では。
「まぁあれだけ言っておいて何を今更って話だけど、俺の話信じてるの?」
「……嘘つきは、騙したい相手が信じたくなる話をするって師匠が言ってた。けど、レーニの話はおれにとって都合がいいこと、おれがまだ生きているって以外一個もなかったから。だから、本当っぽかったよ」
「その見分け方はどうかと思うよ。……まぁ、そいつの龍狂いは今に始まったことじゃないからさ、嘘じゃないのは僕が保証するけど」
「あっはっはっ。ホント俺が語ると嫌そうな顔するよねおちびさんは」
「僕は、ちびじゃっ、ないっ!」
どすん、と
結局、龍の素晴らしさについてのレーニの語りは、開いていた窓から入って来た紙製の鳥が本人の頭に激突することで終わった。
紙の鳥はレーニに追突したあとはかさりと開いて手紙になり、そこには『戻れ』とだけ書いてあったのだ。
読んだレーニは、残念そうにため息をついた。
「先生が戻って来いってさ。まだまだ俺は語れるんだけどなぁ」
「十分過ぎるよ馬鹿。これ以上聞いたら僕の耳が龍の形になりそうだ。雨亭、行くよ」
「うん」
そんなこんなで、店から街へ戻る三人であった。
歩きながら、時々左眼に引っ掛かる【痒み】があるが、そちらへ雨亭が目を向けてみれば、相手は皆剣を携えた魔教の弟子であった。
睨んでくるのは、多分臨淵が近くにいないからだろうなと思いながら、雨亭は自然に彼らから目を逸らす。
が、蘇貞にはその一連をしっかり見られていた。
「どうかしたのか?」
「……あそこの魔教の二人組、おれを見てるなって。あんまりいい感情はなさそうだけど」
「……遠くないかい?僕でも何も感じられないんだけど」
「……これがおれの
ちかちかと星のような光が奥で瞬く雨亭の翠の左眼と、星が絶えた夜空のような漆黒の右眼を見比べて蘇貞は肩をすくめた。
「伝承の龍神の千里眼
「真実?」
「どういう意味かは定かじゃない。君の場合は気配に敏感になるのかな?」
「……そんな感じだ。あと、生死や雌雄もわかる。人間かどうかも、何となく。それと、使うと腹がかなり減る」
「へぇえ、なら陰陽を見分けてるのかなぁ。ていうか、【龍眼】って体力消費するんだね。神様の力でどうにかこう……いい感じになってるのかと思ってた」
「あんまりなってない。多めに食べないと体もこのまま育たないか、小さくなるかもしれないって言われた」
「ふむふむ」
一瞬顔をしかめた蘇貞と逆に、にこにこしながら小さな紙の束へ雨亭の話を細かく書くレーニである。
蘇貞に言わせれば鍛冶馬鹿の龍気狂いなこの少年は、店を出て雨亭が翠瞳の話をするとずっとこうだった。
一言も聞き漏らしたくないのか、細かく書いてはまた聞きたがるのだ。
時々暴走したようにめちゃくちゃ語りまくる
それもあって、レーニの暴走牛のような話も割合ふむふむと雨亭は聞いていた。
蒼姐より意味がわからない単語の数も少ないから、聞きやすいくらいなのだ。
途中でレーニが寄り道して買った串団子を食べながら、元の百錬工房へ戻った彼らの目に入ったのは。
「師匠、どうしたんですか?」
雨亭以上に、ずぅんと音が付きそうな重たい気配の
正確に言うと、顔色や表情は常とほぼ変わらない無なのだが、雨亭にはそれが沈んでいる顔だとわかった。
「……雨亭か」
雨亭が初めて作った、べちゃべちゃで芯が残って一部黒焦げになった粥を食べ切ってくれたときのような顔の臨淵に、雨亭のほうが驚いた。
「師匠?変なものでも食べました?団子食べます?甘いですよ?」
「……食べる。いや一つでいい。待て。待て待て待て。全部渡そうとするのはやめろ。串ごとは駄目だ。お前のだぞそれは」
「そうですか……」
椅子に腰掛けたまま、弟子から団子を一つ口に放り込まれて素直に咀嚼する臨淵を見て小さく
「臨淵貴様……十にもなってない小僧に気を遣われているのか……?」
「……」
目を逸らした臨淵に、ブリギッドは舌打ちで返した。
「おい臨淵のところの小僧、正直に言え。こいつは未だに朝に弱くて布団の中でぐずつくのか?」
「え。……師匠は目覚ましって道具で起きてますが……」
その目覚ましも最近は効かなくなっているのか、雨亭と蒼姐が起こしにかかっているのだが、言わないほうがいいだろう。
くくくと肩を震わせている将軍殿は、どうやら欠片も仲裁する気はないらしかった。
そんな大人二人を見上げて尋ねた。
