では。
「【
店主が蘇貞の顔を見るなり心得た様に二階の小部屋を案内してくれたところを見るに、本当に常連なのだろう。
席に着くや、レーニは待ち切れないかのように口を開いた。
「あまり知らない……と思う。数百年前にこの世界にいて、扶桑樹を護っていた。だけど、今はもういない。長命の民と扶桑樹が神の名残りだと」
「うんうん。塵扶の子どもの一般的な理解として十分だよね。っていうか、聞いてなかったけど雨亭って何歳?八歳ぐらい?」
「……十」
「えっ、小さっ」
「これから大きくなるんだ!」
何回体の小ささを指摘されるんだと、雨亭は返す。
うわ、と蘇貞が耳を押さえる。
「急に大きな声を出すなよ。キミ、やっぱり僕より年下じゃないか」
「二人とも俺よりは年下だし背も低いけどねぇ」
けたけたと笑ってから、レーニは卓に肘をついた。
「ま、いいや。ともかくね。塵扶の神は龍だった。そして、龍はなかなか死なない。何しろ、天地の霊気が集まって形を成したものだからね。傷ついても、理論上はこの小天地がある限り龍は生き続けるんだ。【天】によって【神】の役割を負う前から、塵扶の龍はそういう存在なんだよ。意識が霧散しただろう今も、その龍体は滅び切ってない。いや、滅びることができない。そうやって天地を流離う龍の欠片は、時々別の生き物に宿る形で現れるってワケ」
「……」
「混乱するよねぇ。結論を先に言えばね、君のその眼は【龍神】の一部なんだよ」
黒い手袋を嵌めた手で、レーニは雨亭の眼を指さした。
「……これ、が?」
雨亭は呆然と左眼を手で覆い、レーニは軽く頷いた。
「そ。尤も残り滓もいいところさ。精々宿った人間の天命をかき乱して、あとは龍が持っていた力を大幅に低下させて与えるぐらいかな」
「相当だよ!天命をかき乱すなんて、本来歩む道を外れた別人になるってことじゃないか!」
「落ち着きなよ、おちびさん。もー、話は最後まで聞きなって。龍の欠片が宿るのは、天命が途絶えた者だけ。つまり、
「えっ」
つまり、それは。
「……おれは、もう死んでる、のか……?」
「そう。或いは
「とっくに死んでるはずだろって言われて落ち着いていられるやつが何人いるんだ!これだからこの鍛冶バカは!……キミは、茶でも飲みなよ」
三人それぞれに茶を啜り、レーニは続けた。
「ごめん。俺の言い方が悪かった。本来ならもういなくなってるってだけで、今の君は別人だ。ちゃんと生きてる」
「それは……うん……そうじゃないと困る。……おれまで幽鬼なのはちょっと……まずい」
「知り合いにゴーストがいるのかい?君は完全に生きてるよ?……ただ、君を含めた龍を宿された者は、本来途絶えているはずの道を龍の力で繋げている。だから、龍の残滓を宿した者は平凡な生き方ができなくなる。だって、本来なら君たちは天が描いた七世界という絵物語の中に
「……」
────蝶の羽ばたきが嵐を起こす。
臨淵の言葉を、雨亭は思い出した。
【神】より上にいる【天】が定めたものが人の天命だ。
ならば、【天】とは異なる【神】、龍神の力で本来途絶えたはずの道を無理に伸ばした人々は────歪なのだろう。
「おれが……死にやすいのは、そういうことなのかな……」
無意識に呟いて、雨亭は俯く。
「死にやすい?……んー、それはちょっと正確じゃないよ。もちろん、波乱に飲み込まれてしまう者もいるけど。でも、雨亭は最近死にかけたんじゃない?……あっ、さっき眼を取られかけたって言ってたよね。じゃあ、きっとそれだ」
「……ああ、あれか」
「淡々と言わないでよ。いいかい?君はその眼、絶対手放したら駄目だ!今の君が生きてるのは、龍眼があるからなんだ」
「……」
死亡ふらぐを一本折ったと思ったら、何で二つ目が生えてくるんですか!と蒼姐は叫んでいたが、何故も何も雨亭は
肉親が一人もおらず、過去の記憶もなく、死んだ神の残滓の眼玉一つに存在を支えられているのだから、脆いに決まっている。
馬鹿馬鹿しいと聞くのをやめてもいい話なのに、やめたくなかった。
語るレーニのほうが、自信なさげに首を傾げる。
「えーと……龍眼についてはわかってくれたかな?」
