後藤ひとり、伝説に遭遇する。   作:ぐだぐだ

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伊沢マサキ、下北で再会する。

 初夏。

 セミがさわぎだすにはまだ早く、一方で長袖がタンスに引きこもる時期のこと。

 街のどこそこでチンピラがけんかを、なんてひさしぶりに聞くうわさ話は伊地知星歌の頭痛の種だ。

 たったひとりの妹だとか、そのバンド仲間だとか。

 もしも、万が一にでも、彼女たちに被害があったとしたら。

 保護者的な観点からも、どうしたものかと考えてしまう。

「店長、悩み事ですか。眉間にシワが寄ってますよー?」

「うるさい、仕事しろ仕事」

「先ぱぁい、飲みましょうよー。パーっと飲んで、嫌なこと忘れてぇ……うっ」

「おまえここで吐いたら殺すからなマジで」

「だいじょーぶ、いえき、のみこみましたから……うぷっ」

「もしもし警察ですか? なんか酔っ払いが騒いでて」

「あのー、一応、ですけど……ゴミ袋とか、いります?」

 とはいえ、不安の種こそあるけれど、そこで足踏みしていてはたつきも立てられない。

 頭痛の種なんて最初から、それこそ掃いて捨てるほどあるものだ。

 治安の悪化、迷惑な客に進学問題、果ては『STARRY』の収支に至るまで、頭の痛い話なんて探さなくても転がっている。

 だから、まあ、不安ではあるものの、いつものままでしかない。

 今日も下北はいつものままで、蒸し暑くごみごみと混み合っているわけだ。

 表通りで殴り合う酔っ払いなんてそうそういるものではないし、悪いやつらのいそうな場所に近づけないのが大切なのだ。

 すべての問題を一撃で解決する手段なんて普通の人間にはないのだから、安全な道を通るようにと、言い含めるのが精々だろう。

「あ、でる」

「おいトイレで吐けよあーもーきたねーなあ!」

「ゔっ」

「ああー……あちゃー……」

 即座にイヤホンを装着することで、星歌の耳に届く音はどこかのすごくきれいな公園のなんとかという鳥の鳴き声だとか小川のせせらぎだとか、なんかそういういい感じのものに切り替わる。

 視界の端でうずくまっている後輩だとか、店を開ける前でよかったという自分の心の声だとか、そういうものからはとにかく目を逸らす。

 せっかくの考え事も、今ので完全に流されてしまった。

 眉間のシワは深くなり、店内の空気もひどくなる。

 焼けたアスファルトの匂いに思いを馳せて、星歌は目の前の現実から目を背けることにした。

 

「えー、それでは皆さま、宴もたけなわではありますがっ! 我らが『路上のカリスマ』伊沢マサキのチャンピオンベルト確保を祈願して、この辺りで一本締めと参りましょう!」

