ては。
誰かと肩を並べて戦う経験は、縁の薄いものだった。
己の名前と槍と、ほんの僅かの記憶だけを持って一人世界に落とされてから、
護衛や傭兵の仕事で報酬を得るのは、苦に感じたことはない。この体は頑丈で、どこで身に着けたかもわからない武術が染み込んでいる。
そこへ自由自在に飛行できる風の霊性が加われば、大抵の敵は倒せるのだ。
一人で戦い、一人で旅をしてきた。
関わった者もいるが、どういうわけか臨淵は周囲に争いを呼び込んだものだから、誰かと共に旅をする時間はほんの僅かなものだ。
その時間すらも、臨淵は護衛や兵として護り戦っていた。
金銭のために、或いは己の感じた道理のために、誰かを護る代わりに敵を倒す。
呆れるほどに、単純な生だ。
護るためであっても、臨淵は世界の一部を傷つけ続ける。
何を生み出すでもなく、信念も記憶もなく、いつまでも一人で、亡者のように。
「いや、今は違ったか」
記憶がないのは変わらない。
己が生きる屍のようだと、思う日もある。
けれど、信念がないわけではないと槍を手にしながら臨淵は呟いた。
「俺はあの子の師匠で、彼女の仲間だからな」
だから、通すわけには行かないのだと風の爪を走らせる。
既に魂もない大蛇の肉を風は切り裂くが、首を落とすには至らない。
わかってはいたが、鱗が尋常ではない硬さだと槍の柄で器用に尾の一撃を受け流しながら、臨淵は舌打ちをこぼす。
ヤタウミオロチは豊葦原の海に住む大妖魔であり、臨淵は書物の上でしか知らない。砂漠のジャジラで戦った赤砂オオサソリが落ちた忌みものより動きは鈍いが、鱗が固く骨が重かった。
風の刃は素早く、即座に放てるが一撃の威力が足りていなかった。
あと一手、足りていない。
それでもと槍を掴む臨淵の耳に、聞こえるはずのない声が聞こえたのはそのときだった。
「師匠っ!」
ぎょっとした。
まぁ体は勝手に動いて大蛇を躱していたのだが、臨淵個人としては驚いた。
聞こえるはずのない声に呼ばれたのだから。
見れば、結わえた髪を跳ねさせながら少年が一人宙を踏んで臨淵と同じ高さに上ってきていた。
風で飛んでいる臨淵と異なり、少年は自分の足元に水を集めて足場にし、飛び石のようにして器用に虚空を跳ねている。
そうして跳んできた少年は、臨淵の前までやってきて止まる。
「臨淵師匠!」
そう呼びかけられた直後に、大蛇の尾が少年の頭上から落ちる。
風の塊で尾の軌道を逸らして、臨淵は叫んだ。
「
「蒼姐が引き受けてくれてます!……師匠、
「……」
戻れ、と言う前に堂々と宣言されて臨淵は思わず口を閉じた。
二人とも宙を飛びながら、大蛇を避けながらの会話で聞こえづらいが、雨亭の言いたいことは理解した。
大気の水を集めて自由に空を踏みしめる少年は、きらきらと光る翠の瞳と、一点の光もない漆黒の瞳で真っ直ぐに臨淵を見ている。
虚海という原初の大海は、水の霊力に満ちている。
だからこそできているのだろう。
生命にとっては魂を殺す毒海の水も、神の欠片で生きているこの子には障害にならない。
それでも、臨淵は頭を振った。
「駄目だ、戻れ」
「嫌です」
「雨亭」
「嫌です!師匠、
「……」
それはまさに臨淵が求めていたことで、咄嗟に返せない。
押し問答する端から牙を向いて襲い掛かってきた大蛇を、師弟はそれぞれ旋回して避けた。
「おれが倒せるなんて思っていません!五秒だけ!五秒だけ稼ぎます!師匠、それだけあれば大技撃てますよね!前に言ってたから!」
少年の澄んだ声に、臨淵は否と応えられなかった。
「師匠!」
速く!とこちらを向いた二色の瞳が言っている。
「……わかった」
