では。
当たり前だが、またしても気がつけなかったと
「元々、臨淵はひとり旅が長くって強いですから気がつきにくいんでしょうが……まぁ……その……庭の四方に印を刻まれてるのに気がつかなかったのはわたしも大ポカですからね!はいもう!次に活かしましょう、次!
「あ、うん」
完全に
雨亭の左肩上辺りという定位置に戻った蒼姐は、そこで腕を組む。
「雨亭くんがガキ大将とそのお仲間と乱闘したのは置いておいて、彼らが持ってた鬼火祓いの符が問題ですよ。変態は、どこぞの侵入者からカツアゲしたと言ってましたけど」
水を与えられた水仙のように、蒼姐の言葉で頭をもたげた臨淵である。
何だかんだ言って、臨淵はきっちり間に合ってくれたと思うのだが、臨淵は庵の敷地内に入りこまれた事態が己の落ち度と認定したらしい。
方陣に封じられ、即座に動けなかったのも痛かったと。
出られないと悟った瞬間、風で四方の方陣の印を根こそぎ同時に破壊して飛び出たらしいから、さほど凹まなくてもいいと思うのだが。
それとこの師匠、涼しい顔して解決方法は結構物理寄りである。臨淵の風槍によって、禿げになった庭の木々を見てよくわかった。
「鬼火祓い……蒼姐、狙いはお前か?」
「恐らく。でも、人魂用を持ってきたならわたしをよく知らない輩ですよ。……わたし、完全な人間ではないので。どっちかと言えば、今は天地の精霊よりですから」
「蒼姐を知らないのに、蒼姐を恨んでるの?何それ?」
「根深い因縁がある相手ではない、行きずりの敵か」
「あっれぇ??まさかのスルー!?わたし今結構大事なこと言いましたよね!完全な人間じゃないと堂々言いましたよね!」
揃って切れ長の眼の少年と青年は、左右に首を傾けた。
「蒼姐、前からそんなこと言っていたし、おれは片眼が龍らしいし、師匠はどこの誰かわからないし、蒼姐が人間じゃなくても別に……」
「雲を踏む仙人、素手で山を砕く人間が闊歩しているここで驚くも何も……」
「……そうですねっ!じゃあ話は終わり!……はぁ、あっさり受け入れられたらそれはそれで複雑です……」
しかし、恨みを買っているとなるとあまり心当たりがない。
臨淵には他所の世界での因縁があるが、魔教まで追いかけてくるとは思えない。
雨亭は、元修行仲間であった少年少女たちぐらいにしか恨みを買う覚えがない。
蒼姐はというと。
「わたし、符を出される悪霊ムーヴいつしました……?昔は本当に何もしてませんし……鬼火だから祓われると言われればそれまでですが、魔教に忍び込む苦労をしてまで、わたしを消そうとするメリットは?」
ならば誰なんだろう、と。
考えること数分で、あ、と雨亭と蒼姐が同時に呟いた。
一つ、あったのだ。
他人からの、根深い恨みを買う出来事が。
「……蒼姐、
「……忘れません」
蒼姐が雨亭を助けようとした結果、天魔に処刑された天魔の妻で、
「彼女の一族は有名な氷使いですよね。蝶よ花よと大切に育てられた愛娘だそうですし。……だとしても魔教に喧嘩売ります?」
「蒼姐、おれもう魔教じゃないよ。殺しても魔教には喧嘩売ってない。それに、あの人が死んだ原因はおれにもあるし、おれは天魔様よりずっと簡単に始末できる」
「……仕組んだのはわたしなのに」
「傍から見たらおれは鬼火使いか鬼火憑きだよ。鬼火使いは鬼火を失えば弱くなる。だから蒼姐を先に消そうとしたんじゃないか?……途中で、胡陀様ってわけわかんない人が突っ込んで来て話がぐちゃぐちゃになったと思うけど」
臨淵も淡々とした弟子の話を聞いて合点が行ったのか、頷く。
「符を持ち込んだのは天魔に処刑された亡妻の家で、狙いはお前たちだったが、胡陀が介入して話が縺れたと?」
「はい。でも師匠、これは推測です。証拠もない」
「ああ。……胡陀を締め上げても、吐かないだろうな。つまらない他所者とは刺客だったのだろうが……もうとうに殺してしまったろう」
「あの人なら……たぶん……」
あの魔人なら、確実につまらないという理由だけで人を殺る。殺れる。
