…山道を少し進んで現れたのは、木で作られた柵の塀。天高く突き上げられたそれは鉛筆のように尖っていた。
「ここが鬼の集落か。」
「ええ。」
射命丸文の頬から汗が伝う。
それほどまでかとも思うが、感じる力は異様ではある。
「…ここに来るだけで寒気がするわ。」
…目的は見聞を広めることだが、厄介ごとに巻き込まれないようにはしなくちゃならない。現に天魔殺しで余の名前は知れ渡っていることだろう。名上げのために此方を狙って来る阿呆がいないことを祈るばかりだ。
「…っ!?」
「そんなことはないか。」
射命丸文の背がびくりと動く。様子からしておそらく感じているのは恐怖だ。それの正体を表すかのようにガラガラと集落の門が開く。
そこに居たのは人間の様相をもった明らかに人間ではない何かであった。筋骨隆々、額からツノのようなものが生えた怪物。手には酒瓶を持ち、出来上がっているように見えたそれは一人ではない。
「…何モンだぁ?アンタら…。ここに粉かけに来たってんなら喧嘩に乗るぜ?」
「そんな話はしておらん。ただ鬼というものがいかほどのものか見たくてな。」
「あぁん?…ガッハッハッ!!」
鬼の一人が大きく笑う。
何が面白いのかさっぱりわからんが、偉くツボに入ったそうだ。
「優男の兄ちゃん。彼女にいいとこ見せたいんだろうけどよ。そりゃ無理ゲーってやつだぜ?」
「そうか。」
「そうだ…ん?」
…あからさまに鬼の顔が変わる。その顔は陽気な様相から、嫌悪…敵意の眼差しに変わったのだ。
「兄ちゃん。本当に何モンだ。…ただもんじゃねぇな?」
「その違いがわかるとは。わかったとてどうしようもない話だ。」
「…そうかい。兄ちゃん。喧嘩は好きか?」
そう言うと鬼は酒瓶を地面に捨て、構える。その拳は丸太とも相違がないほどの太さだった。
「嫌いではない。」
「ちょっ!?面倒ごとは避けるんじゃないのッ!?」
「…本来はな。…だが、ここはやるしかない場面だ。」
尻込みする射命丸文を他所に口角が上がる。月がそうさせているのか。生来の感情なのか、血が沸る感触が伝わる。
「どっちに賭ける?」
「俺、アイツ。」
…低俗な会話も聞こえて来るが、興味はない。
「兄ちゃんッ!!行くぜェッ!!」
その言葉と共に放たれるは剛腕。右の拳から放たれる突きは速く…そして、鋭い。空が爆ぜるような音が耳に残る。
…が、天魔のそれを見た後ではノロマだ。
胸を上へと逸らし、その一撃を躱わす。
「おう?」
次に放たれるのは左の拳だった。
顎を狙った左の突き。…上半身を霧にして躱わす。
「ぐっ!?」
「殴るだけでは喧嘩とは呼ばん。」
背後から膝を背にねじ込む。
鬼の身体が前へと倒れる。が、そこは鬼。打たれ強いのか、すぐに立ち上がる。
「イッテェ…!!なにしやがった!?」
「…そろそろ遊びも終わりか。」
「なっ!?」
拳を小さく構え、打ちまくる。
コンパクトに打つ、所謂ジャブというもの。鬼は防戦一方…というよりも防御すら出来ていない。ひたすらに余の拳に身体を晒し、打たれまくっている。
「ぐっ!?がっ!?ごっ!?」
「…。」
最後に腹に一撃。拳をねじ込む。
如何に防御の高い鬼だとはいえ、ここまでボロボロにされればもう終わりだ。
「ぐ、ぐぅぅぅ…。」
「の、伸びさせちまいやがった…。」
木の元へと飛んでいき、そのまま意識を手放す…鬼。それを見て、鬼達の顔は驚愕に染まる。…そりゃそうだ。誰から見ても体躯の差は歴然。あの鬼は余の2倍ほどの差はあった。
「…見た目だけ…か。」
「…鬼をのしちゃった…。」
…これでは朝飯にもなりやしない。
口を小さく開け、腑抜けた顔をしている射命丸文を他所に賭け事をしている鬼共を見やる。…あれと同等か、それ以下だ。
「…うん?」
「なんだいなんだい?朝っぱらからすごい騒ぎじゃないか。」
