では。
かくてそれから、冬が終わって年が明け、雪が解けて風の冷たさが和らいだ頃。
周囲には少年少女が犇めいており、その誰もが武器を手にして油断ない顔つきをしている。
そんな中、周囲と作りの違う衣を着た雨亭と、ひと目で異世界人とわかるレーニは目立っていた。
「雨亭、君、随分ヒソヒソ言われてるようだけど何かしたのかい?」
「魔教の足枷付いてるんだからこうなるだろ。レーニこそ指さされてるけど何かしたのか?」
「ああ、二年前のこの大会に参加したときの俺を覚えてる奴らじゃない?というか、あのとき雨亭って魔教にいたよね?あー、勿体ないことした!探せばわかったのに!そのときって何してたの?」
「……ごめん、あんまり覚えてない」
「そっか。ま、今会えたから良いや。龍眼で見てさ、こいつは強いとか弱いとかってわかる?」
「生命力が高そうなのはわかる。あと……あの辺り」
レーニや雨亭含めた参加者の子どもらがいるのは、すり鉢型の闘技場の底の部分であり、観客席はすり鉢の縁に当たるために見下ろされている。
その観客席の一角を、雨亭は指さした。
「人間じゃないのがいる……ような気がする。よく見えないけど」
「へぇ!」
「木や石や池みたいだけど……すごく、血の気配も。……まぁ、ここは血の気配が多い輩ばっかりか」
「ふぅん、噂の仙人とか?」
「かもな。でも、いるだけだから別にいい」
「君、時々俺よりも大雑把になるよね。ま、賛成だけど」
干渉してこない人外は、置き物のようなものだからと、雨亭は視線を外す。
そちらからちょうど反対側に、
蒼姐は鬼火の姿で臨淵の上着の内側に収まっている。いつもならつむじか肩の上に乗るのだが、狙われた一件が終わっていないと臨淵と雨亭の二人がかりで説得して、懐に収まったのだ。
その臨淵は、視線に気がついたのか小さく手を振ってくる。雨亭も小さく振り返した。
雨亭の視線を辿ってブリギッドを見つけるや、レーニは満面の笑みで手をぶんぶんと振る。
額を押さえたブリギッドが、片手をひらりと振るのが見えた。
その隣には、何故かあの星雲の将軍もいる。
遠目からでもわかる
確かにこの大会には、魔教、正教、星雲軍の者が集うが、ああも堂々と将軍と護衛がいていいのだろうか。
「先生と臨淵さんと将軍さんってさ、昔からの知り合いなのかなぁ。でないと先生、三人並んだりしないと思うんだけど」
「師匠は将軍を知らないって言ってた。昔の知り合いかって聞いたら否定されたって」
「謎だねぇ。あっ、蒼姐さんがいるからいいのかな?」
「……」
「冗談だよ!」
雨亭は、黒眼と碧眼を細めてレーニを見上げる。
歳下の少年からじとりとした視線を向けられたレーニは、取り繕うように別の方角を指さした。
「ほらほら雨亭、あっちも見なよ。天魔と娘さんがいるよ。さすがに豪華なとこに座っ……あれ?ねぇ、娘さんのほう君を見てないかい?」
「ん?」
レーニの影からひょこりと顔を出してそちらを覗けば、確かに一段と整えられた貴賓の席から、小さな少女が手を振っている。
天魔のたった一人の愛娘にして、やけに雨亭に懐いている
思わず、雨亭は辺りを見回していた。
自分以外の誰かではないかと。
「いやいや何してるんだい。あの子どう見ても雨亭を見てるだろ。ほら、君が変なことするからあの子頬を膨らましてるよ」
「……ああ」
黒い髪を今日も愛らしく結い、ふわりとした薄紅の衣を纏う幼い少女に雨亭はぺこりと頭を下げる。
すると、蛍留はにっこりと笑顔になり、勢い良く手招きしてくる。
そのまま雨亭が露台の真下まで近寄れば、蛍留は身を乗り出すように、足元まで来た少年に何かを投げた。
ひらひらと宙を舞って落ちてきたそれは紅色の小さな花で、両手で受け止めた雨亭は一瞬凍った。
小さな
雨上がりの梅の蕾のようでかわいらしいし、元気な姿を見られてよかったと素直に思う。
ただひたすらに、彼女の後ろにいる物理的に雷落として来そうな大魔王みたいなのが本当に怖いのである。
塵扶最凶とまで言われる武人なのに、娘が絡むと余裕なさすぎではないか。