「あの、すみません。師匠はどうしてこんなに落ち込んでるんですか?」
「ああ、それはね。工主が君の、つまり弟子の瞳のことを教えたからだよ、【
「……」
にこり、と微笑む鵲渡に何か底知れないものを感じて、雨亭は思わず近くにあった臨淵の服の袖を握る。
おやと星雲軍の将軍は目を細め、鍛冶師の女は真っ直ぐに少年を見下ろす。
「臨淵の小僧……雨亭と言ったか。貴様もレーニから話を聞いたのだろう。龍の残滓、神骸の欠片、【天】から外された己の道。……それを聞かされて、貴様はどうする?何を想った?」
どうする、と問うブリギッドの眼は、鋼のように冴え冴えとしている。
大層な答えなどないまま、雨亭は口を開いた。
「……生きたい、です。死んでいるはずと言われたのは、正直……わかりました……」
掠れて朧になった記憶の中、それでも幾つか残る棘がある。
野良犬の牙が掠めた痛み。
しんしんと全身に降り積もる雪の音。
泥の中から拾って齧りついた饅頭の味。
殴られた頭からぬるりと零れた血の臭い。
眼に突きつけられた刃物の光。
忘れかけても、消えかけても、あれらは泥の染みのようにこびり付いている。
いたはずの親の顔や気配やぬくもりは、何も覚えていないのに。
死んでいるはずの人間。
或いは、生まれるはずがなかった人間。
【天】の描いた七世界という絵図から消えているべき、神の骸に生かされた者。
それらの言葉は、あの棘の記憶を思い出せばすとんと胸に落ちて来た。
ああ、そうだろうな、と。
自分の道はどこで途絶えていてもおかしくなかった、と。
理解できないから頷いたのではない。
自分が死んでいるはずだったという言葉は、真っ直ぐ石のように胸の奥まで落ちてきて、少年はそれを受け止められた。
何か一つ、小さな違いがあれば【雨亭】はここにいなかった。
或いは、別の誰かがここにいた。
でも、と雨亭は思う。
そうはならなかったのだ。
ならなかった事実が、最も大事なのだと。
────君がちゃんと君のまま、大人になる方法を考えましょう!
────お前は、罰せられるようなことは何もしていない。……よく頑張って生き延びたと、思う。
そう言ってくれる誰かと出会えた。彼らは、雨亭がいいと言ってくれた。
生命は軽く、代わりはある。
この世界に、本当の意味で替えのきかないものはきっと一つもない。
だけど、それでも、自分にはそう言ってくれる出会いがあったから。
だから、まだ生きていたいと思うのだ。
とはいえ、そんな思いのすべてを口にできるほど少年は口が回るわけはなく。
結局、俯いて黙り込んでしまうのである。
尚、ブリギットの眼力も普通に怖かった。
レーニの話では軽く数百年、今の二十代半ばほどの見た目で生き続けているようだし、確実に人間ではないだろう。
そもそもブリギットとどういう知り合いかという説明を、臨淵は丸ごとすっ飛ばしてここにいるのだ。
遠慮して聞けなかったのは、雨亭だが。
────師匠は早く戻ってくれないかなぁ!
何故臨淵が凹んでいるのかがあまりわからないので何とも言えないが、一体どう話を聞いたのか。
言いたい言葉がわからない少年は、無言で師の服の袖を引く。
「……」
とす、と臨淵の手が雨亭の頭の上に乗る。
そのまま無言で弟子の黒茶の髪を手でかき混ぜる臨淵と、黙って目を閉じる雨亭を見て銀の髪の鍛冶師は天を仰いだ。
「……はぁ。レーニ、お前【龍眼】について小僧に説明をしたのだな?」
「したよ。あとね、雨亭は十歳だから先生が思ってるより話の意味わかってるよ。でも【天命の器】の話は全然できてないけど。ねぇ先生、武器庫の鍵貸してよ。俺が雨亭の武器選びたい!それか造りたい!」
「却下だ。【
「何でぇ!」
あ、と。
雨亭は鍛冶屋師弟の会話で思い出す。
瞳の話ですっかり飛んでいたが、そもそも雨亭がここに来たのは天命に沿った武器を見つけるためである。
が、レーニの話からすると雨亭は龍の瞳が宿って生き延びた代わりに天命が途絶えている。
となると。
「龍の欠片で生きてるなら、【天命宝器】がない……?」
「いや、そんなことはないよ。だろう、臨淵殿」
「……ああ」
臨淵はあっさりと頷いた。
どうやら子ども三人が工房から出て行ったあと、【龍眼】についてブリギッドが臨淵に説明していたらしい。
