あとがきの嘘予告や原作設定は、伏線も兼ねているので今後も続けます。
では。
8話
虚海に浮かぶ小世界が一つ、神墜ちし【
青い瓦が敷かれた屋根と、小さな庭を持つ庵の一室にて。
「……」
「……」
円卓についた端正な顔立ちの青年と、一つの鬼火が双方無言で向き合っていた。
じ、と青翠の瞳で青白く輝く鬼火を凝視する彼に対して、鬼火は一切無言でただゆらゆらと揺らめいている。
ひたすら無言でじりじりと時間を過ごす彼らのいる部屋に、やがて外からぱたぱたという軽い足音が近づいて来る。
その足音の合間に、ちゃりちゃりと金属の音も聞こえていた。
やがて足音は部屋の前で止まり、からりと木と紙でできた扉が押し開けられる。
「師匠、
部屋に入ったものの、睨み合う彼らに気がついて言葉を止めたのは、翠と黒の二色の瞳を持つまだ幼い少年である。
襟足がのびた茶色がかる黒の髪を項で束ねて尾のように背中に垂らしており、動きに合わせてそれが仔犬の尻尾のように揺れている。
ちゃりちゃりと音を立てていたのは、細い足首に嵌った鉄輪とそこからのびる短い鉄鎖。
睨み合う青年と鬼火の間に飛び込んでしまった少年は、左右を見て眉を八の字にした。
「あの、蒼姐に師匠……ご飯、できたんですが。今、忙しいですか?」
「いえ全然忙しくありません!食べましょう
ひゅんっ、と鬼火は即座に少女の形に転じ、少年の側へ飛んで行く。
雨亭の背後に回って、蒼姐は肩越しにいーっと睨み合っていた青年───
「蒼姐、師匠に失礼だよ」
「いいんですー!わたしは臨淵の弟子じゃありませんし!」
「それはそうだけど、蒼姐もおれと一緒に師匠の庵に置いてもらってるんだよ」
「ぐっ……!」
師匠と仲良くしてほしい、と雨亭の目に書いてるのを見て取って、蒼姐は声を出す。
そんなふたりを見ながら、青年は肩をすくめた。
「雨亭、いい。そこの頑固者はどうせ俺の悪口を言っているんだろう」
「言ってませんよ!ちょっと舌を出しただけです!」
似たようなものだと雨亭は蒼姐と臨淵に挟まれる形で遠い目になった。
ひと月ほど前、魔教の落ちこぼれ弟子であった少年、雨亭は紆余曲折あって天魔の食客、臨淵の弟子になった。
ならなければ、完全に気がおかしい魔教四大魔人が一角に眼を片方抉り取られていたともいう。
雨亭は一度魔教を破門され、その上で弟子として臨淵に貰われたことになっている。
要するに召使なのだが、現在雨亭がしていることと言えば庵の掃除と食事と、朝に弱い臨淵を起こすこと。
残りの時間は字を覚えたり、料理を覚えたり、武術の練習をしたりと非常に楽に過ごしていた。
その中で雨亭が最も時間を割いているのは、料理の時間である。
少年は、料理がまったくできなかったのである。掃除は辛うじて道場の掃除をしていたがためにできたが、料理となると基礎が欠片も無かった。
最初に臨淵に竈を任されたとき、雨亭が作ったのはどろどろでべちゃべちゃで米に芯が残っている粥もどき。
ひと目それを見た臨淵は、少年に尋ねた。
「雨亭、お前の好きな料理は何だ?嫌いな料理は?」
「?」
返答は、完全に引き攣った困り果てた顔であった。
初対面の際、床にこぼされた埃と砂まみれの粥を食べていたらしい雨亭の姿を思い出し、臨淵は何となく彼のこれまでを察してそれ以上問うのをやめた。
まず普通の料理の味を知らないことには、好きも嫌いもないと。
そしてそれは、この弱肉強食の武術集団の中にいてはできないと。
よって一度山を下りて麓の街まで向かい、臨淵は子どもに一通り店の料理を食べさせることにした。
正直なところ、恐縮しまくる少年を席に着かせるだけで一苦労だった。
