では。
「馬鹿弟子!入るときは戸を叩けと言ったろう!」
少年の宣言と
叫んだのは店の中の女。
ひゅん、と彼女は五指を伸ばして何かを放つ。
ばち、と翠眼が光る。
当たってはたまらないと掴んできていた少年の手をぐるりと捻って引き剥がし、床の上に屈んだ雨亭の頭上でごんっ、と鈍い音がした。
「いってぇぇぇ!」
額に何かを食らった少年が、ばたんと後ろへ倒れる。
うわぁ、と床に片膝ついたまま雨亭は思わず声に出す。痛そうではあるが、不思議と同情心は全然湧かなかった。
「……」
────まず、誰だこいつ?
床に倒れた少年の顔を、雨亭はしげしげと見下ろす。まったく知らない人間に見えた。
なくなった記憶の中にいたかもしれないが、こんなキテレツな人間だったら、覚えていそうな気もする。
肌が白く、目鼻立ちの彫りが深い。短く切った髪は、癖が強いのかあちこちはねていた。
歳は、初め見たときは四つ五つ上に見えたが、今は二つ三つ上に思えた。
着ている服も、確かシャツとズボンと言う名前の塵扶ではあまり馴染みがない響きのものだ。
「雨亭、大丈夫か?」
「師匠」
少年はそのままに臨淵の方へ戻ろうとした雨亭の脚を、がしりと掴む手がある。
え、と脚元を見れば、黒い手袋に覆われた少年が、爛々と光る眼で雨亭の足首を掴んで見上げていた。
「ちょっと待って……!君、名前は?ちなみに俺はク・レーニユ……!レーニって呼ばれてるよ……!」
灰色の眼に明らか正気でなさ気な光が宿っている。何なんだこいつはと雨亭はさらに引いた。何故この状況で自己紹介。
眼玉眼玉と迫って来る元兄弟子から得体の知れない怖さを引っこ抜いて、変わりに妙な情熱を詰めた感じがする。
つまり、変態の気配がするのに変わりはない。
レーニの頭を踏んづけて手を離したくなるのを堪え、雨亭は答える。
「ゆ、雨亭、だけど……」
「オッケー雨亭だね!じゃあさっそく、君の天命武器、俺が担当してもいいかな?いいよね!」
「いいわけあるか小僧!」
再び女性の怒号が飛び、その手から見えない何かが放たれる。
今度は後頭部に食らったレーニが今度こそ床に沈み、その隙に雨亭はさっと臨淵の方へ戻った。
ようやく店の中が静かになる。
ぽつり、と臨淵が口を開いた。
「……ブリギッド、出直したほうがいいだろうか?」
「待て、臨淵。その小さいのを持って待っていろ。すぐ済む」
「わかった」
来い、と臨淵に手招きされ、雨亭は店の隅に引っ込んだ師匠の隣に立った。
見回すと、建物の壁には様々な道具がかけられていた。
見慣れた剣や槍、弓もあるが、両刃の斧や矛、不思議な装飾がついた見たことのない曲がった金属の道具もある。何故か包丁や鍋、金属の円盤までもがある。
わぁ、と声にならない声を出し、目を大きく見開いて雨亭は辺りを見回す。
魔教の武器庫を掃除したことがあったが、あそこと雰囲気は似ている。違いはと言えば。
────血の気配が、しない。
武器は多いが、ここにあるものは恐らくどれも
そんなふうに感じた。
「……」
ブリギッドと呼ばれた銀の髪に銀灰色の女は、翠眼と黒眼を瞬かせている少年とそんな少年を見守っている青年をちらりと見て、目の前の人物に向き直る。
「
「それは残念だよ、ブリギッド」
ゆったりと深みのある声で応じたのは、臨淵よりも背の高い青年だった。
鵲渡と呼ばれた彼は臨淵と雨亭を見やる。琥珀色の瞳を眩しいものでも見るように細め、肩をすくめた。
「百錬工房の主殿の言葉には従おう。ただし、私もそこの少年と君の弟子には興味があるからね、しばらくいさせてもらうよ」
「……好きにしろ。ただし、お前の弟子から目を離すなよ」
「ありがとう」
ゆったりと微笑んだ青年に、蘇貞が駆け寄る。
「将軍、お話は終わったんですか?」
「ああ、まぁ今回も空振りだよ。蘇貞はそこの二人と知り合ったばかりかい?」
「……はい」
臨淵に煽られたばかりなせいだろう。
蘇貞の返事は何とも硬い。将軍と呼ばれるからには、彼が臨淵の見かけた星雲軍の将なのだろう。
確かに、文武両道を謳われる将軍に相応しい風格らしいものは感じ取れた。穏やかなのに、威圧感を感じるのだ。
想像したこともなかった人々に出会いすぎて、雨亭はそろそろ頭が停止しそうだった。
基本的に、雨亭は臨淵や蒼姐としかまともに会話していないし、それより前となると何もない。
いきなり色々と濃い面子に会うと、追いつかなくなるのだ。
普段とめどなく喋ってにぎやかな蒼姐が、徹底的に静かなのも落ち着かない原因だった。
蒼姐が入ったままの左眼に手を当てても、夜の墓場のように音がない。