はぁ、と師弟は肩を落とした。
「天魔が妻の家を滅しなかったのは情けをかけたからと聞いたな。彼らは今も天魔を恨んでいるが、恨んでいるからと言ってどうこうできる相手ではない。矛先をお前たちへ向けるのは道理に合わないが、動機はある」
「……」
娘を虐げた妻を処刑し、遺体すら返さず灰にし天地にばら撒いて、生家を残すのは慈悲なのか。
何にせよ、雨亭と蒼姐に殺意が籠った根深い恨みを向けそうな者といえば、冰蘭華絡みである。
それ以前の雨亭は名前もない路端の石ころも同然であったし、蒼姐は何にも関わらない亡霊だったから。
「天魔に知らせはする、が」
「……何も期待できないですね」
彼が現在私人として関心を向けるのは、一人娘の蛍留ぐらいなものだ。魔教の教主など、元から数多の人間に恨まれている。
その蛍留は蛍留で、雨亭に心ひかれている部分があるらしい。臨淵と蒼姐に言われたことで、雨亭はあまりピンときていないが。
言えるのは、天魔は雨亭が刺客に始末されるのを諸手を上げて歓迎しそうということ。
となれば、臨淵と雨亭の出す結論は。
「修行をしよう、雨亭。己の身を護れるのは、己だけだ」
「はい。おれ、もっと強くなります」
臨淵は疑いなく強い。雨亭も蒼姐も護ってくれるし、護りたいと思ってくれている。
けれど、決して万能でも何でもない。
絶対に護ってやると口にしない誠実な師匠が、雨亭は好きなのだ。
まぁ、行きつくところが容赦のない組み手になる辺り、この人はこれまで他人、特に子どもと関わって来なかったのだろうなと改めて思わせられるが。
臨淵の正体が、うっかり記憶を飛ばした塵扶仙人であっても、ああそうかと納得してしまえそうだ。
それにしても。
このままだと死ぬからと死なないために行動した結果、別の人間に恨みを向けられるのは。
よくある話だとしても、やりきれない気分にはなった。
何より。
「蒼姐」
「はいっ!?」
「蒼姐、おれはあのとき、自分が助かりたかったんだよ。自分が助かりたくて動いたんだし、後悔してないから。忘れないでよ」
陽炎みたいな儚い顔は、いつも賑やかでうるさいくらいによく喋る、青空のような少女には似合っていない。
雨亭は確かに愛されて育った娘が死ぬ原因を作ったが、後悔はない。
けれど、蒼姐は性格からして人の死を気にするなと言うのは無理だろうとも思う。突飛で奇天烈でありながら、繊細でお人好しだから。
そうして。
「うん……ありがとうございます、雨亭くん。でも、ちょっと……ちょっとだけ考えたいことがあるから、失礼します」
言って、泡が弾けるように蒼姐の姿は鬼火となって庵の天井の隅に潜り込んで消える。
きっと、天井裏に籠ってしまったのだろう。
いいのか、と言いたげに臨淵からの視線が向けられ、雨亭は肩をすくめて応えた。
言いたいことは、いつも言っている。
蒼姐は言いたいことがあるなら自分にきっと言ってくれる。
だからこそ、別々に考える時間だって必要だ。
「師匠、手合わせを。手合わせしてください」
「……ああ、そうだな」
蒼姐の願いは、雨亭が生命を落とさず、大人になることだから。
何故、雨亭が生きていることが蒼姐の望みであるかはわからないままだが、雨亭は彼女の願いを叶えたい。
そのためには、強くなるしか道はないのだ。
子明がひとりでに動いて、手首を締め付けた気がした。
■■■
かくしてそれから、徹底的に臨淵は雨亭に戦いの術を叩き込んだ。
元から鍛錬となると苛烈だったが、いよいよ鬼気迫ってきたのだ。
臨淵の槍は、恐ろしいほどに速い。
縄鏢の縄を絡めて武器を奪おうとしても、まず臨淵の影にも鏢が届かない。
黒縄を槍で絡めとられて、水切り石のように投げ飛ばされるのだから当然肩は外れるし、青痣だらけになる。
懐に飛び込めば蹴りや拳も当然のように襲い掛かり、雨亭は何度も吐いた。
受け身を取り損なって、腕が折れかかったこともあった。
