では。
意識を失っていたのは、ごく短い時間だったらしい。
ぼやけた視界で瞬きをすること数回。
全身に痛みが走って、雨亭は完全に意識を覚醒させた。
頭に過ったのは、眼前で爆発四散した人間───否、人形と、雨亭を後へ突き飛ばしたレーニの姿とぎりぎりで展開された土壁。
「レーニ……?」
起きようとして、雨亭は首の上に乗った棒のようなもので息が詰まった。
いや、棒ではない。
触れた途端にそれが人の腕とわかり、雨亭は自分の上に半分乗っていた体の下から這い出した。
まだぐらりと来る頭を押さえ、眼を凝らした雨亭の翠瞳が光る。
ぽう、と蛍のように淡く光った瞳で雨亭は自分の手が触れているものを、見た。
ざ、と血の気の引く音を聞いた。
「レーニ!」
うつ伏せに倒れているのは、ついさっきまで笑っていた少年。
血の臭いに雨亭は顔を青褪めさせた。
レーニの服の背中が、まるで爆風でも浴びたように焼け焦げていた。
火傷はないようだが、こめかみの辺りに傷がある。血の臭いはそこから漂っていた。
口元に手を当てて、呼吸が確かにあることを確認し、雨亭は周囲を見渡した。
灯りがなければ、数歩先も見えないだろう暗闇である。上を見上げれば、丸い光がぽつんと浮いている。
だが、雨亭はあれが出口の光ではないことを知っていた。
ここがどういう空間か、予想はある。当たってほしくはないが。
岩が剥き出しながら、人の手が加えられたとわかる円形の空間である。
中央には瞑想をするためらしき台座が設けられていた。
それに加えて、近くには粉々に砕けた人形の残骸らしいものがあった。
そのさらに向こうには、うつ伏せに倒れた少年がもう一人いる。
そちらがうめき声を上げながら自力で動きかけているのをみとめて、雨亭は改めてレーニを見た。
龍眼を光らせる雨亭の視界は、暗闇など関係なく目の前の光景を捉えていた。
そちらから目を逸らし、腰につけた小さな革袋から布を取り出す。レーニの額にきつく当てるとみるみる血を吸って色が変わっていく。
頭にできた傷は、小さかろうが血を多く失うのだ。
叫びたくなるのを堪えて追加の布を取り出し、意識を集中させる。
爪が手のひらの肉を破るほど集中してようやく、周囲を漂う水の霊性から水を呼び出せた。ぴちゃりと浮かぶ少ない水で傷口を洗い、布を巻いて血を止める。
どういう落ち方をしたかは想像するしか無いが、土壁の残骸らしき欠片が飛び散り、全員五体満足であるのを見るのにレーニが障壁か何かを張ったのだろう。
レーニの霊性は【土】である。
あの人間────いや、人形が爆発する直前、レーニが土の障壁を張ったのは見えた。
半球状の土壁で人形を覆って封じ込めようとしてくれたが、霊性も込められていた爆弾を封じきれずに爆発が床を破壊。全員、回廊ごと地下に落ちてしまったというところか。
落ちながらも、レーニは自分と雨亭、
流れとしては、こんなものだろうか。
闘技場の下には、謎の空間、もとい、かつての鍛錬場があると
いずれ、彼女が知っている未来の中で【主人公】という特異点が訪れるらしい。
そこに、だいぶ早く落下したのは運がいいのか悪いのか。
生命があっただけマシとは思う。
雨亭に限って言えば、怪我らしい怪我はほとんどしていない。吐き気も瘤もないので、恐らく頭も打っていないだろう。
「……何で庇ったんだよ」
レーニを見下ろし、思わず文句をつけるような口調になってしまった。
一人なら、レーニは爆発から自分を護ることぐらい訳なかったのではないか。
雨亭と地玄という足手まといが二人もいたから、一番怪我をしただけで。
友達だと言われた数分も経たないうちにこうなって、言いたかった言葉が根刮ぎ轢き潰されたようだった。
無意識に、歯を噛みしめる。
血の味が雨亭の口の中にじわりと広がったとき、かは、と短く息が吐き出される音が響いた。
「あはっ……随分、だよね……礼ぐらい……言っても、いいんじゃ、ない?」
「……あんたが起きてなきゃ言っても意味ない。ありがと、レーニ」
ぼんやりと焦点の合っていない眼を開けた少年は、暗闇で片眼を翡翠色に光らせる雨亭を見上げる。
に、と口元が三日月になった。
「目眩と吐き気はあるか?怪我はこめかみだけだし、血は止めた。あんたの生命力は心配ないくらい強く光ってるけど」
「どっちもないよ。これでも先生に扱かれてるから、怪我の具合ぐらい、わかる。視界は……暗すぎてちょっとわからないけど。雨亭、君はどうなってるんだい?左眼、ランプみたいになってるよ」
