推しの生命が儚すぎる by亡霊系転生者   作:はたけのなすび

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では。


37話

 

 

 喉が貼り付いて、上手く動かせなかった。

 触れたいと、幻ではなくそこにいるのだと体温を確かめたい相手と、同じ顔がそこにいる。

 目の前、手を伸ばせば届くところにいる少女と、肩の上に乗っている蒼い鬼火の少女を思わず見比べそうになった。

 

雨亭(ユウティン)?」

 

 後ろから臨淵(りんえん)に名を呼ばれなければ、雨亭は彫像のように固まったままになっていただろう。

 突然動きを止めた弟子を見下ろした青年は、少年と手を繋いだ少女の顔を覗き込み目を開いて固まる。

 手を取られたままの少女は、ゆっくりと首を横に傾けた。

 

「ゆうてぃん?ゆうてぃん、ゆうてぃん?」

 

 掠れてひび割れた、低い声に雨亭は頷く。

 

「そ、そう、だよ。……きみは、誰?」

 

 何故か、一言も話さない蒼姐(ツァンジェ)を肩に乗せたまま雨亭は問いかける。

 黒い髪の幼い少女は、右目だけを瞬かせた。

 体の横でだらりと垂れさがっていた腕がかくんと持ち上がり、少女自身を指さす。

 

「……ゆうてぃん?」

「それはおれだよ」

「……」

 

 はた、とまた少女が右目を瞬く。

 凍りついたように開いたまま微動だにしない左眼を見て、雨亭は気がついた。

 少女の左眼は、見えていないのだ。

 黒い瞳は日の光を通しておらず、陶器に筆で描かれた人形の眼のように見開かれたまま動かない。

 よく喋ってよく笑い、くるくると表情が変わる蒼姐を知ってるだけに、似た顔立ちの少女に何と言葉をかけていいか雨亭にはわからなかった。

 

「雨亭、臨淵さん、二人ともどうしたんですか?」

 

 通りの真ん中で動かなくなった三人を不思議に思ったのだろう。

 香辛料の露店から離れたソルとマーニが駆け寄って来る。

 マーニはぱたぱたと走り寄って来て、雨亭に手を握られたまま人形のように微動だにしない少女を覗き込んで大きな声を上げた。

 

「あれっ!蒼姐さんの妹さん?」

 

 こてり、と少女が首を傾げる。

 言葉の意味がわからないとばかりの、呆けた栗鼠のような仕草だった。

 

「マーニ……」

「え、違うの?だって顔がそっくりだよ。蒼姐さん、妹さんか……親戚なんでしょ?」

「……」

「あれ、蒼姐さん?」

「蒼姐?」

 

 雨亭の肩の上、灯台のように灯っていた蒼姐の炎は動かなくなっていた。

 心の底から驚愕したときに蒼姐はこうなるのだと雨亭も臨淵も知っている。

 つまりこの幼げな少女は、蒼姐にとってまったく想定外の人物なのだ。

 だが、少女からは敵意も悪意も何も感じない。

 そうであったなら、雨亭は少女がぶつかる前に気がついたはずだから。

 

 明らかに左眼が見えていない、蒼姐の妹にしか見えない幼い少女。

 

 どうしたらいいのか、雨亭にはまるでわからなかった。

 蒼姐が自分たちと出会うまでどこでどうしていたのか、ほとんど知りはしないのだから。

 一度手を離したほうがいいのではないかと指の力を緩めた途端、少女は雨亭の手を強く握って来た。

 溺れた者が板切れに縋りつくような必死さを細い指先から感じ取り、雨亭は手を握り返す。

 

 何故か、この手を離したら駄目だと強く思ったのだ。

 被った頭巾の下で、雨亭の翠の左眼が淡く輝く。

 

「きみ……きみを、小蒼(シャオツァン)と呼んでいい?」

「しゃお、つぁん?」

「うん」

「しゃおつぁん……ゆうてぃん?」

 

