推しの生命が儚すぎる by亡霊系転生者   作:はたけのなすび

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25話

 

 

 どぷり、と飛び込んだ先で、雨亭(ユウティン)は手を離してしまいそうになった。

 全身に見えない激流が叩きつけられ、脚が折れそうになる。

 だというのに、周囲からは急に音が消え去った。

 レーニの足音も地玄(ちげん)の呼吸音までもが消えて、ただ無音のまま翻弄される。

 

 ────レーニ!地玄!

 

 叫んだはずの自分の声も聞こえず、目も見えない。ふり返っても、いるはずの二人の少年の姿が見えない。

 感じられるのは、虚海に踏み入る前に結んだ二人の手のひらの感触とそこから感じられる生き物の生命のあたたかさのみ。

 それすらも、奔流の前に千切られそうになる。なってしまう。

 もしも、雨亭が手を離してしまえば二人がどうなるのか。嵐の中に木の葉を二枚解き放つようなものだ。

 暗闇の中を進んでいた忌みものの姿が過り、雨亭はいっそう強く両手に力を込める。

 そのまま歩み出せば、見えないけれどそこにいる二人も歩み始めたらしい。

 足の下に微かに感じる【足場】に意識を傾け、一歩一歩と進む。

 歯を食いしばって前を向けば、遠く遠くの微か先に針でついた穴のような光が見えた。

 

 あそこだ、と理性ではなく本能が叫ぶ。

 

 あの光に辿り着くべきだ、と。

 存在を塗りつぶされそうなほどの重く、暗い闇の中をただただ前へ進む。

 足を一歩前へ送るそれだけの動作が、これほどに思い通りにならないと感じたのは初めてだった。

 誰かに、助けてほしいと初めて思う。

 この手を離してしまったら、レーニと地玄が化物になってしまう。

 朝の鶏のようにうるさいが楽しくて明るい友達と、仲良くはないが別に死んでほしくない少年がいなくなってしまう。

 自分の細い腕の力にそれがかかっていると考えたら、体が震えた。

 

 ────子明!

 

 念じれば縄鏢がひとりでに動き、腕に刃が浅く刺さるのを感じた。

 鋭い痛みで、半ば強制的に思考がまとまる。恐怖に屈している場合ではない。

 どれほど望もうと、願おうと、恐れようと、蒼姐も臨淵もここにはたどり着けない。

 彼らから受け取った力と知恵を使って、自力でここから抜け出さなければならなかった。

 ここを抜けられる方法は、実に単純だ。

 帰りたい場所または人の姿を途切れないよう思い浮かべる。

 足を止めずに、ただただ歩き続ける。

 

 それだけのはずだ。できるだろう、と折れそうな足に力を込める。

 雨亭は己の帰る場所に、臨淵(りんえん)蒼姐(ツァンジェ)を選んだ。

 というよりも、他に帰りたい場所も人もありはしないのだ。けれどそれは、却ってよかったのかもしれない。

 一つしかないのなら、そこだけを想えばいい。集中できる。

 

 一歩一歩、重りをくくりつけられたように重い脚を動かす。

 鉄枷は両の足首に嵌ったままだ。が、それ以上の重みで膝が上がらない。

 耳元で、体力ががりがりと削られる音が聞こえてくるような気がする。

 龍の力を使い続けた眼は、いつもとは異なった痛みを訴えてくる。既に意識が明滅していた。

 

 ────しっかりしろ!

 

 帰りたくて帰れる場所があるならば、絶対にそこへ向かうし諦めない。

 一向に近付いたようには感じられない針の穴のような光を目指し、繋いだ手を決して放さないようにしながら歩く。

 

 次第に、雨亭の中から時間の流れの感覚が抜け落ちていった。

 どれほど歩いたのか、どれだけの距離を歩いたのか、何も測れない。

 レーニと地玄の繋いだ手の感覚しか感じられず、先に見える星のような光しか最早見えない。

 

 やがて、【そのとき】が訪れる。

 

 気がつけば、雨亭の前に光があった。

 針のような光が徐々に、徐々に下に降りてくる。

 純白の光が周囲を朧に照らし、雨亭は左右を見て息を吐いた。

 根性で離さなかった繋いだ手の先に、レーニと地玄がいたからだ。

 疲れ切ったひどい顔だが、自分の脚でしっかりと立っている。

 レーニは雨亭と繋いでいない手を軽く掲げ、地玄は薄っすらと笑った。

 

