では。
幼い子ども二人が庵の外へ飛び出したとき、そこにあったのは睨み合う二人の大人であった。
槍を構えた黒髪の青年と、無手のまま立つ紅髪の青年二人の視線は互いに険しく、張り詰めた空気が漂っている。
「とうさま!」
二人の間で膨れ上がっていた緊張を割いたのは、子どもの片割れである幼い少女、
少年、
「とうさま、どうしてここに?」
どうしてもこうしたもないだろう、と蛍留の手を振り払うこともできず、一緒に天魔の前まで引っ張られてしまった雨亭は、顔を上げられないまま思った。
魔教の教主、
その名が本名かどうかも定かでない、魔教最強の武人である。
記憶にある人生すべてを魔教に支配されていた雨亭にとって、天魔は雷を溜めて湧き上がる黒い雷雲のように恐ろしい。
「
頭の上から響いたその声の主は、ひょいと蛍留を抱きあげる。
空になった手を引いた雨亭は、誰かにぐいと肩を引かれて下がらされた。
顔を上げれば、そこには淡々とした顔の
「し、師匠……」
「……」
天魔に向けていた槍を下ろした臨淵は、雨亭を自身の背中に回してその手の中に青白い火の玉をぽとりと落とす。
「
「取りませんよっ。鬼火モードでも天魔の眼力をどこまで誤魔化せるかわたしにもわからないのでっ。公式チート過ぎなんですよ彼は!今のわたしはただのボヤに徹します!」
「……とりあえずお前は雨亭と静かにしていてくれ。頼むから」
「はいはいっ!頼む必要ありませんよっ!」
噛み合っていないようで噛み合っている蒼姐とそんなやり取りをした臨淵は、蛍留をためらいなく抱きあげて腕に乗せた天魔へ視線を注ぐ。
雨亭も臨淵の影からそちらを見て、絶句した。
あの天魔が、美しい屋敷の中庭に雷を落として一瞬で黒焦げの廃墟に変えた暴虐の化身が、一度は妻と呼んだ女を容赦なく処断した男が、当たり前の父親のように幼い少女を腕に乗せているのだ。
表情こそ険しいものだが、纏う空気が違う。
雨亭の翠瞳の痛みは疼きへ変わり、完全に天魔から戦意が失せているのは明白だった。
ただ。
「師匠、右の楓林の中にもう一人います。……
瞳が見つけ出していた別の気配を、雨亭は臨淵に告げる。
雨亭の師匠は、露骨に顔をしかめた。
「見ているだけみたいですが、あの気配は間違いありません。それから、蛍留様をここへ送って来たのも彼だと」
「……あの狂人、余計なことしかしないのか」
臨淵の中で、胡陀は完全に気狂いになっていたらしい。
正直雨亭も同感だった。何をしに来たのかわからない。
少年の手の中で、蒼姐も抗議するように派手に火花を散らしていた。
鬼火を手に乗せて安心したように頬を緩める弟子をちらりと見てから、臨淵は天魔と向き合う。
「天魔、お前は娘を探しに現れたんだろう。彼女が手元に帰ったなら、もうここに用はないだろう。何度も言ったはずだ。俺たちがお前の娘を呼んだわけではない。彼女は自らここへ来た」
とっとと帰れと言外に告げる臨淵に、天魔もまた目を向ける。
腰にまでのびた紅色の髪、濃い金色の瞳の美貌の青年だが、実年齢は不明である。
少なくとも、百年以上はこの若々しい外見を保ち続けているのだ。武術を極めて巧力を高めた結果だった。
天魔は、ふと不敵な笑みを浮かべる。
「臨淵よ。随分つれないな」
「いきなり現れて庭を荒らしたのはお前だ。この庭、誰が毎日掃除していると思っている。裁きがないならば俺の力も要らないだろう。俺は、裁きが行われる際しかお前たちには手を貸さない」
天魔が現れた際の突風で、落ち葉だらけになった庭を指し、あくまで硬い臨淵の声に対し、天魔は鷹揚だった。
「うぁぁ……食客時代の天魔と臨淵ってこんなんだったんですか……?回想シーンよりも数段臨淵がギスってませんかこれ……まぁ、この頃の臨淵に正式な弟子はいないし……魔教もその弟子に鎖を付けて人質になんかしてませんけど……」
「蒼姐、おれたちは静かにしておこう」
「わかりましたよぅ」
雨亭と、雨亭の頭の上にぽすんと位置取りを変えた蒼姐のぼんやりした声を聞きながら、臨淵は天魔とその娘を眺めた。
夏に咲く薄紅の花を思わせる愛らしい少女と、苛烈な炎のようなその父親が、ただ世間話をしに来たとは思えない。
果たして、立ち去る素振りも見せずに天魔は口を開いた。
「臨淵、お前が鬼火憑きの小僧を我らの下から連れ出してどのくらい経った?既にひと月は経っているだろう。だがその小僧、見たところ武術の腕がまったく上がっておらず、お前は己の記憶も掴めていないな。臨淵、お前は一体、何のためにそれを手に入れたのだ?」
「……俺には俺のやり方がある。雨亭にも、彼に合った道があるだろう。師弟の話に口を出すな」
