推しの生命が儚すぎる by亡霊系転生者   作:はたけのなすび

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では。


3話

 

 

 その幼い子どもは、生まれてから寒さしか知らなかった。

 母のあたたかさを知らず、父の眼差しは記憶になく、気がつけば寒さに耐えていた。

 

 周囲の目は幼い彼女に冷たかった。

 あんなにも才能がないのが天魔様の娘であるわけがない、と。

 尊い御方の血筋であろうとも塵は生まれるものなのだ、と。

 

 その目が、言葉が、母と呼ぶべき女を冷たく変えてしまったのか幼い子どもにはわからない。

 

「お前さえいなければ!」

 

 そんな言葉を何度叩きつけられた。

 

 周りは、誰も助けてはくれなかった。

 尊いと聞く父も、子どもの前に現れたことはない。

 

 ────きっと、みんな、わたしがキライなんだ。

 

 キライだから、助けてくれない。

 弱いから、助ける価値がない。

 

 冷たさを堪えて、痛みを飲み込んで、幼い子どもは小さく縮こまる。

 もうこれ以上、痛いことがありませんようにと届かない祈りに縋るように抱き締めて。

 

 ────だから。

 

 そんな日々を打ち壊した【彼】を、少女は今も覚えている。

 蒼く輝く鬼火を従えて、牢獄のような屋敷の壁を砕いて、目の前に現れた【彼】を。

 

 蛍留(けいる)、と自分の名前を呼んでくれたあの声を。

 

 虚海へ落ちようと、何があろうと、あのとき差し伸べられた手のあたたかさを忘れないと、少女は一人誓ったのだった。

 

 

■■■ 

 

 

「天魔はですね、美形で冷酷で最強な存在だったんですが。たった一つ、はっきりと弱点があるんです」

 

 それは、彼の娘。

 血を分けた実子、蛍留(けいる)

 彼女だけが、唯一絶対の天魔の弱点だと蒼姐は告げる。

 

「しかし肝心の蛍留ちゃんは幼い頃に母から受けた扱いがひどすぎて、父親にも見捨てられたって思って失踪かまして、主人公パーティーに仲間入りするんですけどねぇ!エグいハメ技持ちの氷属性アタッカーとして!」

「ご、ごめっ、い、意味わからな、いっ……!」

「こちらこそごめんなさい冰蘭華(ひょうらんか)の攻撃力とヒスを舐めてました逃げて雨亭くん!」

 

 ひゅおん、と当たれば氷像になるであろう冷気の槍を危うく転がって躱し、雨亭は美しい御殿の中を逃げ回っていた。

 龍があしらわれた花壺を蹴とばし、壁にかかった霊力の籠もる翡翠の玉飾りをむしり取って追っ手に投げつけ、くるくると鼠のように柱の陰を走り回って、追って来る侍女と衛兵たちの手を間一髪で躱しながら、()()()()()()()()()逃げる。

 

 走る雨亭が腕に抱えているのは、細くて今にも折れてしまいそうな華奢で小さな幼い子────天魔の娘、蛍留。

 

 つい先ほど、雨亭と蒼姐は宮殿の壁に穴を開けて入り込み、母親から平手打ちされかけていた蛍留を雨亭は庇った。

 蒼姐に彼女を護れと言われていたからという理由もあったが、ほとんど反射的に動いていたと言っていい。

 鬼のような顔となって蛍留に手を上げていた母親らしき女を突き飛ばし、床の上に壊れた人形のように打ち捨てられていた少女を胸の前で抱えたそのときに、雨亭はぞっとした。

 薄紅色の衣を着た小さな小さな少女の体は、氷のように冷たかったのだ。

 まさかと覗き込んだ顔は生きていたけれど、体全体が冷え切っていた。

 

「走ってください!!早く!」

 

 蒼姐の声が無かったら、雨亭はそこで立ち尽くしていただろう。

 雨亭は、気がつけば走り出した。蒼姐が手招いている方向へと。

 そこでようやく、我に返った冰蘭華の金切り声が追いかけて来たのだ。

 

