのであれば、私たちは少女を救うことが出来なかった。

 たった一人の、行き場を失った少女すら救えない無力。それだけが、私たちに与えられた回答であった。

 

 感染してしまえば最後、癌細胞のように増殖しAIDSのように多臓器不全を生じさせ、癩病のように体表鉱石によって感染者であることを周囲に知らしめる。吐き気を催す邪悪を絵に描いたような、それこそ源石そのものが生物のように意思を持ち悪意を叩きつけられているようだ。

 

 寝る間を惜しみ、あらゆる可能性を模索し、数百に渡る仮説を立て、考えうる全てのアプローチを試して。

 その間も、彼女の体表には黒光りする鉱石が増え続けていった。

 

「今日もありがとう」

「よしてくれ、私は何もできていない」

 

 たった四年とはいえ、彼女は成長期だ。出会った時から身長は目に見えて伸び、顔立ちも大人のそれへと変化しつつある。

 少女から女性へと至る過渡期ともいえるその時間の中で、彼女はその生涯を縁も所縁もない土地で終えるのだろう。

 

 私たちは、何をしているのだろうか。

 

 異郷の地で只一人で生涯を終えようとしている少女にまやかしを見せつけ、希望と称したあまりにも細い糸を掴もうと藻掻いている姿を見せつけるだけ。

 可能性がゼロではないと、否定することが出来ないだけでありもしない解決策を地に膝を擦りつけて探るだけ。

 

 私など、その筆頭だ。ただ彼女に死の恐怖をより深く印象付けているだけで何も為せない。

 刻一刻と迫るタイムリミットを、焦燥に背を焼かれのたうち回る滑稽な姿で示すだけの存在。

 

 それでも。

 だからこそ私が伝えなければならない。

 

「......君は───」

「......」

 

 分かっている。彼女は既に知っているのだ。それでもなお、私の言葉を遮ろうとしないのは彼女なりの心遣いだろう。

 彼女の灰色の瞳に映るのは、歪んだ私の顔であった。何もできないくせに何もできない事だけは理解している私の顔であった。

 私が伝えなければならない。その、ちっぽけな覚悟すら彼女の前では見透かされているようで。

 そうしてようやく、覚悟を決めることが出来た。

 

 ───それを口にしたのは覚悟を決めたから数拍置いた後であった。

 

「......もう、長くはない。もって、あと数週間だろう」

「───うん。ありがとう、教えてくれて」

 

 ベッドの上で、上体だけを起こした彼女は静かに微笑んだ。

 

 彼女の足は、もう以前のようには動かない。下肢の神経系に齎された小さな損傷は半年ほど前に鉱石に抉り侵され、その穏やかな笑顔を見られる機会であった散歩すらできなくなった。車椅子を押しても、彼女は以前のような陰りのないそれを浮かべることはない。

 

 沈黙。点滴液が滴り落ちる音が、やけに耳に残った。

 

 味覚異常により、彼女が最大の楽しみだと話していた食事は味気ないものとなっていた。初めて目の当たりにする料理を前に目を輝かせることも無く、一部の代わり映えしないメニューと点滴により彼女は生命活動の維持に必要なエネルギーを摂取している。

 聴力もまた、日に日にその力を失っている。感情を汲み取り忙しなく動くこともあった柔らかな耳も、その本来の役割を全うできなくなってきてる。

 

「少し、一人にさせてもらえないかな」

「......分かった」

 

 その日も、眠れなかった。どうせ眠れないのならと、頭を回し続けた。

 

 数時間かけて思いついた一つのアイディアは、仮説段階で否定され没案と名付けられた分厚いファイルの一部になった。

 そのファイルを厚くすることしか能のない私は、自身の案を実行するには余りにも時間が不足している事を資料を綴じる最中に遅まきながら理解した。およそ一年前の出来事をきっかけに急激に厚さを増したそれを棚に戻し、誰も居ない資料室の壁に寄り掛かった。

 

「......」

 

 もう、言葉にもならない。

 

 顔を上げるのも億劫で、立ち上がる気力すらも湧いては来ない。 静まり返った資料室は時間が静止しているように思えて、もしかするとこのまま目を閉じていれば何もかもが進まずに停滞してくれるのではないかと下らない考えが浮かんだ。