無言の小柄な少年と、少年を気づかわしげに見下ろす臨淵をもう一度見てから、鵲渡と呼ばれた青年は工房の主に場を譲る。
銀の光沢がある髪を手で払い、ブリギッドは腕を組んだ。
「臨淵、随分と久しぶりだが、貴様一体今までどこで何をしていた?」
「変わっていない。旅をしながら探しものをしていた。そちらは弟子を取ったと聞いたが」
「ああ、取った。そこで伸びているそいつだ。そういう貴様も弟子を拾ったのか?随分ひ弱そうだな」
「いや、こう見えて体は頑丈だが」
「違う。そうではない。……と言っても、今のお前には言ったところで無駄か。……まったく、私含めてどいつもこいつも、図ったように小粒なのを拾って……おい馬鹿弟子、いつまで寝ている。とっとと起きろ」
立ち上がったブリギッドは、床に伸びていたレーニを引き剥がす。
べりんと細い腕一本で持ち上げられた少年は、ぱちりと目を開けた。
「あっ、先生!おはようございます!今【龍眼】を見た夢見てたんだけど」
「夢ではない、戯け。そこのそいつだ」
襟首を掴んでぶら下げられたまま、レーニは器用に雨亭の方を向く。
「あっ!夢じゃなかった!ねぇ君、雨亭だっけ?その眼のことどれぐらい知ってるんだい?」
雨亭はしかめっ面で自分の左眼を指さした。
「……これ、何か変なものなのか?おれは生まれたときからこうなんだけど」
「つまり君、本っ当に何にも知らないんだね。いいよ!説明してあげるから!……というわけで師匠、下ろしてくれない?」
「腹を空かせた仔犬のように吠えるのをやめればな。ちょうどいい。お前と、鵲渡の連れ、それに臨淵の小僧」
三人の子どもたちを順に睨めつけ、外に行け、とブリギッドは親指で扉を示した。
「六人もいてはこの部屋は狭すぎる。餓鬼はしばらく遊んでいろ」
飴でも買って遊んでこい、という女鍛冶師の言葉は有無を言わさない迫力に満ちていた。
■■■
そのようなわけで。
レーニ、蘇貞、雨亭の三人は、騒がしい街の中にいた。追い出されたとも言う。
「何で僕まで……」
「……」
「あは、まぁしょうがないよね。あそこが狭いのは確かだし。じゃあ改めて、俺はク・レーニユ。レーニって呼んで。百錬工房の主、ブリギッドの弟子で鍛冶師見習いだよ。えーと、そっちのおちびさんは?」
「……
「え、それだけ?」
「……臨淵師匠の弟子で……いや、あの……近い……」
ぐいぐい寄ってくるレーニから下がりながら、雨亭はぼそりと言う。拳を固めるのを我慢しているのだ。
そんな二人に呆れた眼をくれながら、蘇貞は肩をすくめた。
「……さっきも名乗ったけど、僕は
「護衛の割によく将軍に逃げられてるみたいだけどね」
「うるさいなぁレーニ!キミこそよく君の師匠にふっ飛ばされてるだろ!」
「俺はわかっててやってるからね!」
「尚悪いよ!」
この二人、元々知り合いなのかと雨亭は内心で頷いた。
そも、同年代と喋ったことがほとんどないのである。見た目はだいたい同じ歳周りの蒼姐はいるが、何しろ歳上の女の子だし半分亡霊だし少し違う。
じろり、と蘇貞が雨亭を見る。
「で、キミ、雨亭だっけ?さっきから全然喋らないけど、本当にわかってるの?百錬工房とかさ、ブリギッド工主の名前とかさ」
「……全然わからない。師匠の知り合いとしか聞いてない。……よければ、教えてほしい。それと、レーニ」
「ん?なんだい?」
「眼、あまり見ないでほしい。少し前に取られそうになった、から。……そいつもこの眼をよく見てきたから……だからその……見られると、怖い」
何なら、今もその辺りの裏路地からあの兄弟子が現れてやあこんにちは眼玉寄越せされるのも普通にあり得るのだ。
レーニは灰色の眼を瞬かせた。
「えっ、それはごめん!そいつ、捕まったのかい?大丈夫なのかい?」
「つ、捕まえるのはここでは無理だと思う……魔教の魔人の一人だから」
「うわ、無理過ぎる。ならこんなところにいるのはよくないよ。正教か星雲軍の領域に行くか、さっさと他所の世界へ行ったほうがいい」
「……行けるなら、そうしてる」
ずぅん、と音が出そうな落ち込んだ声の雨亭に、蘇貞とレーニは顔を見合わせた。
「……キミ、何だか事情がありそうだね。君が出ていけないのって、その脚の鎖のせいかい?」
「どう見てもそうだろ、おちびさん。脚の枷、師匠の持ってる図録で見たことあるけどさ、壊しても無視しても脚や腕が吹っ飛ぶ爆弾みたいなものだよ。何したの?」
「……魔教の弟子だったときに、入ったら駄目なところに、入ってつけられた」
「キミ、魔教の侵入の禁を破ったの?」
うん、と雨亭は頷いた。
侵入の禁をただ破っただけではないのだが、そんなところまで話す気にはなれなかった。
