推しの生命が儚すぎる by亡霊系転生者   作:はたけのなすび

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では。


16話

 

 

 白銀の弓を向けられた少年の答えは、実に単純だった。

 

「あの、あなたとおれでは殺し合いにならずにおれがすぐ終わるかと……」

「当然だな。単に殺し合うぐらいの気概でやらねば意味がないという話だ」

 

 長弓を下ろさず、ブリギッドは半ば呆れたような顔を雨亭(ユウティン)へ向けた。

 

「お前は、さすがに臨淵(りんえん)の弟子だな」

「はい?」

「言葉に裏が少ない。或いは無い。かつ、やらんでもいい馬鹿正直で他人の言動を受け止めて、真面目に理由と意味を問う。その足枷も、どうせろくでもない因果で嵌められたのだろう」

「……」

 

 ああ、全然褒められてないなぁとさすがに察した雨亭は、気まずくなった。

 

「しかも、内側に別人を入れるとはな」

「え」

「天命を測る私の眼から隠せると思ったのか。左眼に入れているそいつを出せ。武器の選定が滞る」

 

 臨淵と雨亭は同時に固まる。

 その顔を見て、雨亭は臨淵が蒼姐(ツァンジェ)のことを言っていないのを察した。

 ブリギッドやレーニはともかく、鵲渡(じゃくと)蘇貞(そてい)が蒼姐をどう捉えるかはわからない。

 出てきて、の一言が雨亭の喉でつかえたとき、翠の左眼から蒼い光が勢いよく飛び出た。

 

「はい出ますっ!出ますからストップ!雨亭くんに武器向けるのはやめてくださいよっ!」

 

 黒髪と衣の裾をふわりと翻し、半透明の少女が雨亭の眼から現れる。うわっ、とレーニと蘇貞が同時に声を上げた。

 鵲渡(じゃくと)はほう、と喉を鳴らし、ブリギッドは雨亭に向けていた弓の先を微かに下げて、眉を跳ね上げる。

 

「小僧の霊性が弱かったのはお前が原因か。死魂……いや、半死魂を取り込んで相殺させていたからとはな。何だ、自分の体へ帰れなくなって小僧に間借りしていたのか?」

「わたしは間借りしなくても存在は保てますよっ!でもさっき霊力で撃たれましたから!だから隠れてたんです!わたしは蒼姐(ツァンジェ)と言います!よろしくお願いしますね!」

 

 ブリギッドは細い顎を軽く引いた。

 

「ああ。私はブリギッド。工房の主だ。……ああ、お前は龍眼にだけ宿っていたのか。魂が落ちている龍の骸だけに入れば、確かに小僧の体に魂が二つあっても何も問題はあるまい」

「なんっであなたそこまで見抜けるんですか!眼力高すぎですよ!あと、わたしが雨亭くんを傷つけるわけありませんからね!」

「ははは。随分元気な娘だな。が、私を誰と思っている?」

「うわぁ、これ以上無い説得力です……」

 

 床から浮いたまま、蒼姐は雨亭の両肩に両手を乗せている。

 

「あ、お前はあの……!」

「ん?」

 

 声を出した蘇貞の方を向き、蒼姐の瞳が大きく見開かれた。

 

「あーっ!その霊性!あなたわたしに霊力の剣投げた人でしょ!ひどいじゃないですか!わたし何もしてないのに問答無用で退治しようとするなんて!」

「まっ、真昼間からあんなふうに暴れてる人魂がいたら危険だろ!僕の剣は絶対当たったのに、どうして平気なんだよ!」

「ははんっ!お生憎様です!今のわたしの三下霊格でも、今のあなたの攻撃ぐらいは耐えられますよ!だいたい髪を掠めただけで、まともに当たってませんしね!滅したければ額か心臓をきちんと狙いなさいじゃじゃ馬さん!」

「何だと!」

「蒼姐……!」

 

 腰の剣に手をやりそうな蘇貞と、元気に鼻で笑った蒼姐に挟まれた雨亭である。

 ちょっと待ってと、雨亭は蒼姐の手に手を重ねた。

 