 頭蓋の内側に反響する声と鈍痛。全身が粟立つ悪寒に胸を打つ疼痛。あと数週間だけ動ければいいと、全身からの危険信号を無視し続けたツケが今支払わされている。

 

 もう、何をしようと手遅れなのだろう。

 

 私が未だに足掻いているのは、「何もしない」という選択に私自身が耐えられないだけなのだ。 

 無意味では私の心を宥められない。正論では激情を制御できない。

 

 だから、私はまだ立ち上がらなければならない。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 1331日目

 

 その日、施設内の全ての部屋で特殊なアラームが鳴った。

 いつか鳴るとは理解していた、人の焦燥感を煽ることに特化した脳髄を揺さぶる警報音により私の浅い眠りは中断された。

 

 彼女のバイタルが大きく変動した時に施設全体に鳴り響く、緊急招集用のアラームであった。

 

(頼む、間に合ってくれ───)

 

 普段は使われない階段を駆け下り、慣れない全力疾走に時折体のバランスを崩しながらも病室に辿り着く。

 部屋には既に、部長を始めとした数人の同僚が集まっていた。最近は量を減らされていた点滴の、最後の一つを取り外していた。

 心電図は───まだ一定のリズムで電子音を刻んでいた。

 

「容態は!?」

「まだ何とか。───間に合ってよかった」

 

 私が開け放った扉から次々と退室する同僚たち。彼らは別れの瞬間を見届けることなく病室の外で待機するつもりなのだろう。

 もちろん、彼らが冷淡な訳ではない。最期の瞬間を私と少女の二人だけで過ごすように予め皆で取り決めていたのだろう。今にも泣きだしそうな、或いは何かを託すような表情を見れば鈍い私でも理解できた。

 

「......っ」

 

 ベッドに横たわる少女。

 

 私は無意識のうちに、さながら主に許しを請うかのように跪き少女の手を取っていた。

 彼女の手を握り、ただ祈る。何に祈っているのか、何を祈っているのかも分からないままに。

 

 彼女が瞼を震わせ怯えるように目覚めたときには、もう誰も部屋には残っていなかった。

 

「───さん、そこにいるの?」

「......ああ」

 

 焦点の合わない瞳。もう正確に像を結ぶこともできないその双眸が、おもむろにこちらへとむけられる。死を目前に控え光を殆ど失ってもなお、その瞳に陰りはなかった。

 震える唇で、掠れた声帯で語りかけた。

 

「返事、してくれないの?」

「っ......私はっ」

「そっか。もう───」

 

 人は死の間際、五感のうち聴覚が最期まで残ると言われているが、彼女のそれは既に奪われてしまっていた。

 種族的特徴の発露だという耳は、恐らくは聴覚野への障害という形でその存在意義を失ってしまったらしい。

 私の唇の動きから返事をしていることだけを把握したであろう彼女は、滔々と続けた。

 

「───手、繋いでいてくれないかな」

「......ああ、いいよ」

 

 彼女の体温は、死んだら上がるのだろうか。それとも、死んだことすら分からずに冷たいままなのだろうか。

 包み込むように握り直した、滑らかで冷たい手。成長しきってなお私の手にすっぽりと収まる、柔らかくもしなやかで華奢な手。

 逆に私の手が包み込まれているかのような、そんな感覚に陥りながらもどこか他人事のように益体も無い想像が脳裏を過った。

 

「......本当は、少しだけ怖いんです」

「───そっか」

 

 ついぞ聞くことのなかった、少女の弱音。どんな時も笑みを絶やさず、こうして今際の際においてもその誇りを失わない彼女の、ほんの僅かな綻び。

 そんな些細な言葉一つで、堰き止めているもの全てが溢れ出してしまいそうになる。

 

「......っ」

 

 涙は、流すな。最期の瞬間まで強く在ろうとする少女との別れを、大人である私が見送るのだ。

 彼女の生き様を、誇りを、優しさを間近で見届けてきた、私が見送るのだ。

 私の下らない感傷で、この時間を汚すわけにはいかない。

 

 別れの言葉すら、伝えられずとも───

 

「こんなこと、言いたくはなかった。あなたを傷つけたく、なかった」

「......でも、最後に一回だけ。我儘を聞いてもらえませんか?」

 