「入ったって、何で?盗みとか?」
「違う。……やったことは、後悔してない。でも、枷はどうにかしたい。そうしないと、師匠が自由に旅、できないから。……工房に連れてきてもらったのは、おれの武器を探すためだ。えっと……おれは【天命の器】が……おれの武器がわからないから、それを探しに、来た」
天が選んだ武器があると言われても、正直なところ期待する気は薄かった。
蒼姐や臨淵以外に選ばれたことなどないのに、今更天から与えられた物を手放しで信じられなかったから。
人に天命があると言うなら、何故親の顔も何も覚えていない道端の孤児などにこの翠眼を授けたりしたのだろう。
もっと上手く、意味あることに使える人間なんて、この天地にいくらでもいるだろうに。
何なら、胡陀に与えればよかったのだ。
あれだけ欲しがっているのだから。
雨亭が今ここにいるのは、蒼姐と臨淵が二人とも天命というものを信じているから。
他の理由など、何もなかった。
レーニは何か感じた様に頭をかいた。
「あー……色々事情ありそうなのに何かごめんね、雨亭。いきなり腕とか掴んでさ。本物の【龍眼】を見て興奮しちゃったんだよ」
「別に、いい。代わりにその【龍眼】について教えてくれるなら。おれは、聞いたことがない」
「えっ、君自分の眼のこと知らないのかい!?」
「知らない。変な力があるから何となく使えている。……危ないの、か?」
「いや、危ないって言うか……危ないの一言じゃ済まないんだよね、それ。話は変わるけどさ、雨亭、君、最近死にかけるか、死ぬかした?」
「え」
つい最近も、このままだと雨亭くん死んじゃいますっ!と蒼姐に言われたばかりである。
一番近い生命の危機といえば、胡陀に眼を抉られかけたときだし、その危険は別になくなったわけではないのだ。
「……」
「その顔だとあったみたいだね。んーぅ、となると……いや説明難しくなりそうだね。俺苦手なんだけどなぁ。金鎚振ってるほうが好きだし……」
ぶつぶつとレーニは唸りながら、首をひねる。
それを見つつ、蘇貞が口を開いた。
「話が長くなるなら、二人とも僕についてきなよ。人に話を聞かれない店、知ってるから」
「え、何それ。おちびさん、星雲軍なのに何でこの街のそんな便利な店知ってるんだい?ははぁ、さては将軍のお供で使ったね?」
「そうだけど、何の問題があるんだよ」
「いや何もないけどね。じゃ雨亭、行こうか」
「……うん」
そんなんこんなで歩き出した三人だが、魔教に近い街であるからか、やはり雨亭は脚の鎖に向けられる視線を感じた。
あまり、いい気分にはならない視線である。
臨淵に連れ出されて何回かこの街に来てはいるが、思えば臨淵から離れて行動するのは初めてのことだった。
「何か見られてない、俺たち」
しばらくしてレーニが呟き、雨亭は首を少し縮めた。
「おれの脚のせいだと思う。前もこうだったから」
「あー……ここ魔教に近いもんね。ねぇ、星雲軍の護衛さんはこれどう思うのさ。子どもが魔教の罪人にされてるみたいなんだけど」
数歩先を歩いていた蘇貞は、ふり返って鼻を鳴らした。
「……別に。キミはその枷を嵌められる原因になった己の行動を後悔してないんだろ。だったら、行動の結果も受け止めるべきじゃないかな。キミは僕らが護るべき星雲の民ではないし」
「うわー、厳しい。事情があったとか考えないの?」
「レーニ、事情があったなら何でも許されるわけじゃないのは、おれでも……知ってるよ。別に、見られるのはいいんだ。でも、二人はいいか?特にレーニはさ、商売してる人の弟子だし……」
魔教の罪人とわかる人間といて、後々面倒にならないかと聞きたかったのだがそのまま言葉にするのは何か躊躇われ、言葉があやふやになる。
そんな少年の髪を年上の少年は乱雑にかき回し、将軍の幼い護衛は呆れた顔を向けた。
「気にしなくていいって。師匠の評判が君一人でどうこうなるわけないし、いずれ俺たちは別の世界に行くしね。そうしたらこの街へも数年は戻らないからさ」
「僕は星雲軍の者だ。関係ない。キミに、他人のことに気を回している余裕があるとは思えないんだけどな」
「……そうかも、ごめん」
「すぐ謝るなよ。まったく、どうして魔教なんかに入ったんだ。そんな腰が低いキミにはさ、向いてないにもほどがあるだろ」
─────それは本当にそう。
思わず大きく頷いてしまう雨亭に、蘇貞はもう一度おかしなものを見る目を向けると、こっちだよ、と二人の少年を先導するのだった。
蘇貞、鵲渡、ブリギッド、レーニはそれぞれ神話やら物語やら歌モチーフがあります。
当ててもらえたら、作者がとても喜びます。