 ここだ、と雨亭は目線で白い光を示した。手は塞がっているし声も届かないが、それだけで二人には通じたらしい。

 光の中へ入ろうとした刹那。

 

「ッ!」

 

 背後、置き去りにしてきた暗闇から悍ましいまでの巨大な気配を感じた。

 首筋の毛が逆立ち息が詰まり、足が止まる。ふり返った闇の中で巨影が動いているのが見えた。

 闇を貫いて翠光が二つ輝くのが見え、その光を見た途端に背筋が凍る。

 

 ────眼!?

 

 ぎらぎらと鮮やかな翡翠色に光る大皿のような【眼】である。

 理屈も理性も飛ばして得た結論で、雨亭はそう判断する。

 虚海の暗闇の中で、何かがこちらへ近づいて来ていた。それも、凄まじい速さで、一直線に。────真っ直ぐに、雨亭一人の方へ。

 

 咄嗟に、雨亭は二人の手をもぎ離していた。

 自由になったその両手で、同時にレーニと地玄の背中を渾身の力で押す。

 まさかいきなり手を離された上、突き飛ばされるとは思ってもみなかったのだろう。

 少年二人の体勢は崩れ、白い光球に指先が掠める。

 光に触れた二人の体が、端から白い光に分解されるのが見えた。

 振り返ったレーニの灰色の瞳が限界まで見開かれ、雨亭へ腕が伸びる。

 

 雨亭は、その腕を弾いていた。

 

 背後の闇の中で光る二つの眼玉の主が、雨亭を見ているのを感じた。

 あれをこの白い光に近づけさせては駄目だと、勘が囁いたのだ。

 

「こっちだ!」

 

 声が届かないはずの空間で、雨亭は手を叩く。叩いて、白い光と二人に背を向けて闇の方へ走り出した。

 レーニと地玄が声も聞こえないまま何か喚き散らす気配は感じたが、両脚まで光に分解されている彼らでは追って来られない。

 もう、あの白い光に触れている彼らは安全だ。蒼姐から聞いた話ではそのはずだった。

 白い光は、表の世界への出口。

 一度触れれば虚海の浸食は受けなくなるが、完全に転移が完了する前に光が砕かれればまた元の暗闇に取り残される、と。

 

 予想通りと言うべきか、闇の中の目玉の主は雨亭の方へ動き出した。

 蛇のような体が蠢き、闇が水のように動く。

 目を凝らせば、緑の大目玉の他に白い牙とびっしりと生えた黒の鱗が見えた。

 鹿のように枝分かれした碧翠の角が二本、闇を引き裂いて輝く。

 

 ────龍!?

 

 龍と言ったら、雨亭は塵扶の龍しか知らない。絵の中でしか、その姿かたちも見ていない。

 とうに死んで、亡骸も引き裂かれた龍神しか知らないのだ。

 

 もしかしてまさか、眼を返せとやって来たのだろうか。

 

 龍は死なず、死ねないとレーニが言っていた。それが、魂までが消え去っていないという意味だったなら。

 

 ────龍の幽鬼なんて勘弁してくれ!

 

 重たい脚で、雨亭は駆け出した。

 けれど、結末などわかり切っている。

 第一、疲労と空腹で既に体が思うように動かないのだ。

 あっという間にずるりと足が滑り、暗闇に体が叩きつけられる。

 腕で体を捩じって上を見上げた瞬間、牙が視界を覆った。

 

 龍の口が、目前にあった。

 

 喉が鳴る。それでも、腕を振るって子明を解き放てば銀の刃は真っ直ぐに龍の顎の中に突き刺さった。

 だが、それが何になるだろう。

 龍はそのまま、躊躇いなく雨亭を飲み込む。

 反射的に顔を庇った雨亭の耳に、鋭い声が突き刺さった。

 

 ────戻れ!龍を継ぐべき者よ!