 そう言って微笑む少女の瞳には、もう私は映ってはいないのかもしれない。私の返事など、聞こえてはいないのかもしれない。

 それでも、私は答えた。応えたかったのだ、彼女の願いに。

 

「......ああ。何でも言ってくれ」

「───私は、」

 

 ───あなたの、傷になりたい───

 

「あなたが立ち止まった時に、疼く傷跡になりたい。

 あなたが囚われてしまった時に、傍に居たい。

 私が、何度でもあなたの手を引くから───

 

 ───その度に、私の事を思い出して欲しい」

 

「......っ」

 

「最期まで、我儘でごめんなさい。

 Доктор、これからも私がずっと、傍に居るから───」

 

 

 

 それが、彼女の最後の言葉になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私がそれに気付くまで、大して時間はかからなかった。

 それはそうだろう。何せ、一瞬ではあるが肌で感じられるほどに室温が急激に低下したのだから。

 

「これは───アーツ?」

 

 死の間際。今にも吹き消されそうな蝋燭の、最後の瞬き。

 彼女は残された全てを今、アーツとして消費し行使しようとしているのだと。

 先程の言葉の真意を、漸く理解できた。

 

 瞬きの後に消える灯であれば。数刻後には枯れてしまう徒花であれば。

 最期の瞬間は特大の煌めきで、大輪の花で在ろうと。

 

「っ......ああ、見送るとも!!君の旅立ちを!!」

 

 もう、数分後には生命活動を停止するであろうその体。身体の源石浸食率が三十%に迫る崩れかけの体で、少女は最後の奇跡を起こそうとしている。

 最後まで、見届けるとも。この瞬間において君の歩みを妨げるものは何もない。 

 そう、何も───

 

 何も?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───待て。()()()()()()()()()()()()()()()()()()とどうなる?」

 

 

 

 感染者は死亡後に体内の源石が内部から徐々に活性化しつつ、身体組織を爆発的な速度で源石に置換し増殖する。また一定以上の質量を有する源石が活性化した場合は特殊な加工を施さない限り自壊してしまう。よって鉱石病の罹患者は死亡後一定時間内に遺体を超高温で処理し源石への置換を防止、活性源石の粉塵として飛散することを防げるのだが。

 

 もし、死亡時点で体内の源石が既に活性化していたら?

 

 

(考えろ、頭を回し続けろ───)

 

 源石増殖メカニズム、死亡後の置換速度係数、アーツによって活性化している体内源石の総量、自壊発生の閾値。

 計算自体は簡単だ。いつか組んだ「自壊までのタイムリミット」の計算式、その初期値を変更するだけ。

 

 ここまで、約十秒。タイムリミットの計算は、呆気なく終了した。

 

 

 

 

 アーツが完全に発動した場合のタイムリミットは、約三百秒。

 彼女は死後五分程度で活性源石の粉塵と化す。

 

 

 

 

「マズい......っ!!どうする、どうすればいい!?」

 

 活性源石粉塵化を防ぐための施設までは、車でも二分は掛かる。そもそも想定外の用途で設備を利用するため、着いたところで即座に処理という訳にはいかない。移送までの準備も含めれば最低でも十五分。これでは全く間に合わない。

 なら容易に隔離可能な地下に運び込むか?いや、応援を呼んで事情を説明する時点で時間が足りない。予定通りに処理場に向かう案と同じで、隔離可能な設備外で自壊した場合には余りにも悲惨な結果となりかねない。

 なら───

 

 

 

 いや、一つだけ解決策がある。犠牲者の数が変わらない、唯一の方法が。

 

 

 

 懐に、右手を差し込む。左脇のホルスターに収まっているのは、鈍く銀色に輝く回転式拳銃。銃身の側面に刻まれたMiséricorde(慈悲の剣)の文字だけが、この銃の所有者が私であることを証明している。

 

 彼女は、一度周囲を冷却しアーツの効果範囲と初期値を規定した上で演算を行ってから、初めてアーツを行使するのだと話していた。こうすることで周囲の乱数を無くし、より精密な操作が可能になるのだと。

 現に今、彼女の左手首に装着されたデバイスは体内の源石が殆ど活性化していないことを示している。恐らくはまだ演算の段階で、引き返せる。まだ引き留められる。

 

 目も見えず、声も聞こえない少女を止める方法は一つしかない。

 誰にも被害を及ぼさない為には、これしかない。

 

「......っ」

 