「よく見えてる。前よりも、暗いところがよく見えるんだ。……多分、最近はちゃんと飯食えてて体力があったからだろ」
いや、大事なのはそこではなく。
「……ごめん。あの人形はおれを狙ってた」
「だろうね。君と君の姉さん、どっかの名門武家から逆恨みされてるんだろ。まさか、メヘラスの爆弾人形を使われるとは思ってなかったけど」
「知ってたのか……」
「まーね。メヘラスに行ったときに見たことあったし。あっ、君たちが狙われてる話は臨淵さんや姉さんがバラしたわけじゃないよ。俺が勝手に盗み聞きして、蒼姉さんにカマかけて聞き出しただけだから」
「何してんだよ……」
「そして盗み聞きとカマかけの罰で先生にもう一発もらってるからね!君まで怒るのは勘弁してくれ!」
「いやほんとに何してんだよ!」
怪我人じゃなかったらどついていると拳を固めてから、雨亭はすぐ手を解いた。
「……知っててこうしたなら、おれは何も言えない。……でも、おれはブリギッドさんには謝る」
「え?いやそれは────」
「うっせぇ。謝るったら謝る」
「殺気のない人形兵器にしてやられた八つ当たりを俺でしないでくれるかい!こんな無様な怪我した上に君が謝ったら、俺先生に扱かれるんだけど!他人を庇うくらいなら無傷で帰ってこいってさぁ!」
「……ならおれが謝っても謝らなくても変わらないだろ」
「そうだけど!」
雨亭はそっぽを向いた。
翠眼は自分に向けられる害意を教えてくれる。しかし、機械のように何らの感情もなく襲いかかってくる物へは反応できない。
人間そっくりの機械仕掛けの人形にも、機械仕掛けの道具にも狙われたことがなかったから、気がつけなかった。
気がつけなかったから、レーニが怪我をしたのだ。
しかも。
「雨亭、ここはどこなんだい?」
「放棄された
「使われてない地下に落っこちたのか」
「そう。……ここは空間ごと封印術で閉鎖されてて、それがさっきの爆発で半端にほどけて隙間からおれたちが落下した……って感じだと思う。あの爆弾、霊性が籠もってたから」
「物理的にも攻撃する上、空間も歪ませる魔力炸裂弾ってとこか。……なら、上に見えてるあの出口っぽい光、出口じゃない?」
「あれは見せかけの灯りだ」
「うわぁそれはまずいね。……でも雨亭、君、何か方法があるんじゃない?声がしっかりしてるよ」
それはその通りであり、雨亭はこくりと頷く。
本来なら、階級が上の弟子かはたまた学士しか知らない知識を、雨亭はあのお喋りで博識な鬼火の少女から教わっていた。
「魔教の山はですね……後半ステージだけに隠し要素だらけといいますか、レア素材回収用高難易度迷宮の集合体と言いますか……少し位相がずれたとこに飛んだらエラいことになってるんですよね……この世界でそれがどうなっているかはわかりませんが……雨亭くん、たとえば魔教の地下に、何があるか知ってますか?」
「昔に閉められた鍛錬場が広がってるって聞いたことあるけど」
「はい。そこが閉鎖された理由は、掘り進めすぎて塵扶の底の底、虚海に到達しかけたからで……当時閉関修行をしていた修行者たちが、虚海にあてられ忌みものに変わってしまったからです」
「忌みものに?」
「はい。何人もが地下で正気を失ってしまったんです。もしも閉関場へ迷い込んでしまったなら、正規の出口はありません。主人公たちがやったように
魔教が根城とした山は、遥か昔から名のある霊山だったという。
この世界での霊山と言えば、霊脈の上に聳え、地下に万物が還るべき虚海との繋がりを得ている特別な場所だ。
だが、世界を取り巻く虚数の海は、生身で落ちればたちまち己を失って理性のない化物になる毒でもある。
人も獣も、一様にその肉体を黒く染めて荒れ狂うのだ。
原初の混沌でもある虚海は、世界の生命にとっては強烈すぎ、触れるだけで自我が海へ融けて流れ出てしまう。
己を虚海へ融かし、残った虚ろな体に黒い海の水が流れ込んで動き出した生命の成れの果てが、【虚影の忌みもの】である。
体こそあるが、魂は消え果てた動く屍とも言える。
道中、用心棒として忌みものを倒して報酬を得たこともあるそうだが、もしあれらと遭遇したなら迷わず逃げろと言われている。
この閉関場が、虚海に近く、それゆえに放棄されたのだと伝えると、コルニクスを手元へ引き寄せて調子を見ていたレーニの顔色が青褪めた。