知っていて【龍眼】という爆弾を弟子にしたのかと思いきや、全然知らずに天魔に啖呵を切ってまで引き取ったとは乾坤一擲の
しかもその後も、長命の民が見ればそうとわかる龍眼を隠しもせず放置していたのかと、これまたブリギッドに詰められた。
散々言われて素直にもベッコベコに反省して凹む辺り、この師匠色々と大丈夫だろうか。
嘘が見抜けるからブリギッドの言葉が真実と理解し、すべてまともに受け止めたからこうなったのだろうが。
「師匠も知らなかったんですね……」
「龍神は塵扶の神だからね。他所の世界では死した神としか捉えられていないし、旅をしていた臨淵殿が知らないのも頷ける。龍がこの世界から消えて七百余年。龍の何たるかを知る者も減ったのだよ」
「……でも、今でも取り出された龍の一部はある、んですよね?」
「ある。尤も、そちらは龍に仕えていた長命の民の中でも、特に強力な力を持つ仙人たちが護っているからね。我ら星雲軍も関われない。……君にも、いずれ彼らから接触があるかもしれないね」
「えっ」
固まる雨亭に蘇貞が肩をすくめた。
「何で驚いてるんだよ。レーニが言ってただろ。キミに入ってるのは龍の瞳だぞ。元々二つしかないんだ。五体を揃えて弔うにしろ、龍体を繋げて復活を望むにしろ、片眼がないままでいいと思うかい?」
「……思わない」
「だろう?……でも、仙人は殺生を好まない。さすがに、生きてるキミの眼を寄越せ差し出せなんて無茶は多分言わないはずだよ」
「そこは絶対言わないって言ってほしいんだけど」
「仙は僕たちにもよくわからないんだよ……!僕や将軍も彼らと同じ長命の民だけど、生きてる桁も生き方も違いすぎて、ほんっと意味がわからないやつは本気でわかりあえないんだ!」
「蘇貞、そう怒っていては、あの苔生した木石が動いているような御仁たちとは付き合えないよ」
さらりと、鵲渡が言う。
仙とは話が通じないと貶していないだろうか。
「死んだあとなら体をどうされてもいいですけど……本当に生きてる間は取りに来ないんでしょうか……」
「龍神の力で悪逆無道を成せば仙人たちは相応の罰を下しに来るけれど、君にはそのつもりがあるのかい?」
「……え?……あの、具体的には、何をしたら仙人様たちの基準でだめになるんですか?」
飢え死にしそうになったとき、憂さ晴らしで人を殴って来る酔っ払いの饅頭を盗って逃げたのは駄目なのだろうか。
左眼で店主がどこから来るのかを察知して逃げ切ったのだが、あれも駄目なのか。
仙人が、濁世の事情をどれほど把握しているかは知らないが。
どのみち、やったことは取り消せないだろう。
そう思う少年をどう取ったのか、鵲渡はまた笑った。
「具体的に何の悪事か、ね。そう問い返す君ならば、師の教えを守っていれば問題はないさ。だろう、臨淵殿?」
「……言われなくとも、眼を奪わせるつもりはない」
「ならば気を配れと言っているのだこの唐変木。魔教は精々この三百年で台頭した者共だから龍眼をろくに知らなかったのだろうが、勘の良い者ならば何かが違うと気がつくぞ。引き取ったならば最期まで面倒を見る気概を得て、身を護る術ぐらい与えろ」
「……それを求めてここへ来たんだが」
「そうだな。その心がけは正しい。だが臨淵、貴様は師を名乗るには前提の知識が無さすぎた。記憶喪失という点はあるにしても、だ。だからこうして先に話をした。納得できたか?」
人差し指を心臓へ向けられ、臨淵は深く頷いた。
「……理解も、納得もした。感謝する、ブリギッド」
「ふん。先に、貴様が私の生命を助けた借りはこれで消えた。忘れるなよ」
「ああ」
間髪入れない臨淵の返事に頷いたブリギッドは、じろりと雨亭を見下ろす。
銀の髪の女の視線は、鋭かった。
鍛え上げられたばかりの鋼の刃のように真っ直ぐで、曇りがない。
数秒、少年を見下ろしたあとブリギッドは五指を開いて腕を真横へ伸ばす。
その手に招かれるように店の奥から飛来したのは、白銀の弓である。
弓弦までもが白く輝く弓の先を、ブリギッドは雨亭へ向けた。
「旧友の誼だ。小僧、私がお前の途絶えた星を一時呼び覚ましてやろう」
そのためには、と彼女は一度言葉を区切る。
「しばし私と、生命のやり取りをしてもらおうか」
月光を武器の形にしたかのような長弓が、薄暗いランプの灯りに照らされてぎらりと光った。
雨亭の左眼はきらきらしてますが、自前の右眼は基本ハイライトありません。