「合った道、だと。一度魔教に入った者に、戦いを捨てる道があると考えているのか?」
「ッ、雨亭は望んでここに来たわけではないだろう!それに今、彼が自由に動く術を奪っているのは誰だと……!」
槍を持つ臨淵の腕に力が入り、天魔は怒る槍使いの青年を眺めて不敵に笑う。
「甘いことだな。望む情報があるなら、小僧の四肢を一本ずつ削ぎ落とせばいいだろうに。簡単に口を割るぞ」
「ふざけるな!」
「ふざけているのはどちらだ。臨淵、お前は知るまいが、数年前、その小僧を街で捕らえる際には上級の弟子五人がかりになった。だが小僧は武術にまったく励もうとせず、挙句死人の魂に憑りつかれた。がらくたを愛でる趣味がないなら、見切りはつけろ」
え、とばかりに蒼姐が瞬き、臨淵は弾かれたように佇む少年を振り返る。
言われた雨亭の表情は、まるで別の人間の話をされているかのように反応がない。
その淡白さが、却って事実であることを示していた。
確かに、雨亭の眼と勘の良さに異常なものがあるとは臨淵も悟っていた。
回避に関しては、信じられないほどに見事な動きを見せるのだ。
受けてはならない攻撃と、受けても凌げる攻撃を見切るのも速い。そのせいか、己が傷つくことに躊躇いが薄いのも困りものだが。
だが、そこまでの出来事があったとは思いも寄らなかった。
数年前としたら、ひと月ほど前十になった雨亭は本当に年端も行かない子どもであったはず。
街の浮浪児で、ただ攫われて魔教に入れられたとしか雨亭は言わなかったのだ。
だとしても、臨淵の意志は変わらなかった。
雨亭が魔教の弟子五人を相手に立ち回っていた驚愕よりも、一人の幼子を追いかけ回して捕らえて攫った者への怒りと苛立ちのほうが上回っていた。
冷たい眼で、臨淵は天魔を見る。
「……言いたいことはそれだけか、天魔。雨亭は俺の弟子だ。手放すつもりも、傷つけるつもりもない。それに、人を見る目に関してお前の言葉を俺は欠片も信用しない。聞くに値しない。……魔教に数年も咲いていた氷花の本性を見落としていたのは誰で、見抜いたのは誰だった?」
いや煽りのエッジ利きすぎです!と蒼姐が臨淵には聞こえていない声で呟く。雨亭が、さっと蒼姐を隠すように頭を両手で押さえる。
これには天魔も微かに顔色を変えた。
空気にじわりと焼け焦げた臭いが混ざり、槍の切っ先に風が集まる。
「とうさまっ、だめっ!」
幼い声が止めなければ、そのまま小綺麗な庭は荒らされていただろう。
「とうさま、どうして!
「……いじめては、いない」
とはいうものの、天魔は娘から目を逸らしていた。
雷の気配は消え去り、槍に束ねられていた風は霧散する。
急に気が抜けた中庭で、かつんと臨淵は槍の石突で地面を突いた。
「……天魔、まさかと思うが俺の弟子への当たりの強さは、己の不甲斐なさからくる八つ当たりと、雨亭がその娘に慕われているからではないだろうな」
「……あり得ない」
「声が小さい。それからお前には言いたいことがある。お前の配下の曲刀使いが、そこの楓林で隠形している。そいつがお前の娘をここへ導いた。気味が悪いから早々に持って帰ってくれ」
「ああ……胡陀か。そう言えば、そこの小僧に執心していたか。お前も彼奴も、何故鬼火憑きに拘るのか私にはわからんな」
ぱちり、と天魔が指を鳴らす。
瞬間、庵から見えるひと群れの楓の林に雷が落ちた。空は青い晴天だと言うのに、晴天を切り裂いた紫電が落ちたのである。
どんっ、と地面が揺れ、蒼姐をいつものように肩に乗せた雨亭が少し飛び上がる。
「うわっ出ましたね天魔のピンポイント雷撃!追尾性が鬼高いやつ!でもどうせ胡陀だしきっちり生存してますよ!」
「確かに……生命の光が、消えてない。当たったみたいだけど」
「でしょ?それにしても雨亭くんの翠瞳ってこう実際に使ってるところ見たら相当ぶっ壊れ性能ですね……ていうか進化してません?さすが最高ランクの探知系護符の
はぁ、と揺らめくため息をついた鬼火と小声で話す少年へ、天魔の腕の中にいる少女がじっと熱の籠った視線を注いでいるのを臨淵は見ていた。
蛍留という名のこの少女、最初から雨亭を訪ねて来たのだ。
助けてくれたお礼を言いたいというその態度は、雨亭と同じく年齢以上に大人びて見えた。
孤高の最強の武人である天魔の腕に甘え、苛立つ彼に躊躇いなく声をかける姿は、本当に無邪気ゆえの遠慮のなさなのだろうか。
幼い少女は、幼い声のまま【父】に語り掛ける。
「とうさま、わたし聞きたいことがあったのです。どうして雨お兄さんには
「……立ち入ってはならない場所に、足を踏み入れたからだ」
「それは、わたしをあそこから助けてくれたからではないのですか?侍女にききました。雨お兄さんが
「……」
