推しの生命が儚すぎる by亡霊系転生者   作:はたけのなすび

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では。


28話

 

 旗を描くと蒼姐(ツァンジェ)は言ったが、必要な物は当然ある。

 

 布に筆、墨、支えになる竹、仙人が好む香と香炉。

 品々は、村の中で手に入れることができるものだった。

 戦うわけではない単なるお使いなら歩けますと師匠に言い募って雨亭(ユウティン)は久しぶりに寝台を降りて、自分の脚で地面を踏むことになった。

 子明(しめい)も腕にまき直し、頭巾(フード)を被って蒼姐が布と頭の隙間に入れば、外に出る準備は完了だった。

 臨淵(りんえん)蒼姐(ツァンジェ)が、雨亭を探して辿り着いた村は、世界を支える扶桑樹を囲む森のほとりにある。

 村人には狩人が多く、森の恵みと外から訪れる行商人との交易で村は成り立っているそうだ。

 世界樹の森を守る役目も負うこの村には、星雲軍からの支援や兵士の駐屯地もあり、辺境の土地にある村としては豊かなほうだという。

 村に、魔教からの追手をすべて倒して流れ着いて来た臨淵たちが受け入れられたのは、星雲軍からの免状があったからだ。

 免状の出所は、鵲渡(じゃくと)将軍だという。

 

「龍眼の少年を探すなら私も協力しよう、と言われたな。断る理由もなかったから受けたんだ」

「……免状ってそんなに簡単に出るんですか?」

「鵲渡将軍に限って言えば、こうと思った相手には出すらしい」

 

 龍眼は、それほど重要なのだろうか。

 千年は生きているという将軍の笑顔が、何となく雨亭は苦手である。

 とはいえ鵲渡や彼の護衛の蘇貞(そてい)は村に来ることはないらしく、ひとまず儀式の品物集めにかかることになった。

 なったのだが、何事もなくとは行かなかった。

 

「墨と布は余りがあるからいいけどよぉ。【塵花紅香(じんかこうこ)】が欲しいだぁ?何に使うんだよ……あ?仙人様を呼ぶためぇ?……まっ、頑張ってみなよ兄ちゃん」

 

 村人たちからの反応は概ねこれであり、誰も彼も仙人が呼べるとは思っていないらしかった。

 

「よそ者ですからねー、わたしたち。仙人と言ったらこの村の人たちでも早々会えない雲上の存在ですし。疑われるのは当然と言えば当然ですね。招仙旗法だって言っても信じてもらえなさそうですし……」

「そうなんだ」

「わたしの言うことを信じてくれてるあなたたちが例外なんですからね!ね?」

「わかっている。蒼姐、旗の紋様はこれで合っているか?」

「いえ形が左に歪んでます」

「師匠、師匠、そこの線、多分もうちょっと右にすっと斜めに描いたほうが……」

「……こうか?」

「臨淵さては割と画伯ですね!?字は綺麗なのに!」

 

 借りている宿屋の部屋で、手に入れた布を広げて三人で額を突き合わせてあれだこれだと旗を描く。

 出来上がった旗に、僅かに分けてもらえた香の香りを染み込ませて竹竿に括りつければ、準備は完了であった。

 

「あとはこの旗を目立つところに立てるんですけども……目立つところってどこでしょう?」

「この宿屋の最上階とか?」

 

 臨淵が借りた宿は、高い円筒状をしている。

 この村の建物全体がそういった造りで、遠目から見ると白い筒が林立しているように見えるのだ。

 筒の上まで登り、旗を立ててその周りに何となく立つ。

 建物の上から見下ろした地上は、思っていたよりずっと広い。森の木々すら見下ろせる高さがあるのだ。

 天地は果てしなく、雨亭は口を丸く開けて見とれた。

 

「おお、雨亭くんが珍しくびっくり顔してますよ、臨淵」

「ん?……ああ、本当だな。こうも高いところへ上ったのは初めてか?」

星舟(せいしゅう)の甲板はもっと高いですよ、雨亭くん。もっとずーっと遠くの、他の世界まで見えちゃいます」

「星舟って……蒼姐が時々言ってる虚海を渡る舟のことだよね。ああいう舟ってどうやって渡ってるんだ?龍神の加護?」

「加護が与えられているのは確かですけど、神は龍ただ一柱ってわけでもありませんからね。たとえば【豊葦原(とよあしはら)】という世界を治める神は、【月陰之大御神(げついんのおおみかみ)】こと【至牙命(しがのみこと)】と言います。他、メヘラスには────」