 私の手は、みっともなく震えていた。それこそ、手に握った拳銃を取り落としそうなほどに。

 

 体が震え出すほどの気温ではない。アーツによる気温の低下は一瞬のもので、僅か数度の低下に過ぎない。

 構えるだけで腕が震えるほど重い銃でもない。銃身は一般的な長さであり、強度を損なわない程度に肉抜きが施されている。

 ましてや、拳銃を初めて握るわけでもない。この銃との付き合いも十年以上になる。

 

 

 

 

 大切な人に銃口を向けるのもまた、初めての経験ではない。

 それに対して、引き金を引くことも。

 

 

 

 

「......っっっ!!」

 

 脳裏に過るのは、肝臓と肺を穿たれた───の姿。

 

 あの時とは違う。死の間際で苦しむ───を楽にするのと、感染爆発の可能性から人々を守ることは同列に語るべきではない。これは大義の為であって、彼女だって誰かに同じ轍を踏んで欲しくはない筈なのだから。

 これしかないのだ。これ以外に選択肢など存在しないのだ。

 私にできることなど、これしか───

 

「───」

 

 選べ。選べ。選べ。

 

 これは私に与えられた義務であり、乗り越えるべき試練であり、調伏すべき己の罪悪そのものだ。

 逃げ続けてきた所業の対価を支払う時が訪れる時、どのような形であれ私はそれと向き合わなければならないと覚悟はしていた。

 していた、はずなのに。

 

 

 

「......選べる訳が───」

 

 

 

 あんまりだ。彼女が、一体何をしたというのだ。一体どのような罪を犯せば、ここまで非道な罰を与える行為が正当化されるというのか。こんなものは私が受けるべき罰だ、彼女は私とは違って救われるべき人間だ。愛され、慈しまれ、悲しまれ、穏やかに眠るべき人間だ。

 思えば、何もかもが理不尽で不条理だ。心優しき少女は不意な事故で全てを奪われ、最期に残さんとした希望すら大義の為と自己欺瞞に走る弱い大人()に摘み取られる。

 

 救いなどない。救いの手は差し伸べられず、希望の光は悪意の闇に囚われ掻き消される。無機質な現実と粘ついた悪意から逃れる術はなく、この世界はただひたすらに醜い。

 

「......」

 

 拳銃を握ったままの右腕が、まるで糸が切れたかのようにだらりと垂れ下がった。一拍遅れて体も崩れ落ち、力なく項垂れた。もううんざりだ、私は今回もまた何もできない。何も選べないから何も切り捨てられず、何も得られず何も守れない。私はきっと、そういうものなのだろう。

 

 もう、どうでもいい。どうにでもなれ。

 私はもう、疲れた。

 

 

 

 

 

───そんな妥協を、諦めを彼女が許すわけがないと私は忘れていた───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───急激に低下し始める室温。散る定めであった名も無き徒花の、己の宿命すら踏み潰して乗り越えた先にある大輪の花───

 

 

 部屋全体が、キラキラと輝き始める。

 小さな窓から取り込まれる陽光と控えめな蛍光灯の明かりを乱反射し、それは冷たく静かに部屋を漂い始めた。

 その、現象の名は───

 

「......ダイヤモンドダスト(金剛石の塵)」 

 

 私自身も、故郷でそれを何度か目にしたことがある。

 

 遥か彼方に聳える山脈の尾根を指でなぞれるほどに透き通った空気。雪原の淵を焦がし、降り積もった結晶を透過し上る朝日。

 そして、陽光を乱反射し輝くそれに、私は心を奪われたのだ。

 金剛石の塵とはよく言ったものだと、両親から興奮気味に説明された時のことは今でも覚えている。

 

「───綺麗だ」

 

 冷気が拡散しないように、それでいて無風の環境を維持しているのだろう。既に言葉を発することすら叶わないにも拘らず、完璧なまでのアーツ制御によりダイヤモンドダストの厳しい発生条件を満たしているのだ。

 不思議なことに、私の体はあまり冷気を感じてはいなかった。部屋は零下十度を下回っているだろうに、彼女は殆ど気流を発生させることなく私の周囲から熱を奪わないように制御しているのだ。

 頬を焼き滑り落ちる雫も、その温度を殆ど損なうことなく床まで落下する。

 

 

 

