では。
「天魔とかいう唯我独尊体術最強の天下無敵野郎唯一の弱点が突撃訪問してきた件について」
「
「そうですそうです。
「子どもに出してもいいやつ?」
「いいやつです」
臨淵の庵に、唐突に現れた少女がいた。
名は
魔教を束ねる天魔の実の娘にして、蒼姐曰く彼唯一の弱点とされる女の子である。
年齢は、
雨亭は十歳になったばかりなので、まだ五つか四つということになる。
「なんでそんな歳の子がここに一人でいるんだ……?」
「結構なブーメランだと思いますよ、家政夫中の十歳児雨亭くんは」
「おれは弟子で召使いだけどあの子はお嬢様だよ」
「あァ〜」
そんなことを言い合いながら、庵の厨にてぱたぱたと雨亭は茶の用意をしていた。
蛍留お嬢様が現れたんですが、と雨亭に告げられた臨淵は読みかけの書物を手から落としたし、蛍留はそんな臨淵を何故か睨むし、この二人面識があったのかと雨亭は驚いた。
「おれ、お茶淹れてきますから」
言って、雨亭と蒼姐は厨へ引っ込んだ。どう接していいかわからない蛍留を、臨淵に押し付けたとも言う。
それに、用があるのは庵の主である臨淵だろうと雨亭は信じてもいた。
庵の厨には臨淵が別の小世界で手に入れた熱を出す謎の道具があり、簡単に湯を沸かすことができるため、茶は出しやすくあった。
「さすが【ジャジラ】の新発明携帯IHヒーターカッコカリですよねぇ。っていうかこれ、ジャジラと……【メヘラス】の技術のコラボですか。メヘラスの変態発明家のロゴ入ってますから。ほんと、ちょっとでも自分が関わった品には絶ッ対自分のロゴ入れたがるんですねぇ。スポンサーと揉めるわけです……」
つんつんと、火付け道具に刻まれた小さな紋様を突く蒼姐である。
また変態か、変態多くないかと思いながら、立ち上る湯気を雨亭は見つめる。
「……師匠、どこまで旅するつもりなんだろう」
「答えを見つけられなかったら、将来的には七つの世界全部巡るのでは?」
「おれ、連れてってもらえるかな?」
「もらえますよ!弟子なんだから!」
「……いや、これじゃ難しいよ」
雨亭は自分の足元を指さす。
そこには、以前魔教の懲罰房に入れられた際嵌められた鉄の輪が残っていた。
壁に繋げられていた鎖を臨淵が破壊したため、今雨亭は自由に動けているが、枷自体は今も足に残っている。
雨亭は蒼姐に導かれて天魔の妻と子が暮らす銀雪宮に侵入し、実母の
天魔の娘たる蛍留を虐げていたのは冰蘭華だと臨淵が証明してくれたため、その件で雨亭は罰せられることはなかったのだが、立入禁止の銀雪宮に入った点は罰であるとされ雨亭は足に枷をつけられたままになった。
蒼姐は当然般若の顔になったし、臨淵もいくら何でも理屈が通らない、禁を犯したとしても、蛍留を助けた事実があるだろうと直接抗議してくれたが、天魔と彼の配下筆頭の魔人たちにはすげなくあしらわれたという。
雨亭は、怒らなかった。
怒れなかったのだ。
表向き、侵入の禁を破った点で雨亭は魔教を破門され、そこを臨淵に拾われたということになっている。
天魔の妻が夫の目を欺いて娘を虐げ、その娘が天魔や四大魔人ではなく、正体不明の鬼火と下級弟子に助けられた事実は外聞が良くないから、何某か事実は曲げられるだろうとは思っていた。
そこへ来てこの判決をくだされ、ああ、と納得したのだ。
侵入の禁を破ったどうのというのは建前。
本当の狙いは、臨淵だろうと。
臨淵と過ごすうちわかったのだが、彼は我欲が薄い。
強さを極めたいという魔教の人間が備えた欲求もなく、淡々としている。