「蒼姐待って待って、覚えられない。げついんの……何?」

「なら、大月之神(おおげつのかみ)月神(げっしん)で大丈夫ですよ。月の神様ですねぇ。とにかく七世界には色々神がいるので、星舟はそれら神からの加護を受けて虚ろの海を渡るんですよ。って、臨淵はどうやって世界を渡っていたんですか?」

 

 塵扶に至るまで二つの世界をくぐってきた青年は、空に翻る旗から視線を下ろして答えた。

 

「様々な世界の星舟に乗せてもらっていた。護衛や力仕事を引き受ける対価として、乗船させてもらっていたんだ」

「でも師匠、どこかの世界で忌みものに阻まれて傭兵してたって」

「星舟にも加護が強いもの、弱いものがある。忌みものに阻まれ航路が取れなくなる舟もあるんだ。そういう場合は一度降りて、障害を取り除いていた。最も強い力を持つ星舟は、既に失われた神の力で永久に海を渡ると聞いたが、俺は見たことがないな」

「あっ……それ……!」

 

 蒼姐があからさまに反応するが、言い淀んで宙をふわふわと漂い始める。

 きっとまた蒼姐しか知らない未来の話なのだろうと、雨亭は肩をすくめた。

 臨淵と同じように空に翻る旗へ視線を向ける。

 蒼姐の監修で臨淵と雨亭が二人がかりで仕上げた旗の紋様は、鳥の翼が絡まりあって円を描いているような不思議な形であった。

 その旗に焚き染めた香は、瑞々しい花と木の香りがする。

 これで呼び招かれる仙人が、穏やかな性格をしていたらいいと目を細めた雨亭は、ふ、と空気が流れたのを感じて背後を振り返った。

 ほとんど同時に、臨淵も後ろを見る。

 

 音もなく、屋上の板の上に一つの人影が立っていた。

 

 手に槍を持ったその人影は、意外にほっそりとしていて小柄だった。

 黒と緑で縁取られた白い布の衣をまとい、手には槍。顔立ちは白い頭巾に隠れて定かでない。

 けれど左眼の反応は、あの武術大会の日のものと同じである。

 槍の石突でこつりと床を叩き、白衣の人物は顔を隠していた頭巾を取る。

 下から現れたのは、十代半ばの少年の顔だった。

 灰色の髪に翡翠色の二つの眼を持ち、鼻筋の通った整った顔をしている。

 しかしその瞳は、とろりと濃く底が伺えなかった。深い深い、湖の底を覗き込んでいるような気分になる。

 少年の形の仙人の瞳に、目を丸くした臨淵と雨亭の姿が映る。

 次の瞬間。

 

「っ」

 

 胸を押さえて、仙人がその場に膝をつく。

 えっ、と臨淵も雨亭も驚き顔を見合わせる。

 ただひとり蒼姐だけが、雨亭の頭巾の内側からひょこりと火の玉の形を覗かせてちかちかと瞬いた。

 

「あぁぁ……やっぱり……【燕鳴仙君(えんめいせんくん)】がこの光景見たらそうなりますよねぇ……見たかったけれど、あり得なかった光景があった上に真名を呼ばれたら出てきちゃいますよねぇ……」

「蒼姐?」

「うーん……わたしからはちょっと説明しづらいので、臨淵、とりあえず彼に話しかけてみませんか?敵意はないし、思っていたよりチョ……じゃない、あなたたちに好意を持ってる仙人のようですから」

「あなたたち?……俺と、雨亭にか?……何故?」

「多分、彼に直接聞くのが早いかと」

 

 そうして、臨淵が困惑五割の顔で仙人に近寄る。

 祈りを捧げるように膝をついていた仙人は、臨淵が近づくのに気がついたのか立ち上がる。

 一瞬で何事もなかったかのような済まし顔となった仙人は、臨淵の前に立つ。いや無理があると、雨亭は実に何とも言えない顔になった。

 