 少女のアーツは『減速』であり、主に熱運動を制御する。

 

 

 

 発生させた温度差により気流を発生、限界まで熱を奪った空気を連続して吹き付けることによって物体を瞬時に凍結させることもできる強力なものだ。

 だが、その制御は非常に困難なものであると私は知っている。ましてや、自然界でも珍しい現象であると位置付けられるダイヤモンドダストを発生させるほどの精密な行使ができることを私は知らなかった。

 

「......そうか、彼女はずっと───」

 

 ずっと、私の知らないところで他の研究者と共に練習していたのだろう。私が独りよがりな自己批判に呑まれている間にも、もう目を開くことすらできないほどに衰弱してもなお染みついた経験だけでアーツを行使しダイヤモンドダストを再現できるほどに。

 最期に、私へこの光景を見せる為。何度も───

 

 ずっと、一言の弱音も吐かず。

 私が、彼女の死後もまた歩みだせるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......まだだ、まだ諦めるわけにはいかない」

 

 抑揚のない連続した電子音が耳に届く。その時ようやく、私は少女の顔を直視することが出来た。

 ───穏やかで、安心したかのような。それでいて満足気でありながら、今にも微笑みかけてくれそうな。

 

 その、幸せそうな顔。

 

 ようやく目が覚めた。そうだ、私は彼女の遺志を継がなければならない。何度挫けても、また立ち上がらなければならない。

 立ち止まっても、また歩みださなければならない。

 

 諦めは、彼女に対する最大の裏切りだ。最期の瞬間まで強く在った彼女に対する侮辱だ。

 

 

 

 そうして、辺りを見回す。先程までとは異なり曇りのない目は、ある物を視界の端に捉えた。

 

 

 

 そこにあったのは、一巻きのダクトテープ。点滴や各種器具を仮固定するのに用いた物なのか、はたまた全く異なる理由で持ち込まれた物か。

 いずれにせよ、私にはその瞬間に一つ選択肢が追加で与えられたことを理解した。蜘蛛の糸と言うには、あまりにも魅力的な希望を括りつけて垂らされたそれ。

 

 この病室の隔離レベルはⅡ。一般的な飛沫感染程度であれば問題なく封殺できるが、活性源石の粉塵はごく少量でも呼吸器系から感染を引き起こすことが確認済みである。また制御下にない源石の自壊は初めての現象であるため、どんな現象が発生しうるか想像もできない。万が一を防止するのであれば空調システムそのものを停止させ、完璧な目張りを行わなければならない。故に一度は諦めた案。

 

 

 

 この部屋で、活性源石粉塵と化す彼女を封じ込める。

 

 

 

(間に合うか?───いや、間に合わせるんだ)

 

 塞がなければならない場所は主に三か所。施設外へと繋がる窓、天井に備え付けられた空調設備、そして唯一の出入り口であるドアだ。

 ドアは最後でいい。ある程度の気密性が保証されている為、間に合わずとも閉じさえすれば感染の可能性は極めて低いはずだ。私がこの部屋を出た後で外側から塞げばいい。

 次に優先順位が低いのは空調設備だ。こちらも隔離レベルⅡの病室だけあって完璧ではないものの十分に感染拡大防止の効果を持っているはず。

 

 つまり最初に手を付けるべきは窓だ。万が一の話ではあるが、窓ガラスが割れ外部に活性源石粉末が飛散しようものなら最悪のケースを想定する必要が出てくる。

 隙間を完全に塞ぎ、手早く目張りまで済ませる。───あと三分強。

 

(高さが欲しいが───机の上に立てば何とか届くか......?)

 

 この病室に元から備え付けられていた机でなく、後から持ち込まれた機能性重視の机。力を籠めれば嫌な音を立てながらも渋々動いてくれたそれを足場に空調設備を塞ぐ。取り込んで加熱した外気と部屋の空気を取り換える装置はある意味で最大のリスクを有していると言える。特に念を入れてダクトテープを張り付けた。───あと一分。

 

(間に合った───のか?)