 

 耳朶を打った鋭いその声に、雨亭は、あ、と戸惑いの声を上げる。

 少年を飲み込んだ龍の巨体が、闇の中で激しく瞬いて弾けて、消えた。

 

 

■■■■■

 

 

 ────激しい水の流れから弾き出されるように、深い水底から急に浮かび上がるように。

 

 雨亭は、内臓がひゅうと持ち上がるのを感じた。

 岩になったかのように重い瞼を押し上げ、開いた視界に広がっていたのは逆さになった天地の光景。

 

 雨亭は、一直線に下へ落ちていた。

 頭を下にして、大地へと真っ逆さまに。

 

「!?」

 

 まさかの状況に体が固まる。

 空の青と大地の緑がぐるぐる回り、吐きそうになる。

 両足首の鎖が、ちゃりちゃりと激しく音を立てるのが聞こえた。

 わからないが、わかったことがある。

 

 ────落ち……死!?

 

 風に流されているのか、くるくる木の葉のように回りながら落ちているのは感じ取れる。

 そしてこれだけ長い時間空を舞っているのなら、地面に叩きつけられたときどうなるかは想像に難くない。

 何かないかと体を動かそうとしても、全身が鉛になったように動かせない。霊性も枯れた水脈のように動かず、水の気配も何も掴めない。子明まで沈黙していた。

 ひぅ、と喉が鳴ったときである。

 

「雨亭!」

 

 体が、何かにやわらかく受け止められた。

 落下が止まり、天地がくるりと回って正しく天が上、地が足の下に来る。

 ただ、その体は浮いていた。

 森の木々が小枝に見える高さに、雨亭は放り出されていたのだ。

 硬直した体が、誰かの手のひらに支えられる。

 風を踏んで森の木々を跳び越えて空の高みに上がり、雨亭を横抱きにした人物────臨淵は少年の顔を覗き込んだ。

 

「雨亭、無事か!」

「雨亭くん!」

 

 両手で雨亭を支える青年と青年の頭の上で跳ねまわる鬼火の少女の声が聞こえ、雨亭は体から力が抜けるのを感じた。

 

「し、師匠、蒼姐……」

「あっよかった意識!意識あります!ちゃんと雨亭くんですよ臨淵!」

「気配でわかる!雨亭、下に降りるが舌を噛むなよ!」

 

 言って、風を操る青年は一直線に大地へ向かう。

 森の木々の枝を派手にへし折り、無理やり地面に足をつけた臨淵は腕の中の少年の手首に指を添えた。

 少し弱いが、一定の間隔で確かに続く脈を感じて青年はほうと息を吐く。

 地面の倒木に少年の背中を預けて地面に座らせ、臨淵は雨亭の額に手を当てる。

 青年の手のあたたかさを感じたのか、ふ、と表情を緩めた少年は呂律の回っていない舌を無理に動かした。

 

「師匠、蒼姐、レーニと地玄、は……?」

「二人ともとっくに帰って来てますっ!雨亭くん、きみだけずっと行方不明だったんですよ!」

「あ、はは……」

 

 二人を突き飛ばしたのはつい先ほどだったのに、そこまでずれるのかと雨亭はぼんやり自分の膝に目を落としなが笑った。

 

「ししょう、おれ、もうむり、です……ねむ、くて……おなか、へっ、た……」

「ああ、眠れ。安心しろ、ここはもう安全だ」

「よか、た、です……」

 

 ことん、と雨亭の首が落ちる。すぅすぅと寝息を立て始める。

 自分に額を預けるようにして眠った少年を、臨淵は軽々と背負った。

 側にふわりと少女の姿が現れ、雨亭の顔を覗き込む。

 

「霊性も雨亭くんのままで、魂にも陰はないみたいです……ああ、ほんと、よかった……いきなり地上百メートルからダイブする雨亭くん見たときは心臓が止まるかと思いました……いや今のわたし心臓ないですが……どうしてあんなところから……扶桑樹の枝から落ちて来たんですか……」

 

 森の中を走りながら、蒼姐は背後にそびえる巨木【扶桑樹】を睨んで言った。

 扶桑樹を囲む神木の森で、二人は雨亭を探していたのだ。

 森の上空には、塵扶を支える神木、【扶桑樹】が枝葉を伸ばしている。

 その枝の一本が突如光り輝いたかと思うと、中から弾丸のように雨亭の体が打ち出されたのだ。

 蒼姐は悲鳴を上げ、臨淵は即座に風を巻き起こして少年の体を支えて受け止めた。

 風で森の木々の枝をねじ上げ、障害物を無理に退けて臨淵は一直線に走りながら続けた。

 