「確かに蘇貞もいきなりだったけど、蒼姐もあのときは高く飛びすぎてただろ。師匠もおれも目立つから止めたのに」

「あう」

「人魂が荒らぶっていれば普通は警戒する。雨亭のように、無警戒にお前を受け入れるほうが例外だと俺も言ったぞ」

「で、でも、魔教内ではわたし結構スルーされてたのに……」

「おれは彼らにとって元からどうでもいい餓鬼だし。どうでもいいなら、死魂憑けてても無視するだろ?」

「あそこは基本的に己の強さにしか興味がない集団だとお前も知っていたはずだろう。蘇貞の行動が一般的な塵扶の人間の反応だ」

 

 しゅん、と小さくなった蒼姐は、ぺこりと蘇貞に頭を下げた。

 

「……ごめんなさいわたしがやらかしました。蘇貞──くんもすみません。ですが見ての通り、わたしは超無害なのでもう退治しないでくれると有り難いのですが?」

「……」

「蘇貞。こうして間近で見ればわかったろうが、彼女は陰陽も狂っていない正常な魂だよ」

「……わかってます、将軍。でも、僕は謝らないからな!」

 

 つん、と剣の柄から手を離して横を向いた蘇貞を見つつ、あちゃあとばかりに蒼姐は額に手を当てる。

 

「はははっ、随分愛らしく愉快な娘とともにいたのだな、臨淵に小僧。おい娘、どこを彷徨っていたんだ?」

「ぇ?魔教の山の中ですが?」

「ほぅ」

 

 ブリギッドが今まで一番上機嫌になっているのは、雨亭にも感じ取れた。

 心なし、口調までやわらかくなっているし、蒼姐へ向ける視線からは険が取れている。蒼姐は青空みたいに綺麗だからなぁと思う雨亭の肩を、突く手があった。

 

「ちょっとちょっと、雨亭」

「?」

 

 レーニは、雨亭の耳元で声をひそめた。

 

「あのさ、先に忠告しといてあげるけど、うちの先生って結構な男嫌いなんだよ。臨淵さんとか将軍さんは恩があったり古い友達だったりで例外だけど。あと、おれたち子どももね」

「……うん」

「で、先生はかわいい女の子がすごく好きなんだ。特に黒髪に蒼い眼の一途な性格の娘が一番ツボみたいで」

「……うん?」

「鈍いなもう!君の姉さんは先生の好みなんだよ!気をつけろってこと!」

「な、何に……?蒼姐の瞳は青くないのに……」

「そんなの自分で考えて!とにかく先生のあの目はただ事じゃないから!弟子の俺が保証するから!」

「おいそこの小僧二人、何をごちゃごちゃ言っている。レーニ、武器庫を開けてこい」

「何でもないです先生!行ってきます!」

 

 ブリギッドに二回も霊力らしい何かで叩かれても平気な顔をしていたレーニが飛び上がり、投げられた鍵を手に店の奥へ脱兎の如く駆け出す。

 と言われても、何をどうしたらいいか全然わからない雨亭である。

 蒼姐を見上げると、艷やかな黒眼と視線が合った。にこ、と笑った蒼姐は、一同を見渡した。

 

「えーと……さっきも言ったようにわたしは蒼姐と申します。しがない浮遊魂です。雨亭くんの眼の中にずっといたので話は一応理解できてるんですが……武器選びのときは出ておいたほうがいいんですね?」

「ああ。体と分かれても天命がまだ絶えていないらしいお前がいると、混ざる。小僧からは既に天命が落ちているが、最も適する武器を私が出会わせてやろう」

「あー……なるほど、天命宝器が壊れちゃったり、なくなってしまった場合とある意味同じ処置ですね。古今東西の武器から最適値を選ぶという力技というか……保有武器量勝負的な?」

「よく知っているな」

「ちょっと昔に知識だけはあるところにいたので。個人的には……選定のやり方は正直どうかと思いますけども。生ける無限武器庫のようなあなたにしかできないような方法ですし……あなたの宝器って自作の弓ですよね?ハリネズミにしてきそうじゃないですか」

「雨亭、蒼姐。ブリギッドはしてきそうじゃない。してくる」

「え、師匠されたんですか?」

「……」

「されたんですね臨淵。何してるんですかもう!」

「……後で説明する。蒼姐、雨亭がいない間は俺のところにいるか?」

「ゔぃっ!」

 