「何をしているの!あれを捕まえなさい!決してここから出すな!」

 

 女主人の叫び声に侍女と衛兵たちが集まるのを感じながら、雨亭は蛍留を連れて巧みに逃げ回った。

 武術の腕は落ちこぼれと言われても、気配を感じ取ることは昔から上手かった。

 生まれつき翡翠のような濃い緑の左眼は、【敵】が近づけば疼いて教えてくれる。

 眼の言うことを聞いていれば、捕まることはなかった。

 ただしそれは、雨亭が眼の言う通りに動き続けられるだけの体力があった場合の話である。かつて、魔教に攫われたときもそうだったのだから。

 

 こうして少年は幼い少女を抱き上げたまま、亡霊の少女とともに命がけの鬼ごっこを走り抜けていた。

 雨亭の走る速度に合わせて滑るように飛ぶ蒼姐は、早口で語る。

 

「冰蘭華はですねっ!己の美貌に絶対の自信を持っていた我が儘公女なんですよ!天魔に嫁いだものの彼を虜にできなかったために、天魔との間に生まれた実の子で鬱憤を晴らすような人間です!逆に天魔は、血塗れの己が娘に近付いて彼女を危険に晒すことを恐れて敢えて距離を取り、影から娘を護ろうとしていた父親っ!完全に失敗はしましたが、親としては天魔のほうがまだマシです!」

 

 豪雨のように止まらない蒼姐の言葉の半分どころか三分の一も理解できないまま、雨亭は脚を前へ送る。

 

「その、情報っ、どう使うんだ、よっ!」

「ひたすら逃げ回って、天魔が騒ぎに気がつくまで凌いでください!もうちょっとのはずです!」

「信じるからな蒼姐……!」

 

 右手から感じた敵の気配を避けるため、左に曲がって扉を蹴り開け中庭へ飛び出し、柱の陰に身を潜めて雨亭は束の間息を整える。

 腕の中に抱えた少女、蛍留は目を見開いたまま雨亭を見上げていた。

 その口の周りには、赤い血が乾いたあとがある。

 冰蘭華に殴られて壁にぶつかったせいか、蛍留は鼻から細い血を流していた。

 それを袖で拭ってから、雨亭は何とか蛍留に笑いかける。頬が引きつった、ひどい笑顔であった。

 

「ごめんなさい、蛍留お嬢様。あなたのお父様が助けてくれるまで、少しだけ、がんばってください」

「おとう、さま?」

 

 見ず知らずの年上の少年に抱えられているという状況なのに、蛍留はきょとりと首を傾げた。

 曇りガラスのような紅の瞳には、雨亭以外映っていない。

 どうして、と雨亭は思う。

 

 並ぶ者無き天魔の娘なのに、こんな小さな体なのに、どうしてこの子はすべてを諦めたような眼をしているのか、と。

 

「つ、蒼姐……!」

「言いたいことは何となくわかります!でもあとですよ雨亭くん!ほら立って!上から来ます!」

 

 蒼姐に突き飛ばされるように、雨亭は横に転がっていた。

 蛍留の頭を押さえて前転するように飛び、避ける。避けたその空間に氷の槍が落ちて突き刺さり、ぞっと背筋が冷たくなった。

 

「あらぁ、よく今のを避けたわねぇ」

 

 鈴を転がすような声とこつり、こつりという靴音を響かせ、中庭に銀色の髪を靡かせた女が現れる。

 白銀の髪に紫の瞳の、ほっそりと華奢な美しい姿に、雨亭は背筋が凍るような冷気を感じた。

 

 いや、実際に空気が冷えているのだ。

 冰蘭華の周囲の空気は凍らされ、一歩歩むごとに足元には氷花が咲き乱れる。

 

「冰蘭華の氷攻撃ってここまで強力なんですか⁉そりゃ娘の蛍留ちゃんがゴリゴリの氷アタッカーになるわけですよぉ!」

「……」

 