 

 後は部屋を出るだけ。ドアは念のために外側から目張りをすればいい。

 愚かにも、私はそう油断していた。最悪の結末だけは回避することに成功したのだと慢心していた。

 

 また忘れていたのだ、世界の悪意は我々を捕らえた以上は死ぬまでその顎を開くことはないのだと。

 傍観者に過ぎない私では、どう藻掻いたところで結果など変えられはしないのだと。

 

 それは、ドアに手を掛けた瞬間に私の耳に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピシッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 些細な異音であった。

 何気ない動作によって生じる衣服の擦れる音、無意識の息遣いや扉の向こう側から漏れた声だけでも、容易にそれを覆い隠せると確信できるほどの微小な音。

 

 それだけで、私は何が起きたのか容易に察することが出来た。

 土壇場で犯したミスに、思い至った。

 

 

 

(───同じミスだ。また初期値を間違えた)

 

 

 

 アーツロッドによる補助なしでのアーツ行使。そして五感の喪失による補完情報の欠落。

 崩れかけの体で無理矢理行使したアーツは、彼女の源石浸食率を無視できないほどに引き上げていたのだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。たったそれだけの、取るに足らないミス。

 

 たったそれだけのミスで、喉元まで迫るだけで届かないと高を括っていた刃が私を貫いた。

 

 それでもなお、終わりではない。

 終わりにすら、辿り着けはしない。

 

「先輩っ!!───ちゃんの容体が───」

 

 扉の向こう側。源石の活性度合いを計測するデバイスの示す数値の異常に気付いたのであろう後輩と何人かの同僚が、この部屋でたった一人の生者である私に呼び掛けている。

 私は無言で───

 

 

 

 内側から、ドアを施錠した。

 

 

 

「......え?」

「時間が無い。端的に説明するから後を頼む」

 

 低下した気温、空気中に飛散した活性源石粉塵。ドアを開けてしまえば何が起こるのかは想像に難くない。気温差により発生した対流は活性源石粉塵を撒き散らし、この場にいる全員を容易に感染させうるだろう。

 

 客観的にみれば、私は恐ろしいほどに落ち着いているのだろう。感情と完全に切り離された理性による思考はどこまでも凪いだ水面のように静かで、何を為すべきかを冷静に指し示していた。言動もまた、徹底的な合理性に基づいたものであった。

 

 だが、それだけだ。この事態を好転させる方法はもう無い。選択肢は既に使い切った、ここはもう行き止まりだ。

 私にできるのは、この道を外れないようにするだけだ。

 失われる命をただ悲しむ人々とは違い、我々はそこから最大の利益と効果を生み出し次に繋げる事を優先する。

 ───一部の、例外こそあれ。

 

「既に自壊は発生した。気温差により活性源石粉塵の流出が発生する可能性が高いため、調査と回収は外部から封鎖した上で行ってくれ」

「───主任は?」

「......まあ、そういうことだ」

 

 ドアの隙間をテープで塞ぎながら、適当に事実を暈して伝える。曖昧な表現を我々は基本的に避ける傾向にあるが、今回はどうも言語化するのが憚られた。

 或いは、まだ悪夢は終わっていないのだと心のどこかで理解していたのかもしれない。

 

 だって、ほら。

 

「───仮説I-5は証明された。万が一に備えマスターキー(ショットガン)を用意しておいてくれ」

 

 いつの間にか皮膚が粟立つ不快感も、脳髄を焼く頭痛も収まっていて。

 尾骶骨は正しい形へと戻るように肥大化し、体表には鱗のような組織が形成されて。

 頭部には龍を思わせる屈曲した角が生え、背にはどう見ても体と連続していない翼が輝き。

 

 天使のような光輪が、辺りを照らしていたのだから。

 

「───そんな、そんな事って」

「......君には、最後まで迷惑をかけてしまった。どう、詫びればいいものかも分からない」

 

 ───私は少しでも長く、幸せに生きてほしいんです。治療を目的とした研究があの子の求めるものなのか、もう一度考えてほしいんです───

 

 あの時の言葉を、私はよく覚えている。覚えているにもかかわらず、私は後輩の忠告を無視し続けた。彼女には最初から───否、大学時代からずっと助けられていたにも拘らず、だ。

 その結果がこれだ。

 

「これは私の責任だ。君が思い悩む必要も、ありもしない罪に囚われる必要もない」

「───でも、でもっ!!先輩はずっと......」

「いいんだ、もう。───()()、もう十分に救われたよ」

 

 あの日も、───の墓参りに向かったのだ。広場を横断した先にある墓地で今も眠る───と、私が背負うべき業を忘れない為に。

 