片方の足首に魔教の罪人がつける鉄枷をはめ、肩に鬼火を乗せて料理を食べる子どもと、そんな彼をじっと見守る他所の世界の服を着た青年の二人組は街の人間からは不思議がられたが、天魔様の食客とその弟子だと知られてからは放っておかれるようになった。
塵扶の諺にもあるように、触らぬ龍神に祟りなしである。
そして雨亭が最も目を輝かせて食べたのは、庵に最初に来た日に臨淵が出した肉と野菜の煮込みが入った饅頭。
今日この日の昼食も、その饅頭の中に入っている肉と野菜の煮込みに汁物雑穀の飯となった。
現在のところ、雨亭がまともに作れる料理はこれを入れて三種類である。
「雨亭くんは覚えるのが速いから、レシピさえあればちゃんと再現して作れるんですよねぇ。今後はレパートリーを増やしたり、自分でアレンジしたり、その場にある食材で臨機応変になっていきましょう!大丈夫です!わたしそこそこ料理のレシピは覚えていますから!」
ふわふわと雨亭の周辺を漂いながら宣う蒼姐だが、当然霊体の彼女は食べられない。
いつか料理を一緒に食べられたらいいのに、と思いながら雨亭は卓についた料理を並べる。
最初の頃は臨淵の分だけ並べていたのだが、直弟子なのだからお前も俺と同じ時間に同じ場所で食べろと言われて以来、雨亭も臨淵の向かいの席で食べるようになっていた。
てんでなっていなかった箸の持ち方や食器の扱いも、蒼姐と臨淵に言われてかなり上達した。
それでも、初めて会ったとき蒼姐に七歳と勘違いされたほど雨亭は小さく細い。
臨淵に、左眼の力を使って体力を消費しながら生きていたため、ただでさえ乏しい栄養が足りていなかったのではないか、とも分析されるほどだ。
武術を身に着けるにしろ何にしろ、食べて体をつくれと臨淵に言われたから、雨亭は今日も食事を食べている。
多分、美味しいと思うのだ。
表情があまり変わらない臨淵が、食べるときは少し目元を緩めるから。
「師匠、今日も蒼姐と話してたんですか?」
「話せていない。彼女は俺と話す気はないらしい」
「ありませんよーっだ!わたしではあなたにあなたの求めるものを返せないどころか、話を拗れさせちゃうんです!あなたの過去を話したりしませんからね!」
「……師匠、蒼姐は話が拗れるから言いたくないと」
「つまり、何かは知っているということだろう……はぁ」
何かどころか、自称未来を知っている蒼姐である。
その未来でどうやら雨亭は幾通りの複雑な原因が絡み合った末、悲惨な最期を迎えているらしく、蒼姐はそれをどうにかしたくて雨亭の側にいることを選んだという。
何故、蒼姐がそこまで雨亭に好意的なのかは、今以て不明である。
尋ねてはみたが、どうにもこうにも言いたくないという素振りをされ、聞き出すのを雨亭は諦めていた。
今も、臨淵の過去に関する何かを知っているであろう蒼姐に無理強いすることなどできない。
臨淵も、雨亭の翠色の左眼を狙っている元兄弟子、
正直、記憶を取り戻したいという臨淵の望みを、蒼姐を優先するために叶えられない時点で追い出されるかもと思ってはいたのだが、そういうことなら仕方ないだろうと臨淵は雨亭も蒼姐もそのままにしている。
人であろうがなかろうが、彼女がお前の大切な存在であることは理解したから、と。
知りたいことは自分で聞き出すからお前は手を出さなくていい、と臨淵は言い、現在時々蒼姐とふたりで話し込んでいる。
が、その大半はどうやら無言で向き合う根競べをしているらしかった。
今日も今日とて、昼食を作り始めた雨亭の背後に現れ、借りると言って鬼火状態の蒼姐をひょいと持って行った臨淵だが、何の成果も得られなかったらしい。