「扶桑の神木は虚海に根を下ろして水を吸い、天へと伸びている。龍は水と親和性の高い神で扶桑樹を通って虚海と表界を自在に行き来していたそうだ。龍眼を持つ雨亭も、同じように扶桑樹の根に吸い込まれて枝から吐き出された。そんなところか?」

「な、何て迷惑な帰し方を……!地下の根からとかもっと安全で平和で迎えに行きやすいところから雨亭くんを帰してくださいよ!いきなり空中に放り出すとか鬼ですか!鬼!ただの偶然かもしれませんが!」

「同感だな。だが蒼姐、扶桑樹から雨亭が帰って来るかもしれないというお前の見立ては的中したぞ」

「うぅ……でもあんなところからポップアップなんて予想外です……!ポイ捨てするような勢いでしたし!」

 

 雨亭に目立った傷や血の臭いはない。ただ体温が異様なまでに低かった。

 夜の海の中を泳いできたかのように。

 

 レーニ、地玄、雨亭が行方不明になってから、既に三ヶ月が経過していた。

 

 大会の最中起きた爆発のあと、三人の少年は行方不明になった。

 しばらくの間、彼らは爆弾の威力で骨まで残らず吹き飛ばされたのではないかと言われていたのだ。

 覆ったのは、レーニと地玄が二ヶ月ほど前に魔教を流れる谷川の中から突如現れたからだ。

 

 二人の証言でようやく、全員が爆発に巻き込まれて魔教の地下にある封印された修行場に落ち、さらに下へ降りて虚海を潜り抜けて帰って来たということがわかったのだ。

 

 雨亭が龍眼の力を使い続けて二人を出口まで導き、しかしあと一歩でこちらに帰って来られるというとき、二人だけを出口に向けて突き飛ばしたと臨淵も蒼姐も知ったのだ。

 寸前で背後から霞を纏った巨大な化物に襲われ、雨亭が二人を送り出してから化物を引き付けて闇の中へ走って消えたと聞いたとき、臨淵は血が出るほどきつく手を握りしめ、蒼姐は悲鳴を上げて一時姿を消してしまったほどだ。

 虚海へ敢えて降り、潜って地上へ戻るなど狂人の考えだと魔教の者は皆口を揃えて言った。

 偉業を成し遂げて戻って来たとしたら褒め称えたものを、他人を庇って己が生命を落とすとは信じられない愚かしさだと。

 

 臨淵と蒼姐、ブリギットとレーニは、その夜に魔教を後にした。

 

 追手らしき者はいたが、臨淵とブリギッドの前に鎧袖一触で薙ぎ倒されて相手にもならなかった。

 天魔も、本気で追うつもりはなかったのだろう。

 もしも龍眼を持つ雨亭が戻ってくるとしたら、いくつか候補になる場所があると蒼姐は言い、その言葉に導かれて臨淵と蒼姐は扶桑樹へ向かい、ブリギッドとレーニは別の場所へ向かった。

 

 結果、こうしてふたりは雨亭が扶桑樹から現れるところに遭遇した。

 眠っているが、雨亭は確かに生きている。

 

「もしかしたら、帰してくれたのかもしれないな」

「はい?」

「扶桑樹か、何か、俺たちの意志の届かないものが雨亭を帰してくれたのかもしれない」

「……そうだとしても、地上百メートルダイブは許しませんからねわたしは!虚海に居残りかました雨亭くんも絶対説教です!わたしじゃ甘くなってしまうので臨淵お願いしますよ!あっ、もちろん雨亭くんの体力が戻ってからで!」

「そうだな……そうしなければならない」

 

 行く手の木々を薙ぎ倒し、或いは枝を跳んで最短距離で医者の元まで走りながら、臨淵は呟いたのだった。

 

 




雨亭はレベル1時から、スキル使用時に消費するMPだけレベル30ぐらいはあったタイプ。
しかし持ってるスキル(龍眼)のMP消費量がレベル50帯なためすぐなくなり、足りない分をHPで埋めて運用していた。
死んでいないのも龍眼のお陰だが、栄養不足のチビガリになったのも龍眼のせいと言える。

今はレベル20前後に上がったのでマシになったが、スキル使用のMPも増えたためかつかつ具合はあまり変わりなし。
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