…100キロ以上はありそうな集落の門が下から腕一本で上げられる。どんな豪傑かと思えば、そこに居たのは筋骨隆々ではあるものの金髪の女だった。
その顔は我々の喧嘩を咎めるもの…などでは決してなく、嬉々として混ざりに来た子どものようなそんな様子を窺わせた。
「…女か。」
「女で悪かったかい?」
「いいや。…男だから女だからと決めつけるのは弱者のすることだ。汝からは…怪物の匂いがする。」
価値観は人それぞれだ。
…だが、目の前にいる赤ツノのこの鬼女は先ほどやり合った鬼よりも随分と強い。堅牢な集落の門を一人で…しかも片手で上げるほどの筋力。妖力の匂いもかなり強くこびりついている。強者の証だ。
余でも少々身震いする。全身が総毛立つのは久方ぶりだな。
「…何か面白いことでもあったのかい?」
「そちらこそ。…随分といいことでもあったようだ。」
「目の前にすごいのがいるからね。…コイツらとは喧嘩できて、私とは喧嘩できないなんて口が裂けても言わさないよ?」
そう言うと女は首をコキリコキリと鳴らした。
その女を見た周りの鬼たちの様子がおかしい。萎縮しているような印象だ。
「私は星熊勇儀。…鬼の四天王ってのの一人らしい。よろしく。」
「…それがここの流儀か。…まぁいい。余はルディウス・スカーレット。それ以外は覚えなくていい。」
「…そうかい。なら行くよッ!!ルディウスッ!!」
地面の擦った音。…それが聞こえたと思った…その刹那。拳は既に此方へと向かっていた。
咄嗟に手をクロスにあげるも、身体は後ろへ大きく吹き飛ばされる。…手の痺れる感触も初めてのことだ。
「おや。…少し買い被りすぎたのかな?」
笑いながら此方を挑発するように手を招く。
それに対して返すのは笑みだ。
「いいや。…ここからだ。」
次に向かうは此方だ。拳を固め、地面を蹴り、距離を詰める。
「へぇ。速いね。」
眉間を狙った左拳の打突。それを星熊勇儀は右手で弾き、左の拳を胸部へねじ込む。
「…ッ。」
「へぇ。」
咄嗟に右手を差し込み、受け止めたが…流石に痺れる。手のひら全体に熱い何かが迸り、ビリビリと刺激を与えているようだ。沸騰までもいかないものの、千切れそうになりそうであるが…弱音など言ってられない。
「それで終わりかい?」
「…まさか。」
受け止めた手を弾き、霧へと昇華。
虚となった身体に星熊勇儀が示したのは連続拳打。霧を拳で掻き切ろうとするが、普通の霧ではないため、無意味。
容易く背後が取れる…。
後頭部に目掛け、放った右手の拳を女はいとも簡単に見切り、首を放って避ける。
すぐさま向かって来るは回し蹴り。しかし、すぐさま霧へとなった余に物理攻撃は無意味。
空を切るその回し蹴りの隙に後ろから連続拳打を浴びせた。
「くっ…。」
…力は一歩及ばず、だが、速さなら分があるらしい。
星熊勇儀の頬を斬る傷と右手の親指の爪に微かについた血に手応えを感じる。…だが、それだけで勝てるなどとは思うな。慢心は自身を滅ぼす。
距離を離し、自身の頬に手を当てる星熊勇儀。手についた血を見た瞬間、ニヤリと笑った。
「そうだね。そうじゃなきゃ、面白くないッ!!」
「…また来るかッ!!」
地面を蹴り、距離を詰めてくる…最初と同じだ。
左の拳を固め、そのまま打突をしてくる…かに思えた。
「アンタ相手ならこれぐらいしないとねェッ!!」
その一撃はブラフ。受け止めるようにクロスした腕の直前で止まり…代わりに左頬に衝撃が走る。
「…ッ!?」
…右拳を捩じ込まれたか。
口の中に鉄の味が混じる。自分の血を飲むのは何年振りだろう。…だが、意識を刈り取るには惜しい一撃だ。
「…へぇ。今ので倒れないか。」
「…ふんっ!!」
追撃の左拳を右手で受け止める。
即座に星熊勇儀に左拳を打ち込むが、それを奴は同じように右手で受け止めた。まるで鏡写しだ。
「…このまま握り潰してやろうかねぇ。」
左拳が軋む音と鈍い痛みが伝わる。…我慢比べならこちらは不利か。だが…!!
