では。
「ヤタノハクギョはですね、超大きな魚なのです!生身の大人を丸呑みできるほど巨大で、ため池や湖の主となっている場合が多い生き物です!吊り上げるにはゴリラ以上の腕力と根気が必要になりますが、味は超!美味!です!」
「どれぐらい?」
「うーむ……説明は難しいのですが、たとえばヤタノハクギョは海にすむ魚ではないのに、まったく泥臭くないのですよ。まろやかかつ蛋白な、白身の魚です。内包する水の霊力が高いためと言われていますが、実態は明らかになっていません。ひとまず豊葦原初心者が覚えるべきは、『めちゃくちゃ採るのが大変だけれど、めちゃくちゃ美味しい魚』という点です。皆さん、わかりましたね?」
てんでばらばらの『はい』という返事が、【豊葦原】の宿の一室に響いた。
人も、人ならざるものも混ざり合う空間の中心でふわりと浮かびながら、教師のように説明をしていた半透明の少女、蒼姐は幾度も頷く。
「はい、ありがとうございます。……そんなこんなでわたしたちはソルくんの就職のために、料理人試験を目指すパーティーとなったわけですから、よろしくお願いしますね。ソルくん?」
「あ、ああ。……だけどいいのか?蒼姐さんたちだって旅の目的があるのに、オレたちを手伝ってくれて。そりゃ、助けてもらえるのは有難いけど……」
ソルの一言に、
「心配いらない。
「臨淵、素直にヤタノハクギョを食べてみたいからついて行きたいって言ってもいいんですよ?あなたの腹ペコキャラぶり、少なくとも雨亭くんとわたしにはバレてると言うか……基本、美味しい料理が好きでしょ、あなた」
「嫌いな者がいるのか?」
「うわ曇りない眼ぉ。
「ん?」
臨淵の隣に膝を揃えて正座していた雨亭は、首を傾げる。
「おれもいいよ。ソルが働き口見つけられるかって話なんだろ?おれたちは豊葦原を旅できて、ソルが仕事見つけられるならいいと思う。師匠も美味しいご飯食べられるし」
「あたしも嬉しい!みんなで一緒のほうがにぎやかだもん。ねっ、銀烏?」
「そうだけどー……ボクはほら選ぶ側だからついてけないんだよねぇ。贔屓になっちゃうし。そも仕事がまだ残ってるから……キミたちの旅には同行できないかな……」
「ええーっ!なんでよぅ!」
「マーニ、銀烏を困らせたら駄目だぞ。オレが料理を作ってたら、また会えるんだから我慢しろ。な?」
銀烏の袖を握っていたマーニは、丸い瞳を大きく開いて神官の少女を見上げる。
「ほんと?」
「ほ、ほんとだよ!でも、それはキミたちが無事に試練を潜り抜けたらの話だからね!頼んだよ、龍爺さんとこのそこの三人!」
「心得た」
臨淵の応えに安堵したように銀烏は頷き、衣の裾をひらりと払って立ち上がった。
「じゃあ、さよならは言わないよ。またあとで。選定の儀は二ヶ月後に都で行われる。キミたちと再会できる日を、ボクは楽しみに待っているよ」
名前の通り銀の烏のように身軽に、銀烏は窓枠から外へふわりと飛び降りる。
雨亭とマーニが窓に駆け寄り外を見るが、地面には誰もいない。
ただ、空からふわりと漆黒の鳥の羽だけが一枚落ちて来て、雨亭は手を伸ばしてそれを受け止める。
「……」
雨亭は、それをマーニへ渡す。
何となく、彼女が持つにふさわしい気がしたのだ。
受け取ったマーニは淡い水色の空を仰ぎ見、にっと笑った。
「ありがと雨亭!じゃ、これからよろしくね。兄ちゃんのごはんってすごいおいしいから、絶対勝てるよ!」
「ま、マーニ!ちょっと待ってくれよ!あ、あのさ、オレって豊葦原の飯、何も知らないんだけど……!」
引き受けたはいいものの、何も知らないのだとソルは顔を青ざめさせる。
「んー……ソルくんソルくん、落ち着いてください。あのですね、神前料理対決って別に絶対一位にならなきゃいけないってわけでもないんですよ」
「へ?」
その肩を、蒼姐が突いた。