槍をきつく一度握り締めて臨淵が頷くと、薄闇でもわかるほどに雨亭の顔に笑顔が乗る。
何故、と問う前に雨亭は動いていた。
水の雫を踏んで跳び、夜空のような暗闇を子明の銀刃が走って水刃が蛇の牙を逸らす。
子明は宙で軌道を変えて剥がれた鱗の隙間の肉に突き刺さり、雨亭の体が軽々と跳んだ。
大蛇の視線が、小柄な少年に向けられる。
雨亭の翠の瞳が、大蛇の虚ろな黒瞳に映ったように見えた。
しかし即座に少年の体は水を支えにしてさらに跳ね、大蛇の心臓付近に突き刺さった槍の柄に子明を巻き付ける。
子明の縄を掴んだ雨亭が、全身の力を使って腕を引く。
深々と胸に突き立った楔のような槍を引かれ、大蛇の体がほんの僅か傾いだ。
傾いだ大蛇の巨体に、細い鎖のような形へ転じた虚海の黒水が幾筋も幾筋も襲い掛かる。
かつて大蛇を仕留めようとして果たせなかった墓標のような武器たちに、細い水の鎖は次々に絡みつき、下へと引き摺ろうとする。
全身に突き刺さった武器の杭により、束の間、大蛇の体が完全に静止した。
少年が師を振り仰ぐより速く、臨淵は槍を既に構え終えていた。
風が唸り、穂先に収束する。
翠をまとった風の槍へ臨淵は霊力を注ぎ込んだ。
大蛇も、頭上で高まる力に気がついたのだろう。水の鎖と武器を引き千切り叩き折り、拘束から抜け出して鎌首をもたげる。
大蛇の黒瞳が、宙を踏みしめ龍眼を光らせる少年へ向けられた直後。
翠風で編まれた大槍が、大蛇の頸を穿つ。
何百年と生きた大木の幹よりも太い柄と、極寒の氷柱より遥かに鋭い刃の槍は、過たず大蛇の頸を斬り落とし、海へ沈めた。
頭を失った体が水を割ってのた打ち、雨亭はその断末魔の動きを慌てて避けた。
宙を走りながら大蛇を飲み込んだ水面へ目を凝らすが、起き上がる気配はない。
物理的に行動不能なまでに体を破壊すれば、忌みものが倒せるのは真実なのだと身を以て理解して、師匠にどう言い訳しようかと上を見上げ、硬直した。
大技を放ったその姿勢のまま、宙から落下する臨淵が目に入ったからである。
「師匠!?」
泡を食って宙を跳び、雨亭は落ちてきた臨淵へ腕どころか体全体を差し伸べる。
まさか黒水で受けるわけにも行かず、全身で青年の体を受け止める羽目になった少年は、蛙が潰れたようなうめき声を上げた。
際立った長身ではないが、無駄な部分を刮げ落として鍛えた臨淵の体は至極重く、身長差だってある。
「し、師匠、重ぃっ……!」
ふらふらと、羽を怪我した鳥のように雨亭の高度が下がる。掴んだ臨淵の服の裾がずるりと手の中で滑り、雨亭は歯を食いしばる。
が、水面に触れるより先に臨淵が目を開け、風が渦巻いた。
二人分の体がすいと浮かび上がり、雨亭は足元から黒い水面が遠ざかるのが見えてほっと息を吐く。
「雨亭、大丈夫か?」
「それおれの台詞なんですけど!」
安心した直後に平坦な臨淵の声が振ってきて、雨亭はさすがにくわりと犬歯を剥いた。
臨淵の胴に抱きつくようになっていた体勢をやめ、自分の水霊力で足場を築いて立とうとしたところで、風に護られているのに気がついた。
風の球体の中に入れられた少年は、ふわりと浮かんだままむすりと頰を膨らませて師匠に噛み付く。
「びっくりしたじゃないですか!いきなり落ちてくるから!何ですかあれ!」
「……この空間の風は操りにくい。束ね、無理に捻じ伏せて槍にした反動があってだな……」
「先に言え───ってください!」
「言う前にお前が動いていた。それに、あの高さからなら水に落ちる前に意識は戻っていた。心配をかけて済まなかったな」
「……」
怒っていますと顔に出ている少年は、何かを言いたげにぶんぶんと手足を振り回す。