生まれながらに己が強者であることが当たり前であるかのように誇りや自負がなく、富貴や女にはさらに興味がない。
それでいて、臨淵は魔教四天王の一角、
配下ではなく食客という完全な支配下に置かなかったことからも、天魔にとって臨淵は侮れない強さだったのだろう。
今臨淵が魔教にいるのは、天魔に敗北したからもあるが、過去の記憶を求めるのに魔教という拠点を得たほうが都合が良かったからだ。
塵扶の隅々に独自の情報網を持つ魔教なら、確かに記憶探しにおいて利用する価値はある。
逆に言うと、臨淵にとって魔教にはそれ以外の価値がない。
塵扶に手がかりがないとわかれば、彼は別の世界へ渡るはずだ。
今までも、そうして根付かない旅をしてきたようだから。
一方の魔教側は、臨淵をこちら側に置いておきたいだろう。
嘘を見抜く力もそうだが、魔教の者は一般的に己を凌駕する強さに惹かれるため、天魔と渡り合った臨淵を手放しがたくなってもおかしくはなかった。
胡陀の雨亭の瞳への執着も然り、一度こうと決めたら心を変えないのだ。
師弟揃ってヤバイのを惹きつけてどうするんですかぁ!とは、蒼姐渾身の叫びである。
が、肝心の臨淵は強さにも富にも女にも興味がない。
強く求めるのは己の過去のみで、これは魔教の力でも解き明かせないものであったらしい。
臨淵をどう引き留めるか、魔教は頭を巡らせていたのだろう。
そんなところへ、臨淵の過去の手がかりとなるかもしれない、鬼火を連れた雨亭が現れたのだ。
子ども一人を助けるため、四大魔人の一角でたる胡陀に槍まで向けた上、あの最下級の弟子を引き取りたいと臨淵が言ったとき、天魔も四大魔人もこれだと思ったに違いない。
雨亭さえ捕らえておけば、臨淵は当分は塵扶からも魔教からも出て行けない。
魔教が、あっさり雨亭を臨淵に渡すわけである。
しかし完全に渡したのではなく、魔教側の罪人であることを雨亭から示す枷を外さなかった。
そんなものをつけられていては、雨亭は魔教の外でまともに生きられない。
魔教の息がかかった街に一人で行けば追い出されるだろうし、魔教と敵対している正教が治める別の街に行っても魔教の鉄枷をつけた人間など普通の職に就けない。
何より塵扶の外へ出ようとすれば、枷が弾けて脚が千切れる。
しかも、臨淵は過去の記憶を手に入れるために雨亭や蒼姐に無理強いするどころか、字や礼儀作法を教え、料理の味を覚えさせるためと言って街へ連れ出した。
こうなると、魔教が雨亭を臨淵の弱みにできると見なさないわけがない。
だから、こんなことをしては駄目だと雨亭は街の酒家でも臨淵に言ったのだが、まったく聞いてくれなかったのである。
ただ遠慮しているのではなくて、自分にこんなことをしていたら臨淵の目的にますます遠くなるのが見えていたから雨亭は止めたのだが。
「それは魔教と俺の問題だ。弟子で子どものお前が気を回すことじゃない。それよりもこれを食え。倒れるぞ」
と、これであった。
尚、同じことを聞いた蒼姐は。
「きみのそういう目敏くて頭の回転が速いところ、死亡フラグが増える原因になりそうで怖いです……。雨亭くん、ほんとに十歳ですよね?」
とのことであった。正論だが、論点がずれていた。
年齢に関しては、正直わからない。魔教に言われたのをそのまま使っているだけだから。
しかし、星読みや医員を備えた魔教の言うことだから間違っていないだろう。
ともかく、そんな事情であるから雨亭の足首には今も枷が嵌ったまま、外すあてもない。