「選定の儀というだけあって、確かに勝者は神に捧げる料理を作る権利を得られます。それはこの世界で最高の栄誉です。なので大勢の豊葦原人が対決の場には詰めかけるんですよ。この世界の他の料理人や料理屋の経営者までも」
「……神に選ばれずとも、人に拾われる可能性はあると言うことか?」
真面目な顔のまま口を開いた臨淵に、蒼姐は大きく頷いた。
「そうそうその通り!一位になれなくても、光るものを見出されたら雇ってくれる人は現れますよ。要は一大スカウトの場です。幸いにして、豊葦原人はこと食に関しては革新的と言うか異国情緒ある料理であろうと積極的に食べたがりますからね。他の分野においては保守的な面はありますが、食に関しては大いに開放的です。美味しいものに界境はない!というか」
「見た目がメヘラス人のオレでも?」
「んむむ、全員が両手を広げて受け入れてくれるとはわたしには言えません。が、ええ、それでもソルくんが料理の腕を見せつけたら捨て置かれることはないでしょう。そも、ソルくんくらいの歳で、しかもどこにも所属してないまま選定の儀に出られるってだけで相当凄いんですよ。銀烏はそういうとこ贔屓目しないでしょうし、本当にソルくんの料理が美味しかったんでしょう」
指を立ててつらつらと語る蒼姐の言葉に、ソルの顔色が良くなる。
「……わかった。それなら頑張れる……と思う。蒼姐さんってほんとに豊葦原に詳しいんだな。ありがとう」
「いーえいえ、わたしは見ていただけです。実際に来るのは初めてなんですよね。雨亭くんたちと一緒です。……改めて考えたらこの面子、誰も豊葦原を旅したことありませんね」
「あとさ、おれ気になってるんだけど豊葦原で人気の料理って何だろう。昨日のご飯は魚が多かったけど、変わった汁物もあった。ソル、昨日使われてた調味料わかるか?ヤタノハクギョを使うってことは魚料理になるんだろうけど、神様の好みとかもあるだろ。師匠はあっさりした味付けが好きだけど、レーニは味が濃いのが好きだし」
「うっ」
勝つためには敵を知れ、とは雨亭が臨淵に散々言われてきたことだ。
ソルが挑もうとしているのは雨亭が戦ってきたような相手ではないが、勝ち負けがあるならば通じるものはあるだろう。
臨淵がすっと手を上げた。
「一度市場に出るのはどうだろうか。港からここへ来る間に、かなり大きな市場を見かけた。あそこなら調味料や食材を見られるんじゃないか?」
「
後半小声で何事かを早口に言った蒼姐をいつものことと流し、五人は宿を後にして市場へ向かう。
早朝を過ぎた市場は大勢の人々で賑わっていた。
人々の集まる街と言えば、雨亭は
大月市という名を掲げた市場を塵扶のあの町と比べてみれば、目についたのは人々の違いだった。
金髪のメヘラス人や浅黒い肌のジャジラ人が見受けられた鱗外鎮と比べれば、大月市は豊葦原人の顔をした者が多かった。
塵扶人と豊葦原人はどことなく顔立ちが似ているが、ソルやマーニとははっきり異なる点がある。
食材が並べられた市場の一角にて、調味料の露店の前で足を止めたソルたち兄妹の後ろで臨淵はふと呟いた。
「塵扶の街よりも、人の種類が少ないのか……」
「抱月港は主に豊葦原内部の行き来に利用されてますからね。他所の世界からの星舟が着くのは都の近くの港なのですよ」
「俺たちが本来向かうはずだったところか」
「ええ。でもヤタノハクギョの生息地から考えたら、大月市のあるこの街のほうが近いはずです。ラッキーと考えましょう」
半透明な浮遊する少女という幽鬼の体はこの市場でも目立つために火の玉になった蒼姐が、雨亭の肩の上で言う。
龍眼を隠すために頭巾を目深に被った雨亭も、その言葉に頷いた。
「師匠、おれたちも市場で買い物したほうがいいですよね?地図とか携帯食料とか。買い足さないといけないものそこそこありますし」
「そうだな。それに夜雷の探し人の情報も欲しい。
と、臨淵がそこまで言ったとき、懐で翠の宝珠が輝く。
臨淵が取り上げてみれば、またしても宝珠の表面に文字が浮かび上がっていた。