 その日、バー『メイド・イン・ヘヴン』は、多少のお祭り騒ぎであった。

 理由はとても単純なもので、大物ゲストが来店し、彼を慕う人間が次々と集まってきたというわけだ。

「いや、なんでオメーが仕切ってんだよ!」

「いいじゃねーの、こーゆーの得意なのオレなんだからさぁ。伊沢さんも、それでいいっスよね?」

 その一言で、客の視線は店内の一点に向かう。

 かつては、街の中心にあった存在。

 今では、街の期待を背に受けて、光を目指す男。

 路上のカリスマ、伊沢マサキ。

「いや、俺は別に、そういうのは……。てか、あまり店に迷惑かけるなよ、騒ぎすぎじゃねーか?」

 プロに転向して以来、圧倒的な強さを見せつけるように無敗のまま。

 王座に手をかけた挑戦者は、最強ともてはやされる肩書きが似合わないほど、困ったような表情で皆の視線に晒されていた。

「いいよいいよ、伊沢くん。君のおかげでお客さんも増えたしね。タイトルマッチはライブビューイングやるから、観に来てよね」

「いやいや、伊沢さんはリングの上だって!」

 どっと、笑いが起こる。

 仲間たちも店長も、初めて見る知らない顔ぶれも、皆が笑顔だった。

 それが伊沢には心地よくて、同時にくすぐったいような感覚もある。

「おうシン、一本締めやるのかやらねーのかはっきりしろよな!」

「鈍いなオメー、この空気が読めねーのか?」

「おー、土屋さん出た! 似てる似てる!」

「いや、オレはあんなじゃねーだろ、おい!」

「あー、みんな、ちょっといいか?」

 立ち上がると同時、伊沢が最初に覚えたのは軽い酩酊感だ。

 思ったよりも飲んでいたかと、思考は冷静なまま。

 酒で気が大きくなる性質ではないから、頭の中でまとめている言葉を口にするのは、多少の気恥ずかしさがある。

 だからといって、言わないという選択肢は最初から存在していない。

 そもそも伊沢にとっては、今夜はこの言葉を伝えに街へ来たようなものなのだ。

「今日は、わざわざ集まってくれてありがとう。月並みなことしか言えないが、ベルトは必ず持ち帰る、期待していてくれ」

 よく通る声が、店内に響く。

 向けられる視線を受け止めるように皆の顔を見回しながら、伊沢は一度だけ咳払いをはさむ。

 それを合図にわっと歓声が上がって、ちょうど入店した新たな客は面食らう形になってしまっていた。

「っと、騒ぎすぎたな、悪い」

「いや、慣れてるよ」

 短いあいさつを交わして、店は再びザワザワとしたやかましさを取り戻していく。

「店長、この人に一杯、お詫びってことで」

「おっ、気が利くな。ビールでいいよ、ナンパの手口?」

「この空気でか? オレもそこまで節操なしじゃない」

「顔はいいし、手慣れてそうだったからね。……あれ、アンタ、伊沢マサキ? うわ懐かしい、っても私のことなんか知らないか」

 女の様子に伊沢は思い出そうと試みるも、答えはすぐに出てこない。

 そうこうしているうちに、外野が茶化し始めるのもまた、いつものことだ。

「伊沢よー、オレは前からおめーに言ってやりたかったことがある。女をこう、取っ替え引っ替えってのはどうかとだなあ!」

「いや土屋さん、そういうのじゃねーって」

「あ、やっぱモテるんだ、だよなぁ。大丈夫、私はそういうのじゃないから。そっちがまだバーテンやってた時に、客として来てたのよ」

 そこまで言われて、伊沢もようやく思い出す。

 昔と比べれば多少は歳をとっているものの、確かに見覚えがある顔だ。

 勢いよくジョッキの中身を飲み干していく姿も、記憶に残っている。

「伊地知さん、ですよね」

「正解、伊地知さんだ。ひさしぶりじゃないか、次がチャンピオンなんだっけ? まあ、何にしても再会に乾杯しとこうか」

「ええ、今しがた身内に決意表明していたところです。すみません、騒がしくして」

「いいって、こういう空気も嫌いじゃない。にしてもすごいな、チャンピオンってことは日本一だろ?」

 紹介しろ、だなんて身振り手振りを示す仲間たちを追い払いつつ、伊沢はグラスを軽く持ち上げた。

 小さくなり始めたアイスボールがガラスとぶつかり、カランと澄んだ音を立てる。

 グラスとジョッキを触れ合わせる真似事のあと、伊地知は半分ほど残ったビールを一息に飲み干して二杯目を注文する。

「団体はいくつもありますから、日本一ってわけにもいきませんよ」

「バーテンモード入ってる、敬語使わなくていいよ。そんなんじゃ、ウチに客として来てくれた時に私も敬語使わなきゃいけなくなるだろ」

 にかりと笑う表情に、伊沢もまた口元をゆるめてうなずく。外野の声がやかましい中で、アルコールをのどへと滑り込ませた。

 胃の中に、熱が落ちていく。鼻に抜けていく香りと、胸の奥から湧き上がる熱に自然と会話も弾んでいく。

 ごとりと重たい音を立てて、カウンターに並々と注がれたジョッキが置かれる。かと思えば持ち手をつかまえて、伊地知は美味そうにのどを鳴らしていた。

「悪いな、伊地知さん。その言いぶりだと、下北(ココ)で店を?」