 雨亭と繋いだ手と逆の手の指が、少女と雨亭の間で動く。

 雨亭はその手を取って、指の先を少女自身に向けた。

 

「うん、きみが小蒼で、おれは雨亭」

「しゃおつぁん、ゆうてぃん?」

 

 少女の指が、今度は雨亭の肩の上の鬼火に向かう。

 雨亭はゆっくりかぶりを振った。

 

「この人は蒼姐。雨亭はおれ」

「つぁん、じぇ?……しゃおつぁん?」

 

 今度は少女の指が臨淵へ向かう。

 青年もゆっくりと頭を横に振った。

 

「違う。俺は臨淵だ。臨、淵。その子が雨亭。……お前は、小蒼だ」

「……しゃおつぁん?」

 

 少女────小蒼の指先が、ようやく彼女自身へ向かう。

 

「しゃおつぁん?……しゃおつぁん?」

 

 人の言葉をただただまね続ける鸚鵡のような響きの声に、雨亭と臨淵はゆっくりと頷いた。

 

「そう。きみが、小蒼だ。きみは、小蒼だよ」

 

 波音一つ立てず石を水底に沈めるように、ゆっくりと雨亭はそう口にする。

 ぼんやりと霞がかっていた小蒼の瞳の奥の奥に、ふ、と光が灯る。

 繋いだ手に急に力が籠り、雨亭の指の骨がみしりと軋んだ。

 小蒼の口が開き、掠れながらも弾んだ声が飛び出る。

 

「小蒼小蒼、小蒼、小蒼小蒼!」

 

 歌うように叫び雨亭の手を握ったまま、小さな少女は黒髪を風になびかせて仔犬のように飛び跳ねる。

 

「ぇっ、わっ────」

 

 小蒼と手を繋いだままの雨亭は、両足が地面から離れるのを感じた。

 細い腕一本でぐわんと持ち上げられて振り回され、内臓がふわりと持ち上がる。

 

「雨亭くん⁉」

 

 ようやく復活したのか、少年の肩の上で蒼姐が跳ねて雨亭の名を呼ぶ。

 しかし小蒼はまったく気がつかないのか、雨亭を小枝のように片手で持ち上げてくるくると回りながら幾度も名前を繰り返した。

 

「小蒼、小蒼、小蒼!小、蒼!」

 

 吠えるような声で笑顔を振りまく幼い少女を取り押さえるわけにもいかず、臨淵は少女の肩にどうにか手をかけて叫んだ。

 

「小蒼、待て、少し止まれ!雨亭から手を離してやれ!」

「?」

 

 言われ、驚いたように固まった小蒼はぱっと手を離す。

 

「あ」

 

 間の抜けた声を上げたのは、一体誰だったのか。

 急に手を離された雨亭の体が、大きく弧を描いて小石のように吹っ飛ぶ。

 

「雨亭!」

 

 臨淵の放つ突風が何とか露店に叩きつけられる寸前の少年を掬い上げて、地面に降ろした。

 

「雨亭、大丈夫か?」

「は、はい……」

 

 足元をふらつかせて立ち上がった雨亭の側に、小蒼が兎のように駆けつける。

 

「小蒼、小蒼、小蒼!」

「うん……うん。そうだよ。きみは小蒼だけど……いいのか?」

 

 蒼姐のように名前を言いたくない子なのかと、そう思ったから仮の名前で呼んでみたのだ。

 けれど最初から、小蒼は名前を持っていなかったとしか思えない。

 しかも、雨亭が送った名前を心の底から喜んでいる。雨亭が蒼姐から名前を貰ったときのように。

 小蒼は、自分自身を指さしてきょとりと首を傾げていた。

 

「小蒼?」

「……」

 

 どうやら、小蒼は名前を気に入ったらしい。

 それはいいのだが。

 

「あの……小蒼ちゃんはどこの子なんですか?蒼姐さんの妹さんじゃないんですよね?」

「……」

「……」

 