 久しぶりに聞いた変な声を出した蒼姐は、それでも頷いた。

 くるんと猫のように宙返りし、少女の形から鬼火の形へ転身する。この場の全員に姿と声が人に見えるようにするのは、やはりいつもより疲れるのだろう。

 鬼火の形になった蒼姐は、ふよふよと漂うと臨淵のつむじの上にとすんと落ち着いた。

 

「雨亭くん、わたしはここにいます。……あの、その、大変なことになると思いますが頑張って下さい……!本当に、ほんっとうに怖くなったら、わたしや臨淵の名前を呼ぶんですよ!絶対駆けつけますから!」

「ん?……うん、わかった。ありがとう、蒼姐」

「ちゃんと呼ぶんですよ!」

「わかってるってば。蒼姐こそもう荒ぶったら駄目だからな」

「うぁー!逆に忠告されるとは!やらかしが痛いですぅ!」

 

 狭い瞳の中にいた反動なのか、鞠のようにぽんぽんぽぽぽぽんと頭の上で飛び跳ねる鬼火を、臨淵が摘むように掴んだ。

 

「蒼姐、荒ぶるなと言われたばかりなのに俺の頭の上で跳ねるな」

「あぅ、すみません」

「臨淵殿、ほんとにそいつ悪鬼じゃないんですよね……?もの凄く跳ねてるけど……」

「……猫の毛玉のようなものだ」

「臨淵、貴様相変わらず女性へ向ける喩えの素養(センス)がないな。……では、お前の弟子を少し借りるぞ」

「うわっ」

 

 襟首を掴まれて、雨亭の足が浮いた。

 猫のようにブリギッドの手で持ち上げられたまま、雨亭は臨淵と蒼姐を見る。

 ひらひらと手を振ると、臨淵は小さく振り返し蒼姐はぱちぱちと瞬いた。

 

 いってらっしゃいと言われているようで嬉しいなと、雨亭は小さく笑った。

 

 

■■■

 

 

 店の奥にある通路の先には、レーニがいた。

 自身の弟子の少年の姿を見るや、ブリギッドは雨亭の襟首から手を離した。

 その手にあるのは、ブリギッドと同じ弓。ただし、白銀の弓と異なり漆黒に塗られていた。

 

 周囲と同じ、光を通さない闇である。

 

「やっ」

「や?」

「おっ、平気そうだね。びっくりするかと思ったんだけどな。だってここ、明らかに表の店と空気が違うだろ?」

 

 レーニの言うように、ただ店の表と扉一枚で隔てられているだけの奥は、空間そのものがまったく異なる気配を放っていた。

 まるで、異なる世界へ迷い込んでしまったような気さえしてくる。 

 まず、暗いのだ。

 靴の下に踏みしめているのが石の床ということはわかるが、あるはずの石壁も床も、見えないのだ。

 だというのに、自分の体やブリギッド、レーニの姿は見える。

 漆黒の海の中に浮かんでいるような空間で、雨亭はレーニの言葉に首を捻った。

 

「空気?……空気っていうか……何だろう……空間……世界……もっと深い、何かが……?」

 

 異様に炯々と輝き始めた左眼と、光のない右眼で雨亭は上を見上げる。

 そこには、無数の星のような光が浮かんでいた。足元の何もない漆黒と比べると、まさに正反対である。

 上を見て動きを止めた雨亭にレーニは笑顔を向けた。

 

「お?何を感じてるんだい?感じてるんだよね?だって君の瞳は龍のだもの!俺にも教えてよ!」

「戯け。あとにしろ」

 

 すぱん、と白銀の弓を手にしたブリギッドの手がレーニの額を引っ叩く。

 

「あいたっ!わかったよもう!じゃ、頑張ってね、雨亭!」

 

 レーニは虚空で何か鍵を捻るような仕草をした。

 かちり、と錠が外れたような音が響いた刹那、再び周囲が変化する。

 銀砂をちりばめた空が足元へ、漆黒の闇が頭上へ。

 天地が逆さまになり、周囲が急に明るくなったことに雨亭は目を丸くした。

 