臨淵ならば枷を両断するのも可能だが、懲罰房の枷は世界の外に出ようとすれば爆発する術以外にも、無理に壊せば壊すためにかかった力を装着者に跳ね返す術がかかった特別製。
つまり、足枷を斬れば雨亭も斬られてしまうためなかなか手が出せないし、斬った瞬間魔教との本格的な敵対が決まってしまう。
そうして、現在いきなり庵を訪れたのは天魔の娘である
臨淵に執心しているらしい天魔が乗り込んでくるならまだしも、侍女も連れずに彼女が現れる理由はわからなかった。
「蒼姐、冰蘭華様ってどうなったんだっけ?」
「……手首だけが実家に送り返され、遺灰は川に撒かれたと聞きましたが」
「うん、そうだったよな。……蒼姐、冰蘭華様の家は報復に来ると思う?」
「正直、わかりません。……可能性としては、大いにあり得ると思いますが」
改めて聞いても、冰蘭華に下された罰は苛烈であった。
天魔の子を虐げ、天魔の目を眩ませていた罪を、彼女は己の生命で償うことになったのだ。
処刑は内々に行われたそうだ。
雨亭は、それがどんな模様で行われたかを聞いていないが、かつて天魔の妻であった女は、一瞬で絶命したという。
痛みのない死を与えたのが最後の慈悲であるとばかりの冰蘭華の末路を聴いたときは、きっかけを作った雨亭も、彼女の虚偽を天魔に告げた臨淵すらも一瞬絶句してしまった。
蒼姐だけが、ああやはり、と声を漏らして悼むように目を瞑っていた。
冰蘭華の行いを暴けばどうなるかを、彼女はわかっていたのだろう。
それでも、雨亭の生命のために蒼姐は選んだのだ。
己を虐げていた母が父に処された事実を、蛍留が一生背負う道を。
だから、今日訪れた蛍留の明るい笑顔を見て雨亭も蒼姐も言うべき言葉を見失った。
幼い少女の笑顔が何をはらんでいるかも、わからないままだ。
「……」
「……」
しゅ、音を立てて湯が沸き、雨亭は火を止めた。
冬の気配を感じる風が吹き始めた今の季節に合う茶の種類も、臨淵が教えてくれたのだ。
やわらかな花の香を纏った茶と菓子を盆に乗せて部屋に戻れば、そこには円卓に向かい合って座っている幼い少女と、青年がいる。
雨亭と蒼姐が部屋を出るときと、一寸も二人の位置が変わっていなかった。
臨淵は無表情で、蛍留は本心が読めない笑顔である。
が、ひと月ほど共に暮らした雨亭には、臨淵の顔が困っているときの顔だと見抜けていた。
────師匠、もしや小さな女の子に弱い?
とは尋ねられないので一先ず肩に鬼火の形に戻った蒼姐を乗せ、雨亭は二人の前に茶と菓子を並べる。
そのまま下がろうとしたところで、がっしと臨淵に腕を掴まれた。
「待て、雨亭。彼女はお前だけに用があるそうだ」
「え、おれ?」
「お前だ。俺は蒼姐を連れて外に行くから、俺の分の菓子と茶はお前が食べろ」
言って、臨淵は雨亭の肩の鬼火の蒼姐をさっと剥がして手に持ち、立ち去る。
「ちょっと臨淵!蛍留ちゃんをただの幼女と思ったらダメなんですって!幼いのに覚悟決めたら一人で魔教をだっしゅ────」
抗議する蒼姐の声だけが聞こえて、ぱたりと扉が閉じられた。
扉の前に残された雨亭は、ゆっくりと後ろをふり返る。
そこには、にこにこと朗らかな笑顔の少女がいた。紅の瞳が、いつか見た鮮やかな赤い花のように艶めいている。
「あの、その……
一応、習った通りに雨亭は手のひらと拳を胸の前で合わせて礼をした。
蛍留はそれに応えてか、同じ挨拶を返してくる。
「名乗りをありがとう、
小さな少女に勧められるまま椅子に座った雨亭は、改めて蛍留を見、思う。
────本当に、小さい。
