後藤ひとり、伝説に遭遇する。   作:ぐだぐだ

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後藤ひとり、喜多ちゃんと出かける。

 鈍色をした梅雨空はじっとりと重たく、線路のずっと向こうまで横たわっている。

 ガタン、ゴトン。

 ゆれる車内にも、ジメジメと湿った空気が満ちている。

 ゴトン、ガタン。

 ひとりの視界の片隅では、振り出した雨が窓ガラスでつぶれて、ななめにズルリと線を引くように垂れていく。

「次はぁ、東北沢ぁ、東北沢。降り口は右側、右側です」

 アナウンスの声もまた気だるげに間延びしていて、この季節の不快感を凝縮しているようにすら思える。

 幸いだったのは、こんな雨の日に出かける人なんてそうそういないから、車内はガラガラに空いていたことだ。

 ザラザラの座面に体重を預けていても、誰もとなりには座ってこない。

 途中駅に停車して、扉が開いても無人。

 人の乗り降りはないのに、濡れたアスファルトと土のにおいが一気に流れ込んでくる。

(雨……降ってるなあ……)

 雨音が聞こえるほどではなくとも、雨天。

 とはいえそれ以上に見るものもなく、ひとりは無言のままで手の中のスマホに目を落としてはいじくり回す。

 閉じて、開いて、また閉じて。

 何度アプリを起動しても、表示される文字は変わらない。

 

「明日は雨天決行よ、がんばりましょうねひとりちゃん!」

「あっ、がんばります」

「今日はやっぱり雨みたいだし、せっかくだから新しいレインブーツにしてみたの!」

「あっ、すごいです」

「もうすぐ着くから、先に駅で待ってるわね!」

 

 やりとりは、そこで終わっている。

 新宿に到着した時点で既読をつけてしまい、運の悪いことに乗り換えでモタついたこともあって、もう十五分はそのままだ。

 ひとりにとっては、胃が痛くなる状況である。

(……ど、ど、どう答えよう、これ……喜多ちゃん、もう着いて……いや、でも、待ち合わせまでまだ五分あるから……いや、既読スルー、既読スルーはまずくて……!)

 勝手に震える指の先では、硬い爪がスマホのガラスをカツカツとこする音がする。

 ガタゴトゆれるひとりぼっち電車は、下北沢へと進み続ける。

 考える時間も、返信の時間も、ひとつだって与えてはくれない。

「次はぁ、下北沢ぁ、下北沢。降り口は右側、右側です」

「あばばばばば」

 車掌は無情にアナウンス、リプライできずにサイレンス。

(ちがう韻を踏んでる場合じゃない、着いてしまった……もう一駅、もう一駅あればよかったのに……いや無理だよね、私そんなに頭良くないから、一駅でいい感じの返事なんて)

 モタモタと立ち上がり、重たい足取りでホームへ。

 ゴム長靴がコンクリートにこすれる音が、発車ベルにかき消される。

 一駅先でも変わらない雨のにおいが、梅雨の訪れを伝えているようだった。

 

 ひとりぼっち東京、地元とはちがう街。

 ひとりにとっては敵地であって、けれど最近は少しだけ優しい。

 そんな、ふしぎな街。

 それこそ、敵地であったはずの街で、ひとりぼっちでなくなり始めた気がするのは。

「いたいた、ひとりちゃーん!」

 きっと、見知った誰かの存在があるからだ。

「あっ、喜多ちゃん、あの、お返事できなくて、あの」

「いいわよ、気にしないで。それより、今日はどこか行きたいところってある? せっかくだから、記念になるものとか買っていきたいわね!」

「あっ、えっ、記念?」

「そ、記念。だってほら、ひとりちゃんが『一緒に行きませんか』なんて誘ってくれたんだもの。形に残しておきたいじゃない!」

 そもそもそれが誤解だなんて言い出す胆力は、ひとりにあるはずもない。

 彼女の中では、遊びに誘うための練習のつもりだった。

 

「今度、下北沢、いきませんか」

 