呑気に近寄って来て、肩越しに紅い花を覗いたレーニが、うわと声を出した。
「雨亭、君さ、その
「……知ってる。この前師匠から教えてもらった」
「あー……うん、頑張れ!まぁほら、あんな小さい子なんだから、熱みたいなものだよきっと!」
「……」
無言で、花をできるだけ潰れないように懐に入れ、作法通りの礼をして離れる。
最初より、もっと視線が突き刺さってくるのを感じた。さもありなん。
人間一人の視線が一本の矢だとしたら、今頃雨亭は針鼠になっているだろう。
柄にもなく、とっとと戦って終わらせたくなった。
刺々しい視線が向けられるのは、単に雨亭が弱いからだ。弱いのに、魔教の
あちらからしたら、大人ばかりに囲まれている中で、顔見知りで恩がある歳上の少年が目に入ったから挨拶しただけかもしれないが、明らかに彼女の父親含めた周りがそう捉えていない。
ここでは、勝てないと話にもならない。
勝ち残った最後の一人に、魔教の頂点から褒美が与えられるこの武術大会だが、さすがに少年少女が参加者であるから、規則もある。
参ったと宣言した者の負け、気絶しても負け、場外へ追いやられても負けである。
最後に、降参を認めない場合、また如何なる状況でも相手を殺せば即失格である。
子ども同士であるからこそ、頭に血が上って暴走するのを防ぐ必要があり、決まりは厳格だった。
試合の組み合わせと順番はクジで決まり、レーニと雨亭は初めの時点で東西に組が割れた。
決勝戦は東組と西組を勝ち抜けた者同士になるから、レーニと雨亭がもし戦うとすれば最終戦ということになる。
「俺は君と本気でやり合いたいからさ、絶対負けるなよ!」
「……そっちもな」
爽やかに言い残して、レーニは東組の方へ行く。
一応、雨亭はこの大会に勝たないと魔教から出られないことをレーニも知っているはずなのだが、知った上で彼は全力を出せと言っているのだ。
本当に、龍と戦闘と宝器作成さえ絡まなければ朗らかで裏表のないやつなのに、と雨亭は思う。
その二つが絡んだ場合、レーニは裏表も悪意もない性格のまま暴走荷車になって、周囲を薙ぎ倒してにこにこ笑っている。ここ数ヶ月でよくわかった。
しかし、放たれた矢が曲がれないのはある意味当然だとも思う。
思いながら、雨亭もどこか雲を踏むように前へと進み。
気がつけば、試合の場に立っていた。
目の前には雨亭よりも背の高い少年がおり、腰には剣を吊っている。
一つか二つ歳上に見える少年は、無表情で無手のまま立つ雨亭に何を思ったか顔を歪めた。
「おい、お前!名無し!」
「……」
雨亭の名前で試合には登録している、と言う代わりに雨亭は左右色違いの目を少年へ向けた。
「な、何だよ、お前緑目の名無しだろ!溝の中で野垂れ死にかけてたのを拾われたのに、恩返しもしないでよそ者の弟子になった恥知らず!」
「……ああ」
虹彩異色が気味悪かったのか、微かに引いた声の少年に雨亭は目を瞬かせる。
確かにそういう解釈もできるし、その視点で見れば確かに雨亭は拾われたのに恩を返さなかった恩知らずだろう。
けれど、雨亭の目的は少年の誤解を解くことではないし、解く必要もなかった。
「何だよ!何とか言えよ!」
「……おれは自分のしたことを後悔してない。だから、あんたに何を言っても変わらないと思う」
「お前、本当に恥知らずだな!」
「そうかもしれない。だけど、おれはあんたにも他の誰かにも負けられないんだ」
手に何も持たないまま、構えを取る雨亭に少年も剣を抜く。
目に見えない何かが、二人の少年の間で昂ぶり張り詰めた。
「始め!」
審判の手が刀のように振り下ろされ、空気が弾ける。同時に、外部からの妨害を弾く結界が展開された。
音が遮断され、ざわめきがぴたりと聞こえなくなる。
抜剣した少年が鋭く踏み込むより速く、雨亭の腕が動いた。
獲物へ飛びかかる蛇のような勢いで、左袖から解き放たれた黒縄がぐるりと剣へ巻き付く。雨亭はその綱を全身の力で引いた。
予想していない暗器に武器を絡め取られ、引きずられた少年の前に、雨亭は飛び出す。距離を零にし、拳が届く範囲へするりと入り込む。
