欲望の褐鉄   作:Damned

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エピローグ

 

 一九八九年・一月二十一日。

 朝まで立ち込めていた雲は空の向こうへ運ばれ、太陽が燦々と輝いていた。

 白い天井に白い壁、白いシーツに包まれた状態で、一人の青年がまぶたを開いた。

「……ッ、ふ、」

 こえが、でない。

 彼が初めに自覚したのは、喉の不調だった。

 ピッ、ピッという規則的な電子音がする。なんだろうか。悲鳴を上げる首をゆっくりと動かすと、流れていく線が何かを刻んでいた。

 心電図だ。自分の心臓の状態が映し出されている。

 しかし、おかしい。確か自分は、『書庫』に居たはずだ。身体は妙に重いし、頭は回らない。開かれたカーテンから差し込む光が、今が日中であることを伝えてこそいるが、一体何時なのだろうか。

 壁にかけられた時計に視線を向けると、『1989/1/21』と表示され、針は十一時前を指している。規則的な生活を送っている彼にとって、そんな時間まで寝ていれば寝疲れするのも当たり前である──そこまで考えてようやく、クロエ・ファルティスの思考が凍りついた。

 自分の記憶では、昨日は一月十三日。一週間。一週間も、クロエは眠っていたのだ。

 動揺のあまりベッドから転げ落ちそうになり、慌てて中心に戻ったそこで、部屋には自分以外の人間もいる事に気がついた。

 彼は小さな椅子に腰を下ろし、船を漕いでいる。

 銀色の髪を、柱のように立てた男だ。

 ジャン=ピエール・ポルナレフ。

 恵まれた体格が一部、包帯に覆われているが、間違えるはずがない。

 幾つものチューブを繋がれた腕を動かして、そのたくましい腕に触れると、ポルナレフはすぐに意識を取り戻した。

「……っ、る、……ぁえ、ふ」

 変わらず、声はかすれてしまっている。しかしそれでも、彼に伝わったようだ。

 数度瞬きしたあと、ポルナレフの青い瞳がこぼれんばかりに見開かれる。名前を呼ばれて、クロエはゆっくりと頷いた。

「……お前、」

 とんとん、と彼の手の甲を、規則的に叩く。短いタップと、長いタップを織り交ぜたその行動に、モールス信号だとすぐさま理解した。

『こえがだせない』

「一週間も寝込んでたんだ。そりゃあそうだぜ。……とりあえず、医者を呼んでくる。待ってな」

『いやだ』

 ナースコールへ伸びた手が、ボタンを押してゆっくりと戻っていく。ききたいことがある、と示されて、諦めたようにポルナレフは再度、椅子へ腰を下ろした。

「変なとこで頑固なんだな、お前」

『うるさい』

「はいはい。で、その頑固じゃないお前が話したい事ってなんだよ」

『アヴドゥルは、ほかのみんなは』

 クロエの問いに、ポルナレフは口を噤んだ。

『じょうたろうは、じょーすたーさんは、げんきなの』

「アヴドゥル、は」

『いなくなっちゃったんだ』

 正鵠を射た彼の言葉に、強く拳を握る。

 ──ポルナレフ、イギー、危ないッ!!

 そう、自身を突き飛ばした彼の声は、今でも克明に思い出せる。

「……承太郎と、ジョースターさんは、生きてる。かなり負傷してたがな」

『きみは』

「この通りだ。もう出歩いても文句は言われなくなっちまった」

『もうひとりのなかまは』

「そいつも、亡くなった」

『でぃおはたおしたの』

「承太郎が倒した。日光に焼かれて、死体も存在しねえんだと。これで終わったんだ」

『そう』

 一気に入ってきた情報に、頭が疲れてしまったのだろう。最後に短く尋ねて、だらりと手を下ろす。

『とらおむは』

 ある意味では、アヴドゥルたちの結末よりも話すことを躊躇う内容に、どう話したものか考える。クロエが受けた仕打ち──あくまでトラオム・ヴィスコンティの発言しか情報がないが──を聞く限り、かなりデリケートな話題である。

 しばし考えた後に、ポルナレフは答えた。

「奴なら……スピードワゴン財団に連行された。なにせ、司法じゃあ裁けない罪を、自分の意思で犯してたんだからな。DIOのことがなくても、いずれ捕まってたと思うぜ」

 慌てた様子の医者とナースが、ドアを滑らせて入ってくる。これから検査や診察が待っているに違いない。ポルナレフは立ち上がると、椅子を畳んで入口へと向かう。

 何か言いたげな視線が逞しい背に刺さり、そこでようやく思い出すのだ。自分が伝言を頼まれていたことを。

 

「これは承太郎からの伝言だぜ。『全部聞かせてやるから慌てるな』ってな!」

 

 彼らから全て聞くまで、彼らともう一度話をするまで。

 この物語を、終わらせられるはずが無いのだ。

 

 

 

 

 

 

「現実感」

 M県S市にある町で、一人の男性がそう呟く。

 柔らかい春の日差しの中、落ち着いた靴音を鳴らして歩く男がいた。

 この地に詳しくないと見える、細身の男。

「芸術は、抽象的か具体的かの差はあれど、神のもたらした『現実』の贋作でしかない」

 不可解で詩的な言葉を吐いた男は、一つの場所に向けて歩き出す。

「現実が霞むほどの『現実感』。貴方にはそれを、見せてもらいたい──」

 彼の名は、野瀬原黒依(にせはらくろえ)

 文字を操るスタンド使いである。

 

 

 

 

 

 

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