 グループラインで、具体的な日にちは指定せず、誰も見てないタイミングでメッセージを残しておくつもりだった。

 きちんと誘うのは、いつか、ちゃんと誘えるだけの勇気ができてから。

 そんな甘い見通しは、日輪の輝きを胸に受けた陽の者に通じるはずもない。

 爆速でつく既読、慌てた時には通知音。

 恐る恐る文面を薄目で見ると、真っ先に食いついたのが喜多郁代その人だ。

 

「ひとりちゃんから誘ってくれるなんて嬉しい! 今週の土曜日なら空いてるから、ひとりちゃんの都合がよかったら行きましょう! リョウ先輩と伊地知先輩はご都合どうですか?」

「その日はお腹痛くなる予定だから無理」

「リョウはめんどくさがってるだけだけど、私はちょっと都合悪いかも。せっかくぼっちちゃんが誘ってくれてるんだしさ、二人で行っておいでよ!」

「わかりました! それじゃひとりちゃん、駅前に十時でいい?」

「あっ、あっ、あっ、はい」

 

 あとはこれこれこのように、爆速で予定を組まれてしまったのであった。

 嫌だ無理だと言えるようなコミュ力があるのなら、ぼっちなんてやってない。

 ひとりの嘆きは誰に届くこともなく、時刻は九時五十七分。

 待ち合わせに遅れてはいないものの、待たせてしまったという焦りから、言葉がうまく出てこない。

「あっ、えっと、あの……あ、雨、降ってて……じ、ジメジメしてて……こんな日に、私なんかと一緒に、あの、……」

 うんうんとうなずきながら、郁代はひとりの言葉を待つ。

 急かすこともなく、聞き流すこともなく。

 ひとりは必死に言葉を探していたが、その間にもほほから耳、首の裏まで熱くなるのを感じている。

 焦っているからでもないし、ましてや友人と話しているからでもない。

 言葉を探しながら、ひとり自身が気付いたのだ。

 目の前に立つ彼女は、自分と一緒にいて、とても楽しそうにしてくれている。

 こんな雨の日だというのに、嬉しいと言って、記念日にしたいと言ってくれている。

 嬉しくないはずが、ない。

「わ、私も、あの……一緒で、すごく、……嬉しいっていうか……今日、ほんと、すごく、楽しみで……」

「うんうん、私もよ! それじゃひとりちゃん、行きましょう! まずは、傘を見に行くのはどう? ビニ傘でもいいんだけど、せっかくだから可愛いやつとか探しましょうよ! 私の傘も下北で買ったから、おそろいにしてみるの、アリかも!」

「あっ、へ、へへっ、すいません……お、おそろいだなんて、そんな……」

 二人そろって歩き出し、人並みのまばらな商店街を行く。

 足元は、ゆるやかな下り坂。

 雨のしずくが、アスファルトをすべるように流れていく。

 見上げれば、透明なビニールを隔てて頭上を埋め尽くす梅雨空の鉛色。

 雨粒がポツポツと降り注ぐ中であっても、心は不思議と晴れやかなまま。

「ひとりちゃん、普段はどんなところに行くの?」

「あっ、公園でダンゴムシ見てたりとか……」

「へえ、そうなんだ。でも、この雨じゃどろんこになっちゃうわね」

「へ、へへっ、そ、そうですね……あっ、それと、あの、マッスルコアラ……パン屋さん、おいしいところがあって」

「あ、この前買ってきてくれたやつね! 私も行ってみたかったから、案内してくれる?」

「あっ、はい、へへっ……」

(わ、私が、喜多ちゃんを案内……陽キャにお気に入りの店を……これってもう、私も陽キャの仲間入り……?)

 それこそ雨が降っていなかったなら、もっと寄り道ができたのかもしれない、なんて。

 そんなことを夢想するくらいには、ひとりは浮かれている。

「この先に、雑貨屋さんがあってね。この傘、そこで見つけたのよ」

「あっ、そっ、そうなんだ……わ、私も、あの、一緒で、おそろいなやつ選んじゃおうかなって……」

「うんうん、絶対楽しいと思うの! せっかくだから、リョウ先輩にも伊地知先輩にも、結束バンドでおそろいにしていきたいわね!」

「あっ、はい、そう、ですね」

(……はっ、今のって『おそろいにしたのか、私以外のやつと』みたいなセリフ、言うべきだった……?)