雨亭は確かに回避は得意だが、そちらばかり巧みになって攻撃が疎かになっては勝てないと臨淵はびしびしと指摘したし、体に動きを叩き込んだ。
どうして弟子にした直後からここまで激しく手合わせをしなかったのかと言えば、単純に弟子にしたばかりの雨亭は体がどこもかしこも細い薄い脆いで、まずまともに肉をつけなければならないと判断したからだったという。
「腕を掴んだら骨を握っているのかと思ったからな。言っただろう。お前の体の薄さで次に蹴られたら、ただでは済まないと。二つも三つも歳下に見られていただろう?」
「……言われました」
「今はかなりマシになった。……お前の体の頑丈さや回復の速さは、龍眼の賜物だろうか?」
「そう……なんでしょうか。おれにはよくわからないです」
多分、本当に龍眼や龍神の何たるかを知りたければ、仙人を尋ねるべきだ。
若しくは、向こうから来るのを待つか。
が、七百年前の龍神に興味がない雨亭はそれを二の次にして、ひたすら鍛錬に励んだ。
左眼は重要な武器だが、潰されて使えなくなる事態も想定して眼帯で塞ぎもした。
ちなみに胡陀に襲われた日から元気がない蒼姐だが、眼帯をつけた雨亭の姿には怪鳥のような奇声を上げてひっくり返り、臨淵と雨亭はまたかと受け入れた。
眼帯の効果は、大きかった。
視界が半分になった上に、常に見ていた影法師のような気配や、自然に使っていた透視能力が消えて、雨亭は大いに動きが乱れたし、普段どれだけ左眼に頼っていたかも身に沁みてわかったからだ。
「普通の眼って……思ってたより見えてないんだな……」
「逆逆、雨亭が見えすぎてるんだよ」
とは、龍眼の力を一時的に封じる眼帯を届けに来て、肩で息をする雨亭を見たレーニの言葉である。
世界を渡り歩いて宝器を集める百錬工房の主と弟子はしばらく塵扶に留まるらしく、必然龍神狂いなレーニは、雨亭に、というよりその左眼に興味津々で理由をつけて庵に現れたし、その度手合わせを強請ってきた。
眼帯だけでなく、体の動きが歪まないようにと左脚につける枷の形の重りまで持ってきたのだ。
眼帯はブリギッド作だが、重りはレーニの作というから雨亭も臨淵も目を丸くした。
どうも、レーニは龍も好きだが己の武器を試すのも大好きらしい。
戦いは好むが、それ以上に己の生み出した武器や道具がどれだけ使い物になるかを戦いの中で試したがるのだ。
蒼姐曰く、鍛冶師と戦士のハイブリッドバーサーカーだという。
その性格を飲み込んでからは、雨亭も龍眼のことを教える代わりにレーニから情報を遠慮なくもらうことにした。
手合わせは、むしろ望むところだった。
「レーニ、おれの前の龍の眼の持ち主が誰かとか、知ってる?」
「うん。五十年くらい前に一人、記録に残ってるよ。……ただ、若くして亡くなったらしい。以来、龍の左眼はどこ行っちゃったかわからなかったんだってさ。右眼は仙人たちのとこにあるらしいし」
「そうか」
「気になるのかい?」
「右眼の人が生きてたら教えてもらえないかと。でも、もういないんだな」
「そうだねぇ。仕方ない。ほんと、君が出てきてくれてよかったよ。でないと俺、仙人のところに眼を見せてって頼みに行ってたかも」
「ブリギッドさんに迷惑かけるようなことするなよ……」
「あははっ!多分行く前に先生にボッコボコにされてたろうけどね!」
「……」
駄目だこりゃと、つむじの上に小さな鬼火を乗せた雨亭は眼帯のまま遠い目になる。
胡陀が龍眼の前の宿り主を知っているような言葉を漏らしたのを、当然雨亭は覚えていたから聞いたのだ。
胡陀の外見は二十代半ばほどの青年だが、天魔と同じく肉体の劣化を抑えており、外見年齢より歳上なのは間違いない。五十年前の龍眼の持ち主を知っているのもあり得るし、何故あそこまで眼玉に拘るのかも分かればいいと思ったのだ。
結果は空振りだし、もしや五十年以上生きて尚、あの偏執狂なのかと頭を抱えたくなるが。
「ていうかさ、雨亭、君先生とやりあってたときのアレは使わないのかい?」
「あれ?」
