僕の名前は、クロエ・ファルティス。
その覚醒は、水面にインクを垂らすが如く、緩やかに訪れた。
ジョセフによって、ポラロイドカメラが真っ二つに叩き割られる。
微かなモーター音を鳴らしてフィルムを排出するカメラを眺めながら、ジョセフはクロエに尋ねる。
「傷口は塞がっておるようじゃが、本当に大丈夫かの?」
「大丈夫、問題ない。スタンド能力が『本』にまつわるせいかもしれないけれど、僕の身体は紙をねじ込んで置けば傷口が修復されるんです。不思議ですけどね」
「それは中々興味深いのう。……む、これは……!」
フィルムの現像が終わり、写真を持ち上げたジョセフが唸る。この建物によく似た写真。しかし、その門扉はきっちりと閉じられ、周辺の光景は全く違う。
ほとんど同じだったが──写っている角度の違いで、ここではないと分かる。
「DIOは居場所を移してたって事か?」
「そのようじゃな。ここを特定されたからなのか、それとも別の理由があるのかは分からんが……」
「……DIOはプライドが高い。そんな奴が、逃げるようなことをするとは思えないな」
それなりの期間の付き合いがあり、肉の芽に支配されていたとはいえ実体験だ。クロエの言葉にはそれなりの重みがあった。
壁に寄りかかり、クロエは腕を組んで目を閉じた。傷が回復していても、失った血液と体力は回復できない。治療とはそういうものだ、とジョセフは理解している。
「もう夜じゃ。時間は惜しいが、敵が優位になるこの時間から出るのは良くないじゃろう」
「待てよ。まさかこのまま明日の朝まで待つって言うんじゃあねえだろうなっ?」
「ワシはそれが最適解だと思っておる。承太郎達にもそう話そう。クロエ、もう大丈夫じゃ。
ジョセフが言い切るより先に、書庫が屋敷の一室に戻る。
「せっかちじゃのう、言い切るまで待ったってよかろうに。……じゃが、助かった」
「本当だぜ。あとは、そこにふん縛った奴を尋問して、DIOの居場所を聞き出さねぇと」
『
ややあって、承太郎が口を開いた。
「……違う場所か」
「よく分かったのう」
「また振り出しって事だな。クロエ、てめーは……クロエ?」
クロエは寄りかかったまま、何も言わない。
「おい……」
項垂れたままの彼に、ポルナレフはしょうがねーなぁ、とぼやいて抱えてやろうと近づく。
刺された多量出血も、あれだけ蹴られていたのだから骨折も二箇所や三箇所では済まないはずだ。体力を回復するため、眠ってしまったに違いない。
しかし。
そんなクロエの姿に、アヴドゥルは背筋に氷を落とされたような不安を覚えたのだ。全身から吹き出す汗が酷く冷たく、震える足で踏み出したとき、ポルナレフがその答えを告げた。
「な……何でだよ。何でお前……なあ。何の冗だ……」
彼が──クロエ・ファルティスの心臓が、動いていないことを。
心肺が停止しているクロエは、すぐに財団に引き渡されることになり、処置がなされることとなった。
財団職員が到着するまでの間、心肺蘇生法や波紋での手当がされていたが、その手は、足はごくゆっくりと冷たくなり、生命にあたる何かが流れ出ていくことを感じていた。
ほどなくして到着した医療車の中で横たえられた彼の身体に、次々と検査具が装着されていく。車内通された承太郎は、右腕の治療を受けながら医師の診断を待った。
あっという間に終わった検査のあとに、非常にも現実が突きつけられる。
「……残念ですが、もう助からないでしょう。血液があまりに足りません。心臓に損傷こそありませんが──」
「輸血では駄目ないのか」
「心臓が止まっているんです。心室細動さえもありません。そんな状態ではとても、全身に血を巡らせるなど……」
「……そう、か」
意外にもあっさりと、ポルナレフが医師の言葉を受け止めた。人の命とは、その手から容易く零れてしまうほど軽い。それを彼は、理解していた。
そして、普段とは正反対に、アヴドゥルが耐えかねたように怒鳴った。
「何もできないと言うのかっ。そんな事があっていいはずなどない!」
「待つんじゃアヴドゥル!」
「黙れっ。離してくれ! 邪魔するな、彼は私達の──」
「やかましい。鬱陶しいぞお前ら」
静かに苛立ちを孕んだ承太郎の声が、この場の声を打ち払った。
「一応医療施設みてーなモンだ。静かにしやがれ」
「承太郎……」
「心臓が動けばいいんだな」
「な、何を言ってるんです……?」
「俺が心臓を動かす」
この男ならできるだろうと思わせるような、落ち着き払った声。思わず、アヴドゥルは確認するように問いかけた。
「……彼を、救えるのか」
「根拠の無い気休めは言わねえ──」
助けられる、と断言して欲しいのだろう。安心を求めてしまったのだろう。だが、『命』を扱うことに、絶対はないのだ。
てきぱきと進められていく輸血の準備を見遣り、傷ついていない左腕を開く。
そして、彼は覚悟を決めたその口唇で言ったのだ。
「『