 焦りまくる蒼姐の声を聞きながら、雨亭はただ冰蘭華に意識を集中させていた。

 隣に焦っている人間がいれば、自然と己は落ち着いてしまうものだ。

 一歩間違えれば氷像にされるであろう状況でも、変わりはしない。

 

「ねぇ、戻っておいでなさいな、蛍留。その溝鼠は臭いでしょう?」

 

 嫣然と告げる氷の美女の声に、幼い少女は肩を跳ねさせて雨亭の衣の胸元に縋りつく。

 いやいやと黙って頭を振る蛍留を見、女の顔が歪んだ。

 

「戻りなさいと言っているのよ!お前まで私に逆らうと言うの!」

「逆らうに決まってるでしょうがこの厚化粧!雨亭くん、頭下げて!」

「ッ!」

 

 蒼姐から高まる力を感じ、雨亭は膝をついて頭を下げる。

 瞬間、雨亭と蛍留の頭上で冷気と蒼炎が激突した。

 首を捩じって上を見上げ、雨亭は見た。

 水色の衣の袖をからげた蒼姐の手から、蒼い炎が放たれているのを。

 

「つ、蒼姐……⁉」

「お化けにだってこれぐらいはできるんです!夜だけですが!」

 

 あんまりな内容を叫びながら、蒼姐は手から迸る激しい炎で冰蘭華の放った冷気をかき消す。

 

「そ、そんな、馬鹿な、わたしの氷功が何故、こんな餓鬼一匹に……!」

「お生憎様!今はこーんなザコ霊格になっちゃってますけどね、本来のわたしだったらあなたみたいな三下などぶっとばしてやるんですから!はんっ!」

 

 冰蘭華には、雨亭の頭上で元気に親指を下に向けて吠える蒼姐の姿も声も届いていないようだった。

 蛍留にも周囲の侍女や衛兵にも、蒼姐の姿は映っていない。

 彼らの眼には、雨亭が突如蒼炎を放ったように見えたらしい。驚愕の色に染まった冰蘭華は、けれどすぐにひび割れた様に嗤う。

 

「大層な鬼火炎功(おにびえんこう)を隠し持っていたようだけれど、そんな乏しい内功でそれだけの力を放って、果たしてあとどれだけ立っていられるのかしらねぇ」

「……」

 

 言われなくとも、雨亭の脚は限界に近かった。

 

 単純に、体力が限界なのだ。

 

 元々飯抜きで怪我をして弱っていた上、蛍留を抱えて逃げ回った脚は血を流しながらがくがくと膝が震え、口の中には血の味が広がっていた。

 緑の眼が危険を感じ取りこれまでにない激しさで疼いているが、雨亭に場を凌げる力がなければ警告も意味がない。

 雨亭はそっと蒼姐を仰ぎ見る。

 高らかに啖呵を切った半透明の少女も、その体の輪郭を明滅させている。

 何らかの力を消費し、蒼姐は恐らく弱った。

 それでも、雨亭は抱えた幼い少女を放したくはなかった。

 

 ついさっき、この子は殴られていた。

 叩かれて、壊れた玩具のように放り投げられ、傷ついていた。

 実の母親から獣のような金切り声を向けられ、周りの侍女からは無機質な目を向けられ、床の上でひとりぽっちで藻掻いていた。

 

 殴られるのは痛い。

 血が出るのは気持ち悪い。

 手を伸ばしてもらえないのは、心が軋む。

 

 雨亭は、それをよくわかっていた。

 わかっているから、どうしても手を離すことができない。

 縋りついて来る小さな手を引き剥がすことなど、できるわけがなかった。

 今まで散々、言われるがままに人を傷つけた自分だからこそ。

 

 嫌だと口に出す代わりに、幼い少女を抱いた腕に力を込める少年を、氷の気配を纏った女は蔑んだ視線を注ぐ。

 