「あっ、おそろい、私以外と、っ」

(いやいやいやいや、これはさすがに独占欲強すぎて引かれる、引かれて警察に通報されて事案……! 危ない、私は日陰の存在なんだ、陽キャの独り占めなんて、そんな……そんな、いやぁ、そんなぁ……)

「ひ、ひとりちゃん? ひとりちゃーん?」

 困惑こそしていたものの、郁代はくすりと笑って、それきりだ。

 ひとりの奇行にもすっかり慣れてしまって、この程度ではおどろくこともない。

 むしろ、ワタワタと慌ただしく崩れてうごめくひとりの表情から、それなりに楽しんでいるのだろうと察せるだけの洞察力を持つに至っていた。

「ひとりちゃんが楽しんでくれてるみたいで、嬉しいわ。さ、入ってみましょ!」

(ど、堂々と、堂々と入る……! 今の私は、喜多ちゃんと一緒の、陽キャの一員、二人のうちの片割れなんだ……!)

 このあと入店するなり濡れた床で転びかけたひとりを、郁代が全力で助けたのは言うまでもないことだろう。

 

「かっ、かっ……買っちった……こ、こんな、こんな可愛い感じの傘を……」

「ふふふ、色違いがあって良かった! ピンク色、ひとりちゃんのジャージと同じ色だからいいわね!」

「あっ、喜多ちゃんのも、赤くて、あの、私が言うのも変かもしれないけど……似合ってると、思う……」

「ほんと? 嬉しい、ありがとねひとりちゃん」

(私そろそろ死んでるかもしれない。いや、もう今朝の時点で実は死んで転生して、リア充の陽キャとして転生してる私なのでは……?)

 ひとりが自己の存在を訝しむ最中も、雨はシトシトと降り続ける。

 店員とのやりとりは郁代に任せ、腹話術の人形になりきってことなきを得た。

 だからといってこのままではいけないと、ひとり自身も理解している。

(私、喜多ちゃんに任せてばかりだ。それでいいい、なんて言えない。次は、私がビシッと……)