「ほら、水を操って先生の矢を防いだだろ。子明は水の霊性つけて操れてるのに、どうして俺とやり合うときは水自体を操らないのさ」
ブリギッドと同じく、長弓で氷の矢を連射するレーニに負け越しの雨亭は渋い顔になる。
「……使わないじゃない。使えないんだ」
「あっ……うーん……でもさ、雨亭が水を操れないわけないよ。水の化身って言われた龍の混じりなんだから。となると……」
「想像力か?」
「うわっ!」
庵の軒先に並んで座る少年二人と鬼火ひとりの頭上の丸窓から、唐突に臨淵が顔を出す。
「霊性の扱いは想像力が絡む。無色の力である功力に色を付けるのが、生まれ持った霊性だな。霊性は顔料のようなものだから、何を描くかは使い手の想像力が絡む。俺の場合は、風で槍を想像して使うが」
そのまま淡々と会話に混ざる臨淵に、レーニは目を瞬かせてから応えた。
「へぇ、臨淵さんはそう教えるんだ。俺の故郷だと、生命力に生まれつきの魔力を注いで属性を決めて、発現させるのが魔術とかだって教わったよ。先生に言わせたら単に世界ごとの単語の違いらしいけど」
「塵扶では内功が高いと霊性で干渉できる力が高く、外功が高ければ身体能力を強化するのに向いている。前者は符術師などに、後者は武人に適性が高い」
「そこ、俺は魔術師と剣士って父さんから教わったなぁ。臨淵さんや先生はどっちもできてるっぽいけど」
師匠とレーニがすごい頭いい話してる、と目を回す雨亭に、蒼姐が頭の上から語りかける。
「雨亭くん、ざっくり言えば生命力イコール功力で、霊性イコール魔力ですよ。生命力が内向きだと魔力と親和性の高い魔術師に、外向きだと身体能力を直接上げやすい格闘家になるって感じです。……まぁほら、天魔は上から雷落としながら殴ってくる例外ですが」
「雷ってあれか……」
「理不尽ですよねあれ!わたしの体とかそこのバランス崩れたピーキー性能なのに!」
「うーん……」
────蒼姐の話もわからないし、師匠も……。
想像力と言われても、絵物語や歌や、想像力を刺激するようなものとは縁が薄かった。
水と言われても、真っ先に溝の水や雨後の濁流が思い浮かぶ。
────どんなときも一番、近くにあった水と言ったら。
ふと思いついて、雨亭は子明を解く。解いて、先端の鏢を握る。
それに気がついたレーニや臨淵や蒼姐が何をするかと尋ねる前に。
「っ」
鏢の先を、雨亭は手のひらに突き刺して、捻っていた。
当然こぼれる血に、雨亭以外が驚く。
「いきなり何してるんだい雨亭!」
「血も水だから……こう?」
ぐ、と雨亭が手のひらを握って、開く。
だくだくと流れていた鮮血がまるで意志があるようにうねって浮かび、空中で魚のように動くのを、少年以外は唖然と眺めた。
「雨亭、血止めだ」
「はい」
窓枠を踏み越えて薬草と布を渡す臨淵から素直に受け取る雨亭に、レーニは目を丸くした。
「師匠、おれ、血なら動かせるみたいです」
「……そうだな。が、次からは何をするか言え。本当に言え。絶対に言え。いくら怪我の治りが早かろうが、失血はなるべくするな」
「はい」
素直に返事はする雨亭を前に、龍狂いと言われる少年は呆れた目を向けた。
「雨亭さぁ……君、俺のことあんまり言えないんじゃないの?」
「……?」
「うわ、これ俺よりタチ悪そう。ああもう、君の姉さんとお師匠の苦労が偲ばれるよ」
跳弾のような勢いで跳ねている雨亭の頭の上の鬼火を見、レーニは肩をすくめて空を見上げる。
灰色の空は冬の気配を映している。
年が明けて春が来れば、この新しくて面白い友人と戦える日が来るのだ。
そうと思うと、龍に心奪われる少年はその日が楽しみで仕方ない。
その隣では、とうの龍骸の少年が滾々と師匠に説教を食らっていた。
雨亭はちゃんとした食べ物を摂ってれば傷の治りが速く体も頑丈です。食えてなかったからチビになりました。
レーニの友人認定は結構ガバです。
内功外功功力に関しては、いわゆる武侠小説のものとは違ってますが、神話混沌オリジナル世界ゆえということでお目溢し願います…。本当に…。