「美しいだろう?この光一つ一つが、謂わばこの七世界の【天命】だ」

「え」

「ここはな、七つの世界が浮かんでいる虚海を模した空間だ。私が千年ほどかけ、友の手を借りて造った。ここには私が集めた宝器、手がけた宝器のすべてが収められている」

「……倉、みたいなものですか?」

「そうだ。店の面に出している品々も、ここから適当に拾い上げている」

「こんなに規格外なことやってても、客商売なんだよねぇ。商品の展示もきっちりしないといけないんだよ。……まぁ先生は接客態度が息していないとき多いけど」

「私が見出し、或いは手にかけた宝器を半端なものに与えられるものか。却ってそいつの破滅を齎す結果になりかねん」

 

 鼻で嗤ったブリギッドは白銀の弓を構えた。

 何もなかったはずの弦に矢が添えられ、鏃が雨亭へ向けられる。

 

「……氷?」

「ああ。よって矢が尽きるのを期待するなよ。さぁ、お前の下へ星を招いてみせろ」

「っ!」

 

 瞬間、雨亭は首を傾け顔を背けていた。

 頬を掠めて矢が飛び、続けて額を狙って来た矢は屈んで躱す。

 足元へ三本飛来した矢は、手で跳ねて大きく横へ跳ぶことで避けた。

 

 一息で二矢、次の息で三本の矢を同時に放ったブリギッドは意外そうに目を瞬く。

 

「小僧、お前案外よく動くじゃないか。動きの基礎は臨淵に叩き込まれたのか?」

「師匠の槍を、躱して、ましたっ……!」

 

 喋る間も、矢が止まらないのである。

 突き刺さった矢は瞬時に消え、同時に周囲を凍りつかせる。

 ブリギッドの矢は、掠れば凍傷、当たれば氷像の攻撃を放った冰蘭華(ひょうらんか)を思い起こさせた。

 

「氷巧……!」

「それは塵扶の言い方だな。我々の世界では魔力と呼ぶ。ま、呼び方など上っ面だ。どうでもいいだろう。そら、避けるだけでは星は応えて落ちて来てはくれんぞ。限界を見据え、己の本質を掴め」

 

 簡単に言ってくれる。

 氷の矢は当たれば確実に動きを凍結させられ、掠るだけでもその冷たさで意識が割かれる。

 意識して使えば、恐ろしいほどの速さで体力を削る翠瞳を使い続ければどうなるかなど、雨亭はよく理解していた。

 眩暈、吐き気、空腹、喀血、血涙、気絶で何度泥水を啜ったかもわからないのだ。

 

 ────右、左、左、上……背後っ!

 

 空中で氷の矢の軌道がねじ曲がり、背中に冷気が迫る。

 屈みこんで前転し、立ち上がったその視界には鋭い鏃が迫っていた。

 

 ────回避……!

 

 無理だ、と頭が判断する。

 

 ────刺さる……!

 

 ぱき、と睫毛が凍りつく音が聞こえた。

 周囲の音と光が、急に引き延ばされたように鈍くなる。

 ここで怪我をすればどうなるだろう、という思いがふと頭を過った。

 最初に浮かんだのは、蒼姐の怒った顔。

 雨亭の体に今も残る傷跡の、その一つ一つを見る度に見開かれた黒い眼。

 次に浮かんだのは、臨淵の顔。

 最初に出会った日、怪我を手当てしてくれたときの、あの何かに耐えるような真一文字に結ばれた口。

 

 痛みを、受け入れて───痛みに、耐えるだけなの、は────おれが、傷つくのは。

 

 ────きっと、()()なんだ。

 

 流星のような想いが脳裏を駆け巡る。

 靴の下で輝く無数の光の中、一つが眩く輝き、砲弾のような勢いで飛び上がる。

 光は雨亭の目の前へ踊り出で、今にも雨亭の左眼を穿つ寸前にあった氷の矢を弾いた。

 キン、と甲高く鳴り響く音。

 鈍く進んでいた時間が、急に元の速さとなる。

 

「雨亭、それを掴んで!」

「!」

 

 鞭打つようなレーニの激しい声に、雨亭は考える前に手を伸ばしていた。

 【それ】がしゅるりと動き、手首へ巻き付く。

 

 ────冷、たっ───え、水……蛇?