 思い出す、マッスルコアラの店員の顔を。

 コワモテの、大柄な、男の人。

 即座にひざが笑いそうになるものの、懸命にこらえる。

 ちゃんと会話もしたし、おまけもしてもらった。

 目を見る自信はなくとも、会計をうまくやれそうな根拠のない自信が今のひとりにはある。

「じゃ、じゃあ、わ、私のマッスルコアラ、行く、ます!」

「うん、楽しみにしてるからねっ。それから、今ちょっと噛んじゃったでしょー?」

「あっ、い、イキって、すみません……」

「いやいや、全然平気だから! ひとりちゃん閉じこもらないでー!」

 楽しい時間は、どんどん過ぎていく。

 一時間はあっという間で、お昼時はもう目の前にある。

 だから、今度こそ。

 そう思って踏み出して、ひとりはふと、妙な音を聞いた。

 キュウとキイが混じり合ったような、嫌な音。

 それから、ガシャンと、重たい音。

「えっ、えっ、えっ」

「……今の、何の音……?」

 となりを見れば、真っ青になっている郁代の顔がそこにある。

 まるで、音の正体に見当がついているかのような、そんな表情さえ浮かべて。

「い、いってみよう、喜多ちゃん」

「そう、ね。たぶん今の、事故だと思う、雨だし……」

 不穏な単語に、ギュウと胸が痛くなる。

 道を進むにつれて増えていくのは、まばらな商店街のどこにいたのかと思うような人だかり。

 山ほどのビニール傘が行手を阻んで、それ以上は進めそうにない。

 けれど、それでも。

 ずっと向こう側に、まるで最初からそうデザインされているかのように、グニャリと折れ曲がった電柱が見えている。

 すぐとなりから、息を呑む音が聞こえる。

 自分も、そういう反応をしていたのかもしれない。

 進めなくて良かったと、ひとりは無意識のうちに考えている。

 やっと好きになり始めたこの街で、交通事故なんて見たくない。

 きっと助かったに違いないと、まるで自分に言い聞かせるようにしながら、ひとりは郁代に視線を向ける。

「い、いこう、喜多ちゃん。ここ、人がすごいし……あの、私たちじゃ、何もできないと思う、から……」

「そう、ね……無事だと、いいけれど……」

 ついさっきまで優しくなったように感じていたはずの街が、また別人のように冷たくなっている。

 今の街から感じるのは、居心地の悪さと疎外感ばかり。

 二度、三度、背後を振り返りながら、ひとりは郁代と一緒になって事故現場から逃げていく。

 その、途中で。

 ふと視線を向けた路地裏に、見覚えのある横顔を見つけて、歩き始めたはずの足が止まってしまう。

「ひとりちゃん、大丈夫?」

「か、か、か」

 言葉が、出ない。

 郁代はふしぎそうにしながらも、ひとりの視線の先を追いかける。

 見たことのあるようなないような、少し年上の、三人組。

「あの人たちが、どうしたの? ひとりちゃん、怖いなら近づかなくて平気だからね!」

「あっ、あっ、ち、ちがう、ちがうの、カミシロさん、あれ、あの、カミシロさん、です……!」

 まるで、名前を呼ばれたことに気付いたかのように。

 そうでなければ、ここで出会うことを最初から知っていたかのように。

 路地裏の神代ユウは、ごく自然な動作で振り返るようにして、立ち尽くす二人へと顔を向けた。

 目が合う。視線が絡まる。離れているはずなのに、わかる。

 ひとりの心拍数はどんどん高まって、カヒュと妙な音を立てて肺の中の呼吸が逃げていく。

 雨足は強くも弱くもない、梅雨に特有のそれ。

 痛ましい事故に、思わぬ再会に、不穏な空気。

 緊張のあまりに呼吸すら忘れてしまって、酸欠となったひとりの視界はあっという間に暗転し──

「きゃあっ! ひ、ひとりちゃん!」

「えっ」

「なんだなんだ、あの子、気を失ってるじゃねーか。おーい、大丈夫かー?」

「おい神代、さっき、名前呼ばれてたよな。おまえまさか、女相手になんかやったのか!」

「いや、し、してないよ、してないって!」

「あーもーショウゴ、ユウがそんなことするわけないだろ! いいから手伝えよ! なあ君、その子、頭とか打ってないよな? 雨に濡れちまうから、とりあえず屋根のあるところに運ぼう!」

「す、すみません、助かります! ひとりちゃん、急に気を失っちゃって!」

「シンちゃん、ここだと近いのって、土屋さんのお店とか……!」

「いやパン屋に運んだら迷惑だろ!」

「あの、それなら『STARRY』ってライブハウスの方が! 今なら準備中だし、私たち店長さんと知り合いなので!」

「あそこか、確かに近いよな。ショウゴ、こないだ行ったライブハウスわかるよな!」

「当たり前だろ! おし、神代そっち持て! せーのでいくぞ、せーのっ!」

「いいよ、上がった! シンちゃん、この子、濡れちゃうから!」

「よっし、頼むぜ筋肉当番、傘はオレに任せろ!」

「私、救急車呼びますね!」

 ──そこから目を覚ますのは、もう少しばかりあとの話になりそうで、あった。




いい加減に喜多ちゃんを出せって幻聴が聞こえたので、梅雨のじっとりした雰囲気とかそういうの気にせずきゃっきゃしてる二人とか描けたら楽しいなあ。
そんな思いで今日も今日とて平常運転、男三人組に運ばれるお神輿ぼっちちゃんの誕生。
実際にあったら色んな意味で危険だけど、話を動かすためだしまあいいか(適当)
いつ続きを書くかもわからないので先出ししておくと、交通事故は最近流行ってる悪いおくすりのせい。
キングさんはバーサーカーモードの神代くんを知ってるからね、襲撃される前に潔白を証明したいよね。
そんな感じで前回出てきた次第。

どこまでいってもコンセプトは変わらず大嘘プロローグ、プロローグとはいったい。
本編は永遠に未実装の心意気。
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