天魔の食客として小さいながら庵を一つ与えられ、魔教と麓の街を自由に行き来できる臨淵は、己の過去の記憶を求めている。
青年の中ではっきりしているのは臨淵という名前と、
己が持つ他人の嘘を見抜く力すら、臨淵はいつ手に入れたのかわからないという。
尚、臨淵が持つ柄に龍の彫刻が施された槍は、彼の嘘を見抜く力を制御してくれているらしい。
あれって槍の力じゃなくて臨淵固有の力だったんですか!じゃあ何で天秤槍って名前だったんですか!わたしの勘違いかブラフか今後やばいことが起こるかどれですか!とそれを知った蒼姐は言ったが、そんな事を言うからには、やはり彼女は何か臨淵について知っているのだろう。
とにかく臨淵は、己以外の者が触れると触れた相手を痺れさせるこの特殊な武器を手にした経緯も覚えていないのだ。
臨淵の力を制御する槍ならば、臨淵に合わせて造られたと考えるのが妥当だが、別の世界の学者に槍を調べてもらっても、素材すらまともに判明せず職人も見つからず、お手上げだったそうだ。
これだけ己の過去に関して空振りを続けても、臨淵は記憶の中にいる【彼女】という存在を探している。
その存在が自分にとってどんな意味を持つかも知らないまま、臨淵はただ、彼女に会わなければならないという想いで、世界を流離う旅をしてきたらしい。
明らかに善人の臨淵が、塵扶で悪名高い武人、天魔の食客になったのは、一つ前の小世界で不慮の出来事があり、逃げるように飛び出して塵扶に流れ着き、嘘を見抜く力と槍の腕前を見た天魔に興味を持たれたことが原因だそうだ。
天魔と一対一で戦い、半分叩きのめされて半ば無理に連れてこられたそうで、あまりいい出会いではなかったようだが。
雨亭を拾う直前まで、塵扶内を巡って記憶の手がかりを探していたと言うから、臨淵と出会えたことは幸運だったのだろう。
ともかくも、過去を求める臨淵は蒼姐にその探しびとの面影を見たことで、蒼姐と雨亭をまとめて側に置くことにしたのだった。
が、本日も臨淵は頑固な鬼火との無言攻防戦に負けたらしい。
師匠、口が上手いわけじゃないもんな……と弟子の少年は思う。
端正な顔立ちと淡々とした口調から一見冷徹で怜悧な性格に見えるが、臨淵は案外抜けたところがある。
まず、非常に朝に弱い。
目覚まし時計という、別の世界で手に入れた小さなからくり箱がないと、起きられないのだ。
大音量を奏でるその箱さえも無視して寝続ける場合もあるから、最近ではずっと雨亭が起こしに行っている。
起きても冬眠明けの蛇か何かのように、冷水を浴びるまでは寝ぼけ気味だ。
次に、口が下手である。
初めて会った日にも臨淵は雨亭の口先にあっさり引っ掛かって、誤魔化しを見破られたのだ。
なまじ相手の嘘がわかるから、臨淵はこう妙に素直と言うか、少々世間ずれたのではないかと雨亭は思っていた。
自分にも、周囲の【敵】や【生命】を感じ取れるよくわからない力がある雨亭としては、同じく特殊な力を持つ臨淵のそういう面は戒めにもなる。
臨淵のほうは、同じ記憶喪失で同じ正体のわからない力があるなんて俺とお前は似ているな、と若干嬉しそうにしているので、色々温度差のある師弟ではあった。
「どうしましょう……食客時代の臨淵って想像の三割増しふわふわ駄目人間感が凄いのですが……。十歳児にてきぱき布団剥がされてお世話されてる外見年齢二十歳そこそこって、どうなんですか……」
「師匠を起こすのはおれの仕事なんだから、別にいいんだけど。仕事がなかったら、逆におれ困るし」
読むものがあるという臨淵を庵に残して、箒を手に秋の落ち葉に彩られた庭を掃除しながら、雨亭は肩をすくめる。
雨亭にしかはっきりと見えない少女の形になった蒼姐は、その周囲でふわふわと春の蝶のように飛び回りながら頭を抱えていた。