「吾に何か用か、人間?」

「用があるのはそちらじゃないのか。ここ数日、いや数ヶ月、俺たちの周りをお前は伺っていただろう」

「あと、あの……さっき胸を押さえてましたけど、仙人様大丈夫ですか?」

 

 敵意を感じ取れず、ひょこりと臨淵の影から顔を出した雨亭に仙人は厳めしい顔を向ける。

 

「……大事ない」

「え、いや、でも……興奮して大騒ぎした後にふっと静かになった蒼姐みたいな感じですけど」

「大事ないといったら、ない!吾を気にする余裕があるのか、人間の小僧!」

「……」

 

 何だろう、この。

 人の手が届くわけもない雲上の存在だと思っていた仙人が、これで色々といいのだろうか。

 雨亭より何歳かだけ歳上の、本当の少年のように見える。

 威厳や畏怖といった目に見えないものが、がらがらと崩れるのを感じながら雨亭は臨淵を見上げる。

 こちらもこちらで呆気にとられたのか、槍を持つ手から力が抜けていた。

 

 雨亭は目を瞬く。

 臨淵の持つ槍と、仙人の少年が持つ槍の装飾が、瓜二つに見えたのだ。

 臨淵の槍には、柄に絡みつくようにして、身をくねらせた龍の彫り物があるのだが、仙人の槍にも同じく龍の装飾が施されている。

 この世界で龍はよく見かける装飾とはいえ、彫り方までもが同じ槍があるのだろうか。

 もう少し見たいと身を乗り出したところでじろりと仙人に見下ろされ、雨亭は臨淵の影にまた隠れる。

 

 仕切り直すつもりなのか、仙人は咳払いをした。今更である。

 

「……吾は【燕鳴仙君(えんめいせんくん)】、夜雷(やらい)。龍の神の下に集い、塵扶を守護する任を得た者だ。お前たち、吾を呼ぶための古の旗法をどこで手に入れた?」

「俺は臨淵だ。法術については、人から教わった。どこの者かは言えない。迷惑をかけられないからだ」

「……吾に害する気はないのだがな」

「だとしても、向こうは知られることを望んでいない。こちらとしては、接触するでもなく近辺にいるお前と話がしたかった」

 

 向き合えば、臨淵は少年の仙人よりかなり背が高い。

 滔々と言い合う二人を見上げて、雨亭は被った頭巾を深く下ろした。

 肩上に乗った火の玉の蒼姐の声が、よく聞こえる。

 

「臨淵、本来の目的忘れてませんよねぇ?」

「師匠はどうやって切り出せばいいか迷ってるんじゃない?仙人様、いきなりこっち見て膝ついて呻くし……もしかして、蒼姐の親戚?」

「ちっがいますよ!わたしあそこまで情緒は限界になってませんよ!?」

「……」

「えっ、その沈黙ってつまり……う、嘘でしょう……!こっ、今後気をつけます……!」

 

 しゅうぱちぱちと火が消えかけの焚火のように揺らめく蒼姐を肩に乗せたまま、雨亭は仙人と師のやり取りを見守る。

 秀麗な顔に謹厳な表情を乗せた仙人は、臨淵以上に淡々としていた。

 

「吾は星雲の将に知らされ、当代の【左眼】を見極めていただけだ。魔教の傘下にいるとも聞いた故な」

「それは────」

「吾はお前たちを見ていたが、そこの童が一度も眼の力を邪に使おうとはしなかったことは知っている。……龍の力を受けた凡人が、利用される事態はこれまで幾度となくあった。その中で邪心に飲み込まれ堕ちる者も、過ぎた願いに潰される者も無論、いた。確かめる必要があったのだ」

 

 じろり、とまたも見下ろされた雨亭が肩を跳ねさせるのを見て、少年の仙人は微かに拳を握りしめる。

 

「……龍眼の童にその師よ、お前たちは吾を夜雷(やらい)と呼べ」

「……何故ですか?」

「逐一怯えられていては話が進まぬ。凡人が旗法を用いて吾を呼び招くのは、何がしか仙の力で叶えたい願いがあるときだ。願いを言うがいい」

「言えば叶えてくれるのか?……俺は、この子の足枷を外す方法が知りたい」

「……それだけか?」

「?」

 