「……わかった。聞きたいんだけど、龍の欠片が入った者は塵扶にしか生まれないのか?」
「そ。他の世界の神はだいたい今でも現役バリバリだからね。【天】の絵図に生まれたときから外れた存在は、いない。あとから外れた者はいるけど。……ちなみに龍神が消滅した理由はわかんないんだけど、自分の消滅と引き換えに【天】から外れた者たちが自然に生まれるようにしたかったんじゃないかって言われてるからさ、塵扶の龍神も龍の欠片が宿った者も、どっちも滅すべし!穢れた塵扶も虚海へ還すべし!みたいなヤバいのもいるって聞いたよ。まぁ、そんな【天】の狂信者はほとんど絶えたみたいだけど」
「龍神、何考えてたんだ……」
「うーん、それは俺も知りたいけど……先生でもわからないって言ってたしなぁ……あ、言い忘れてたけどうちのブリギッド先生って長生きでさ。龍神がいたときから、普通に現役で鍛冶師やってるんだよね。友達だったみたいだし。その先生も、あのバカの考えはわからんって言ってたんだよ」
バカ呼ばわりされる龍神に驚いたらいいのか、龍神をバカ呼ばわりするブリギッドに驚けばいいのか。
自分がとっくに死んでいたはずだということに驚けばいいのか。
「……」
「うわっ!」
ごんっ、と前に倒れた雨亭の額が机にぶつかる。
平たく突っ伏したまま、雨亭はしばらくじっとしていた。
いきなり動かなくなった雨亭の背中を、こわごわとばかりに蘇貞がつつく。
「うわびっくりした。ねぇ雨亭、君、大丈夫かい?」
「……」
「大丈夫なわけないだろう……僕も……龍眼なんて見たことない。ほとんどおとぎ話だと思ってたよ」
「えー、違うってアレだけ言ったろ。ねぇ雨亭ってば、キミのその眼はどんなことができるんだい?龍眼を教えたんだからさ、そっちも教えてよ」
「配慮というものがないのかキミは!」
「……いや、大丈夫。……多分」
頭が限界になってとりあえず額を打ちつけてみた雨亭は、のっそりと身を起こす。
強制的にだが、沸騰しかけていた頭は落ち着いていた。
「眼のこと教えてもいいけど、まだ知りたいことがある。さっき、レーニはおれの顔を見るなり龍眼って言ったし、天命が無茶苦茶って言ったよな?あれはどういう意味?」
「おっ交渉かい?いいねぇ。龍眼の者は幾らか龍神に影響されて思考が早熟になるって話だけど、雨亭もそうらしいね」
「いいから、教えろ」
「はいはい。えーと……雨亭の眼がそうとわかったのは簡単だよ。君たちほどじゃないけど、俺も昔、事故って天命から外れちゃってさ。代わりに人の天命が多少覗けるようになったんだよ。だから先生の弟子にもしてもらえたんだしね」
はぁ、と蘇貞が口を開いて付け加えた。
「……ブリギッド工主は、人の天命を【視て】、それに沿うた宝器を鍛えるか、見つけてくるんだ。そんなことができるのは、七世界の中でも彼女含めてほんの数人だけ。……で、こいつはその妙技に取り憑かれて弟子になった鍛冶馬鹿なんだよ。天命が見抜ける眼力も、本物なのは確かだ。将軍も認めてるからね」
「鍛冶馬鹿は俺にとって褒め言葉さ!……天命が無茶苦茶ってのは言葉の通り。俺の眼には普通の人間の天命は炎みたいに見えるんだけど、雨亭のは何と言うか……線香花火がぱちぱちしてるように見えてさ。最近一回消えかけた感じがしたし、そんなの初めてだったし、眼が綺麗な左右色違いだし、あっこれだな!って思ったんだ」
「……」
「……」
「質問はそれだけ?」
「いや。……龍の体は他にもあるのか?右眼や角や爪や牙に、舌や骨や内蔵や鱗や……生き物なんだから、ばらばらに解体できるところなんていっぱいあるだろ?」
途端、ぷっとレーニが吹き出した。
「何かおかしいか?」
「ああごめんごめん、だって君、まるで龍のことを狩りの獲物か肉屋の肉みたいに言うんだもの。この世界の神様だったんだよ?」
「生き物は生き物だろう……?」