けれど、結局言いたいことが見つからなかったのかむくれた顔のまま、ふん!と横を向いてしまった。
雨亭が、こうまで年相応になるのは珍しい。
微笑みそうになって、いや師匠のくせに何助けられた上に心配をかけさせているのかと、臨淵は己の中の冷静な部分に殴られた。
それでも、うれしかったのだ。
一人で力を使い果たす寸前まで戦って落ちて、地面に叩きつけられる前に意識を取り戻して立て直すのは以前もあった。
危険な技は承知しているが、しくじったことはない。
しくじっていたら、臨淵はここにいないだろう。
が、落ちる体を途中で受け止められたのは、初めてのことだった。
「師匠!聞いてるんですか!ろくに聞かずに突っ込んだおれも悪いですけど、先に教えててくださいよ!びっくりしたんですからね!」
「ああ……そうだな。済まない」
「一人で戦ってたときどうしてたんですか!」
「いつも間に合っていたんだ。けれど、お前がいてくれて助かった。虚海の上であれを撃つのは苦労するからな。お前は何とも無いのか?」
「おれは水霊性だし眼があるから平気です!というか、笑ってる場合ですか!」
「ん?」
言われ、臨淵は初めて己が薄く笑っていることに気がついた。
嬉しいから、微笑む。
実に単純な話である。
「……とりあえず、オロチはこれで片付いた。戻ろう」
「絶対あとで蒼姐に言いつけてやる……!」
「おい待てやめろ」
口喧嘩で言うならば、臨淵は弟子とその姐に負けっぱなしである。
まだ怒りが収まらないらしい弟子を風に包んだまま星舟へ戻り、甲板へ降り立つ。
降り立って、師弟二人は首を傾げた。
静かなのだ。血の臭いは残っているが、争いの気配はない。
どころか、甲板のところどころに、木でできた繭のような物体がある。
大きさは、大人一人の身長と同じほどだろう。木製の甲板に直接根付いた繭は林の木々のように生えている。
その数は、概ね甲板にいた船員たちと同じであった。
「あっ、戻って来た!もうウミオロチ倒したのかい?」
それら繭の影から現れたのは、銀烏である。
軽い足取りで駆け寄ってくる彼女の後ろには、ふわふわ飛ぶ蒼姐とソル、マーニもいた。
二人の顔を見た蒼姐が、ぱっと笑顔になる。
「おかえりなさい!雨亭くん、臨淵。怪我は?」
「平気だよ。でも師匠が大技使って海に落ちかけた」
「雨亭……!」
止める間もない告げ口に、笑顔だった蒼姐が飛び上がった。
「何ですって!」
「おれでも受け止められたけど、師匠一人だとちょっと危なかった」
「りーんーえーんーっ!」
目を三角にした蒼姐にたじたじと下がりたくなりながら、臨淵はひとまず周囲の不自然な木の繭たちを指さした。
「待て、それは後にしてくれないか。これは、この繭は何なんだ?」
「ああ、いわゆる【神罰】だよ」
得意げに腰に手を当ててややそっくり返りながら、銀烏が言う。
この繭一つ一つに、船員たちが封じ込められているのだと。
「ボクは月の神の眷属的なあれだからね。神にここで起きてることを伝えて、助けて下さいってお願いしたの。そうしたら、甲板がめりめりって動いてこうなったわけ」
「この舟は月神の加護がかかっていますから、繋がりさえ結べたら月神からも干渉できます。それに月神は木神としての側面も持っていますから、この舟の木材を直接操って船員を拘束できたんですよ」
「正確には、忌みものへ人を食わせていたことに対する罪悪感を抱く者全員だよ。この舟すべて、豊葦原から切り出された木により出来上がっているのだもの。造作もないね」
つまり、銀烏が豊葦原の月神に申し立てたために、この星舟内で忌みものへ人を食わせていたことへ罪悪感を抱いていた者は皆木の繭へ取り込まれたらしい。