 ぶは、と力強い息継ぎの声は、気の強そうな目元と相まってよく似合う。

 そういえばこんな飲み方をする人だったと、伊沢は昔の記憶を思い返す。

「ライブハウスで店長やってるよ、アンタのファンにも何人か、ウチで見たことある子がいるな……あの金髪くんとか、そっちのとか」

「おいシン、オレを誘えよああいう人がいるならよお!」

「いや土屋さん、バンドとか興味ないじゃないスか、店長目当てとかライブハウスに失礼だって。それにほら、ショウゴが帰って来たから、今の下北を色々見せてやりたくて」

「うん、あのゴツいのは見たことない」

 伊地知の示した先では、ちょうど見覚えのある顔がヒソヒソと話し合っているのが見える。

 土屋への感想には、笑いをこらえきれなかった。

「土屋さん、悪いひとじゃないんだけどな。この辺のライブハウスって言うと……『STARRY』かな」

「お、チャンピオンが知ってんのは嬉しいな。宣伝してくれてもいいよ、ウチのこと」

「まだチャンピオンじゃねーって、気が早いよ」

()る気なんだろ、ベルト。ならチャンピオンだ、昔よりずっと強くなってんだろ? ここらでアンタの話は何度も聞いたよ、懐かしいな」

 不意に投げかけられた伊地知の言葉に、ふつふつと身体の奥から何かが湧き上がるのを伊沢は感じていた。

 昔よりも、強くなっている。

 応援してくれる仲間が大勢いても、その言葉が意味することを知っている人間はひと握りもいない。

 かつての伊沢は、自分自身を敗北者だと考えていた。

 自分に敗けて街に逃げた臆病者だと、そう思わずにはいられなかった。

 自分の弱さをぬりつぶそうとして、暴力にどこまでも溺れていった。

 だからこそ、身体が震える。

 恐怖でも怒りでもなく、歓喜によって伊沢は身震いしていた。

 暴力と自己嫌悪ばかりの過去に決着をつけ、街を卒業したからこそ。

 昔よりも強くなったと、胸を張って言える。

 それが誇らしくて、胸の奥が熱くなっている。

「……どうだろうな、簡単な話じゃない。小原ヨシトも、昔よりずっと強くなってる」

「チャンピオンのやつ? へえ、因縁とかあるんだ」

「やり合ったわけじゃない、そんな大層なものじゃねーよ」

 グラスの中では、溶け出した氷がウイスキーと混じり合って陽炎のように揺れている。

 闘志は、得てして炎で表現されることが多い。

 だとすれば、自分の闘志はちょうどこのように、激しくなくともジワリと染み出していくような、そんな類なのかもしれない。

 ガラにもないとわかっていながら伊沢は思い、考え、隣に座る伊地知へと視線を向ける。

 そこにいたかもしれないヤツの顔を、頭の片隅で思いながら。

「でも、まあ、そうだな。強くなってるよ、昔より、ずっと。()る気でいるし、負ける気もない。……そういうところを皆に見せたくて、下北(ココ)に来たのかもしれないな、オレは」

 へえと楽しげに相槌を打ってから、伊地知は空になったジョッキをカウンターへと預けた。

 頬杖をついて伊沢を見やりながら、不敵な笑みと共に拳を突き出してみせる。

「負けんなよ、チャンピオン。ウチの店名、ガウンに刺繍していいからな」

「ちゃっかり宣伝するなよ、抜け目ないな」

 それに拳を合わせてから、伊沢も笑った。

 硬くゴツゴツとした、武器として磨き抜かれた伊沢の拳。

 指先以外はなめらかで柔らかな、戦うための道具ではない伊地知の拳。

 ふたつの拳が軽くぶつかった瞬間、コツンと小さな音が聞こえたような気がした。

 

 ひとり、またひとり。

 夜が更けるにつれ、家路につく人数が増えていく。

 見知った顔も見知らぬ顔も、別れを告げては発破を掛け、激励と共に去っていく。

 一抹の寂しさこそはあるものの、伊沢の心には十分すぎるほどに火が宿っている。

 変わった面もあれば、変わらない面もある。伊沢にとってひさしぶりの街は、懐の広さを感じさせた。

「さすがに、飲みすぎた……昔はもっと、ガンガン飲んでたんだけどな……」

「無理するなよ、送り狼だとか言われるのもごめんだ」

「そんなことにならないっての、うー……ちょっとごめん、トイレ……」

 フラフラと席を立つ伊地知を見送りつつ、チェイサーの水を追加してやるかと伊沢が手を挙げる。

 ドアベルが透明感のある音を立てたのは、その時だった。

「いらっしゃいませ。もうラストオーダーのお時間なのですが、よろしいですか?」

「ああ、構わない。僕もただ、伊沢マサキに会いに来ただけだからね」

 店長とやり取りをする声に、伊沢は確かに聞き覚えがある。

 振り返る。

 ひとり、仲間の姿はない。

 男の姿形を視界が捉えるよりも先に、全身の肌が粟立っていく。

 忘れもしない感覚に、カウンターに乗せた手が自然と拳を形作っていた。

 冷たく鋭い目つきに、しなやかな長身。不良と呼ぶにはまるで正反対な男の、名は。

「キングか……!」

「ひさしぶりだ、伊沢マサキ。約束を反故にするようだが、目をつぶってほしい。……なに、下手を打てば狩られるのは僕だ。今さら、君にも君たちの街にも、どうこうする気はない」