 ソルの言葉に、臨淵と雨亭は沈黙する。

 小蒼はといえば、仔犬のように雨亭に両手でしがみつき、頬を少年の首筋に擦り寄せて無垢ににこにこと笑っているばかりだ。

 小蒼(シャオツァン)小蒼(シャオツァン)と何度も呟いている様子は、人というより獣の子どものようだった。

 藁人形のように雨亭を持ち上げて振り回した膂力といい、普通の人間の迷子ではないのだろう。

 ゆらり、と蒼姐が揺らめいた。

 

「……その子は、わたしの身内です」

「え?」

「妹という関係ではありませんが、身内です。……【公主】と呼ばれています」

「【公主】?」

 

 臨淵が呟くと、小蒼のほんの微かに先の尖った耳がぴくりと動いた。

 右眼だけを吊り上げて臨淵を見つめ、激しい調子で口を開く。

 

「小蒼!」

「……お前は【公主】というのではないのか?」

(シャオ)(ツァン)()小蒼(シャオツァン)!」

 

 卵を取られまいと翼を広げて威嚇する鳥のように、小蒼は手も首も振りまわす。

 【公主】を全身で拒絶する少女に、雨亭も臨淵もソルも眉を下げた。

 ただ一人、マーニだけがふーんと何でもないように鼻を鳴らす。

 

「蒼姐さん、この子、公主って人じゃないみたいだよ。だって、違うって言ってるもん」

「……ええ、そうですね。ごめんなさい、【公主】は忘れてください。その子は小蒼です。そういうことにしてしまいましょう────いえ、それを事実とします」

 

 ぱちりと蒼い炎の玉が弾け、厳かな気配すら放ちながら蒼姐は言った。

 小蒼の右の瞳に、その炎に呼応するような蒼い光が一瞬垣間見える。

 

 パンッ、と蒼い火花が散って小蒼の髪がふわりと浮き上がり、元へ戻る。

 

「……?」

 

 額を小さな手のひらで擦りながら小蒼は幾度も右眼を瞬き、蒼姐は物憂げにちかりちかりと瞬いた。

 待っていたかのように、ソルが手を上げた。

 

「あのー、皆。オレから提案なんだけどさ。……一回ここから離れない?」

「あ」

 

 一同、辺りを見回す。

 市場の大通りから数本離れているとはいえ、露天立ち並ぶ通りの中心で騒いでいたのだ。

 装いや見た目から、明らかに異界から来たとわかる旅人たちがそんなことをしていれば当然目立つ。

 悪事を働いたわけではなくとも、経験上目立つとろくなことがなかった塵扶の三人はすぐさま頷いた。

 思い立って、臨淵はまだ蒼姐と雨亭を見つめていた小蒼へ手を差し伸べた。

 

「小蒼、俺たちと一緒に来るか?」

「小蒼!」

 

 何の躊躇いもなく笑顔が弾け、小蒼は臨淵の手を握る。

 そのまま小蒼は子熊が母熊に甘えるように臨淵の背中によじ登って、両腕を青年の首に回した。

 止める間もない、あまりに素早い行動だった。

 臨淵の背中に収まった小蒼は、くくくくと喉を鳴らしながら青年の首筋に頬を擦り寄せる。

 

「小蒼、そこでいいのか?」

「小蒼!」

「……」

「……」

 

 臨淵は困ったように雨亭を見下ろし、弟子の少年は肩をすくめる。

 小蒼、小蒼とただただ繰り返す少女は名前がないどころか、人の言葉を持っていないらしい。

 とはいえ、蒼姐の面影がある少女に雨亭も臨淵も強く出られない。

 その場から足早に離れて、ひとまず市を囲む川辺に出て全員ほっと息を吐いた。

 臨淵の背中に貼りついていた小蒼は、するすると降りる。降りて、今度は雨亭の後ろにまたしても貼りつく。

 自分の頬を雨亭の頬にすり合わせて仔猫のように喉を鳴らす小蒼だが、その腹がぐうと大きな音を立てるのを聞いてソルが苦笑した。

 