黙読した臨淵が雨亭と蒼姐を見下ろす。少し眉が下がっていた。
「吾の用事にそこまで気を回さず思うようにやれ、と言っているな……」
「初めてのお使いを心配してるお母さんですか彼は。……もしや、それを通してずーっとわたしたちのこと見てるんでしょうか?」
「夜雷様、塵扶から離れられないって言ってたし別の世界が楽しいんじゃない?夜雷様、見えてますか?おれたちは元気ですから、心配しないでください」
臨淵の手に乗った宝珠を指で雨亭がつんつんと突くと、宝珠は瞬いて文字を消す。
これは見えてるな、と三人は頷き合った。
「なんか、旅の仲間が増えたみたいで楽しいですね。ビデオレターを送り続けてるみたいなものでしょうが」
「よくわからないが、仲間が増えたと言うのはそうかもしれないな。……仙にそのような感情を抱くのは畏れ多いが、賑やかなのは俺は好きだ」
「え?臨淵、初対面あんなに硬いし怖い顔してたのに?」
「……」
「わー!ごめんなさい無言で眉を下げないで!謝ります!謝りますから!でももうわたしこれあなたのこと冷徹クールキャラって見れないんですけどー!」
ぽぽぽぽんぽんと跳ね飛ぶ蒼姐を頭巾の上からゆったり抑え、苦笑した雨亭は少し離れたところで露店に並べられた調味料と睨み合っているソルとマーニへ視線をやった。
蒼姐は、ソルがいつか復讐者になる未来を知っていると言った。
雨亭と同じく、彼も何かしらのきっかけで惨い生き方に絡めとられてしまうらしい。
今、妹と一緒に過ごしている姿からは想像もできない。
過ごした時間は短いが、雨亭はソルのことが好きになっていた。
賑やかで騒がしく、自分を巻き込んで来たレーニとは違うが、話すと楽しく友人になりたいと思う。
もし同じ星舟に乗り合わせていなければ、マーニは確実に生命を落としていただろう。ソルが無事だったかもわからない。
銀烏は神の眷属ではあれど、戦う力は本当に持っていなかった。見た目通り華奢な少女程度の膂力しかなく、武術や霊力を使う様子もない。
星舟での事件を調べていたとは言うが、彼女にマーニを護れたとは思えない。
神の眷属の前で、妹が無惨にも生命を落としてしまったとなれば。
ずっと妹を護って旅をしてきた兄が変わってしまう、十分な理由になったのではないだろうか。
雨亭は唇を軽く噛んで考える。
蒼姐に助けられて十の誕生日を無事に越えられた後も雨亭は何度か死にかけたし、胡陀は諦めなかった。また胡陀に会えばどうなるか、想像できない雨亭ではない。
彼に執着された原因の龍眼は今も変わらずここにあるのだ。
蒼姐が見る未来の中に敷かれた悲惨な道は、一度逃れたとしてもそう簡単に変わってはくれないのではないだろうか。
だとしたら、まだソルやマーニから離れないほうがいいと雨亭は思う。
「雨亭ー!ねぇ、こっちに来てこの字読んでくれないー?兄ちゃんもあたしも読めないのー!」
「わかった!」
マーニに呼ばれ、雨亭は二人に合流しようと駆け出す。
そのとき、真横から走って来た誰かが雨亭にぶつかった。
「わっ」
「!」
雨亭はその場でよろけるだけで踏みとどまるが、ぶつかってきた相手は跳ね飛ばされたように地面に転がる。
見れば、そこにいるのは雨亭と同じほどの背丈の細身の人間。
こちらも目深に灰色の頭巾を被っており、顔は見えないが裾から出ている手足は色白で細かった。
「だ、大丈夫か?」
雨亭は片手を差し出す。
「……」
相手は無言でその手を取った。ひんやりとした滑らかな指が触れ、引っ張り上げた弾みで頭巾の下の顔が垣間見える。
目の当たりにしたその姿に、雨亭は呼吸を一瞬忘れた。
「────え?」
真っ直ぐな黒い髪と澄んだ瞳に、すっと通った鼻筋と小さな口、貝殻のような小さな白い耳と滑らかな頬。
今まさに肩の上に収まっている幽鬼の少女をいくらか幼くしたような、けれど紛れもない生身の少女の顔がそこにあったからだ。
やっとそれっぽい少女が現れました。