 あの時、少女を見つけていなければ私はずっと囚われたままだっただろう。

 

 ───は私に何を望むのか。それがずっと分からずに立ち尽くしていた私を救い出してくれたのだ。私もまた救われた身なのだ。顔を上げることにすら怯えていた私の手を取り、竜頭を巻き直してくれたのだ。

 

 ようやく気が付いた。

 私はもう、幸せだった。もう二度と享受できないと諦めていた幸福は、すぐそこにあったのだ。

 

「部長に伝えてほしい。『最期まで迷惑を掛けてしまって申し訳ない』って」

「......また、怒られちゃいますよ」

「そうかもな───」

 

 私たちは、壁越しに笑いあった。「面倒な仕事増やしやがって」とぼやく部長の姿は容易に想像がついた。何せ、少女がこの世界を訪れて一年はほぼ毎日のように聞いていたのだから。

 

「そろそろ行くよ。───今までありがとう、Frida」

「......ええ、さよなら」

 

 部屋の中央に向き直る。巨大な活性源石の結晶と化した少女は体の末端から自壊が始まったようで、既に肘の辺りまでが失われていた。

 

 部屋を満たすのは、金剛石の塵(ダイヤモンドダスト)源石の塵(オリジニウムダスト)

 

 さながら天国への葬送に訪れた天使のようだと、不謹慎にもそれを美しいと感じてしまった。

 ゆっくりと、しかし確実に部屋へと希釈されていく彼女を見送りながら私は撃鉄を起こす。

 

 ドアから距離を取り、貫通しても問題ないよう射線上に梁が来る位置を探す。そこはちょうど少女の顔がよく見える位置で、顎の下に銃口を突きつけた私は不意に彼女と目を合わせることとなった。

 その、源石結晶と化してもなお一目で分かるほどに穏やかな顔を、今なら直視できる。

 

 心残りは、やはり今も眼前でその形を失ってゆく少女の事だ。私達では彼女を迫害と孤独な死という悪夢から救い出すことには成功したものの、鉱石病という悪魔から救い出すことはできなかった。

 だが、無駄ではなかった。研究データは残り、前例としていつの日か活用される日が来るかもしれない。たとえそんな日が来なくとも、私達にとってこの四年間は掛け替えのない時間であった。

 

 それでも、やはり考えてしまう。私でなければ───或いは少女は助かり得たのではないかと。

 

 またも同じ袋小路で彷徨っている私を見て、少女はどう思うだろうか。少なくとも以前と全く同じ答えが貰えることはないだろう。

 何せ私の口には、その大半が自嘲で構成されてはいるものの確かな笑みが浮かんでいるのだから。笑っていたのだ、死を目前に控え引き金に指を掛けてなお私の内面はこれまでにないほど落ち着き払っていて、怯えでも諦観でもなく選択として死を受け入れられていた。

 

「......楽しかったな」

 

 あまりにも不謹慎で、一度たりとも口には出さなかったそれ。

 

 そう、私はずっとこの日常を楽しんでいたのだ。

 未知に目を輝かせる少女の手を引き、会議室に集って食事のレシピを大真面目に議論し、同僚の首筋に氷を仕込む悪戯を敢行し、部長に大目玉を食らった日々が。

 

「......大変だったな」

 

 苦悩と自責に囚われてしまった事もあった。

 先の見えない、終わりだけが明確な道を歩き、仮説も希望も全てを否定され、日々進行する症状に伴って増加する各種数値に怯え、まともに眠れない日々を過ごした。

 

 それでも、私は断言できる。何度でも言える。

 この日々に無駄なんて一切無かった。

 生きていてよかった。諦めないでよかった。

 私は何も残せなくとも、そこに残るものはあるから。

 

 

 

「ああ───良い人生だった」

 

 

 

 良い、日々であった。愚かしくも美しい、宝物であった。

 だから、最後は人のままで。ヒトとして死ぬのだ。

 

 不意に、輝く二種の塵はその精彩を損なわれていった。ぼやけた視界で、少女に語り掛ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう。

 さよなら、Елена───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ようやく殺せたのでスッキリしました。
 説明を省いたところはエピローグとおまけ短編で補完します

 あと感想を下さい(定期)

次に書く短編の登場人物とか

  • アーミヤ
  • パトリオット
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