 

 触れた雨亭の指先と巻き付かれた腕に、冷水のような感触が走る。

 しかし、【それ】が何か雨亭には見えなかった。光が強すぎて形が捉えられないのだ。

 

「な、何、これ────っ!」

「わからない!けどそれは君のものだよ!どうにか動かしてみて!」

「どうにかって……どうやって!?これ何なんだ!」

「私を前にして会話するとは余裕だな、小僧ども」

「どこをどう見て余裕があると思ってるの先生!雨亭を氷にする気かよ!」

「力が無ければ、そうなるだろうな」

「先生!」

 

 言い争う師弟の声を聞きながら、腕に巻き付いた【何か】を大きく雨亭は振る。

 動きに合わせて空中に蛇のような水が走り、三本の氷の矢を飲み込んで落とした。

 

「えっ」

 

 誰よりもそれを成した雨亭が驚き、見ていたレーニは拳を握る。

 

「よしっ!雨亭!次はそいつの名前を呼ぶんだ!名付けしなきゃそれは()()()()()!」

「な、名前……!?い、今、つけろ、って言うのか?今、こ、こで!?」

「そう!頑張って!」

「さっ、先に、言って、ほし、かった、んっ、だけどっ!」

 

 一層激しくなった射撃に狙われつつ、跳び避け、屈み、蹴りで軌道を僅かに変えて矢を防ぎながら、雨亭は吠えるように叫び返す。

 何をどう頑張れと言うのだ。

 右腕に巻き付いた【何か】は、感触では蛇のような形をしている。

 それはブリギッドの矢を弾き、或いは飲み込んで落としていた。

 だが、雨亭が腕を振って操ろうとしても軌道が歪む。

 のたうち回る魚のように激しく暴れ、まったく思うように動かない。

 全身を振り回され、その場に転んだ雨亭の鼻先に矢が突き刺さった。

 続けて飛んだ矢が衣の裾を縫い留めて凍りつき、雨亭の動きを止める。

 

「小僧、見てわかるようにそれはお前の水の霊性を纏っている。御せ」

 

 とんっ、と床を軽く蹴り、己の身長を軽々と超える高さに飛び上がり、宙で静止したブリギッドが弓を半月に届くほど引き絞る。

 その背後に、三十数本の氷の矢が出現した。

 青く透き通った鏃のすべてが雨亭に向けられている。

 左眼は痛いほどに脈打っているが、避けられる範囲でないのは一目で理解できた。

 

「さてどうする?これは弾けまい、小僧」

「……!」

 

 弾く以前に動けないのである。

 歯をきつく食い縛り、雨亭は自分の腕に視線を落とした。

 灯りのように眩く輝くそれはひやりと冷たく、縄のように絡みついている。

 

 ────な、名前……名前ってなに……!

 

 蒼い少女に貰った名、雨亭(ユウティン)

 蒼い少女に贈った仮名、蒼姐(ツァンジェ)

 記憶のない師に残っていた名、臨淵(りんえん)

 

 これにも、この冷たくて輝く【何か】にも、名前があるというのか。

 

 頭上では体が氷結しそうなほどの冷気が集まり、形を成している。

 この時、この場でどうにかしなければ、一瞬の後に出来上がるのは氷の彫像だろう。

 瞼に霜が降る。視界が白く染まる。

 かちかちと歯を鳴らしながら、雨亭は左手で右の手首を掴んだ。

 川の水のような、蛇の鱗のような、指先に触れた死体のような、きんとした冷たさが確かにここに在る。

 

 自分は、とっくに死んでいたはずのか細い生命だ。

 

 それでもいいなら、お前がそんな自分のところを選んで落ちて来てくれた【星】だと言うなら、もう名付けでも何でもやってやる。

 

 黒で塗り潰された右眼の奥に、針の穴のような光が灯った。

 

「あんたの、名前、は─────」

 

 紫になった薄い唇から白い息と共に音が零れるのと、空間を覆う氷の矢がすべて解き放たれるのは、完全に同時であった。

 

 




今までに登場した中で、地味に性別不明キャラが一人いました。
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