「そう。ただの愚か者のようね。では蛍留、見ていなさい。お前に手を差し伸べた者がどうなるかを。安心しなさい、私の娘であるのだからこの程度の冷気であなたは死なないわ」

 

 冰蘭華のぬめりと白い手のひらが翳され、雨亭は蛍留の頭を押さえて反射的に身構える。

 幼い少年と少女を庇うようにして浮遊するもうひとりの少女は、けれどそこで軽やかにほほ笑む。

 少年にだけ聞こえる声で、蒼姐は告げた。

 

「いいえ、あなたこそ愚か者です、冰蘭華。もうとっくに、手遅れであることに気がつかないだなんて」

 

 え、と雨亭が蒼姐に言葉の意味を尋ねようとした刹那。

 

 轟、と天から雷が降り注いだ。

 夜の静けさと降りつもっていた冷気を焼き焦がし、空気をうねらせて紫電が次々と周囲の人間を薙ぎ倒す。

 冰蘭華も例外なく、声も上げられずに雷に打たれて案山子のように倒れ伏す。

 きゃ、と蛍留が悲鳴を上げる。雨亭は声も上げられずに目を見開いていた。

 

「ゔぁー!こんなちっちゃい子たちの周りで天功技(てんこうぎ)をぶっ放すなんてどこまで子ども心がわからないのですかあの野郎!雨亭くん、蛍留ちゃん抱えて小さくなって!炎バリア張ります!」

「わ、わかった……!」

 

 言われた通り、雨亭は蛍留の耳を押さえ亀のように手足を丸めて小さくなる。

 蒼い少女が手を打ち鳴らせば、仄白い炎の壁が展開され、雷の余波から完璧に二人の子どもを護り切った。

 

 かくして雷が止んだとき、きらびやかに飾り立てられていた中庭は黒焦げとなっていた。

 

 少女はそこで、ようやく炎の護りを解く。

 彼女の周りだけが、白く丸く形を残していた。

 けれど、雨亭も、彼に庇われたままの蛍留も、蒼い少女の足元で気絶していた。

 修行と称する暴力に晒されていた少年と、実の母親から虐げられていた少女。

 どちらも幼く、体はか細い。体力も気力も尽きかけていた。

 夜空から落ちる無数の雷の恐怖で、ついに二人とも限界を迎えたのだろう。

 

 その中でも決して縋りついてくる幼子の手を振り払わず、手を離す素振りも見せなかった少年の頬に指をそえながら、蒼姐と呼ばれる少女はほほ笑む。 

 

「やっぱり、きみはやさしい子だったんですね。わたしが思っていた通りに、いえ、それ以上に」

 

 破壊が齎された庭へ、大気を震わせながら、天より無数の雷を降らせた者が登場する。

 しかしそちらへ目を向けることなく、蒼姐はただ一人、目の前の傷ついた少年を見ていた。

 薄墨色の瞳が揺れ割れて、その下から深海のような紺碧の瞳が覗く。

 

「……決めました」

 

 蒼い少女が呟くと同時に、血で染め抜いたような赤黒い髪と狼のような金瞳を持つ美貌の男が、瞋恚の雷を纏って彼女の背後に降り立った。

 紛れもない、【物語】の主要人物に目もくれず、彼から気づかれることもなく、【蒼姐】は一人誰にも届かない宣誓を口にした。

 

「わたしはきみを護りましょう。助けましょう。これから先も、数多の理不尽に襲われるであろうきみを」

 

 ────きみが大人になって、因果から自由になるまでは。

  ────わたしは、【蒼姐】として正しくきみの側にいます。

 

 だけど今は、ゆっくりおやすみなさいと、少女はひゅるりとその姿を小さな鬼火へ転じ、少年の左の瞳の中へ飛び込んで消えたのだった。

 

 




【虚海航路】現パロ時空で、独眼呼(どくがんこ)雨亭(ユウティン)をどう扱うかはSS作者の悩みどころ。
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