「合ってる合ってる。確かに龍体を与えられた人間は他にもいるよ。爪を継げば片腕が巨大な龍の腕に、背骨を継げば大男になったらしい。聴力が宿ったために、耳が尖った者もいたって話だったかな?……ま、龍神が消えてすぐの時代にいた彼らは異形として殺されたり、戦に送られて死んでしまったり、色々さ。……あと、死ぬと普通は龍体も諸共消滅してまた別人に宿るんだけど、龍神を復活させたい人間や長命の民が、死の直前に取り出して集めて保管してるらしい。長い年月が経っているから、かなりの部位が揃ってるんじゃないのかな。ちなみに、龍の眼ってのは珍しい部分だよ。何しろ二つしかないから」
「……集めてくっつけたら、龍に戻るのか?」
「先生は無理だって。繋ぎになる魂がどうしようもないのに、体のみ集めてもできあがるのはただの木偶。……他所世界の言い方をすれば、ゾンビっていう意志のないモノになるらしい」
「龍ゾンビ……」
蒼姐が言っていた意味がわからない言葉の中にそんな単語があったようなと首を捻る雨亭に、レーニは軽く吹き出した。
「何だいそれ。雨亭、君さ、結構平気なんじゃない?」
「そんなわけない。でもおれはもう十年もこの眼だったんだし、どうしようもないじゃないか。死んでるはずと言われても……正直、あまり驚けない」
手元の茶碗に視線を落とす。
左右で色の違う、鋭い眼付きの少年の顔があった。
「……レーニ、ありがと、たくさん教えてくれて」
前を向いてそう返すと、灰色の眼の少年は少し気まずげに頬をかいた。
「んー、どういたしまして。結構ひどいこともぺらぺら喋った俺が言うのもアレだけどさ、色々大丈夫?ていうか、こーんな突拍子もない話、嘘だと思わないの?」
とん、と雨亭は左眼を瞼の上から叩いた。
「嘘みたいだけど嘘じゃない話をする人に、この前助けてもらったばかりなんだ」
────わたしは、未来が見えるんです!
そんなことを言って目の前に降りてきた蒼い少女の声を、聞きたいと思った。
少し笑ってから、雨亭は首を傾げる。
「最後に一個だけ、教えてほしい。……レーニは、どうしてそんなに龍に詳しいんだ?」
「ん?」
「レーニは塵扶の民じゃないだろ。なのに、龍神や龍の体が入った人間に詳しいのはどうしてだ?自分も天命から外れたからか?」
ああ、とレーニはこれまでで一番明るく笑った。
日の光が当たった水晶の結晶が内側からきらきらと輝くような、曇りのない笑顔だった。
少年はその笑顔で告げる。
「龍は、カッコいいじゃないか!」
「……ん?」
あれ?聞き間違いか?と雨亭は首を傾げ、はぁと蘇貞は額に手をやる。
レーニは、笑顔のまま口を開いた。
「一度、一度だけ俺は先生の記憶で龍を見せてもらったんだけどね!あんなうつくしい生き物を見たことはなかった!輝く漆黒の鱗と爪と牙!翡翠を磨いてできあがったような二つの瞳!水を操って自在に天地の狭間を駆ける姿!一度見たら忘れられなかったんだよ!並ぶものない龍の力を、一片だけでも持ってる生きてる人に俺は絶対会ってみたかったんだよ!神だからじゃない、龍が龍だからいいんだよ!あのうつくしい生き物の小さな欠片が入ったちっぽけな生き物が、どんな形に変化して、どんなふうに生きて、どれだけ外れたままこの世界にいるのかって!そうしたら、街中にいるじゃないか!これで興奮しないほうが無理だよ!俺にとって君は絵の中から出てきた宝箱……いや、原石そのものなんだからさ!そんな人間の宝器を鍛えて見つけて渡したい、どんなふうに君たちの運命が変わるのか、俺は知りたくてたまらないんだよ!」
「……うんそうなんだ」
────あ、龍神の鱗って、黒かったんだ。
────何となく翠みたいに思ってたな。
まずそこから始まる雨亭である。
隣で蘇貞が頭を抱えるのが見えた。また始まったと言いたげな深いため息まで聞こえる。
もしかして何か、やばいものを踏んでしまったのだろうか。
蒼姐よりよく喋る人に初めて会ったと、雨亭はぼんやりと別の生き物のように動くレーニの口を見る。
でもなぁ、とレーニのいつ止まるかわからない龍語りを聞きながら思う。
─────この早口は、蒼姐と似てる。
そう考えると何だか安心するし、落ち着いてしまうなと、雨亭はぼんやりと頬杖を突いたのだった。
蒼姐と今名乗ってる少女は腐ってはいませんが、同性同士のクソデカ感情が大好きなタイプです。