「…久しく見ぬ強きものよ。なにか勘違いしてはおらぬか?」
「なにを…ッ!?」
直後、星熊勇儀の額に衝撃が走る。
腕は取られ、足払いも自分諸共だ。ならば使えるのは一つだろう。
「ぐっ!?この土壇場で…頭突き!?」
「戦いに美などあるものか。無様などあるものか。死ぬか生きるか、負けるか勝つか…それ次第…ッ!!」
衝撃に緩んだ右手。その隙にこちらも右手を離し、左手を引っ込める。
すぐさま右手を硬く固め、作り出した拳で打つは連打。たったコンマ1秒ほどの隙でもこの次元でやれば致命となる。
「ぐっ!?すごいねぇェェッ!!」
こうなれば星熊勇儀は防戦一方である。
ガードをして人体の急所…頭部を守ろうとするが、守りきれていない。腹、胸、肩など拳を食らっている。
…星熊勇儀の一撃が鋼鉄の棍棒ならば此方は神速の槍。拳で肉を断つしかあるまい。防戦一方…だが、そろそろ我慢も限界だろう。
「…ハァッ!!」
ガードを解き、星熊勇儀が最速のジャブで我が顔面を穿ち抜こうとする。
だが、それは読める。
左手の甲で弾き、そのまま懐へと入る。
「ぐっ!?」
「当たればまた隙を呼ぶ。ならば次は当たってやらん。」
そのまま星熊勇儀の腹部へ拳をねじ込む。鍛え抜かれた腹筋は鋼鉄のように硬くはあるものの、拳は容易く鳩尾を凹ませた。
「グフッ…!!」
血混じりの息を吐く星熊勇儀。
そのまま地面を滑り、後退していく。口元から血が流れてもニヤリと笑うその姿は凶戦士というほかないだろう。
「…やるねぇ。おかげでこっちも酔いが覚めてきたよ。」
「ふむ。…なるほど。酔いを負けの言い訳にされては困るからな。」
「言うね。…こっからだよ。」
蹴った地面が大きく陥没させ、此方へと向かって来る星熊勇儀。
「…正面からやってやる必要はない。」
「ッ!?そこだッ!!」
霧となった余を狙うように背後に拳を撃つ星熊勇儀。
しかし、無論当たりやしない。それどころか隙を晒すのみである。
「不正解だ。」
「ぐっ!?」
脇腹に肘をねじ込む。苦痛に歪む顔に手応えを感じる。陽の光が天上まで差し掛かっていた。再び黄昏を見るのも早くはないだろう。
「…くっ!!」
「ふん。」
腕をへし折ろうと星熊勇儀の右肘が向かって来るがそれを腕だけ霧にして躱わす。
そのまま距離を取るため、後ろへと跳ぶが星熊勇儀がそれに引っ付くように前へと跳んできた。
「さぁ。まだまだ行くよッ!!」
「もう貴様の拳は当たらんッ!!」
…拳の連打同士のぶつかり合い。
まるで子どもの喧嘩のようなそれは風圧で木々を薙ぎ倒すほどであった。