「オレ、昼飯適当に買ってきます。マーニ、行くぞ」

「え?」

「いいから、オレたちは行くぞ」

 

 言って、ソルはマーニの手を引いて立ち上がる。

 その背中に蒼姐が声をかけた。

 

「ソルくん、お金は?」

「大丈夫です!しばらくしたら戻るので!」

 

 兄妹が走り去り、蒼姐が雨亭の肩から降りてふわりと人の姿を取る。

 流れる黒い髪に高く通った鼻筋、半透明とはいえ整ったその顔はやはり並んでみれば小蒼とよく似ていた。

 姉妹としか言いようのない二人に雨亭も臨淵も無言になり、小蒼だけが屈託のない笑顔のまま雨亭にくっついて離れない。

 見た目だけで言えば同じ年頃の少女が吐息のかかる距離にいるのに、まるで猫に懐かれたような気持ちにしかならなかった。

 

 小蒼には、あまりにも人間らしい振る舞いがない。

 見た目はほとんど人間であるのにも関わらず。

 

「……蒼姐、教えてほしい。この子は蒼姐の身内って言ってたよな。どこから来た子なんだ?」

「少なくとも、人間ではないのだろう。それだけならまだしも、彼女は言葉も名前も持っていない。このままにしてはおけないぞ」

「わかっています……まさか、こんなに早く現れるなんて思っていませんでした……あなたたちが長く共にいたから、この子も起きてしまったんでしょうけれど……」

 

 ふわりと宙を滑るように動いた蒼姐は、小蒼の前へ屈んで視線を合わせる。

 黒い右眼に半透明の少女を映した小蒼は、にっこりと笑った。

 

「小蒼!」

「ええ、わかっていますよ。あなたは小蒼。小蒼になったんです。その名前を決して離さないように。……でも、そのままだと不便でしょうから、少しだけ手を貸しましょう」

 

 蒼姐の指が小蒼に触れる。

 ばちん、と今度は先ほどよりも激しい音がし、小蒼の体がくらりと揺らいだ。

 

「!」

 

 雨亭は両手でその体を受け止める。

 目を両目とも閉じて、小蒼は眠っていた。

 確かな体温がある体は細く、軽い。いつだったか、胸に抱えて逃げた蛍留(けいる)よりも軽いかもしれなかった。

 

「蒼姐?」

「心配ありません。わたしが持っていたもの……言葉を複製して分けたんです。このままだと小蒼は何も語れませんから。しばらくしたら起きます。感情や記憶はあげられませんけれど、言葉なら」

「そんなことができるのか?蒼姐、お前は仙だったのか?」

「……わたしは、この子との間でしかできません。それにわたしは仙では────龍神に仕えた塵扶の守護の者ではありませんよ」

 

 雨亭に抱えられて眠る小蒼の顔を、蒼姐は覗き込む。

 深い漆黒の瞳が刹那の間だけ群青に変わった気がして、雨亭はあ、と声を上げる。

 けれど、再び雨亭と臨淵を見た蒼姐の瞳は変わらない漆黒のままだった。

 大きな黒い瞳にはやわらかい光がある。

 夜道を護る星明りのような瞳で、蒼姐は口を開いた。

 

「雨亭くん、臨淵、この子が誰かを教えます。二人には、知っておいてほしいことだから」

 

 すぅ、と蒼姐は挑むように深く息を吸う。

 

「この子……小蒼は────()()()()()()()()()

 

 雨亭と臨淵が瞳を見開いて凍りつき、小蒼はただ静かに眠る。

 さあさあと、川の流れる音が四人の間に響いた。

 

 




小蒼は、1話と7話くらいでチラッと出たので、新キャラ(仮)です。
蒼姐・リリィな外見です。

そう言えば、Xの方で呟いた与太ですが臨淵は元々女性でした。
が、雨亭と並ぶとヒロイン力高すぎてバランス崩れるので今の形になっております。
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