「確かにそうですけど……ひとり旅してた頃は、あの調子でどうしてたんでしょうか。気になりません?」
「色んな家に泊めてもらってたって言ってたから、そこの人たちにやってもらってたんじゃない?師匠顔がいいし。野宿もできるとは言ってたけど」
「おいまさかヒモだったんじゃないでしょうね」
「護衛と用心棒で食べていけるって言ってたよ。どこの小世界にもいる野獣とかならず者とか虚影の忌みものを倒せば、お金は大体どうにかなるって」
「あー……まぁ臨淵の強さならそうなりますか。どっちかというと、彼はずっと昔から世話焼かれ体質ですからね」
「……やっぱり蒼姐、師匠のこと知ってるんだ」
「あぅ」
秋の落ち葉を掃き集めながら、雨亭は浮遊する少女を見上げた。
蒼姐の歳は聞いていないが、多分十になった自分より五つ、六つは上だろう。
水色の袖や丈の長い衣はすっきりと整った顔立ちによく似合い、黒髪はさらさらと流れ、薄墨色の瞳は濡れたように光っている。
とても綺麗だと、思う。
それでも、秋空の下の少女は輪郭がはっきりとあっても、やはり向こう側が半ば透けていた。
死んでいるとも生きているとも言えない不思議な状態にあるらしい彼女が、これ以上成長して大人になるかはわからないままだ。
箒をまた動かしながら、雨亭は続けた。
「蒼姐が師匠に言わないのも、理由があるからなんだろうけどさ、師匠は本当に自分の昔を知りたいみたいだから」
「……わかっていますよ。でもね、雨亭くん。真実は既にこの世に亡く、遺された事実は劇薬です。知るべきでない時、というのは確かにあると思うのです。わたしは臨淵の善を信じていますが、それでもね」
地に足の付かない少女は、どこかしら淋しげにも見えた。
しかし、記憶がないと語る臨淵もどこか淋しげに見えるのだ。
昔の記憶がないのは同じだが、過去を振り返ったことがなく、今も振り返ろうと思わない雨亭には、師匠となった青年のその顔は何とも言い難い感情を呼び起こすものだった。
臨淵にも蒼姐にも、助けてくれた返し切れない恩があるのだから、雨亭には尚更何も言えなくなるのだ。
幸いなのは、記憶のことさえ除けば蒼姐と臨淵は性格の相性は悪くないことだろうか。何なら、雨亭をお説教するときは二倍どころか二乗で畳み掛けてくるほどだ。
どちらも見ず知らずの子どもを助けようとするような人間だから、当然かもしれない。
……どちらも、人間ではないかもしれないが。
もっとふたりの役に立ちたいなぁ、と雨亭が何の気なく箒の手を止めたときである。
「……ん?」
ふと視線を感じ、雨亭は顔を上げた。
嫌な感じはしない。しかし、確かにこちらを見ている。
どこからだろうと見回すまでもなく、ちかちかと翠の瞳が瞬き、雨亭は瞳が導く方向へ歩いて木陰を覗き込む。
かくれんぼでもしているかのように、膝を抱えて小さくそこにいた人物に、雨亭は眼を瞬いた。
「……
「うん!お兄さん、わたしを覚えていてくれたんだね!」
あどけない声で言いつつ立ち上がったのは、黒い髪を愛らしく結って紅の衣を身に着けた雨亭よりも小柄な少女、天魔の娘、蛍留である。
「やっぱり、あなたはすぐに私を見つけてくれるんだ!すごいね!」
困惑する少年の前で、幼い彼女は紅の夾竹桃のような鮮やかな笑みを浮かべたのだった。
【虚海航路】新章予告
星舟が三番目に訪れるは、龍は墜ち神樹斃れし塵の国、【
神ありし二つの世界を駆けた星舟の一行が、神なき世界【塵扶】にて出会うものとは───?
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