雨亭も、蒼姐や臨淵から小柄だ小柄だもっと食べて大きくなれと言われるが、蛍留を見ているとそう言いたくなる気持ちがわかる気がした。
その小さな体に初めて触れたとき、氷のように冷え切っていた体温を思い出す。
冷めて硬くなっていた白い頬は今は薄桃色に染まっており、曇り硝子のようだった瞳は磨かれた紅玉のようにきらめいていた。
心なしか、瞳の紅も深みが増したように思う。体を癒す霊薬か何かを飲んだのかもしれなかった。
よかった、と思う。
ただの成り行きでこの子から母を奪うこととなった自分に安堵する資格はないだろうが、この子が元気になった事実だけはよかった、と。
だが、同時に気にはなる。
「蛍留様はどのような用事でおれに?」
今は天魔の下で健やかに育てられているという蛍留が、何故今や魔教の罪人となった雨亭に会いに来るのだろう。
そも、会うことを止められるのではなかろうか。
蛍留は、雨亭の言葉に少し不満そうに唇をつんと尖らせた。
「あっ、雨お兄さん。その前にね、わたしのことは蛍留と呼んでよ。それにそんなかたい口調もやめて」
「え、しかし────」
「お願いお兄さん!わたしの周りってみんな大人ばっかりだもん。ふつうのおしゃべりができる人、いないの」
「ふつうの……」
「そう!わたしはもう平気だよって言ってるのに、お父さまはわたしを外に出してくれないし、
「そ、そうなんだ」
あどけなく怒る蛍留を前にして、雨亭は自分の喉がひくりと引きつるのを感じた。
もしかしなくてもそのお父様は天魔だし、流の姉さまとは四大魔人の紅一点、
流喬の人格などは詳しく知らないが大剣を巧みに扱う女傑だと聞いている。雨亭の瞳を執拗に狙うあの
いやそも、天魔が外に出してくれないと言うことは。
「……まさかお父様に黙ってここに来た、とか?」
「そうよ?わたし、お礼が言いたいから雨お兄さんに会わせてっておねがいしたのに、お父様も流姉さまも雨お兄さんは外の人に連れられていなくなったって言うんだもの。だからね、
────あの変態野郎本っ当にろくでもないことしかできないんですか!
元気な蒼姐の声の幻聴と、あの不気味なまでの整った胡陀の笑顔の幻覚が過ぎる。
今目の前にいる少女はあろうことか天魔の監視の隙をついてここにいるわけであり、蒼姐曰く天魔は本心で娘を愛しているはずだ。
実の母親に虐げられ、体の傷が癒えたばかりだろう娘が行方不明になったと知れば。
「ししょっ────」
う、と雨亭が外へ呼びかけようとした刹那。
「ッ⁉」
雨亭の視界が激しく揺れた。
左眼に電流が走ったように痺れ、視界が歪んで意識が薄れる。
「
気がつけば、雨亭は床の上に横ざまに倒れていた。
前のめりに倒れて茶器と皿を割りかけたのをぎりぎり横に倒れて回避したものの、そこで瞬きの間気を失って椅子から床へ転げ落ちたようだった。
受け身を取り損なってしたたかぶつけた左肩を押さえながら、雨亭は起き上がる。
ずぐん、と左眼が疼きを通り越して痛みを訴えていた。こんな反応を、今まで感じたことがない。
「だ、大丈夫、大丈夫だよ。……蛍留様、お父様と……胡陀のお兄さんが今迎えに来たみたいです、が」
「ええ、もう⁉はやいわ!」
「はい。だから、お願いがあるんだけど」
一度、おれと一緒に外へ出てくれませんか、と手を差し伸べると、何故か蛍留は心底楽し気にほほ笑んだのだった。
参考資料的に書くと、現在の身長は
雨亭:120cm後半
蒼姐:160cm前後
臨淵:180cm
です。
蒼姐はこの身長+浮遊しています。