 他にあるわけがないだろうと言いたげに首を傾げる臨淵を前に、僅かながら夜雷が狼狽えたように雨亭には見えた。

 

「他に、ないのか……?」

「ない。……あるにはあるが、そちらは俺は自力でどうにかしたいと願っている。が、この子の枷は俺にはどうにもできなかった」

 

 己のことならば意地を張りとおす、けれど他者の生命がかかるなら誰の手でも借りる。

 顔色ひとつ変えず言いのけた臨淵を前に、夜雷は槍を持つ手に力を込め、抜く。

 

「……把握した。吾らへの願いとして随分と細やかなものだな。古の法術を用いてまで吾を呼ぶならと顔を出したのだが」

「俺たちにとっては細やかではないんだが。……願いを、叶えてくれるのか?」

 

 あっさりと、夜雷は首を縦に振る。

 

「ああ。龍神君の名残りを持つ人の子を枷で縛すのを吾は好まん。……ただし、願いには対価がいる。お前たちの願いを一つ叶えるなら、吾の願いを一つ成就させろ」

「仙に叶えられない願いを、凡人の俺たちが達成できるのか?」

「できる。……空を駆ける仙と言えど、雲を踏み霞を喰らうが如き自由なものではない。たとえば、吾はこの世界から離れられぬ。遠い昔に、神君と約したゆえだ」

 

 龍神の配下として、塵扶を化外から護ると誓った夜雷はこの世界の外へは行けない。神が消えても、その繋がりは絶えていないのだ。

 しかし、夜雷には別の世界に一人手紙を届けたい相手がいるという。

 

「かつて塵扶に住んでいた者だが、【豊葦原】へ渡り、その地に根を下ろした。その者へ文を届けて欲しい」

「……それだけですか?」

「ただの使いと思うなよ。移り住んだのは五十年も前であやつは凡人だった。彼の地であれがどうしているか、生きているのかすら吾は把握しておらん」

 

 つまり、世界一つの中を旅して、手掛かりのない相手を探して文を届けてほしいというのだ。

 臨淵は表情を変えずに頷いた。

 

「わかった。受ける」

「……とうに落命しているかもしれぬが」

「なら、身内なり友なり、届け先を知る身近な者に渡す。それでいいだろうか?ただ……」

「ただ、なんだ?」

「文を届けるためには世界を越えなければならないが、枷があってはこの子が塵扶から抜けられない」

「何だ。そんなことか」

 

 動くなよ、と前置きしてから夜雷は雨亭へ手を伸ばす。

 

 ぱきり、と雨亭の片足首から下が凍りついた。

 

 氷に覆われた雨亭の足首へ、夜雷は真っ直ぐに槍を向け、突く。

 鋭い舞のような突きが氷に刺さるや、氷に細かな罅が走り、かしゃんと音を立てて枷諸共に砕け散る。

 無理に壊せば脚ごと爆ぜる炎を孕んだ呪枷が、あっさりと砕け散り氷片となって消え去る。

 槍を引いた夜雷は、腕を組んだ。

 

「これでよかろう。逆の足についた鉄輪は枷ではないな?そちらは自力で外せるだろう。……何だ、その顔は。凡人も報酬の前払いはするだろう?」

 

 呆気にとられていた臨淵は、珍しく言い淀んだ。

 

「……普通は報酬を半分に分けて、先に半分を支払い、成功したならば残り半分を渡す……少なくとも俺が請け負った護衛仕事は概ねそうだった」

「夜雷様、これだとおれたちが先に全額払ってもらったことになっていませんか?」

「……」

 

 あー、と蒼姐が気の抜ける声を出した。

 それが聞こえたのかどうか、夜雷はぷいと横を向くと、懐から翠の宝玉を一つ取り出してずいと雨亭に押し付けた。

 

「……これがお前たちの届けるべき文だ。吾の力が込められた豊葦原への入界証も兼ねている。受取人の名も中にある。失くすなよ」

 

 どうやらこの仙人、臨淵と雨亭の言葉は聞かなかったことにするつもりらしい。

 ただ、どういう態度を取ろうとも雨亭の足にもう枷が嵌っていない事実は変わらなかった。

 