「よりにもよって虚海かぁ……うーん……俺苦手なんだよね……」
「得意なやつはいないだろ」
「……ま、あとで話すよ。ところで雨亭、君、誰か忘れてない?」
「?」
「後ろ後ろ。後ろだよ」
振り返った雨亭の視界に、不満げな顔をする地玄が映る。
完全に忘れかけていた雨亭は、あ、と抜けた声を上げた。
「やっと俺を思い出したのか。お前、その眼は何なんだよ?妖魔か?」
落下しても壊れなかったらしい槍を握る地玄の手に力が入るのを見ながら、雨亭はかぶりを振った。
振ってすぐ、自分以外の二人にとってここが大層暗いことを思い出す。
「おれは妖魔じゃない。生まれつきこうなんだ。……説明は、ここを出たあとにする。地玄、あんたならここがどういうとこかわかるだろ?早く出ないと、忌みものに見つかる」
「……出られっこないだろ」
「普通なら。でも、普通じゃない方法を教えてくれた人がいる。助かるかもしれない。巻き込んだのは謝る」
事情を知っても雨亭の近くにいたレーニと違い、地玄は完全に通りかかっただけだ。運が悪かったとしか言えない。
正直、胡陀に唆された地玄はあまり好ましい相手ではないのだが、だからといって巻き込んだ罪悪感がないわけがない。
暗闇の中で、地玄は思案しているようだった。
「……わかった。レーニ、お前の土壁で助かったのは本当だしな。ただし雨亭、俺はお前のことが嫌いだからな!」
「おれも、蒼姐に謝ってないあんたは好きじゃない」
「何だと!」
「ちょっとちょっと君たち!仲直りして秒で喧嘩するやつがあるかい!」
別に仲直りはしていないのだが、そこに拘っている場合でないことは雨亭にもわかった。
龍眼である雨亭は視界に何の問題もないが、レーニと地玄にとってここは視界の覚束ない暗闇。
神経を尖らせながら眼が利かない暗闇にいては、体力も気力も信じられない速さで奪われる。まともに動ける時間は、普段より少なく見積もるべきだ。
ましてここは、かつて虚海に侵され、中にいた修行者諸共封じるしかなかった虚無の廃棄場。
そこから何十年も経った今、忌みものへ堕ちただろう元人間がさ迷っていてもおかしくはない。
というか、蒼姐の話だと見るものすべてを殺める狂戦士として今もさ迷っているらしい。
何故そのような危険地帯の上に魔教が根城を築いたのかと言えば、優れた霊脈地であることに加えて、忌みものに遭遇した場合、これを倒すのも修行と見做す魔教の鍛練狂い精神のせいであるらしい。
お陰で、こんなことになっている。
基本的に、忌みものは器になっている体を破壊しなければ不死だから、忌みものには何百年と前の人間の成れの果てもいる。
蒼姐は、忌みものについてはこんなことも言っていた。
「わたしが一番苦手なのは狼とか犬系の生き物が、よりにもよって群れで堕ちたやつでしたね!少しでも回避回復のタイミングをミスったら、数の暴力でボコボコのタコ殴りですよ!忌みものは耐久が基本高いのに、獣の俊敏さと頭数が加わったらもはやそこらのボスより凶悪です!雨亭くん、万が一遭遇しても絶対戦わないでくださいね!」
「まず狼の群れなんかと会いたくないよ。おれは野良犬一匹でも怖い」
「……え、まさか……?」
「……蒼姐、犬は、本当に、舐めたら駄目だから」
「あー!顔色真っ青!すみませんすみません!何かトラウマ踏んだならすみません!」
……今にして思うと、蒼姐も忌みものと戦ったことがあったのだ。それも、獣の形の忌みものと。
ちゃんと帰れたら話を聞こうと、息を吐いて立ち上がった雨亭の左眼が、ずきりと痛んだ。
足音も、息遣いもまだ聞こえない。
しかし、分厚い岩壁を通して、【何か】がこちらに勘付いた。
ぞわり、と項の毛が逆立つ。
「立って!走れ!」
できる限りの鋭い小声で、雨亭はレーニと地玄の手を掴むと、岩の横道の一つへ駆け込む。
駆け込むと同時に、背後から獣声のよう低く不気味な咆哮を伴う生臭い風が吹き抜けた。
後を振り返ったレーニが、ぴゅうと口笛を吹く。
「凄いな。本当に俺たちに見えてないのが雨亭にはわかるんだ」
「な、何言ってるんだよ!あの声は?ほ、本当に出られるんだろうな!」
「出られるようにする!いいからこっちだ!」
障気漂う暗闇の中、雨亭は二人の少年の手を引いて駆け出すのだった。
脳内蒼姐は今日も元気。
リアル蒼姐は地上にて師匠×2とてんやわんやしています。