応えられるわけないだろう、と臨淵は槍を完全に引いて目の前の親子を眺めた。
どういう風の吹き回しなのか、天魔が我が子を娘として愛しているというのは真実らしい。
でなければ、政略婚の証だった妻を切り捨てて、まだ幼すぎて婚姻の駒にできない娘を守った理由が通らない。
口達者な娘に詰められて言い返せなくなっている姿は、どこにでもいる父親にしか見えなかった。
「師匠……?」
「ああ、大丈夫だ」
鬼火を肩に乗せた少年の頭に、安心させるつもりで臨淵はぽんと手を乗せた。
びく、と手の下で雨亭の体が跳ねるのを感じて手を引っ込める。
「……すまない。驚かせたか」
「あ、いえ……ごめんなさい」
お互いぎこちなく謝り合う師弟の前で、親子も言葉が終わらない。
どうして自分を助けてくれた雨亭に罪人の鎖がついているのかという娘の素朴な疑問に、天魔は応えられないままであった。
臨淵に対する人質として雨亭を縛っているのだから。
弱肉強食を掲げ、弱者が強者のために消費されることを当然と考える魔教の思想に則れば、弱者でしかない雨亭を利用することはただ有効な手段であるというだけだ。
恩義よりも天魔の中では利益が優先された。ここでは弱さが悪で、罪なのだから。
けれどそれも、天魔に娘という弱点さえなければの話。
しかもその弱点は、どう見ても一途に雨亭を慕っているのだ。
「とうさま、わたしはお兄さんの鎖を外して、なんて言っていません。理由をきいているだけです。どうしておしえてくれないのですか?……もしかして、それはそこの外の武人様のためですか?」
「……」
蛍留が示したのは、臨淵。
答えられない大人二人を前にして、少女は心得た様に胸の前で手をそっと握った。
「……わかりました」
「……何がわかったと言うのだ」
「とうさまが、お兄さんにいじわるしているということです!」
「蛍留」
「とうさまなんて知りません!そこの武人様も、どうしてお兄さんをそのままにしているのですか!武幼練大会があるというのに、お兄さんに武功も教えてないというんじゃありませんよね!」
「武幼練大会?」
何だそれは、と雨亭を思わず振り返る。
少年は、小さな声で答えた。
「魔教に所属する子どもたちだけの武術大会です。下が十歳、上が十五歳で腕を競い合い、勝ち抜けば天魔様か四大魔人様に直に対面して望みの褒美を得られます。たくさんいる子どもの中から将来有望な武人を見つけるための大会なので」
「……それは、魔教内のみのものか?」
「いいえ。外部からの参加も、推薦があれば認められています」
臨淵は瞳を瞬いた。
「勝てば得られる褒美とは何だ?お前に……自由を叶えることは可能か?」
え、と今度は雨亭が戸惑うように左右色違いの目を瞬かせる。
考えたこともなかったらしい。
基本的に年齢不相応に敏いが、己のことになると鈍さを見せるこの少年らしい反応だった。
「普通は強くなるための霊薬霊物や、武術の秘伝を要求するって聞きましたが……罪の取り消しを願った話は、聞いたことがありません」
「待ってくれ。聞いたことがないだけで、可能性はあるんだな?」
「……ある、と思います。えと、ない、と言えないだけかな。……ここは強い人が偉いから、子どもでも強いやつの願いを天魔様たちが公に退けたら、よく思わない人もいるかな、と」
自信がないのか、辿々しくなった少年の答えに臨淵は考えを巡らせる。
────では、その大会で雨亭が勝つことができれば。
「天魔、答えろ。その武術大会で雨亭が勝って自由を願えば、彼の鎖は外されるか?」
臨淵が槍を握り直して問えば、天魔は苦々しい顔で答えた。
「……ここでは、勝者にはすべてが与えられる。もしその小僧が勝ち抜いて大会の頂点に立てば、罪名は雪がれるだろう」
「言ったな。俺は忘れないぞ。雨亭も、お前の娘も、絶対にな」
天魔の黄金の瞳を見据えて、臨淵は告げた。
その後ろで、え、と固まっているのは雨亭と、その肩の上の鬼火である。
「ちょっ、落ち着いてくれませんか臨淵!待って!ストップ!その脳筋作戦ちょっと待って!この時期の魔教の武術大会って言ったら、歳上世代に怪物枠が一人絶対いるんですよ!少年時代から負け無しだったというバトルジャンキー枠が!聞こえてないんですか⁉いや聞こえないんですけど!」
焦りまくる蒼姐の叫びは、当然雨亭以外の耳に届くことはなかったのだった。
蛍留嬢は、普通にこの世界に生まれた一応普通の女の子です。安珍清姫の清姫も、生まれは普通だったように。
彼女の父はダブスタクソ親父とまでは行きませんが、ソコソコクソ親父です。
師匠は、肩に鬼火を乗っけた弟子が小動物的に毎日せっせと掃除している庭が気に入っています。