 話は済んだとばかりに、顔を背けたまま夜雷がふわりと宙に浮かぶ寸前で、雨亭は我に返って彼の衣の袖を掴む。

 

 袖を掴まれ、振り返った仙人に小柄な少年は頭巾を取って頭を下げた。

 

「夜雷様、あの、あ、ありがとうございました!」

 

 露わになった幼い顔が、仙人の翠の両の瞳に映る。持ち上げた袖の隙間から、腕に巻かれた子明がちらりと覗いた。

 まだ少し青白い子どもの頬に触れようとするかのように夜雷の指先がぴくりと揺れ、けれど伸ばされることなく手が下ろされる。

 音のない呟きが、唇から漏れる。

 

「えっ」

 

 しかし、雨亭が聞き返す前に氷風が吹いた。

 

 凍てつく突風に思わず雨亭も臨淵も目を閉じて顔を庇う。風が止んだあとには夜雷の姿はどこにもなかった。

 気配も何もない空間を見つめ、臨淵がぽつりと呟いた。

 

「……俺は礼を言えていなかったんだが」

「ま、まぁ、いいんじゃないですか?手紙届けましたよーっ!って報告するときにお礼を言えば」

「どうして彼が俺たちに妙に好意的だったかも聞けていない……」

「それに関しては……コミュニケーション頑張って下さいとしか……雨亭くんみたいにひょいっと飛び出せるように……」

「……結局、俺は何者なんだろうな……謎が謎を呼んで謎だけが増えていく……」

「ああぁぁもう凹んでる場合じゃないでしょう!いつか全部謎は解けますよ!旅の次の行先決まったんですから元気出して!ねぇ雨亭くん!」 

「えっ……そ、そうだね」

 

 最後の夜雷の一言について考えていた雨亭は話を振られ頷く。

 再び少女の形になった蒼姐は、雨亭の前にふわりと降りてきた。

 

「雨亭くん、どうしました?枷、しっかり外れましたよね?ほら、片足の輪も外しちゃいませんか?」

「……うん」

 

 レーニからもらっていた鍵で、片足の輪も外す。かちりと音を立てて錠が回り、鉄輪が落ちる。

 自由になった両脚を、雨亭は見下ろす。

 試しに跳んでみるとその軽さに驚いた。

 こんなに軽く動けるものだったろうか。

 

「雨亭くん、嬉しいんですね」

「え?」

「嬉しいって、顔に出てますよ。ほら、笑顔が」

 

 ほら、と蒼姐の半透明な指が雨亭の頬あたりを指す。触れてみると、笑顔の形になっていた。

 

「……うん、そうだ。おれ、嬉しい。慣れたと思ってたけど……やっぱり、あれは重かった」

「当たり前ですよ!慣れちゃう逞しさは凄いですけど、我慢し過ぎはダメですからね!」

「うん、ありがと、蒼姐」

 

 師匠、と宝玉を手に持って雨亭は臨淵の衣の袖を引いた。

 

「師匠、ほら、もうおれどこにでも行けます」

「……ああ、そうだな」

 

 臨淵の乾いた手のひらが、雨亭の髪をかき混ぜる。気持ち良さげに目を細めた少年に、青年はふと頬を緩める。

 

「では、旅を始めようか。月神の国へは俺も未知だ。雨亭、蒼姐、一緒に来てくれるか?」

「はい」

「もちろんですよ!」

 

 かつて龍が統べた世界に、涼風が吹く。

 風に背中を押されるようにして、青年と少年と一つの魂は歩み出したのだった。





2章終わりました。
龍神が統べた世界を一度離れ、月神が統べる世界へ渡ります。
約【五十年】ものの人探しです。
【五十年】というワードは2章のどこぞにあったので、探してみたら面白いかもしれません。

訪れた世界に何かを残したり残さなかったり、自分の過去を探したり探さなかったり、こんな感じでゆるゆると彼らは旅を続けます。

限界情緒仙人が何がどうしてああなっているのかは、次章になります。

プロット整理した結果、必要なくなってしまった一話の描写を一部削りました。申し訳ありません。
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