一片の後悔もないままに人を殺めていた者がいないのが幸いだと、臨淵は内心で安堵する。
しかし静まり返る舟は、それだけこの船内に今回の悪事に加担していた者たちがいたという証でもある。
本当に、自分たちはとんでもない舟を引き当てて乗っていたのだ。
とはいえその偶然がなければ、今雨亭と楽しそうに話しているあの兄妹は無事ではなかったろう。
雨亭に平和な舟旅をさせてやれなかったことは心苦しいが、友人になれそうな子どもたちと知り合えたのはよかったのだろうと、臨淵は少し頬を緩める。
そんな青年の背後に、ぞろりと蒼い少女が怒り顔で現れた。
「りーんーえーん?あなた、あの大技でスタン状態になるって雨亭くんに言ってませんでしたねぇ?」
「……」
「言ってなかったんでしょ!もう!師匠としての見栄かなにか知りませんけど!報連相はちゃんとしてください!わたしでも知ってたのに!」
「……すまない」
「おいおい蒼ちゃん、そこのお兄さんはヤタウミオロチ倒したんだから、そこまで怒らなくても────」
「ダメです!臨淵には今!その場で!言わないとダメなんです!いいですか!臨淵が怪我したら、雨亭くん本気で泣きますよ!泣かしたら許しませんし、わたしも哀しいのです!」
「へ、へぇ……ごめん師弟の話はボクわかんないかな……」
「……」
助け舟を出しかけていた銀烏が引きつり笑顔で後退し、蒼姐はくるくると臨淵の周囲を高速で回りながら怒る。
一言返せば三言は言い返されるので、臨淵は黙るしか無い。
と、その三人から離れてソル、マーニと無事を喜び合っていた雨亭が何かに気がついたように駆け寄ってくる。
「あの、銀烏さん、蒼姐、すみません」
「はい?」
「ん?」
「さっき、この舟にいる罪悪感を感じた人皆に天罰が下ったって話だったけどさ、それって舟の中にいる人もなのか?」
「そうだよ。この舟に足をつけていてちらとでも罪を感じた者皆、神は見逃していないさ」
得意気な銀烏に対し、さっと雨亭とソルの顔が青褪める。
「銀烏、それならまさか……
「え?……あっ」
ぽかん、と神罰を呼び込んだ少女が固まった途端。
ドンッ、とまたもや舟が揺れる。
しかし今度は、何か岩にぶつかったかのような衝撃であった。
「わー!しまったごめん!多分コレ、船員全滅してる!ど、どどどっ、ど、どうしよう!」
「何してくれてるんですかーっ!これだから神は融通利かなすぎなんです!解除はできないんですかっ!」
「で、できないよぅ!彼らが解放されるのは豊葦原についてからって神罰なんだもの!」
要するにこの星の舟、今現在、舵を握る者すらいない。
座礁待ったなしであった。
ぱんっ、とソルが大きく手を叩く。銀烏と蒼姐も止まるような、大きな音だった。
「銀烏!落ち着いて!オレ船なら扱ったことあるから!臨淵さん!風で星舟は動かせますか?」
「多少なら」
「ソル、おれ水流を少し変えられるよ」
「わかった!じゃあ臨淵さんと雨亭はオレと来て!どうにかしなきゃ!」
少年の言葉に、ひとまず師弟は操舵室目指して走り出すのだった。
割りと弟子を説教できない師匠で、弟子を怒れない師匠です。
ちなみに、臨淵が天魔に負けた理由はこの技後硬直時間です。大蛇を両断できる技を生身で受け止められてカウンターされたため。
Xのタグ遊びで、昨日この作品のキャラについての出してない設定を呟いたのでご興味ある方どうぞ。
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何故かこちらにはリンクが上手く貼れませんでした…。