大きく前へ体が泳ぎ、体勢を崩した少年の脚を雨亭は勢いよく払った。
払いながら、少年の剣を捉えていた子明を引き戻す。脚を払われ、宙に浮いた少年の体へ手を添え、くるりと投げ飛ばす。
流れるような、刹那の攻防だった。
ふわりと宙を舞い、背中から勢いよく地へ叩きつけられた少年の眼前へ、雨亭は鏢を突きつけた。
銀の刃が、日の光を反射して光る。
少年の握っていた剣は、叩きつけられた瞬間に手から離れて地へ落ちている。雨亭はそれを後脚で蹴飛ばして遠ざけていた。
荒い息を吐きながら、雨亭は自分といくらも歳の違わない少年の黒眼を覗き込む。そこには、面を被ったような顔で刃物を手にする自分がいた。
がらんどうのような自分の黒眼を見つめながら、それでも雨亭は鏢の刃を喉元へ当てがう。
「……降参しろ」
「っ!」
少年の目の奥で凶暴な光が弾けるのを見て取った瞬間、雨亭は背後へ跳んでいた。
倒れた少年の蹴りは空振りしたが、勢いをつけて立ち上がった彼は真っ直ぐ拳を固めて突っ込んでくる。
恥辱か恐怖か、或いは別の何かなのか、唸り声を上げ顔を真っ赤にして眼をぎらつかせた少年を前にして雨亭は、跳んだ勢いで子明を飛ばした。
地面に落ちたままの、少年の剣目掛けて。
するりと柄に巻き付いた子明を引き寄せ宙で受け止めれば、ずしりと重い両手剣が手に収まる。
刃を手の中で返し、すれ違い様に雨亭は剣の腹で少年を殴り飛ばした。
金属が肉を叩く、鈍い感触が手に伝わる。
激しく息を吐いた少年のこめかみに、再び手首を返して剣の柄を叩きつければ、今度こそ彼は白目を剥いて丸太のように倒れた。
「……」
数秒、剣の切先を少年に向けたまま雨亭は動きを止め、本当に動かないのを確信してから、構えを解いて剣を下ろす。手から力が抜けた。
がらん、と雨亭の手から剣が落ちて乾いた音を響かせた。
「勝者、雨亭!」
審判のその宣言と同時に結界が解かれ、周囲の音が戻って来る。
が、歓声どころか水を打ったように静まり返る周囲である。隣で行われている試合の勝者と敗者も、こちらを見ていた。
雨亭はその場で立ち尽くす。
は、と我に返り手のひらと拳を合わせて審判と天魔へ礼をしてから、兎のような速さで雨亭は試合場から跳び下りた。
周囲から突き刺さる視線に、魔教の罪人の証をつけたまま勝った少年への注目に、心臓がうるさく鳴る。
周りの景色が揺らいで、針が全身に突き刺さったような痛みが走った。
────まずい。
一度に大勢の視線と注目に晒されたからか、ひりひりと左眼が疼いていた。
きつく左眼を瞑って上から手のひらで抑えてようやく、ひっくり返りかけていた景色が徐々に元に戻る。
見え過ぎても、動けなくなるのだ。
鍛錬で日々使うようになって調節はできるようになり、使い過ぎの空腹で動けなくなることもなくなったが、こうも大勢の好悪入り混じった感情に晒されたのは初めてで、左眼に熱が集まるのを感じた。
まだぼやける景色の中で、足元がぐらつく。
どこかの壁に手を付きそうになったとき。
「雨亭!」
「雨亭くん!」
上から、二人分の声が落ちて来た。
は、と急に息が楽になり、雨亭は上を向く。
観客席から乗り出さんばかりの端正な顔立ちの青年と、その傍らでぐるぐると宙返りし続けている蒼穹色の火の玉が目に入る。
────二人とも、そんなに慌てなくても。
────おれは、大丈夫なのに。
臨淵と蒼姐が最初に座っていた席は、もっと上だったはずだ。
なのに、まさかここまで駆け下りてきたのだろうか。坂道を転がるような勢いで。
精巧な人形のような顔のまま、蒼姐を懐に入れたままの臨淵が駆けつけてきたのだと思うと何だか頬が緩んで、雨亭は上の二人に向かって握り拳の親指だけを真っ直ぐ立てた。
蒼姐の故郷で、大丈夫だとか、問題ないだとかを示す手印だそうだ。
教えてもらってから使ったことはなかったが、今の状況にはふさわしい気がして少年はにっと笑った。
比喩でも厨二病でもなくガチで片眼が疼く系主人公。
目薬が欲しいお年頃。
この
古代中華モチーフ世界の人間なのに、なんでそのジェスチャを笑顔で使うんだ?他の塵扶キャラやらないだろ??と。