 無抵抗を示すように両手を挙げたまま、かつてドラッグキングと呼ばれた青年は涼しげな笑みを浮かべている。

「どういう了見だ、キング。貴様はもう、オレたちの街には二度と現れないはずだろう」

「状況が状況だからね。まあ、それよりまずはタイトルマッチおめでとう。過去を水に、とは言わないが、祝うくらいは構わないだろう?」

「……好きにしろ」

 伊沢の視線は敵対的だが、ことを荒立てるわけにもいかない状況も相まって、明確な拒絶には至らない。

 店主の困惑も最初だけで、伊沢の前に新たなカクテルグラスを置く。

「ヴェスパー・マティーニでも出せればそれらしいが、飾り気もなくギムレットでいいかな。カクテル言葉ってやつは馬鹿らしくて嫌いでね。さて、話を手短に済ませよう、なんだったら不良狩りにも伝えるといい」

「オレも神代も、007(ボンド)じゃない」

「ただいまー……っと、あー……知り合い?」

「いや、ただの腐れ縁さ。すぐに帰るよ、お気になさらず」

 伊地知の登場で、キングも毒気を抜かれたように目を瞬かせている。彼はやがて口角をわずかに吊り上げると、肩をすくめる仕草を見せた。

「とにかく、だ。ひとつ、試合は楽しみにしている。ふたつ、最近ここらに流れているモノは僕の商品じゃない。名前は『ライズ』だそうだ、まったくふざけている」

「おい、どういうことだ」

「なんだ、知らないのか? キャメロンだよ、九十四年さ。まず間違いなく、当てつけだろう」

 ふたりの会話についていけず、伊地知は助け舟を求めるように伊沢を見やる。

 伊沢もまた、どこまで話せばいいのかを決めあぐねていた。

 キングの口ぶりから、『ライズ』が何を意味するのかは察しがつく。

 ウソを意味するその名前が、かつてキングの手で下北沢にばら撒かれた脱法ドラッグ『トゥルー』にかけたものだということも。

「さて、言うべきことはそれだけだ。自分の関わっていないことで狩られるというのは、さすがに僕も困る。こちらに火の粉が降りかからないのであれば……情報共有くらいなら、できなくもない」

 シェイカーの中で、氷が弾ける音が響く。

 まるでそれ以外の音が消えてしまったかのように、店は静まり返っている。

 ふと見回せば、客は自分たち三人だけしかいないのだと伊沢も気付く。

 店長が慣れた手つきでシェイカーを傾けると、ギムレットがグラスに注がれていく。

 長い時間が流れたようで、実際にはカクテルが出るまでの、ほんの短いやり取りでしかない。

 手短で一方的な、宣戦布告ともまた違うもの。

 ひどく不愉快な後味に、自然と伊沢の眉間ではシワが深くなっていく。

「さて、健闘を祈っておくよ、伊沢マサキ。ああ、それから。邪魔をしてすまなかったね、この時間なら全員はけていると思ったんだが、予想が外れたようだ」

 振り返りもしないまま、キングは夜の街へと消えていく。

 後を追いかける気にもなれず、伊沢は出されたギムレットを一気に飲み下した。

「いや、私は別に、いいんだけど……なんだあいつ、下北って感じしねーな」

「ああ、ここらのヤツじゃないし、真っ当なヤツでもない。率直に言って、関わり合いにならない方がいい」

 卒業したはずの街に漂い始めた、不穏な空気。

 一掃したはずの『トゥルー』を思い出させる『ライズ』という名の、ドラッグ。

 あの日、キングと戦った人間であれば、その正体に行き着くまでは五分とかからないだろう。

 下北沢の夜更け、星座すら見えない暗がりで、悍ましいものは今も密やかに芽吹き始めている。

 楽しい夢を見たような熱狂のあとに、ひどく苦い後味を残して。

 初夏の、蒸し暑い夜だった。




劇場版も放映したし記念に書いていくスタイルだというのにホーリーランド主体の回、解せぬ。
やってみたかったのは不穏な空気と宴会のわちゃわちゃ感、もはやロック関係なくなってるのが一周回ってロックだと胸を張って言ってのける自分を信じろ。
バーの名前はドラマ版のバイト先だったメイド・イン・パラダイスからちょっと変えて、実際のお店は閉店済みで悲しい。
キングの映画好きアピールは非公式の独自設定だから気をつけろよ!
時間軸とかは気にしたら負け、三十代の神代ユウとか見たくない。

なんかもうこれからぼっちちゃんたち結束バンドの方々が知らないし決して見ることのない街の暗がりで一大抗争が始まりそうな雰囲気だけど、どこまでいってもコンセプトは変わらず大嘘プロローグ、プロローグとはいったい。
本編は永遠に未実装の心意気。
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